のケモノ、

灯凪田テイル

第1章 ふたりぼっち

第1話 出逢いと〈コーダの棲む森〉

〈プロローグ〉





ソウルシン。 




この世にたった独りだけいると語り継がれる


魂の片割れ、真実の相手。




そんなもの、生まれながらの〈のけもの〉にいると思うか?




俺は……思わないね。









 ✵


  ✵









〈本 編〉






「オ、オオカミ?」


「子供? ん、オンナか?」




 なぜか、そのオオカミは人の言葉を喋った。


 まず、そこにツッコむべきだとわかってはいたが、少女は「オンナか?」の方に反応してしまった。




「見ればわかるだろっ、オンナだよ!」


 少女に負けず、オオカミも言った。


「俺はオオカミじゃない。コーダという生きものだ」




 銀色の豊かなたてがみを風に揺らし、フォレストグリーンの眼をした大きなコーダという生きものが、小柄な少女を上から下まで舐めるように見た。






 12、いや13歳くらいか? 顔は眼が大きくて愛くるしいが、痩せていて貧弱で、みすぼらしい服装をしている。セピア色の髪はツインテールの三つ編みにしているから、なるほど女の子のようだ。それにしても…この眼はなんだ、初めて見る…。






 やがてコーダの視線が、ある一点でひた、と止まる。


「発育不全だな」


 少女は思わず、その視点の先にあるものを両腕で覆い隠した。






 な、ななな、なに、いきなり人の胸にダメ出ししてんだ、こいつはっ。


 そ、そりゃあ、あんまり大きくない胸だけど、それでもあんまりだっ。


 しかも、しかも初対面でそんなセクハラトークかますなんて、


 もしかしてこいつ、えろオヤジ?


 う~ん、ケモノだけに年齢がよくわかんないよ?






「こ、こら、どこ見てんだ。このセクハラえろオヤジ・オオカミ!」


「オヤジじゃない、こう見えて19歳だ。それに何度も言うが、オオカミじゃない、コーダだ」


 やけに冷静に返してくるコーダに、顔を真っ赤にして憤慨しながら少女は無い胸を張った。


「ふん。わたしだって、も、もう少し大人になったら、ちゃんと…」




 ふーん、と尚も一頭のコーダはその小さな姿をさらに不躾に眺めた。


「母親が大きいからと言って、遺伝するとは限らない」


 ますます憤慨するかと思った少女の眼が、すぅと下を向く。


「?」


 どうした? と訝しがるコーダの眼の前で、少女は降ろした両手の拳を握りしめている。心なしか、伏せた睫毛が震えていた。






「母親は知らない、父親も。捨て子だから」








✵ ✵ ✵




「待て、子供が独りでどこへ行く気だ」


「ほっといて、子供じゃない。16歳だ」




「名前は?」


「…アクア」


「そうか、俺はシンラだ」




 とても16歳には見えないアクアが、洋服と同じく薄汚れた小さな袋を肩から斜め掛けにして早足で歩く。懸命に小さな足を動かしちょこちょこ進むアクアに、余裕で並び歩きながらシンラは続けて訊ねた。




「どこから来た?」


「西の貧しい小さな村から」


「そうか。俺は、南の〈コーダが棲む森〉からだ」


「へぇ」




「…それで、どこへ行く気だ?」


「どこだって、いいでしょ?」


「こんな子供が、いや少女が独りでどこへ行くのか、気になるのは当たり前だろう」


 アクアは急に立ち止まると、シンラを正面から見て言った。




「あんたこそ、シンラこそ、どこへ行くの?」


「俺か?俺は俺のような〈のけもの〉ばかりが共に暮らすというユートピアを探しに行くんだ」


「〈のけもの〉?」


「ああ」


 アクアの他人を寄せつけないような気配が、少し和らいだのをシンラは感じた。




「あたしはね、あたしが生まれた街へ。きっといるはずの両親や家族を探して、北へ」


 シンラの耳が、銀色のたてがみからピンと伸びた。


「偶然だな、俺も、北へ行く」








✵ ✵ ✵






 〈コーダが棲む森〉。


 それはうっそうと生い茂る樹木に覆われた深い森で、多種多様な果物や木の実、薬草に恵まれた動物たちの楽園だ。様々な鳥や動物、爬虫類や昆虫が生息し、その中でも約2000頭のコーダが暮らす森として知られている。


 一見、オオカミに似て獰猛どうもうそうに見えるコーダは、実は果物や木の実を主食とし肉は食べない。群の仲間同士のコミュニケーションは主に『テレパシー』で、鳴き声や咆哮ほうこうはそれに付随する感情表現だ。


 そして、ごくごく稀にシンラのような異端の存在が生まれる。




『アイツは、人の言葉が喋れる』


 いつの頃からか、そんな噂がコーダの仲間内で囁かれはじめ、それと同時にシンラを見る眼と取り巻く温度が変わりはじめた。




 長老は言った。


『シンラ、お前が人の言葉を話すことは、いまはまだ噂だ。しかし、それが事実である以上、いつかは周知の事柄となるだろう。仲間同士はまだいい、お前を敬遠するだろうが利用も攻撃もしない。だが、そのことをこの森にやってくる人間に知られてはならない。人間に知られれば様々な利害や欲望の渦に巻き込まれて、その果てに我々の楽園である〈コーダの棲む森〉が荒らされてしまうことは歴史が証明している。だからもしそうなったら、お前はこの森を出て行かなければならない』


 シンラは長老に問うた。


『そのとき、俺はどこへ行けばいいのですか?』


 シンラの祖父でもある長老は、慈愛に満ちた眼で告げた。


『ごく稀に、お前のように異端の者が生まれる。そんな者たちが共に暮らすユートピアが、遥か北の地にあるそうだ。そこではコーダも人間も、鳥も動物も皆少しずつ変わっていて、だがそれ故に認め合う不思議な世界だそうだ』


『世界は広いな。俺以外にも〈のけもの〉はいるという訳か』


 シンラの言葉に、長老は悲しげに頭を振った。


『お前は〈のけもの〉ではない。その地へ行けば、お前はお前自身の存在価値に気づくだろう』




 俺の存在価値?


 そんなものあるのか?


 特殊でなくてよかった、ごく当たり前のコーダとして仲間とケンカしたり、助け合ったりして暮らしたかった。


 避けられるのではなく、ただ、ただ同じ群れの中で笑っていたかった。




 そんなシンラの心を読むように、長老は愛しい孫の眼を真っ直ぐに見つめながら言った。




『この世に、生まれてこなければよかった者などいない。すべての命は等しく、意味と価値を持って、現世に生を受けたのだ』






 やがて、そのときはやってきた。




 〈コーダが棲む森〉は、人間たちを受け入れてきた森だ。豊かな実りを、コーダはこの森のすべての生き物、そして人間たちと共有してきた。


 ある日、一人の男の子が家族から離れて、森の奥深くへ入り込んだ。そして、沢山のキノコを見つけた。


「うわぁ、キノコだ。こんなにいっぱい!お父さ~ん、お母さ~ん、キノコをたくさん見つけたよ!」


 男の子は歓喜の声を上げた。遠くで、母が何か言う声が聞えた。


「よおし、いっぱい採っていって、皆をびっくりさせよう」


 男の子が見つけたキノコは、食用ではなく薬用だった。なんの知識のないものにとっては、毒になりかねない。




「それは毒キノコだ、採ってはいけない」


 思わず、シンラはそう言っていた。


「え?」


 男の子はきょろきょろとあたりを見回すが、声の主がわからない。首を傾げながら、再びキノコに手を伸ばそうとする。そのキノコはまさに旬の時期で、薬にもなるがいまは毒性の強い胞子を盛んにまき散らしていて、運悪く小さな子供の肺にでも入ると大変に危険だった。


 だから、シンラはもう一度、今度は男の子の眼前へ行って警告した。


「それは毒キノコだ、毒性の強い胞子が多量に舞っている。いますぐ、ここを離れろ」


 いきなり眼の前に現れて、自分と同じ言葉を話すコーダに男の子は驚愕した。


「ひっ。コ、コーダがしゃ、喋ったぁ~!!お母さんっ、お父さんっ、助けて~」






 長老は言った。


『とうとう、そのときが来てしまったようだ。シンラよ、ユートピアを目指すのだ』


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