ミルキ・ヘーラ
「ああー、どうもー。初めまして」
「……」
ロビーに響くどこか緩やかな声が、緊張した俺の出鼻を見事に挫く。
落ち着いた雰囲気と淑女の優雅さで、その美女は椅子から立ち上がった。
「ミルキ・ヘーラと申します。どうぞ、お見知りおきをー」
キャスケット帽のサイドに輪っか飾りがついたような、少し変わった帽子を取り、そうして美女は俺に微笑みかけるのだ。
「……我が城にようこそ、レディー」
この世界に来てから初めてかもしれない丁寧な自己紹介に、俺も外交モードに切り替え応対する。
「この城の主、カイ・ブルーダラクだ」
俺は立場上頭を下げはしないが、それでも目の前の美女に対して友好的となるよう柔らかな声で答えた。そう……。
頭を下げる目の前の美女を、
「御当主様、お目にかかれて光栄です」
彼女が淑女の礼を取る中、それでも俺の目線は上を向く。
驚いた。いや、ベーオウの言う『ちょっと変わっている』はこういう事だったか。
目の前の美女は俺からすれば見上げるほどの……二メートルもの長身だったのだ。
腰まで伸びた青紫のウェーブがかった長髪。どこか柔らかい雰囲気を持つ顔は愛らしく、それでいてとびきりの美女と言い切れるほどに整っている。
白のブラウスとフリルのついた紺基調のスカート。一見シンプルだが、それを文句のつけようのないプロポーションが引き立てる。
どこかスレンダー気味なのだが、ちゃんと出るところはしっかりと主張しているという奇妙な矛盾。こういうのをスリムと呼んでいいのかグラマラスと呼んでいいのか、判断に困る所だ。
そんな女性的な魅力もそうだが、当然一番に目を引くのがその高身長だ。モンスターならこれくらいの背丈のやつはごまんといるが、それが人間の女性型なのは珍しい。
というか純粋な人間……なのか?
体に何か特徴的な部位も見当たらないが……モンスターとの混血? ううむ、こういう時血を吸えば一発で分かるのだが。
「最近は立て込んでいて、見ての通りもてなしにも手を欠くありさまだ。とはいえ折角の客人に何もせずとあらば当主の名折れ。代わりといっては何だが、ここにいる間は存分にくつろいで欲しい」
「そ、そんな、勿体なきお言葉です」
俺の言葉に少し慌てるようにかしこまる目の前の美女。実際こちらは客人にまともな茶の一つも出せていないありさまなので、かしこまるのはこちらの方だ。
というか、これは皮肉に聞こえたか?
俺と彼女のテーブルの周りは、今も遠巻きにレッサーオーク達や古ゴート族が囲っている。向けているのは好奇の視線……だけではない。
むしろこれは
得体の知れない相手にどう対処すべきか、皆が俺の判断を待っているのだ。
古ゴート族はそうでもないが、オーク達は敵と見なせばすぐにでも襲い掛かりそうな雰囲気だ。ベーオウなど武器の棍棒を持って俺の傍で待機している。
ううむ、参ったな。
俺の緊張が伝播してしまったのか。この異様な空気にほんわかした美女が浮いている。実際まだ彼女がどういった相手かは分かっていないので勘違いと言い切るわけにはいかないが……。
どうも、警戒するような相手ではないのかもしれない。
「それで、俺を訪ねてきたというのは?」
俺は彼女に着席を促し、テーブルの向かいに自分も腰を下ろす。
「はいー。私は、各地を巡る旅をしておりまして。この『良き地』の噂を聞き、やってきたのです」
彼女……ミルキ・ヘーラだったか、特に臆した様子もなく話し始める。中々に肝が据わっているようだ。
「各地を巡る旅……」
「ええ。目的は特にないのですがー、しいて言うならば新しい土地で、新しい出会いを探しているのです。この出会うという喜びばかりは、何物にも代えられません」
ふむ、旅で新たな場所と人に会う喜び、か。
俺は彼女の座る椅子の足元を見る。そこには横幅一メートル程の、長方形のトランク。トランク片手に一人旅、というわけか。
片手というにはいささか大きいサイズだが、彼女の身長を考慮すればちょうどいいのかもしれない。
という事は……。
「どこかの代表として商談や交渉を持ち掛けに来たわけではないのか」
「はい、私は一人旅をしているだけですのでー」
どうやら、そういうことらしかった。
「それで、できればしばらくここに滞在させていただけたら、と」
ミルキ・ヘーラは居住まいを正して笑みを浮かべる。丁寧だがどこか人懐っこそうな、可愛らしい笑みだ。
さて、滞在なら別に許可しても構わないな。外の知識を持っている彼女は、今の俺からすれば逆に招待したいくらいなのだが……。
「この地の噂を聞いてきた、と言ったが」
先ほど彼女はこう言っていた。『良き地』の噂を聞いてきた、と。
「どんな噂だ」
多かれ少なかれ俺達の事は知られているはずだが、どの勢力からも干渉されなかったのは事実だ。それが今回の思わぬ来客に動揺してしまった理由なのだが、だからこそ、ここがどう見られているのかは知っておきたい。
しっかりと、現状を把握して備えなければ。
「はいー、沢山のオークと、全裸の吸血鬼様が治める素敵な地だと」
「そう……ん? ん!?」
ちょ、え!? ちょっと待った!
「い、いや、何……だって?」
ほ、翻訳を間違えたか?
今目の前の美女の口から、妙な台詞が聞こえた気がしたが?
「はい、ここに滞在させて欲しいと」
「違うその後だ!」
「はい? ええと、全裸の吸血鬼様の……ああー、全裸の御当主様が治められる地だと」
違う言いなおしを要求したんじゃないっ!
い、いやいや待て待て! その全裸の吸血鬼様って誰だ!? いやどう考えても俺のことか!? 不名誉極まりない称号だが、い、いやそれ以前に……。
「お待たせしましたお客様。うちの食糧庫にあった珍しい果物です!」
「外で取れた新鮮な草です」
「えっ」
場が混迷してきたところで程よいカオスを追加していくティキュラとアンリ。客人が来たから何かお出ししてくれと頼んでいたが、その手には……パイナップルと、草。
どこから突っ込めばいい?
「す、すみませんー、私、人間なので直接草はちょっと……そ、そのとげとげしたものは?」
「かじってください」
「えっ!?」
こら無茶ぶりするな。
「それでカイさん、裸だとかって何の話です?」
「何でもない」
さっきの会話を聞いていたのか、ティキュラが何か不穏なモノでも見つけたようにぐりんと首を回してこちらを見る。俺は顔を逸らす。
というか……誤訳じゃなかった。
どういうことだ? 全裸云々は恐らくあの日、そう、俺が起きた日に暴れた際の出来事だ。城を支配していたオーク達と戦った……。
何であの件が外に漏れている!?
「そ、その、噂はどういう?」
「え? ああー、なんでも全裸の吸血鬼がオーク達を従え、宴を催す狂気の楽園があると。吸血鬼は全裸で城を駆け巡り、オーク達は大勢の女性を囲って毎日楽しんでいる、と」
ついでに話に尾ひれがついてるっ!?
「そ、その話は誤解……」
ん? いや待て。
そうすると目の前の彼女、ミルキ・ヘーラはそんな噂を聞いてなおここに来たのか?
「旦那、俺達は大歓迎ですぜ。へへっ、そりゃあ楽しい楽しい歓迎の宴を開いてやり、うごばっ!?」
そういうとこだぞベーオウ、そういう所で誤解されるんだからな?
俺の突っ込みでまたオーバーに悶えるベーオウに心の中で釘をさす。
「あ、あのー、その、御当主様?」
「ん?」
「私、そのー……滞在させてくれと厚かましく願い出たうえに、その、お恥ずかしながら、路銀もほとんど持っておりませんのでー」
そうして目の前の美女は少し視線を泳がせるように俯き、その豊満な胸に手を当てて……。
「その、わ、私にできるご奉仕でしたらー、何なりとお申し付けていただければ、と」
「……え?」
その瞬間、空気が震えるのが分かった。
「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「なっ!?」
ミルキ・ヘーラの大胆な宣言に充てられて、周りで見ていたオーク達の欲求がとうとう爆発した。
力の限り叫び、猛り、歓喜する。その様子に周りで見ていた古ゴート族が震えあがり……。
マズイっ! 抑え込んでいたモノがこんな所でっ!
「くっ、待て! 気持ちは分かるが落ち着けっ!」
俺の声も狂喜に踊るレッサーオーク達には届かない。極上の獲物を前にどいつもこいつも今にも襲い掛かりそうな眼をして……。
「落ち着」
ああ、もう! これは言葉で言っても通じないやつだ!
俺は椅子からすっと立ち上がり、指の骨をバギバギバギと鳴らす。
「ッ!?」
「ひっ!?」
シーン、とさっきまでの喧騒が嘘のようだ。俺の意を察したオーク達は静まり返った。
ああ良かった、言葉は無くてもちゃんと通じたな。お前たちの物分かりがよくて嬉しいぞ。
「だ、旦那……いつも思いやすが、それ、旦那は痛くねえんで?」
まだ声を震わせるベーオウがそんなことを聞く。いやお客様の前でいつもとか人聞きの悪い事言わないで欲しい。たまにだろう?
「騒がせたな」
「っ、は、い、いえ……」
レッサーオーク達の衝動に充てられたのだろう。すっかり怯えたように縮こまるミルキ・ヘーラにそう言ってやる。
だがもとはといえば君が……。
「でもぉー、ここで暮らすのって、ちょっと難しいんじゃないですかー?」
と、俺の思考を遮って妙な口調で突然割り込んでくるティキュラ。
「人間さんの食糧ってほとんどないですよー? これも草も食べられないんじゃ」
そう言ってパイナップルを掲げる。いやティキュラ、さてはわざと食べにくそうなのを選んできたな?
あとさりげなく尻尾を巻き付けてくるな。
「ふっ、ミルキ・ヘーラといったわね。無駄よ。オーク達は知らないけど、カイ様は四本足や一本足の女にしか興味を示さないお方だもの!」
そしてこっちも何故かどや顔で俺の傍に寄り添ってくるアンリ。
おい待て何勝手に人の性癖ねつ造してるんだ?
「あっ、ああー、そ、そういうご趣味で……」
違う待って! 誤解しないでっ!
「だ、旦那ぁ、二本足の女もいいものですぜ?」
「お前まで畳みかけるな!」
こういうのが噂になっていくんだぞ!?
「というか旦那、ちょ、ちょっとこっちへ」
と、ヒートアップする俺への風評被害祭りを中断させ、ベーオウが俺の手を引く。
「旦那っ! これなら構わねえでしょうっ!? 手ぇ出しても!」
「い、いや待て、落ち着け」
場が混迷していたせいか、情報が一度に来てこんがらがりかけている。
「向こうから! 女が両手を広げて誘ってんですから! 飛びつかなきゃ男が廃りやす!」
そんな俺の心境を知ってか知らずか、声を落としながらも熱量を変えずに訴えるベーオウ。というか気持ちは分かるが、ミルキ・ヘーラはただ奉仕してお返ししたいって言っているだけだぞ。そういうことをするなんて一言も言っていないわけで……。
いやもう、言っているようなモノ、なのか?
「旦那もあんないい女ならかき抱いてやりてぇでしょう!?」
「ちょ、ちょっとベーオウさん! カイ様まで巻き込まないで!」
そんなベーオウに怒ったように食って掛かるアンリ。
「やるならあなた達だけでしてよ! カイ様はあんな女にはご興味ありません!」
……ありますけど?
「お、俺達だけでいいんですかい!? いただいちゃいますぜ!?」
おい待て。だからご興味はありますなんですけれど。
「……」
ティキュラ、無言でお腹にきゅっと巻き付くのやめて?
「というか……あー、お前たち……何か変だ」
「へ?」
「え?」
「な、何がですか?」
やっぱり、何かおかしいよな、この流れ。
いくら場が混迷していたとしても、これだけは分かる。
初めはベーオウも男だし、痴女っぽいミルキ・ヘーラの発言にアンリやティキュラが冷たい対応をしているのかと思ったが、ここまでくるとそうではないのだろう。
そうではなく……。
「ベーオウ、頭を出せ。アンリももっとそばに。ティキュラはそのまま巻き付いていろ」
「えっ、だ、旦那? 俺の頭なんかに触って、何を」
「質問だ。お前たちオークを前にして、路銀がないから奉仕させてくださいなんていう女が現れたら、どう思う」
「え? そりゃ……あ……」
ベーオウは寝起きから目を覚ましていくように、驚きに目を見開いていく。
事実、目が覚めたのだ。
「そんな女は、嘘つきか詐欺師で……くそっ、やられたっ!」
「アンリやティキュラはどうだ? オークと吸血鬼が住まうと噂される城に、お前たちなら来たいと思うか?」
「そ、そんなこと思いませ……えっ!? だ、だって、あれっ!?」
「な、何で……今まで疑問に思わなかったんでしょう」
二人とも驚きに目をぱちくりさせている。
今まで平然としていたのが不思議でしょうがないといった風に。
「……それは、直接聞いてみたほうがよさそうだ」
そうして俺達が目を向けると……。
テーブルの向かいの美女は、もはやすっかり青ざめていた。
「な、なんで解けて……私の魅惑の魔法、何でっ!?」
何らかの術をかけられていた、か。
やられた。全く、俺もすっかり平和ボケしてしまっていたようだ。
ほんわり柔らかな雰囲気の女性で
「生憎そういうのは効かないんだ」
俺の魔法耐性は催眠や暗示といったものも受け付けない。そして俺に触れてさえいれば、その効果を打ち消すこともできる。
おかしいと思ったんだ。ベーオウがこんな間抜けなハニートラップに引っかかるわけないし、人間達にひどい目にあわされたアンリがオーク達に平然と彼女を委ねるはずもない。その人間達を許せないと、瞳に怒りを灯していたティキュラもだ。
違和感を消す類の暗示か、それとも物事を深く考えられなくされたのか。いずれにせよ。
「改めて、説明してもらおうか」
そうして俺は、震えて怯え切っている謎の美女に向かって歩み、告げる。
「
俺の仲間を謀ろうと……心を弄んだ罪は重い。
さあ、ここからは楽しい楽しい尋問の時間だ。
<現在の勢力状況>
部下:古ゴート族82名、レッサーオーク51名
従者:ベーオウ(仮)
同盟:なし
従属:なし
備考:謎の美女に『尋問』を
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