こうして異世界の夜は更けていく
「それで、鍛えて欲しい、だったか」
その日の夜。
話の続きがしたいとアンリに言われたので、俺の部屋に招いたんだが。
「……ティキュラとミルキ・ヘーラもか?」
「あ、いえ。私もいざという時は頑張りたいんですが」
「私も、御当主様に鍛えていただきたいわけでは」
何故かティキュラとミルキ・ヘーラの二人もついてきた。
この話の流れなら、二人も俺に鍛えて欲しいと言い出すのかと思ったが、そうではないらしい。
ならば何をしにここへ?
「鍛えて欲しいのは私だけです。私、これでも古ゴート族の女剣士なんです」
「そうなのか」
「はい。この間も頑張って戦いましたよ!」
そう言ってアンリは胸を張るが、俺的には少し複雑だ。俺のために戦って傷つくのは、どんな時でもあまりいい気分じゃない。
強制睡眠という弱点を抱える以上、一生付き合わなきゃいけない話なんだが。
「結局ボコボコにされて、ひどい目にあいましたけれど」
「ッ! そ、れは……」
「そんな顔しないでくださいカイ様。今はぴんぴんしてます。というかそんな顔をさせたくてお願いしたわけではないんです」
すっと、俺の前に膝をついて、こげ茶色の髪をひと撫で。
「私は、あなたと共に歩める女になりたい」
そう言って、俺を上目遣いに見つめてきた。
「初めて会った時、私は、あなたを恐れた。でもあなたは、私を助けてくれた」
彼女たちの村で、人間からアンリを助けた時か。
「初めて会ったはずの私を、ためらいなく。ティキュラに頼まれていたとはいえ、結局ティキュラを束縛しなかったあなたを見て、ああ、この人は聖人君主のようなお方だと思いました。この人の力を借りれば、もう一族は安泰だと、そう思いました」
その顔に、吹き抜けるような清々しい笑みを浮かべ。
「だからあなたを、好きになりました」
そう、告げた。
「その美しい顔も、ほっそりとしているのにたくましい体も、私たちとちょうど同じくらいの背丈も、その赤い瞳も、荒野の風になびく銀の髪も。みんなみんな好きになりました。けれど……」
そうして、今度は困ったように。
「あなたは、聖人君主ではなかった」
「アンリ」
……期待を、裏切ってしまったか。
俺自身一度だってそんなモノになれたつもりはないが、少なくともあの砦の地獄を作り出した男が、そんな聖人君主などと名乗れるはずもない。
せめて俺に付き従ってくれるものの前では、俺は皆が誇れる吸血鬼でありたいと思っていたのだが。
結局、そんな見栄もこうして見抜かれてしまったわけで……。
「あなたはもっと、素敵な方でした」
「……え?」
「皆が仲良くなる事を考えて、自分がまだ足りないのだと悩んで、傷ついて、悲しそうな顔をする男の子です」
すっと、いつの間にか伸ばされたアンリの手が俺の頬を撫でて。
「だから私は、あなたに頼るのではなく、あなたの支えになりたいと思ったんです。あなたは無敵の戦士じゃない。私達と同じで、傷ついても誰かのために頑張れる、優しくて素敵な、ちょっとねぼすけの吸血鬼」
こげ茶色の髪が、そうして嬉しそうに跳ねて。
「だから私は、あなたがもう一度好きになりました」
そう告げたアンリの表情が、俺の目に焼き付いていく。
どこまでもまっすぐ、飾らない自然な笑みで、俺にそう告げてくれた女の子の顔が。
「それが、私が戦う理由で、鍛えて欲しい理由です」
それが、アンリという少女。
古ゴート族に生まれ、剣士として歩んできた、少女の心。
好きなものと共に歩み、支え、戦ってきた。いや、これからもそうありたいと願う、美しい少女。
それが、アンリ。
「私、頑張って強くなりますからっ! バリバリ鍛えて、もうカイ様が寝ている間は私一人で十分なくらい強くなって、それで、カイ様が起きたら私の武勇伝をたくさんたくさんお話して」
「ああ」
「っ! あっ」
俺の頬に添えられた手を掴み、そっと撫でる。
こんな華奢で、綺麗で、女の子らしい手をしているというのに。
その手の熱さは、戦うといった彼女の心は、確かに本物で……。
「あっ、あのカイ様っ! 嬉しいいいんですけれど、そ、そのっ、いま、今はダメというかっ!」
そうしてぷいっとそっぽを向かれ、にべもなく掴んだ手を振りほどかれた。あるぇぇっ!?
「いえあの、これ以上は抜け駆けになってしまうっていうか、そのっ」
「? 確か、昼もそんなことを言って……」
「はーい、次は私ですー」
こちらが取りつく島もなく、下がったアンリと交代するように出てきたミルキ・ヘーラ。
う、ううむ、何かこの三人、結託している?
「えへへ、御当主様」
俺の前に出たミルキ・ヘーラが、その美しい顔を満面の笑みで飾り。
「私、御当主様のことが好きです」
そう、告白され……。
「それと、ティキュラとアンリも、好きです」
「……ん?」
「ベーオウさんやレッサーオークの皆さんや、古ゴート族の皆さんの事が好きで、この変わったお城も好きで、この何もない荒野で、こうして暮らせている今が、すごく好きです」
別にそれは俺への告白ではなく、ただ単に皆の事が、ここでの暮らしが好きだと言ったに過ぎなかった。
だが言葉の端々に、溢れるような喜びと想いがこもっている気がした。ミルキ・ヘーラらしい、素直で愛おしくなる、そんな言葉で……。
「こうして堂々と誰かを、何かを好きになっていいっていう場所は、生まれて初めてです」
「っ!」
いや、それだけではなかった。
その中には、どうしようもないほどの切なさも、含まれていて。
「サキュバスとして生きるというのは、そういうことなんです。正体を隠して近づいて、誰かを好きになったとしても、本気で愛してはいけない。本気を出してしまえば、色々な何かを壊してしまうから。ずっとずっと、そうやって生きてきました」
今更ながら、この世界でサキュバスとして生きるという重みが理解できた気がした。
それは身の危険だとかそういう事ばかりではなく、心にすら、自由を許されないという事。
その苦しみがどれほどか、それは俺にも、理解できないモノで。
「でも私、ここでなら、本気で誰かを愛せなくてもいいと思ってるんです」
「え?」
「だってそれくらい、私は皆さんの事が好きなんですから」
なのに彼女は、それをなんでもない事のように、笑ったのだ。
「例え精をもらえなくて飢えることになっても後悔しませんよ? それよりもここで得たものの方が、ずっとずっと、大切なんですから」
そうして優雅に、いや、どこか子供みたいに、そんな相反する感想を抱かせる美貌で、彼女は俺に笑いかける。
「その居場所をくれたのは、御当主様、あなたです」
「ミルキ・ヘーラ……」
「私はあなたを、お慕いしております。心の底から、誰よりも」
そうして薄紅色に染まる頬が、ドキリとするほど美しくて、思わず、見惚れて……。
「ミルキ……」
「あ、まだおさわりは無しでお願いします」
またあっ!?
「御当主様、後のお楽しみです」
そう言って彼女は人差し指で、俺の唇に触れる。自分はおさわりありなのかとちょっと文句を言いかけたが、ここまできて俺も場の空気が読めないほど馬鹿ではない。
抜け駆け禁止、なのか、全く。
「……えっと、あの」
最後に進み出てきたのは、当然ティキュラだ。
「私、今まで隠していたことがあるんです」
と、これまでの雰囲気とはちょっと違い、ティキュラは、後ろめたいのかその瞳を泳がせながら、それでも一度、俺と正面で向き合って、話した。
「私、ただのラミアじゃないんです」
その揺れる瞳を、決意で固めて。
「【ドラコラミア】なんです」
「……え」
ドラコ……ラミア……。
「ええ!?」
思わず声をあげてしまう。
だって、その、ドラコという接頭語は……。
「ティキュラ、お前、ドラゴンの系譜だったのか」
そう、栄えあるドラゴンにまつわるものにつけられる名だ。
流石にドラゴンは説明不要だろう。モンスターの中でも
「はい、私、龍の血が流れるドラコラミアなんです。ずっと、それを……隠していて」
「それは……」
この世界でドラゴンがどういう扱いなのか分からないが、それはミルキ・ヘーラのように、隠す理由が必要だったという事か。
「何故、隠していたんだ」
「……私の血統は貴重で、誰からも狙われるんです。この鱗は希少品で高く売れるらしいです。私の子供は、その血と力が受け継がれるから、魔王軍の兵士にはもってこいらしいです」
成程、そういう訳か。
ミルキ・ヘーラとは方向性は違うが、正体をばらすわけにはいかなかったわけだ。
力、というのは恐らく、あの砦でカメレオンみたいな奴を混乱させたあの力。魔法ではなかった。どこか呪術のような、別系統の力のように感じたな。
「カイさん、私、高く売れるんです」
ティキュラは真剣な顔で、告げる。
「人間に売ればひと財産稼げます。一生遊んで暮らせたりするそうです。魔王軍に差し出せば、きっとカイさんなら幹部でも何でもなり放題です」
「……」
「ベーオウさんは小娘一人の体じゃ価値がないって言いましたけれど、これなら、どうですか?」
「……何がだ?」
俺の言葉に、ティキュラは、震える声で続ける。
「欲しく、なりませんか?」
その表情には怯えが。
幼い顔は暗く沈み、胸に当てた手は震えていた。
ティキュラは、これまでどんな生を送ってきたのか、俺は知らない。
だからその震えの意味も、俺の想像の範疇でしかないが。
「そうだな」
ティキュラの頭に、手を伸ばす。
少女はびくりと体を震わせ、そして俺は、そんな彼女を……。
「お前がただのラミアでも、俺は同じことを思う」
「……え?」
「いい女は、手放したくないな」
かつてティキュラに『お前は自由だ』と言っておいて何だが、他の誰かにとられるくらいなら、この子をかっさらってしまおうとも思う。
何とも身勝手に聞こえるかもしれないが、別にいいだろう。
吸血鬼は別に、いい子ちゃんではないのだから。
そう、出会ったばかりの頃から、その瞳に俺は魅了されてきた。
「今更、いい女になるのを諦める気か?」
だが、出会った時とは違う。
今はもっと、過ごしてきた長さだけ、俺はこの子を愛おしいと思う。
俺の傍で、その湖面のような青い瞳をきらめかせてきた、彼女を。
「楽しみにしているんだが」
そう言って優しくなでてやると、今度はくしゃっとその顔が歪んで。
「ッ! だ、駄目ですっ! カイさんっ!」
と、真っ赤になったティキュラに何故か叫ばれて。
「ぬっ、抜け駆けはっ! 禁止っ! ですからっ!」
あ、あれあれあれ!?
撫でていた手をグイグイと引き離されて……ちょっとそれ、傷つくぞ?
「ま、まだダメなのか?」
「だっ、駄目ですっ! まだ一人話を聞いていませんからっ!」
まだ一人?
まさかこの流れでベーオウまで出てきたりしないよな? 流石にそれは対処に困るぞ?
「最後は、カイさんですっ!」
「な、何?」
「何か我慢してたり、内緒にしていることとか、ありませんかっ!」
……ああ、成程。
そういう事だったか。
「気づいて、いたのか」
「え、えっと、なんとなく、ですけれど。だってカイさん、吸血鬼ですし」
そうだな。ばれて当然か。
ティキュラだけでなく、アンリとミルキ・ヘーラも、真剣な表情で俺を見つめている。ひょっとしてここまでの全てが前振りだったのか?
俺に、秘密を打ち明けさせるための。
「……血が足りない」
そう、最後に残ったのが、この問題だ。
吸血鬼は、その名の通り血を吸う鬼だ。長い事血を吸わないと、健康面だけでなく精神にまで異常をきたすことがある。
恐らくそれが、この間の強制睡眠で気持ち悪くなった原因だ。
「えっと、いいですよ?」
「ん?」
「私の血なら」
そう言って服をずらし、スッと首筋と鎖骨と肩を露出させるティキュラ。その仕草は吸血鬼的には大変そそるんだが。
「そう簡単じゃないんだ」
「え、私の血じゃ、駄目なんですか?」
「ダメじゃない。問題は、量だ」
俺の場合、かつては毎日のように身を捧げる従者達の血を吸っていた。
その量、一日に約5リットル。
「そんな量の血、取れるわけがない」
血とは、生き物にとっての生命力そのものなのだ。
当然血が足りなくなれば、生き物は生きてはいけない。
かつて医療技術の整っていない人間が、血を分ける行為をまさに命を与える行為だと認識していたように。
誰かに血を与えるというのは、死の覚悟を要する。
「敵ならまだしも、俺を慕ってくれるお前たちに、そんなことはさせられない」
ミルキ・ヘーラの血を吸ったのなど気休めにしかならない。
だがあれ以上採れば、健康面に何らかの異常をきたしかねない。
だから……。
「なら、私たち、ならどうですか?」
「何?」
「はい。私、体も大きいですし。三人分ならたっぷりになりますよね」
そう言って、アンリとミルキ・ヘーラも進み出てくる。
「いや、待て。知っている、だろう? 血を失うことは命を危険に晒す行為だと」
「知ってますけれど……何か問題なんですか?」
「え?」
ティキュラにあっけらかんと返されて、思わず押し黙ってしまう。
「……カイさん、自分ばっかり危ない事しようとしますよね」
「聞きましたよ。ベーオウさんを助けるために、カイ様無茶したんですよね?」
「なっ! え、何でお前たちがそれを知って……」
それは誰にも、ベーオウにすら話していないことで。
「あはは、これはベーオウさんが上手でしたね。ベーオウさんを助けた時に御当主様が無茶したかどうか、カマかけて聞き出せって言われてたんです」
ぐっ!? お、おのれベーオウ!
「カイさん、私たち、カイさんを信じてますよ」
しゅるる、と俺に巻き付くティキュラの尻尾。
「私もですカイ様。だからどうぞ、遠慮なく」
四本の足で、アンリは進み出て。
「むしろ今日は血を吸うまで帰しませんから」
ミルキ・ヘーラが、俺を背後から抱きしめる。
いやその……ここは俺の部屋なんだが。
「……もう一つ、副作用がある」
俺は、半ば観念しながら切り出す。
「何ですか?」
「どうぞ、遠慮なく」
「言ってください」
そうだな、ああもう、言うしかないか。
「……えっちなきぶんになる」
「うえっ!?」
「ええっ!?」
「わお」
一人だけ反応が違うが、まあ、そうだよな。
正確には色々と条件が整わないとそうはならないのだが……恐らくこの状況では……。
「あっ、え、えとえと、い、いいですよっ!?」
「そ、その、カイ様も、その、そういう気分に……ど、どうぞどうぞ」
「私は勿論どんとこーい」
三人が三人とも同じとはいかないが、彼女たちは、それを受け入れてくれた。
「……」
もう、もう……。
「いくぞ」
我慢の限界だ。
「あうっ!? あっ、カイさ、あっ! あっ!」
可愛い声で鳴きながら、必死に俺にしがみついてくるティキュラ。
「ひゃんっ!? あっ! あふっ! んっ! んんんっ!」
痛みにぴくぴくと震えながら、それでも声を押さえようとするアンリ。
「あああっ! んああっ! 御当主様っ! ああっ! この痛みっ! んんっ!」
全身で、好きという思いを伝えてくるミルキ・ヘーラ。
ああ、愛おしい。
この血の味を、また味わえるとは。
「あっ、はあ、か、カイさ、な、なんか、私、からだ……」
ああ、早速出たか、副作用が。
「えっ!? ま、まさか、え、えっちなきぶんになるって……わ、
そりゃあそうだ。吸血鬼が吸血の度にそんな気分になってなどいられないだろう。
これは、あくまで
「ふふっ、御当主様。期待しても、いいのですよね?」
ああ、勿論だ。
「あ、あのっ、カイさんっ、え、えっちなことって、き、キスとか、ですよね?」
「わ、私まだそのっ! こ、心の準備が」
「ミルキ・ヘーラ、手伝ってくれ」
「はあい」
俺は二人をベッドに運びつつ、さっき吸った三人の血の味を思い返していた。
俺は本当に、幸せ者だ。
「確か、抜け駆け禁止と言っていたな」
俺を、こんなにも好きになってくれたこの三人に。
「三人一緒なら文句はないだろう」
「いうぇっ!? あっ、あのっ! あれはヒミツとか告白とか、そ、そういうので抜け駆け禁止って決めただけでっ! あっ! そのっ!」
とびきりの、感謝を込めて。
「血の味は嘘はつかない。安心しろ。俺を好きだと思ってくれた分」
願わくば、彼女たちと、仲間たちと、この世界で新たな夢を見られるように。
「今夜はたっぷり、可愛がってやる」
三者三葉の嬌声を響かせて、異世界の夜は更けていくのだった。
<現在の勢力状況>
部下:古ゴート族82名、レッサーオーク51名、ギガントオーク67名
従者:ベーオウ 状態【負傷】
同盟:なし
従属:なし
備考:ティキュラ、アンリ、ミルキ・ヘーラと新たな関係を結んだ
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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