第2話 アクアの生い立ちと旅立ち

アクアは、母を知らない。父も、兄弟姉妹がいるのかどうかもわからない。


「や~い、捨て子、捨て子。気味の悪いオッドアイっ!」


 物心ついたときから、そう言われて仲間外れにされて育った。




 アクアを拾って育ててくれたのは、ばあばとじいじだ。


「アクアはねぇ、あのかしの木の根元に置かれていたんだよ。きっとお前は、とても裕福な家に生まれ、大切にされていた赤ん坊だったに違いないよ。だから悪い誰かが、身代金欲しさにお前をさらったんだね」


 皆に苛いじめられて悄気しょげかえっているアクアの頭を撫でながら、いつもばあばはそんな話をしてくれた。


「そうさ。だからいつか、大金持ちの両親が迎えに来るよ。そしていまは貧乏でも、お前はやがて立派なお屋敷のお姫様になるんだよ」


 じいじもそう言って、いつも優しく慰めてくれた。


「それはいつ?」


 幼い頃のアクアはお姫様という言葉に心ときめかせ、その日を夢見たものだ。だけど次第に、それがばあばとじいじの優しい嘘だと気づくようになった。


 だから、アクアはその話をされるたびに、ばあばとじいじにこう答えるようになった。


「アクアは、お金持ちの両親なんかいらない。ばあばとじいじのウチの子だもん」


 そんなとき、ふたりは決まって嬉しそうな悲しそうな複雑な表情で、アクアを見るのだった。




 それにしても、このオッドアイは独特だ、とアクア自身も思う。


 右眼がアクアブルー、左眼がレモンイエロー。


 こんな眼をした人間は、アクアのまわりには一人もいなかった。気持ち悪がられ、〈のけもの〉にされるのも無理はない、明らかに異端児だ。




「不思議な眼だね。でも私は訊いたことがあるよ、オッドアイを持った子供は不思議な力を持つと。それは異端児などではなく、選ばれた特別の人間だと。だからアクア、いいかい?決して自分を〈のけもの〉だなんて思ってはいけないよ」


 教会の牧師様はそう言った。


 貧乏で文房具も買えず、周りの子供からも仲間外れにされていたアクアは、学校は3日で辞めてしまった。その代り教会のお掃除をして、牧師様に読み書きや計算を教えてもらっていた。


 牧師様は、ときどき掃除や勉強がよく出来たご褒美だと言って、1ガロをくれた。10ガロで、白いふわふわのパンが2つ買える。だからアクアはそれを決して使わず、大切に貯めた。いつか、ばあばとじいじのために使うんだ、と思いながら。




 アクアが11歳の冬に、ばあばが病気で死んだ。


 身体が千切れてしまうんじゃないかと思うほど、辛くて痛くて苦しかった。アクアは3日3晩、わんわん泣いた。人の死を、それもとても大切な人の死を初めて体験したせいもあるだろう。じいじは涙をだらだら流しながら、アクアの頭を撫でてくれた。


「ふたりきりになってしまったな、アクア。でも、強く生きよう。そう、強くな」


 それから家の仕事はアクアが頑張ってやった、炊事、洗濯、掃除でもなんでも。畑仕事をするじいじが少しでも楽になるように頑張った。




 そしてアクアが16歳になったばかりの春、じいじが病で倒れた。


「アクア、もしかしたらじいじはもう治らないかもしれない」


「嫌だよ、じいじ、そんなこと言わないで」


 アクアは必死にそう言ってじいじの看病をしたが、じいじは日に日に衰えていった。


 ある日、少し具合がよくなったのか、じいじは薄い夜具の上に身を起して座り、アクアを呼んだ。


「アクア、お前に伝えておかなければならないことがある」


「なに?じいじ」


 じいじは家にたった一つだけある家具と呼べるもの、引き出しが沢山ついた箪笥たんすを指さした。


「アクア、あの箪笥たんすの一番上の引き出しを、この鍵で開けてごらん」


「?」


 言われた通りにアクアが引き出しを開けると、中には真っ白で柔らかそうな布が入っていた。


「アクア、それをこっちへ持っておいで」


「はい」


 なんだか大切に扱わなければならない気がして、アクアは両手でそれを捧げ持つようにして、じいじの前に座った。


「これはアクアを拾ったときに、お前が来ていたおくるみだよ」


 じいじが、丁寧にたたんであったそれを広げた。


「ここに、紋章があるだろう?これはきっと、お前が生まれた家の紋だと思う。このおくるみの上質さから言っても、お前はきっと良い家柄の生まれだ」


 アクアは、驚いてじいじをまじまじと見た。


 それから広げられたおくるみに施された、金糸銀糸や朱糸を使った紋章に視線を移した。王冠を乗せた細やかな細工の台を一対の羽が囲んでいる。繊細にして重厚、手の込んだ刺繍は確かに格式と価値を感じさせる。


 アクアは自分の心が、期待と諦めのせめぎ合いの末に震えるのを感じた。




 じゃあ、じゃあ、いつか誰かが迎えに来るって、お姫様になれるって話はばあばとじいじの優しい嘘じゃなかったの?つくり話でも、お伽噺とぎばなしでもなかったの?


でも…いままで誰も迎えに来なかったんだ。もしかしたら望まれない子だったのかも、本当に捨てられたのかもしれない。だって、この眼だもの…。




「アクア、お前は強い子だ。もし、じいじが死んだら、このおくるみを持って本当の両親を探す旅に出なさい」


「死ぬなんて言っちゃヤダ、じいじ。ヤダよ、じいじは死なない」


 涙をいっぱい溜めて震えるアクアの頭を、いつものように優しく撫でながらじいじは言った。


「人はいつか、必ず死ぬ。いま、じいじはそのときが来たんだよ。だから、泣かないで悲しまないで、お前の本当の幸せを見つけるんだ。その手で、しっかりとつかむんだよ。できるな、アクア?」


 アクアは、嫌々をするみたいに首を激しく振った。


「嫌だよ、じいじ。アクアを置いてかないで。独りは嫌だ、怖いよ、じいじ」


「アクア」


 じいじが強く、静かな声で言った。


「運命に、人は逆らえない。でもお前なら、立ち向かっていくことができる。なぜなら、アクアは選ばれた特別な子だから」


 アクアの不思議な瞳を優しいまなざしで覗き込みながら、じいじはもう一度言った。


「アクア、選ばれた特別な子。このオッドアイがそれを証明する日が、必ず来る」




 そしてその夜遅く、じいじはばあばの元へ旅立った。


 最後まで譫言うわごとのように「北へ、北へ」と言いながら。


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