第3話 似た者同士
モフモフの毛が温かくてやわらかい。
頬に触れ、鼻をくすぐる銀の胸毛に、アクアは顔を思い切り突っ込んだ。微かなフルーツの匂いに少し獣臭が加わっているけど、悪い匂いではない。むしろ安心できる癒される匂いだ。
とても幼い頃、ばあばに抱かれて眠りについた夜よりも、この銀の毛の温かさと柔らかさは遥かに満たされた気分になるから不思議だ。
独りぼっちじゃない、と思える。やっと、逢えた気さえするのは何故だろう。
そう思いながら、アクアは銀のモフモフの揺りかごから顔を上げて夜空を
「凄い星だ、きれい」
胸元で丸まっていた小さな塊がゴソゴソ動く気配がして、シンラも眼を開けた。そして同じように夜空を見上げる。
「ああ、今夜はひと際、空気が澄んでいるようだ」
夜空一面に
「こんな野外で寝るのははじめてだろう?怖くはないか?」
シンラは銀のたてがみと胸毛の間から覗く、小さな儚げな存在に訊いた。
「怖くない、何故だか。シンラと一緒だからかな?」
そう小首を
独りぼっちが当たり前だった、のけもの扱いに慣れていた。そう、そのはずだったのに、自分以外の存在から感じるぬくもりの、この愛おしさはなんだ?
一緒…シンラが生きてきて、数えるほどしか訊いたことのない言葉。もう一度、もう一度、言ってほしい、その小さなぷくりとした唇で。
こんな些細なことに心がざわめくなんて、俺もまだまだ弱いな、とシンラは自嘲する。
「眠れそうか?」
「うん、シンラと一緒なら」
星の光に浮かぶ白い顔が、心底嬉しそうに笑った。
困ったものだ、とうとう旅することになってしまったようだ。この少女と、一緒に…。
✵ ✵ ✵
日がとっぷり暮れる数時間前…。
「着いてこないでっ!」
「別に後をつけているわけではない。お前が、俺の前を歩いているだけだ」
「だって、北へ行くんだもの。この道しかないから」
「俺も、北を目指していると言ったはずだ。この道しかない」
「じゃ、いいっ」
アクアは突然、道端にしゃがむと編上げ靴の紐を直しはじめた。
シンラは、それを横目で見ながらすたすたとアクアの
シンラが通り過ぎたのを確認してアクアは再び歩きはじめたが、なんのことはない、前後が入れ替わっただけだ。
シンラがしばらく無言で歩いていると、後ろでアクアが鼻歌を歌いながら1本の長い草をタクトのように振って上機嫌で歩いている気配がする。
まぁ、いいか、とシンラは少し歩を速めた。
独りで旅するアクアはまだ子供にしか見えず、しかも女の子だから心配だったが、余計なお世話だったようだ。
先を急ぐ旅ではないが、夜になる前に食料がある次の森へ辿り着きたかった。
風を切るように普段の速度になったシンラと、アクアの距離はあっという間に離れた。微かに水の匂いを感じて、シンラはこの先に小川か渓流があることを察知した。
喉を潤し、運が良ければ水辺の花の蜜にありつけるかもしれない、とシンラがさらに足を速めたときだった。
「うぎゃあぁぁああ~」
ドサッという音に続いて、叫び声がかなり後方から聞えて来た。
やれやれ、とシンラは立ち止まると後ろを振り返った。
遠くで、豆粒サイズのアクアが、どうやら尻もちをついているようだ。
「どうしたんだ?」
ものの一分も経たないうちに、再び眼の前に現れたシンラを、アクアはぽかんと見つめた。
「おい、どうして尻もちなんかついてるんだ?」
まだ呆気にとられたまま、アクアは道端の茂みを指さした。
「?」
アクアが指さした方向には、何も驚くようなものは見当たらない。
「何か、いたのか?」
「へ、蛇が…」
「大蛇か?毒蛇かもしれないな」
そう表情を険しくするシンラに、アクアは真っ赤になり、それからバツが悪そうに親指と人差し指で大きさを示して見せた。
「こんくらいの…」
「なっ…。5センチにも満たないヤツじゃないか」
あきれ顔のシンラに、今度は心外だとばかりに頬を膨らませながらアクアが言った。
「だって、だって。蛇、怖いんだもん。ちっちゃいとき、噛まれたんだもの」
「そうか、悪かった。それは怖かっただろう。痛かったのか?」
急に優しくなったシンラに、アクアがまたもじもじし出した。
「どうした?」
「痛かったかは、わかんない。…だって、噛まれたの、じいじだから…」
「なっ!」
シンラの眼がくわ、と見開かれる。一転怖い表情になったシンラに、アクアは子供のように必死で言い訳した。
「だって、だって、だって。蛇に噛まれたって言ったじいじの顔が真っ青で、凄く心配で怖かったんだもん」
ふぅ、とため息をつくとシンラはアクアに言った。
「蛇なんて、大小うじゃうじゃいるぞ。もっと怖い危険な動物だって、これから先に出会うかもしれない。それなのにこれくらいでビビッて、独り旅が訊いて呆れる」
もっともすぎるシンラの言葉に、アクアは下を向いたまま黙り込んでしまった。
「なぁ」
とシンラは、
「なに?」
やっと立ち上がりながら、アクアはそんなシンラを
「驚かなかったな、お前」
「え?」
「俺が、人間の言葉を喋るのを訊いても」
それは、とアクアが小首を
「だって、シンラもあたしの眼を見て驚かなかったから」
アクアブルーとレモンイエローの眼が、神秘的に
「そうか」
「そうだよ」
確かに特異な眼だと思いはしたが、さほど驚かなかった。
そんな人間がいてもおかしくない、こんな俺がいるように。
そう思って、受け入れるのに何の戸惑いもなかったあのときの自分を、シンラは思い出した。
俺たちは、似た者同士かもしれないな。
「もう少し行くと、小川か渓流がある。喉を潤しに行くか?」
不愛想に言ったシンラの言葉に、2つの貴石のようなオッドアイが嬉しそうに輝いた。
「うんっ、行く!」
こうして、新しい旅ははじまった。
独りぼっちから、ふたりぼっちの。
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