第5話 異 変
かさり。
頭上から聞えた微かな葉音に、眠りに入ろうとしていたシンラの意識が呼び戻された。注意深く耳を澄まし、暗闇と生い茂る葉陰に眼を凝らすと、闇よりも濃い濡れた二つの輝きに気がついた。
ふふふ、やっぱり。
「この世の森羅万象を、何世紀にも渡って見届けてきたその眼に、いま何が映っているのだ?」
「ほぅほぅほぅ。その森羅万象の謎のひとつ、人の言葉を操る銀色のコーダが、人間の子を愛おしそうに抱いている摩訶不思議を目撃しているところだ」
「
「久しぶりだな、シンラ」
「近くで見ると、子供?いや、少女か?」
ククク、とシンラはアクアを起こさないように、そっと笑った。
「初対面で、俺も同じことをこの子に言ったら、憤慨されたぞ。子供ではなく16歳だそうだ、性別は女だ」
漆黒は丸い眼をさらに見開いて、頭をくるりと一回転させた。
「16歳には見えないほど、小さいな。発育不全か?」
また、クククとさらに可笑しそうにシンラは身体を小刻みに震わせた。シンラの胸のモフモフに心地よさそうに埋もれていたアクアが、う~んと身を捩る。その姿を愛おしそうに眺めてから、シンラは漆黒を見上げて言った。
「発育不全て、どこを見て言っている?」
「その身体の小ささや、薄さ、あどけない寝顔はどう見ても、もうすぐ大人になる16歳には見えないぞ」
そうか、とシンラは胸からずり落ちそうに眠りこけている小さな身体を、両前足で元に抱え直した。
「その子、名はなんと言うのだ?」
「アクアだ」
「アクア?」
めずらしい名だな、という眼をした漆黒にシンラは真面目な顔で言った。
「いまは眠っているからわからないだろうが、この子の眼は独特だ。右眼がアクアブルー、左眼がレモンイエロー、つまりオッドアイだ」
「なるほど、それでアクアか」
「おそらく、な」
漆黒が木の枝から乗り出すようにして、幸せそうな顔をして熟睡しているアクアを覗き込んだ。
「それにしても」
「ん?」
「コーダの仲間の中でも
面白そうに漆黒にそう訊ねられて、シンラは気まずげに鼻にしわを寄せた。
「互いに、〈のけもの〉だからだ」
「お前は〈のけもの〉じゃない、いい加減わかってるだろう」
「俺は〈のけもの〉でいいさ。しかし、この子は捨て子で、血の繋がらない祖父と祖母に育てられたらしい。貧乏で、学校へもろくに通わず、この独特の眼のせいで苛められっ子だったそうだ。やがて唯一の家族といえる祖父母も亡くなって、本当の親や家族を探すために独り旅に出たと言うんだ。こんな、まだ子供にしか見えない、小さな女の子がだ。放っておけないだろう?」
シンラはそう言うと、自分の両前足の中の小さな存在を覗き込んだ。
大丈夫、何の気配も感じずに、熟睡している。胸の辺りがなんだかあったかいのは、アクアの体温のせいばかりではなさそうだ。胸の中まであったかくて、なんとも言えない気分になる。
初めて出逢った守りたいと思える存在を戸惑いながらも受け入れている親友を、漆黒はまじまじと見た。そう、シンラと漆黒は種を超えた親友だった。
「それより、どうしてここに居るんだ?漆黒」
アクアをじっと見つめていたシンラが、はたと気づいたように顔を上げた。
「久しぶりに親友の顔を見に〈コーダの棲む森〉へ帰ったら、シンラは北へ、ユートピアを探しに旅立ったと長老に言われたんだ」
「それで、俺を探してくれたのか?」
「まあ、また旅に出る途中だったからな」
漆黒が、大きな羽を広げて伸びをした。
「今度は、どこへ行くんだ?」
「風の向くまま、気の向くまま、かな」
「そうか。じゃあ、もし昔、オッドアイの子供が
シンラが真剣な眼で漆黒に頼んだ。
「その子は、捨て子じゃないのか?
「真相はわからない。でもこの子の家族には生きていてほしい、この子のことを待っていてほしいんだ」
「わかった」
漆黒は思慮深い眼で大きく頷くと、羽を広げた。
「シンラ、無事で良い旅を。お前も、その子も探し物を見つけられることを祈ってるよ。また、どこかで会おう」
「ああ、漆黒も気をつけて」
真っ黒なふくろうは、あっという間に夜闇に紛れて行った。
シンラは夜空を見上げる。
相変わらず金の絨毯を広げたような眩しい星空で、しんと静まり返った空間に狼たちの遠吠えが聞える。狼たちの気配は遥か先で一定距離を保ったままで、シンラの野生のアンテナにテレパシーすら届けてこない。
ふと、両後足の先に違和感を感じて、シンラは顔をしかめた。アクアを起こさないように首を捩ると、自身の足の先を見る。
っ!
なんだ、これは!何が起こったんだ。
シンラは思わずそう叫びそうになって、慌てて
恐る恐る、もう一度、自身の足先を見る。
両後足の先に、なんと5本の指が生えていた。
こんな、こんなことって…。
これじゃあ、これまでのように駆けられないじゃないか。人間のように2足歩行するのか?立ち上がって、ほかはコーダの姿のままで?
しかもなぜ、突然。いままで、こんなことはなかったのに。なぜだ、なにが原因なんだ?
不安が、足の先からぞわぞわと全身に上ってくる。どうしていいかわからなくて、シンラは軽くパニックになった。
落ち着け、取り合えず、落ち着くんだ。
そう自分を励ましてみるものの、なんの解決策も思い浮かばない。
結局、不安と混乱を抱えたまま眠れぬ夜を過ごしたシンラは、夜が明けるほんの少し前に、突如強い睡魔に襲われて眠りへと落ちていった。
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