彼女の見た空と吸血鬼



 あれは御当主様が倒れられてから、六十日ほど経った頃だったと思う。

 魔王軍の先兵を名乗る男がやってきて、横柄な態度で降伏を勧告してきたのだ。


 この勢力の女の半分を差し出せ、逆らえば皆殺し。

 そんな傲慢で一方的な要求を突き付けて。


 相手は強大。私たちはあれだこれだとすぐに降伏できない理由をあげて、うまく接待して誤魔化したりして時間を稼ぎながら、何とかこの状況を打開する術を探したのだ。


 だがとうとう、彼ら魔王軍は大勢のオークを引き連れやってきてしまった。


 御当主様は起きる気配が無くて、何とか古ゴート族の皆さんは逃がせたけれど、全員が無事に逃げおおせる道は既に断たれていた。

 ベーオウさんは逃げたい人は逃げられるようにと手筈を整えてくれたけれど、私を含め、レッサーオークの皆さんのほとんどと、ティキュラとアンリは御当主様を守って戦う道を選んでいた。


 私も、最初からそのつもりでいた。


 交渉の場で、私をサキュバスであると隠して差し出す手もあったのだ。交渉役の男は私に欲望に濁った眼を向けていたし、ベーオウさんがその可能性を考慮していなかったはずがない。

 なのに、誰一人、私を切り捨てようとはしなかった。


 嬉しかったのだ。

 私を、サキュバスである私を、自分たちの仲間だと受け入れてくれたことが。


 だから、私は……。




「ふん、戦利品はこれだけか」

 石塔の最上階。

 やつらの前線基地だというその砦で、大勢の魔王軍の兵士や将校に囲まれて。


 私とティキュラとアンリは、後ろ手に拘束されたまま値踏みされていた。


「こいつは……ラミアか? 見たことのない鱗だな。希少種ならいいが、まだガキか」

「ひっ!?」

 でっぷりと、縦にも横にも大きく太った黄色い男が、その固い皮膚の手でティキュラの顎を掴んでいる。


 この砦の主らしい。目の形からどこか爬虫類を思わせる。


「こいつはオークどもの巣行きだな。有用な血統なら生まれるオークどもにもその性質が現れるだろう。そうでないなら」

「ひぐっ!?」

「丸焼きにして食ってやるからなあ?」

 男は冗談めかして大きく口を開けると、そのままティキュラの頭にかぶりと噛みつく。


「いっ! 痛いっ! い、いたっ! うあああっ!」

 ぎゃははは、と下卑た笑いが部屋を満たす。恐怖に震える女の子を見世物にするかのように、兵士も将校も誰もかれもが歪んだ笑みを浮かべて。


 最低だ。


「このっ! それ以上汚い手で触るなっ!」

 ティキュラを嬲る男にアンリが怒声を浴びせた。私達三人の中で一番傷ついていたにも関わらず、勇敢に。


「この下種っ!」

「んー、お前はどこにでもいる雑魚種族か。どうせオークどもの巣に放ってもろくな個体は生まれんだろうが」

 男はティキュラを離すと、そのままアンリのもとへ行き……。


「ぐうっ!?」

「この顔……ふむ、殺すのも惜しいか」

「は、なせっ! はなっ!? むぐぅっ!?」


 そうして男はアンリの角を掴んだまま。

 唇を、奪った。


「ふぐっ!? んんんっー! んっ! んんんんんっ! いやああああああっ!」

 抵抗しようにも、角を掴まれて力ずくで抑え込まれていてはどうしようもない。


 舌を絡める水音と、戦いの時ですら聞こえなかったアンリの悲鳴が、どこまでも痛々しく響く。


「ふふ、お前はしばらくワシが飼ってやろう。ワシが飽きるまで、せいぜい楽しませろ」

「うっ、うあああっ、ああああああっ!」

 ぼろぼろと泣くアンリを捨てて、そうして男は最後に私の前に立つ。


「お前は……ははは、そんな睨み殺すような目を向けるな」

 男が笑うと、私の心がその分だけ冷えていく。


「まさかサキュバスに乗っ取られていたとはなあ。噂では吸血鬼の城と聞いていたのに、その吸血鬼も追い払うとは、よほどのやり手と見える」

「……」

 その口ぶりから、御当主様はまだ見つかっていないのだろう。御当主様のいる階へは何か意識を逸らす魔法が働いていたから。


 それだけは……良かった。


「で、だ。お前にはいい話をやる。とびきりいい『仕事』の話だ。お前、オークどもの巣を管理しろ」

 そう言って男は、親指でティキュラを指し示す。


「魔王さまからオークどもと人間の女を賜ったのだが、バカなオークどもが調子に乗って人間の女を殺してしまってな。今千匹近くのオークどもが女に飢えているわけだ」

「……」

「で、そんなところにあのラミアを放り込んだところですぐ殺してしまうのがオチだ。だからお前が、こいつが死なんように管理しろ。きちんとオークどもを増やせれば、あとは好きにして構わん。千匹のオークから精を奪い放題だぞ?」

 男は笑う。まるで、サキュバスにとってこの上ない幸せだろうと謳うように。


「これから他の村々を襲って女はかき集めてくる。その女たちも死なんように扱え。それだけでいい。あとはオークどもが勝手に産めよ増やせよで兵力は増すからな。お前のようなサキュバスに、生きる道を示してやろうというのだ。どうだ?」

「ふ、ふふっ」


 男があまりにも楽しそうに笑うので、私もつい笑ってしまう。

 その、自分の想い通りにいくと疑ってもいないどうしようもない企みに。


「死んでもー、御免ですー」

 私の、心から嘲る一言を。


「あなたのようなー、どうしようもないクズに生かされるくらいなら、死んだ方がマシですねー」

「……そうか」

 そう言って男が何かするのを見て……。


「ぐぶっ!?」

 突然、視界がぐわんと揺れた。


「やれやれ、バカなサキュバスにも分かりやすく説明してやったんだがなあ」

「あっ!? げぼっ! うぐっ!」

 お腹を蹴られたらしい。

 私はいつの間にか石畳の床で仰向けにもんどりうっていて。


「あぎっ!? があああああああああああああああああっ!」

「じゃ、死ね」

 その丸太のような太い脚で、踏みつけられた。


「あっ!? ぐああああっ! ぎやああああああああっ!」

「やれやれ、もう一度聞くぞ? オークどもの巣を管理する気はあるか?」

 胸を、思い切り潰されて。

 肋骨がパキ、バキと嫌な音を立てている。苦しい、い、息も、でき……。


 こ、れ、ホントに、死ん、じゃうっ。


「か……や……」

「ん? 気が変わったか?」

 頭の裏が危険信号でチリチリと嫌な音を立て、激痛で意識が飛びかけては痛みで引き戻される。そんな中、何とか、声に絞り出す。


「……だ……」

「んん?」

「嫌、だってっ……言っでるのよっ!」

 いやだ、いやだ、いやだっ!


「わっ、だじはっ! みんっ、なをっ! うだぎりだくなんでっ、ないっ!」

 例えこれでどうなろうとも。

 本当に、死んじゃったとしても。


 私は、私を受け入れてくれたあの場所と、皆との絆を。


「たぢだぐなんでっ! だいっ、ぎあああああああああああああああっ!」

「はあ、じゃホントに死ね」

「ああああああああああああああああああああああああああっ!」

 目に映る天井が、暗い。

 い、嫌だ。死にたく、ないよお……。


「あああああああああああああああああああっ」

 ああ、やだ、視界がどんどん、赤くなってく。

 もう、音も、きこえ、づらく……。


「いや、だ、あ、あ……」

 ああ、やだなあ。折角、これからだったのに。

 これから、これから……。


 皆と一緒に暮らす、私の物語が、始まる、の、に……。


「あっ……」


 そらが、あおい。


 さっきまで、あかかったのに。

 とうのなか、なのに。


 ああ、わたし、しん、じゃっ、て……。


「なっ、何いいいいいいいいいいいいいいっ!?」

 叫び声が、途切れかけた意識を現実に引き戻した。


「あ、れ? 空?」

「よく、耐えたな」


 目の前には、何故か晴れ渡る青空と。

 そして私を受け入れてくれた、あの、赤い目をした銀髪の……。


「御当主、様?」


 これは多分、夢なんだろう。

 最後に、私が自分に都合のいい夢を見ているんだ。


 だって、こんな……こんなの……。


「すまん、寝坊した」

 御当主様はそう言って、白馬の王子様みたいに格好よく登場しておいて……そんなちょっとずれたことを言うので。


「お待ち、していました」


 思わず、笑ってしまうのだった。



<現在の勢力状況>

部下:安否不明

従者:ベーオウ 状態【ひんし】

同盟:なし

従属:なし

備考:ティキュラ、アンリ、ミルキ・ヘーラを救出

  :魔王軍との戦闘突入





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る