第6話 滝つぼダイブ

 朝陽の眩しさに揺り起こされて、アクアはもふもふのベッドの中で眼を覚ました。銀色で天然のベッドから顔を上げて、その上に続く顔を見るとシンラは眼を閉じてまだ眠っているようだった。


 ぴんと張った髭が陽の光にきらめいて、改めて見ると精悍せいかんな中にも繊細さが漂っている。


「おはよう、お寝坊さん」


 アクアは、細くて硬い髭の一本をそっと引っ張りながら、そうシンラに囁いた。


 その瞬間、シンラが片眼を細く開けた。


「何をしている?」


 アクアは慌てて髭を引っ張っていた手を引っ込めると、豊かなたてがみに覆われたシンラの首に抱きついた。


「おはよう、よく眠れた?」


 無邪気に覗き込む明るいオッドアイに、シンラの表情がほころぶ。


「ああ、お前は?」


 自分の胸から落っこちそうになるほどに熟睡していたアクアに、訊くまでもないことと思いながらもシンラはそう訊ねた。


「うん、とってもよく眠れたっ」


 ぴょんとシンラの胸の上から飛び降りると、アクアは爽やかな朝の空気を深呼吸しながら両手を突き上げて伸びをした。


 そんな様子をほほえましく思いながら、シンラはアクアに気づかれないようにそっと自身の足を確かめた。




 足、俺の足、どうなった?




 恐る恐る自分の後ろ足を見ると…戻っていた、元のケモノの足に。


 ふぅ~と大きな安堵の息を吐いたシンラに、アクアは元気に叫んだ。


「シンラ!あたし、お腹が空いた~」


「よし、朝食のフルーツを採りに行こう」


 四季の変化があまりなく、年中春か秋のような過ごしやすい気候のこの辺りは、様々なフルーツや木の実の宝庫だ。もっと北へ行けばどうなるのか、行ったことがないからわからないが、取り合えず食料のフルーツには事欠かない。




 朝食にそれぞれ1本の黄色いバナバナと柑橘オレジを食べたシンラとアクアは、旅の途中の食料として、両手に抱えきれないほどのフルーツを採った。それをアクアがオッドアイの眼力で米粒ほどの大きさにし、肩にかけていた布の袋の中に入れていく。


「お芋も、採ろうよ。落ち葉の中で焼くと、おいしいよ」


 アクアがそう言うので、フルーツよりも保存の利く紫長芋とがんも芋も同じように縮小して袋に入れた。


「重くないか?」


「うん、全然」


 ずいぶん入れたが、さほど膨らんだ様子もない袋を見て、シンラは安心した。本当なら袋はアクアでなく自分が背負ってやりたいが、どう工夫してもシンラの背では収まりが悪くてずり落ちてしまうのだ。




 お腹が膨れると、アクアは水浴びがしたいと言い出した。


「髪も身体も洗いたい」


「じゃあ、この渓流を下ってみるか?遠くで滝らしい水音がする。滝つぼでもあれば、天然の水風呂とシャワーだ」


 うわぁ、と好奇心いっぱいの眼をしたアクアが、早速行こうとシンラを促す。鳥のさえずりが緑の森に木霊こだまする中を、一頭と独り、いやふたりは歩いた。






 不思議だな、もの凄い勇気を振り絞ってはじめた独り旅だったのに。


 シンラといると、楽しくてしかたない。


 大きくて頼りになるし、あの銀色のもふもふはあったかで安心する。


 ちょっと俺サマっぽいけど、意外に可愛いところもあるし。




 渓流の周りにはきれいな花やその蜜を求める蝶、不思議な形をした小石などがあって、その一つ一つにアクアは眼を奪われてしまう。


「うわ、シンラ見て。あの蝶、凄くきれいな模様だよ。あ、この小石、星の形をしてるっ!」


「おい。立ち止まってばかりじゃ、いつまでたっても水浴びできないぞ。置いて行くぞ」


「え~、ケチ。待ってよ、シンラ」


 そう言った途端に、アクアは再び小さな白い綿のような花を見つけて立ち止まる。


「あっ、これソプの花だ!」


「ソプの花?」


「うん、見てて」


 アクアは小さな花を幾つか摘むと、手の中でコロコロ丸めて、その手を渓流に浸けた。するとアクアの細く小さな指の間から白い泡のようなものがぷくぷくと溢れはじめた。


「なんだ、それは?」


 怪訝そうに近寄っていたシンラの鼻先に、アクアはアワアワの手を近づけた。


「…いい、匂いがする」


「うふ、そうでしょ?これで顔や髪や身体を洗うと、つるつるになっていい匂いになるんだよ」


 アクアがちょっと得意そうにそう言った。


「そうか、それは知らなかった。俺たちはこの花をワタワタと呼んでいて、一度乾燥させてから水に浸けておくと、殺菌作用がある水になる」


「そうなの?!」


 アクアのオッドアイが、驚いたように見開かれた。太陽の下で、きらきらと無垢に輝くそれが眩しくて、シンラは思わず目を細めた。




 なんてピュアな、無邪気な光なんだ。神秘的で淋し気に見える夜とはうって変わって、けがれのない心の中まで覗けるようだ。




「?…シンラ?」


「あ、いや。これはちょうどよかった。水浴びするなら、沢山採って行こう」


「うんっ」


 アクアが小さな花を5つ6つ摘んで、それから背負った布の袋の中に入れた。


「それだけでいいのか?」


「うん、使う分だけでいい。乾燥させても、水に浸けておく入れ物がないから。捨てちゃうんじゃあ、花が可哀そうだよ」


「そうか」


「うん」






✵ ✵ ✵




 ごぉおおおお~。


 滝が轟音ごうおんを上げて、滝つぼに落ちていた。あたりの空気はひんやりと心地よく、水飛沫みずしぶきが霧のように辺りを潤している。


 眼をつむると、何故だか心が癒されて、すうっとした気分になる。


「はぁ、気持ちいい」


 しっとりと清涼な空気を深呼吸して、アクアはそう呟いた。


「アクア、大滝の真下は危険だ。こっちにまりが出来ている」


 シンラの視線の先を追うと、一番小さな滝が岩のくぼみに緩やかな波紋をつくっていた。


「うわぁ~、最高!」


 それを見たアクアは嬉しそうに叫ぶと、あっという間に裸足になって、それから着ていた服を次々脱ぎはじめた。


「お、おい…」




 お前、一応、女の子だろ。


 俺はコーダとはいえ、一応オスだ。


 ちょっとは恥じらうとか、隠れるとかって、オイッ!


 5秒ですっぽんぽんかよ…。




「ひゃっほー、気持ちいいっ。シンラぁ、シンラも早くおいでよっ」




 い、いや、俺は…。




 しばしウロウロと躊躇ちゅうちょしたシンラは、アクアから少し離れた滝つぼへダイブした。


 ザッバ~ン!




 冷たい水がやけに心地良いのは、身体が火照るせいではないよな?




 シンラはひとしきり滝つぼの中で泳ぐと、ザバンと水面に顔を出した。


「もうっ、びっくりしたぁ。シンラが上げた水飛沫みずしぶきでびしょびしょだよぉ」


「どうせ、全身洗うんだからいいだろっ」




 いきなりダイブしたシンラにびっくりしたけど、水飛沫とお陽様の光の中にきらきらした銀色の姿は、ちょっとカッコよかったなぁ。


 なのに水の中から鼻づらを出したシンラに文句を言うと、途端に拗ねた子供みたいな表情になって、なんだか可笑しい。




「あははははは」


 アクアは、声を出して笑った。


 何もかもが、可笑しくて、幸福だった。

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