第77話 レーヌ原野の戦い①

 シグルーン、エッセンラントの連合軍は合わせて二万五千の兵を率い王城を出発。一路南下して帝国との国境にほど近いレーヌ原野に陣を敷き、帝国軍の到来を待った。


 連合軍の総指揮はシグルーン王であったが、彼は軍事に疎く、実質的な指揮官はエッセンラント公爵が担うこととなった。


 彼らはレーヌ原野にある小高い丘に布陣するなり地面に木杭打ち、柵を作り、帝国軍を迎撃するための防御陣地を構築した。


 馬防柵に身を隠すようにしている兵士たちを横目に、公爵は思考を巡らせた。


 シグルーン王は楽観視しすぎている。あのアイヴァーという側近を重用しているようだが、戦に明るい人物だという噂は聞いたことがない。それにあの男はここ数日姿を見せていない。どこへ行ったというのか。


 帝国にこちらへの内通者がいる? 眉唾ものの話だ。明らかに劣勢、かつ小国で富も無い我らに寝返ってその者は何を手に入れようと? 元来、裏切りとは己の利益のために行われるもので、その人物は我が方につくことで危険に見合った利益を得られるだろうか? あるいは利益がなければ恨みが動機となりえるが、そのような破れかぶれともいえる行動に出る人物に我らの命運を託して良いのだろうか。


 いずれにせよ、戦の勝敗を味方の力にではなく、敵の裏切りを頼りにするということへの危機感が拭いきれない。


 実際のところ希望的な観測をしてしまう気持ちもわからないでもない。

 ただ黙って籠城し、味方の援軍がやってくるのを祈りながら敵の大軍を待ち受けるというのは、想像以上に精神力を消耗させるものだ。


 だからいっそ出撃し、こちらから敵に一撃を食らわせてやりたいという衝動に襲われることは自分にも理解できる。だがそれは危険な誘惑だ。


 古来そうやって寡兵にて野戦に打って出て勝利を収めた事例はいくらでもある。


 しかし自分にはよくわかっていることが一つある。


 私やシグルーン王は英雄の器ではない。それだけはわかる。彼ら英傑の成功の影には、無数の愚か者の死が積み重なっているのだ。

 だからこの先に我らが待つものは──


「オッペンハイマー公爵閣下」


 従士に声をかけられて公爵はハッとして我に返った。


「敵の先遣隊が南に姿を現しました。その背後には大軍が続いています」


「よし、迎撃する。全軍に伝えよ。迂闊に陣地から出てはならぬ。守りを厚くし敵を撃退することにのみ専念するのだ」


 深く作りあげた堀と馬防柵、敵の歩兵と騎兵の足を止め弓兵で射抜く。


 それで膠着状態に持ち込み、例の裏切り者の動きがどうなるかを見極める。


 もし話が嘘、もしくは期待通りの成果がないのであれば敵の攻勢が怯んだ隙に全軍退却。籠城戦へ移行する。


 この場合でも敵に打撃を与えた上での籠城となる。無策よりいくらかましか。


 公爵は己に言い聞かせるかのようにそう心につぶやいた。

 そして兵へ命じる。


「見えた、敵の先鋒だ。よく引きつけろ、私が命ずるまで射つな」


 眼下に見える森の切れ目から帝国軍の先陣部隊が姿を現し始める。侵略者どもめ。


 奴らがここまでの勢力になるまで何もしなかった我々にも落ち度はあるだろう。セラステレナに依存しすぎたのかもしれない。


 だが今となっては戦うのみだ。私とて領主としての責務を自覚している。


「敵先遣隊、散開陣形のままゆっくりと前進してきます」


 配下の報告を受けて公爵は敵を注視する。


 先鋒は重装歩兵。こちらが弓矢で防戦することを見越した上でか。なるほどあのフルプレート相手に遠距離攻撃は効果が薄い。かなり引きつけてから弩兵の斉射でなければ有効打は与えられないだろう。


 しかし視界の狭い重装歩兵には欠点がある。それは側面への対応力に難があるということだ。

 ならば軽騎兵を出して側面を強襲させるか? いや罠の可能性もある。


 敵の出方を伺うべきだ。軽率な行動で丘に布陣する優位を捨ててはならない。


「弓兵、構え。射てえ!」


 公爵が号令を下す。すると弓兵隊が丘の上から眼下の帝国兵に向けて矢の雨を降らせる。


 放たれた数々の矢は鈍重な歩みの重装甲兵の甲冑にその牙を立てる。


 やはり重装歩兵相手には効果が薄い。しかし無傷ではない。


「弩兵を射撃態勢へ。射程内に入り次第斉射せよ」


 弓の数倍の貫通力を持つ弩弓ならばフルプレートアーマーでもたやすく貫くことができる。


 これならばいかに重装歩兵であっても致命傷となるだろう。


 公爵がわずかにほくそ笑んだそのとき、それは起こった。


 公爵の前方に備えられた馬防柵の一部が突如として吹き飛んだのだ。まるで巨人の拳で突き破られたかのように。


 そして戦場に異常な音響が鳴り響く。


「何事だ」


 公爵が目を見開いたその先には、予想もしない物体が出現していた。

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