第11話 形見とコーダの役割

 広場の反対側を散策したシンラとアクアは、賑やかな界隈の外れにある小さな公園に辿りついた。


 小さなベンチと滑り台がある公園は、この時間は人っ子一人いない。


「わぁ、滑り台があるよ」


 アクアは嬉しそうにそう言うと、早速、後側のはしごを登りはじめる。


「落ちるなよ」


「大丈夫。あたし、こう見えても運動神経はいいんだよ」


 その言葉通り、あっという間に滑り台のてっぺんから顔を出したアクアが、今度は両手を万歳させてすべり降りる。


「あはは、楽しい!シンラもやろうよ」


 アクアはそう言って、また滑り台に登るとてっぺんからシンラを呼んだ。


「ねぇ、シンラもおいでよ」


「子供じゃあるまいし」


 実は滑り台でなど遊んだことがないシンラは、そう言ってぷぃと横を向いた。


「怖いの?」


「なんだと?」


 滑り台未体験を見透かされた気がして、シンラはちょっとムキになった顔でアクアを睨む。


「大丈夫だよ、ゆっくり登れば怖くないから」


「俺を、舐めるなよ」


 そう言うなり、シンラは大きな身体からは信じられないほど身軽にはしごを駆け上がるとアクアの隣に立った。


「うゎっ、速っ!」


「当たり前だ。俺を誰だと思っている」


「うふふ。じゃあ、一緒に滑ろうか?」


「一緒に?」


「うん」


 アクアはそう言うなり、大きなシンラの背中によいしょっとまたがろうとする。


「こら、それは危ない。お前はこっちだ」


 シンラはアクアの背中側から自分のお腹に抱えると、さらにしっぽをアクアの前に当ててそれにつかまるように促した。


「しっかり掴まっていろよ」


「うん!」


 アクアが嬉しそうに、両手だけでなく両足までクロスさせてしっぽにしっかりしがみついた。


 それを確認すると、シンラはアクアをお腹に乗せたまま、器用に背中と後ろ足を使って滑り台を滑り降りた。


「うわぁ~い、楽しい。凄いよ、シンラ!」


 しっぽに抱きついたアクアが歓声を上げた。


「もう一回、もう一回!」


 アクアに強請ねだられて、シンラは6回もアクアをお腹に抱いて滑り台を滑り降りた。いい加減、そろそろ背中がヒリヒリする。


「ああ、楽しかった。ふふ、いっぱい遊んだら、またお腹が空いちゃった」


「昼飯は、何にするか?」


「紫長芋にしよう!」


 アクアは、薄汚れた布袋から小さな紫長芋を2本出すと、くっと眼に力を込めた。小さな紫長芋が、元の大きさに戻る。


「相変わらず、凄いな」


「うふぅ、そぉ?」


 褒められたアクアは嬉しそうにシンラを見ると、紫長芋を地面に置いた。それから公園に生えている草を引っこ抜くと、それで紫長芋を覆う。


「落ち葉の方がよく燃えるけど、生憎ないからね。これでもなんとか、いけると思うよ」


 アクアのオッドアイが、真剣になった。


 ぼっ。草は難なく火がついて燃えはじめる。


 燃える炎を眺めながら、シンラは言った。


「なかなか、使い込んだ袋だな」


「これ?じいじが畑仕事に持っていってたものだからね。汚れてるし古いけど、じいじの形見みたいなものだから」


「そうか」


「うん」


 炎を見つめるアクアの横顔は静かで、心の中まではシンラには覗けなかった。




 じいじの形見の袋に入れてきた僅かなものが、アクアの全財産だ。


 使い込んだ包丁は、料理を教えてくれたばあばの形見だと思っている。着替えの洋服と下着は、2組。どれも何回も洗ってくたびれたものだけど、清潔で動きやすければそれでいい。


 鍋、皿、スプーン、箸、水筒、何かに使えるだろうと入れてきたぼろ布、紐、紙、鉛筆。


 そして、じいじに渡された大事な上質のおくるみ。自分のルーツを証明する唯一つの頼り。


 これらを、眼力で小さくして袋に収めた。


 所持金はわずか12ガロ。じいじとばあばのお墓に白パンをお供えして、旅用に丈夫な編上げ靴を買ったら、それしか残らなかったのだ。




「ねぇ?」


 アクアが燃える火から視線を離さずに、シンラに話しかけた。


「なんだ?」


「コーダはみんなシンラみたいに、樹とか花とか、毒とか薬とかの知識があるの?」


「そうだな…」


 ちょっと考えてから、シンラは言った。


「食べられる果物や花の蜜や、食べてはいけないものの基本的な知識は、家族や仲間から生活の中で自然に教わる。しかしコーダには、生まれついた役割というものがあるのだ」


「生まれたときから、役割が決まっているの?」


「ああ。コーダの子供が5歳になったときに、その子供の持って生まれた特性が明らかになってくる。それを長老が見極めて、もっとも適した役割を与えるんだ」


「どんな役割があるの?」


 そうだな、とシンラは両耳をピンと立て、少し懐かしそうな眼をして言った。


「たとえば群れや仲間を守って率先して戦う戦闘コーダ、テレパシーを飛ばす距離が一番長い伝心コーダ、子沢山や不幸にして親をなくした子供、病気の仲間の面倒を見る献身コーダ、美しい声で歌を歌ったり見事な舞で皆を癒す芸練コーダ、それから薬草や治癒方法や自然界からの様々な叡智を識る医能コーダ、などかな」


「じゃあ、シンラは医能コーダなの?」


 俺は…シンラは戸惑った。


「俺の祖父は、確かに医能コーダだった。父はコーダの中でもひと際逞しい戦闘コーダ、母は美しくて優しくて、歌と踊りが上手な芸錬コーダだった。ふたりの兄は父と同じ戦闘コーダ、記憶力が良くて勘のいい妹は医能コーダ、末っ子の弟は類まれなパワーを持った伝心コーダだ」


 シンラはそこで、ふつりと言葉を途切れさせると、自嘲気味に頭を振った。


「だが俺は、俺は…人間の言葉を話す異端児。つまり唯の〈のけもの〉として、この世に生を受けたんだ」


 そう言って耳を垂れさせたシンラにそっと寄り添うと、アクアはその逞しい首に両腕を回した。ふさふさのたてがみに鼻を突っ込んで、少しくぐもった声でアクアが問う。


「人間の言葉を話すコーダは、〈のけもの〉なの?」


「数百年に1頭生まれるか生まれないかの、異質な存在であることは間違いない」


「そう…」


 アクアのつぶやきがシンラの左耳をくすぐる。不思議に癒される、温かな声音だった。


「一緒だね」


「ん?」


「あたしとシンラは一緒。同じ〈のけもの〉で、ふたりぼっち」


「そうだな」


 心に温かな何かが注がれる気がして、シンラはそっと目を瞑った。


 いつまでも、こうしていてほしかった。




 しかし。


「ん?いい匂い…」


 アクアがぱっとシンラから身を離し、焚き火を振り返った。


「やったぁ!焼けたみたいだよ、シンラっ!」




 もう少し、抱きついていて欲しかったな。お前、余韻というものを知らないのか…。




 ちょっと不満気に鼻にしわを寄せながらも、シンラも焚き火に近づいて、アクアが木の枝を焼けた紫長芋に突き刺すのを見た。


「少し冷まさないと、火傷しちゃうね」


 アクアはそう言って、木の枝に差したままの紫長芋をふぅふぅしている。早く食べたいけれど火傷も怖い、だから一生懸命に冷ましているアクアの姿が微笑ましくて可愛い。


 やがて頃合いになったのか、アクアはシンラの前に紫長芋をずぃと差し出した。


「食べよ、シンラ」


 これからの長旅の大事な食糧だ。シンラとアクアはゆっくり味わって、それぞれ1本ずつ紫長芋を食べた。


「うん、おいしかった!」


 まだ食べ足りないだろうに、アクアはそう言って元気に立ち上がった。


 そんなアクアに、シンラは訊ねた。


「どうする、次の街を目指すか?」


 う~ん、とアクアが考え込む。


「ねぇ、シンラ。次の街にも、あのおいしそうな腸詰はあると思う?」


 どうやらアクアは、どうしてもあの腸詰が気になるらしい。


「さあ、あるとは限らないな」


「だよね」


 アクアがきょろ、と四方を見渡す。


「この街、明るくていいよね。あのお祖父さん、優しかったし。腸詰や雲あめもあるし」


「腸詰や雲あめ、があるし、だろ」


 アクアのわかりやすい態度を可笑しく思いながらも、シンラは憮然とツッコんだ。


 アクアが、ぺろと舌を出すところを見ると、図星だったらしい。


「なんとかして、この街を出る前に、あの腸詰だけでも食べられないかなぁ」


「そんなに食べたいのか?」


 こく、と頷くと、アクアはしばし思案顔になる。やがて「そうだ!」と言って、ポンと手を叩いた。


「ねぇ、シンラ。いいことを思いついたよ!」


 アクアはそう言うと、シンラのピンと立った耳元で何かを囁いた。


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のケモノ、 灯凪田テイル @mikazuki

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