第四章 夢の色、恐怖の血……そして、晴れ渡る青い空

記憶の痛みを乗り越えて



 夢を見た。


 強制睡眠の最中は夢を見ることの方が少ないのだが、今回は珍しく、昔の夢を見た。

 あれはまだ、俺がブルーダラク家を継ぐ前……。


『カイってば、私がいないとホント駄目ねっ!』

 赤髪の小さな女の子がそんな風に言う。おしゃまで可愛らしい、俺の、元許嫁。


 俺の、初恋の子だ。


『しょうがないから私がやってあげる。これも将来、カイのお嫁さんのつとめだもんね』

 あの子は、俺の厄介な体質など気にせず、俺を真正面から見ていてくれた。いつも元気でグイグイ引っ張ってくれるような、そんな女の子だった。


『カイってば、私のお婿さんになるんだからもっとしゃんとしなさいっ!』

 君にとっては婿じゃなくて夫だよ、と言ったら生意気言わないでと頭をぺちぺちされるので言わなかった。おままごとや勉強、吸血鬼としての戦闘の基礎など二人で遊び、学んだ。

 そんな日々の中、ああ、僕のお嫁さんがこんな可愛い子でよかった、と、呑気な事を考えていた。


 状況は一変した。

 父様と母様が、死んだのだ。


 水面下で繰り広げられていた勢力争いが、これにより激化。

 俺を傀儡にして権力を握ろうとする一派と、俺の妹に取り入り下克上を狙う輩が、正面からぶつかり始めた。


 妹が心を病み始めたのはこの時期で、形勢不利と見るやあの子の父親は俺とあの子の婚約を破棄。

 あの子の夫は、俺ではなく別の男になった。


 ……俺はそんな大事な時に、ずっと寝ていたのだ。


 起きたら父様と母様の葬儀はとっくに終わっていて、妹は父様より年上の男と婚約させられていて、あの子は……俺をもう、お婿さんとは言ってくれなかった。


 何もかもが、手遅れだった。


 当時の俺は、そんなものに納得などできず、力を見せた。

 今まで父様の言いつけでずっと隠してきた、自分自身ですら制御しきれなかった力を。


 そうして俺は崇められた。


 最強の吸血鬼。

 始祖の再来。

 先々代の血を受け継ぎし真の王。


 そんな御大層な肩書と共に、皆が俺にひれ伏し、首を垂れるようになった。

 そうして俺は、またかつての平穏を手に入れられたのだと思った。


 だが、結果はどうだったか?


 父様と母様は生き返らない。

 妹は、心を壊した。


 そしてあの子は……。


『わが身の愚かさを、生涯この身に刻んでおきます。この卑しい身に罰を』

 綺麗な顔に大きな傷を作り、膝をついた彼女は、今まで聞いたことのないような冷たい声で、こう続けた。


『これからは私を、替えの効く駒としてお使いください。あなたの覇道のため、喜んで捨て石となりましょう』


 もう、手遅れだったのだと。

 ようやくそこで、気づけたのだ。


『私はあなたのしもべです。我が君』




「……最悪の寝覚めだ」

 目覚めて、俺は自室のベッドから天井を仰ぎ見る。


 どうやらベーオウ達は俺をこの部屋へ運んでくれたらしい。服はそのままだ。あいつらには寝間きを着る習慣がないからな。

 珍しく夢など見るものだから、普段の覚醒とは少し感じが違う。いつもなら強制睡眠からの解放はそれだけで喜ばしいと思えるのだが……。


「お嫁さんになってくれるって、言ったのに」

 ポツリと、一人誰の耳にも入らない部屋で、そう呟く。


「……さて」

 いつまでも感傷に浸っていても仕方がない。

 俺が寝てから、今回はどれだけ時間が経ったのか。

 寝る前の事を思い出してみる。


「確か……ッ!?」

 そうだ、魔王軍だ。

 確か寝る直前、ミルキ・ヘーラから魔王軍がこの地に勢力を伸ばしていると聞いたのだ。俺が眠りに落ちたのは、その直後。


「というかあれは……いつもの感じじゃなかった」

 強制睡眠に抗えないのはいつもの事だが、今回のは味わったことのない気持ち悪さだった。


 吐き気を催すなんて、これまで一度だってなかった。

 新しい環境で体を壊したのか? 生まれてこの方風邪の一つも引いたことないんだが。


「何はともあれ、現状把握だ」

 まずは情報収集。強制睡眠の後はこれが鉄則だ。

 俺が寝ている間に世の中は勝手に動く。何がどう変わっていても不思議じゃないと、俺はこれまでの経験から知っている。


「最悪、魔王軍と衝突した可能性もあるか。もしもの時は俺を捨てて逃げろと伝えたから皆無事だろうが……伝えたよな?」

 誰に聞かせるわけでもないのに不安で思わず独りごちる。しどろもどろだったが、一応ちゃんと取るべき選択肢は示せた、と思うんだが。


「……寝ぼけていたからなあ」

 これだから強制睡眠は困る。

 まあ、そもそも魔王軍となど接触していないかもしれないのだから、悩んでいても仕方がない。


 俺は顔だけ洗って、すぐに部屋のドアを開けて皆の所へ。


「……え?」

 ドアを開けてすぐ……違和感に気付く。


「な、なんっ!? これはっ……!」

 見た目はいつも通りの廊下。

 だが、だが……この、漂ってくる強烈な匂いはっ!


 こんなもの、吸血鬼が間違えるはずがない!

 まだ新しい、鮮血の匂い。


「ば、かなっ!? ベーオウ! ティキュラっ! 皆っ!」

 俺はたまらず駆けだした。


 血の匂いはすぐ下の階からだ。何人もの血臭が交じり合っている。一人二人ではない。

 そして、この血の匂いはっ!


「ベーオウっ!?」

 六階の血まみれの踊り場で。

 倒れ伏している、俺の従者の名を、叫んだ。


「ど、どうしたっ!? しっかりしろっ!」

「……だ、ん……」

 俺が駆け寄って抱きかかえると、か細い声で返事が。よ、良かった! ああ良かった! 生きてる!


「まっ、待ってろっ! い、いま治療をっ!」

 俺は震える手でベーオウの体を触って確かめる。腹に大きく刺し傷、その他おびただしい打撲の跡。出血量は……。


 い、いや、え? あ、あれ? あ、こ、これ、は……これ、は……。


「だ、ん……な、ま、おうぐん、の、やつら、攻めて……」

「な、何故戦ったっ!? いやいい今は喋るなっ!」

 焦りが頭の中をひっかきまわして、俺から冷静さをこそぎ取っていく。


「あい、つら……降伏して女、差し出せってえんで……突っぱねて、そし、たら」

 今の言葉で大体は把握できた。要求は到底のむことのできないもので、だから戦ったと……。


「な、んで、逃げなかったっ!?」

「旦那、置いて、どこに、逃げるってんで? ああ……古ゴート族、は……何とか、逃がし……けど、ティキュラと、アンリ……あね、ごは……捕まっ、て」

 ティキュラとアンリと……ミルキ・ヘーラが捕まった!?


「おね、げえ、しやす……だん、な、ならっ、あいつら、ぶっとば……」

「わ、分かったっ! 任せろっ! だ、だからお前は自分の体をっ!」

 俺は自分の服の両袖を引きちぎって包帯代わりに巻き付けていく。ああ、くっ! 上手くいかないっ!? 手が震えてっ! くそうっ!


 何が最強の吸血鬼だっ!

 何が真の王だっ!


 こんな手当て一つまともにできないでっ! 何がっ!


「へへっ、だんな……おれ、だまって、たん、ですけど」

「しゃ、喋るなっ! 頼むからもう喋るなっ!」

「おれ、だんなに、嘘、つい、た、すよ……」

 一瞬、言われたことが分からなくて……。


「はじめに……おれ、だん、なの、その、ほうせき……ぬすんで、このしろにふさわしくなりてえからって……あれ、うそ、で」

「……えっ?」

「だん、なの……きにいりそうな……こたえ、だしただけ……ほんと、は、だんなが、くやしがるの、みた、くて」

 俺の……俺の、悔しがる顔?


「おん、なは……みにくい、おれらが、じぶん、みにつけてるもの、つけて、たら……なくんで……おんなみてえに、きれいな、だんな、も……きっと……だか、ら」

「な、何を? お前、な、何で今、そんな話を」

「へ、へ……さいていで、しょう? だ、から……」

 ベーオウは、震えながら、にっこりと笑みを浮かべて。


「そんなやつの、ために……泣かねえで、くだ、せえ……」

「……え?」


 言われて、何かが自分の頬を伝っているのに気付いた。


 何だ? 出血した? いや、違う……。


「俺、泣い、て……」


 人前で涙を見せたのは、いつ以来だったか?

 こんな時なのに、何故か、そんなとりとめのない思考に、頭が一瞬支配されて。


「お、れ、たのし、かった……短い、あいだ、で、も」

「ベーオウ?」

「だんなと、あえ、て……だか、ら」


 ベーオウはそう言って、もう一度笑おうとして、瞼を閉じかける。


 目を開けているのも辛いのだろう。

 もう、眠りにつきたいのだ。


 その……気持ちが、痛いほど、よく、分かって……。

 だから……。


「寝言は寝て言えっ!」


 俺は全力で、そんな運命に抗って叫ぶ。


「ふざけるなっ! 何今わの際のように話してるっ! 許さんぞっ! 許さんっ! 死ぬのは絶対に許さんっ!」

 傷口の縫合に使おうとした布を投げ捨て、傷に直接手を当てる。


「さっきの話、もう一度きっちり聞かせてもらうからなっ! それまで死んだりしたら承知しないっ! 俺が許さんっ!」


 俺にまともな手当てができないというのなら、そんなものはもはやどうでもいいっ!


 まともでない手を使うだけだっ!


「お前も! 皆も! こんなところで死なせはしないっ! 終わらせたりは、しないっ!」


 ベーオウの体に、直接俺の血を送り込む!

 吸血鬼の血を!


「俺達はまだ、この世界でせいぜい一歩踏み出しただけだ! そんなところで……躓いたままでいられるかっ!」

 まず血を操り、ベーオウの体に俺の血を巡らせていく。そして外から入り込んで増殖し始めていた数万、数億を超える雑菌を……片っ端から殺してまわる!


 吸血鬼の血は、何よりも強い。

 そんなものに……死の運命などに、負けたりはしない!


「は、ああああっ!」

 次に損傷個所の修復。


 毛細血管から臓器に至るまで、負傷した場所を巡り機能を回復させていく。細胞の隅々まで栄養を与え、千切れた血管を無理やり血の流れで元の形に整えて。


「ぐっ!? うぐううううううっ!」


 当然、必要とされる集中力は並大抵ではない。


 針の穴に糸を通す、どころか、文字通りミクロの世界で血管同士を繋げるのだ。少しでも操作を誤れば、俺の血が中からベーオウを食い破る。そして強すぎる吸血鬼の血は、量を間違えればそれだけで宿主を殺しかねない。


 間違いは、許されない!


「ふっ、くっ、かっ、ああ、あ」

 ぶちぶちと、俺の頭の中で血管が切れる音がする。脳をフル活用して限界を超えたのだ。


 幸い俺の血管が破れる分には問題はない。無限再生でいくらでも治る。破裂しようが何だろうが……この際構うものか!


 痛みは、我慢すればいいっ!


「あぎっ、ぐっ、がっ、がが、が、がががが」

 勝手に漏れる声と、少しずつ安定を取り戻していくベーオウの呼吸。もう、す、こし、もう少し……。


「ぐっ!? うぐううううっ!?」

 そうして俺の脳が破裂する寸前に、ベーオウの体全ての血の流れを正常に戻した。


「がっ!? がはっ!? はっ、はっ、は」

 はじかれるようにベーオウから飛びのいて、がくがくと体を震わせながら、ゆっくりとベーオウの顔を覗き見る。


 な、何とか、したぞ、ベーオウ。

 これで……。


「へへっ、すげえ……旦那……一気に、楽、に……」

 声をあげたベーオウは、けれど、だんだんとその声を擦れさせ……。


「……」

「ベ、オウ?」

 瞼を、閉じて。


「……な、ん、で?」

 返事は、返ってこない。


「あ、あれ? なん、で?」

 そのまま動かなくなった小さな体を見ながら、俺は、嘘だと何度もかぶりを振って。


「い、やだっ! なんでっ! いやだっ! 死ぬなっ! ベーオウ!」

「ぐー」

「うぐあああっ、あ……あ!? あああああっ!」


 寝てただけかああああああああっ!


「ほ、ホントに、死んだかと思ったぞっ! くそうっ!」

 寝言は寝て言えと言ったのは俺だが、いや俺だがっ!


「よ、良かったああぁっ……」


 ずるりと、体から力が抜けて崩れ落ちる。


 呼吸は安定している。どうやら本当に、今度こそ大丈夫な様子だ。


 さっきまで見ていた夢とは違う。

 ああ、今度は、間に合ったのだ。


「……ったく、絶対、帰ったらタダじゃおかないからな!」

 千切って袖が無くなってしまったので、腕で直接涙を拭う。全く、泣き顔まで見られて死ぬほど恥ずかしいぞ。くそ。


「ぐー」

「……ああ、あとは任せろ」


 分かっている。まだ終わりじゃない。

 大切な仲間を、取り戻しにいくのだ。


「血の匂いは、追える」

 ティキュラも、アンリも、ミルキ・ヘーラも、ここで戦ったのだ。


 だからこそ分かる。血の匂いが、道しるべとなる。


 吸血鬼の鼻は、誤魔化せない!


「魔王軍とやらが、誰に噛みついたのか……教えてやる!」



<現在の勢力状況>

部下:安否不明

従者:ベーオウ 状態【ひんし】

同盟:なし

従属:なし

備考:魔王軍の襲撃により半壊滅状態

  :ティキュラ、アンリ、ミルキ・ヘーラが囚われている





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