第7話 珍道中ちぅ

 

 だから、お前。女の子だろ…。




 澄んだ気持ちのいい溜まりで全身を洗ったアクアが、またもや何の躊躇ちゅうちょもなく素っ裸をシンラの前にさらす。


 それからおもむろにボロボロの布袋をゴソゴソしだすと、中から使い古した水筒を出した。


「ここの水、とってもおいしいからちょっと貰っていこう」


 そう言うと、水筒の蓋をぱこと開けて、アクアは小さな滝の下へ当てた。小さな水筒はあっという間に、水で溢れる。


「ああ、おいしそう!」


 アクアはそう言うと、水筒の水をごくごく飲みはじめた。


 素っ裸で、腰に手を当てて、シンラの前で仁王立ちして。




 お、お前っ。


 なんて男らしいポーズで水飲んでんだっ。


 隠せ、恥じらえ、少しはオスの眼を意識しろっ。




 シンラの眼の前で、ささやかな2つの膨らみが水を飲むたびに上下する。そっと目線を下げると、髪と同じセピア色の小さな小さな茂みが風に揺れた。




 ごく…。


 や、やばい、聞こえたか?




 息を止めて凝視するシンラの視線に、やっとアクアが気づいた。


「やだ~、シンラのえっちぃ。どこ見てんのぉ、やっぱえろオヤジぃ」




 え、えっちって、お前っ!


 恥じらいもせず、すっぽんぽんで眼の前に立ったのはお前だろっ。


 そ、それに俺はオヤジじゃないっ。何度も言うが、19歳だっ。


 は、花も恥じらうチェ、チェリーボーイだっ…て、俺は何考えてるんだろう。




「はぁ…疲れた」


 混乱の末、何故だか疲労感を覚えて、シンラは耳としっぽを情けなく下げるとアクアに背を向けた。


 アクアは脱いだ服を着ると、シンラの肩に小さな手を置いた。


「ごめん、シンラ。えろオヤジは言い過ぎだった。怒った?」


「べ、別に…」


「ほんと?よかったぁ!」


 あっという間に嬉しそうな顔になったアクアの身体から、ソプの花の香りだけではない、甘い良い匂いがする気がシンラはした。




✵ ✵ ✵




 森と渓流を過ぎると、なだらかな湿原に出た。


 花弁が一つしかない白い花が無数に咲く間を縫うように、古い木の渡しが続いていた。


「この白い花は、なんていうんだろう?」


 アクアが、愛らしく小首を傾げて訊いてきた。


想途草そうずそう、と俺たちコーダは呼んでいる」


「想途草?」


「ああ。遥か昔、恋人への一途な想いを残したまま死んだ女を哀れに思った神様が、その想念を花にかえたと言われている。その花は恋人の家から見渡せる沼辺に咲き誇り、いつまでも心の慰めになっていたそうだ」


「…そう、なんだか可哀想なお花なんだね…」


 続けて何か言いたげにしたアクアだったが、ちょっと悲し気に目を伏せると押し黙ってしまった。


「昔話だ、というかおとぎ話のようなものだ。現実の話ではないと思う」


 慰めるように言うシンラに、アクアはまた笑顔を見せると言った。


「この花には、なにか効能?みたいなものはないの?」


 今度は、シンラがちょっと黙り込む番だった。


「どうしたの?シンラ」


 怪訝そうに訊くアクアに、シンラは鼻に皺を寄せて見せた。


「花にはないが、球根は猛毒だ」


「…も、う、毒?」


「ああ。だから人が滅多に訪れない、生活しにくい湿原に咲くのだろう。泥に覆われていれば、空気中に拡散することもないし」




 こんなに儚げで美しい花なのに…。


 悲しくて、ロマンティックな伝説を持つ花なのに。




「愛する気持ちというのは、一歩間違えば狂愛になりかねない。大切にしたいと思う気持ちと、殺してまでも独占したいと思う気持ちが共存している、そんな花なのかもしれないな」


 シンラはそう言ったが、その言葉の意味をアクアが理解できたかどうかは、わからなかった。


 理解してほしいような、まだ理解などしてほしくないような。複雑な想いのシンラに、青ざめたアクアがひっそり笑って見せた。


「まだ知らないことがたくさんあるんだね、この広い世界には。でもシンラと一緒なら、怖くないよ。行こう、この先へ。北へ、北へ」






✵ ✵ ✵




 やがてどこまでも続いているような湿原が、突然終わった。


 いま、シンラとアクアの眼の前には2本に分かれた道がある。右の道の遥か先には、重厚な石垣のようなものが見える。左の道に続くのはこんもりとした丘で、その先は見渡せない。


「どっちの道を行く?」


 シンラがアクアに訊いた。


「どっちにしよう…」


 アクアが迷う。


「お前が選べ」


「え~。それでもしヘンな街とかだったり、もの凄い断崖絶壁とかが待ってて先に進めなかったりしたら、あたしのこと責める気でしょ?」


「お、俺がそんなセコい男に見えるか?」


 心外だ、というようにシンラが銀色の豊かなたてがみを逆立てる。


「ん~、やっぱりシンラが決めてよ」


「よし。でももしも、期待通りの場所でなくても俺を恨むなよ」


「恨まないよ。でも、ばーか、ばーか、シンラのばーか、ぐらいは言うかも」




 く…。


 なんてヤツだ。ま、まぁ、いい。


 こいつは、まだ毛も生え揃っていないくそガキだからな。


 いや、エロい意味ではなく。言葉が意味する通りの…。




「あはは、冗談だったら。シンラ、いま真に受けたでしょ?」


 アクアがにっこり笑って、シンラの髭を引っ張った。




 おい、こら、止めろ。俺の神聖なレーダーを、引っ張るなっ。


 それになんか、ちょっと痛ギモ…。




 それからアクアはちょっと考えるそぶりを見せていたが、やがてポンと手を叩いた。


「そうだ!ジャンケンで決めようよ。勝った方が選んだ道を行く、それなら恨みっこなしでしょ?」


「よ、よしっ。お前はどっちの道を選ぶ?」


「う~ん、左っ!」


「よし、じゃあ、俺は右だ」


 真剣な面持ちで、シンラとアクアは向かい合った。


 そして、声を揃えて言った。


「ジャンケンポ~ン!!」




 …………。


 …………。




「あ、あの…シンラ。それ、グー?」


「パーだ」


「うそ、グーにしか見えない」


「な、なんだと。よく見ろ、ちゃんと爪を出して全部開いてるだろ」


「え~、嘘くさい」


「お、お前なぁ。コーダに二言にごんはないっ!」


「武士かよ」


「な、なんだと?」


「わかった、わかった。じゃあ、引き分けね。じゃ、もう一度」


「よ、よしっ!」




「ジャンケンポ~ン!!」




 …………。


 …………。




「あ、あのさ。シンラ、それ」


「今度は…グー、だ」


 アクアが、にんまりと笑った。


「わーい、わーい、勝ったぁ!」




 かくして、ふたりぼっちの行く先は左の道に決まった。






「ねえ、シンラ。ちなみにチョキは出せるの?」


「お、おぅ!」


 アクアの眼の前に、シンラは右前脚を出して見せた。よぉ~く見ると、鋭い爪が2本だけぬぅと覗いている。


「器用だね」


「ふふん」


 シンラが、ちょっと得意そうな表情になった。


「でも…めっちゃ、わかりにくい」


「う、うるさいっ!」


 急に足早になったシンラをちょこまかと追いかけながら、アクアは思った。




 楽しい、シンラとの旅はなんて楽しいんだ。


 あはははははは。


 じいじ、ばあば。こんなにお腹の底から楽しい気分になったのは、3人で初めて2つの白パンを分け合って食べたとき以来だよ。


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