第78話 レーヌ原野の戦い②
「砲撃だと、馬鹿な」
公爵が目にした光景は、一列横隊に布陣した敵砲兵隊の姿だった。
「そんなものをどうやって運んできた!?」
公爵がそう叫ぶのも無理はない。本来砲とは最大の破壊力を持つ兵器であると同時に、最も鈍重で準備に人も時間もかかる物である。
まずあれを運ぶにはバラバラに分解した後数頭の馬に引かせなければならず、人手では非常に難儀である。さらに運んだ部品を複数人を使って組み立てさせようやく大砲の形となる。おまけに一発撃つために重たい砲弾を装填し、狙いを定め撃ったとしても狙ったところにはそうそう当たることのない代物であった。
ゆえに通常は軍船に載せて運用するか、あるいは拠点の城壁上に設置し固定砲台として防御のために使うのが常道である。
しかしその大砲が目の前にずらりと並び次々と砲弾を撃ち込み始めこちらの防御陣地に打撃を与えているのだから、公爵は驚愕する他なかった。
「なんだあの砲は……」
公爵が目を凝らしてみた帝国軍の砲はこれまでの常識ではありえない物だった。
まず、通常艦砲に使用される物よりも砲身が細く短い。砲身の両脇に付いた車輪を含めても人の背丈の半分ほどの全長しかなく、幅も大したものではない。距離のあるここからだとまるでおもちゃのようにも見えるほど”チャチい”代物である。
しかしそれらがいつの間にか森の切れ間から姿を現し、瞬く間に態勢を整えて砲撃を開始したのである。
その連射速度も驚くべき早さである。
おそらく通常の大砲の半分程度しかないと思われる砲弾は、兵士の力によって容易に装填することができるようだ。
そのため砲撃が命中しなければすぐさま仰角を補正し、次弾を撃ち込んでくる。
破壊力も大したものではないはずだった。だが木で出来た柵や盾を砕くには充分すぎる。
そして徐々に命中率を高め、今着実にこちらの防御陣地を破壊しつつあるのだ。
「これはいかん……」
敵の砲は小型とはいえ、火薬を用いて発射する分こちらの弓矢よりも射程に優れている。
つまりこちらが陣地に籠る限り敵の砲撃を一方的に受け続けることになってしまう。
これでは防御陣地の優位性など消えたも同然である。このままでは砲弾によって穿たれた柵の切れ間から重装歩兵が雪崩れ込んでくる。
そうなれば敵の内通者の存在が事実であろうが嘘であろうか関係ないほどに状況は悪化する。
何か手を打たなくては。
公爵は狼狽した心を努めて鎮め、思考した。
そして決断する。
「軽騎兵を出せ!」
***
やれやれ、味方の軍は自分の想像以上に烏合の衆のようだ。
公爵閣下も苦労性だが、今回はまた一段と貧乏くじを引いてしまったらしい。
ここは一つ良いところを見せてやるとするか。
公爵軍軽騎兵団の将軍はそう思い小さく息を吐くと、配下に号令を下した。
革の鎧とサーベルを装備した軽騎兵の一団が丘を一気に駆け降りる。狙いは敵陣後方、砲兵部隊。
正面の敵重装歩兵を迂回するように弧を描いて騎馬隊は機動する。先頭を走る将軍の予想通り、重装歩兵ではこの動きに対応できない。
駆け続ける。やはり騎兵は軽装に限る。馬の機動力こそ最強の武器だ。
敵の砲兵部隊は森の切れ目に一列横隊を取っている。このまま丘を駆け下り側面から一気にその首を刈り取ってやるぞ。
将軍が不敵な笑みを浮かべた先に、その進行を阻むようにして一団が現れた。
将軍は直ちにサーベルを抜刀すると、部下にも同様に命じた。
敵の一団、騎兵か。さすがに砲兵隊まで一直線とは行かないようだ。動きのいい部隊がいる。
「まずは出張ってきた奴らを皆殺しにするぞ!」
将軍の吠え声に兵士たちが呼応する。
帝国軍騎兵隊の先頭にいるのは指揮官らしき若い男。将軍、いや装備からして将校。
馬の足を止めるわけには行かない。
「全員、すれ違いざまに一閃し、その首を刎ねてやれ!」
兵士たちが呼応して叫ぶ。敵の騎兵の顔が見える。
先頭の将校らしき男へ一撃を見舞う。
かわされた。いや、妙に手応えがない。まるで初めからこちらをいなすことが目的であるかのような。
次の瞬間、将軍の右方斜め前方から突如として敵の一団が飛び出してきた。
「それが本命かぁ!」
囮を当てて体勢が乱れたところへ本命の一撃を見舞う。出し抜いたつもりか若造ども。
将軍はとっさに剣を振りかぶる。
敵の新手の騎兵部隊の先頭にいるのはやはり若い将校。黒い眼帯を付けた者だった。
双方馳せ合い、交差する。
一閃。風切り音を立てて振り下ろされたサーベルが、敵将校の眼帯の緒を切り裂く。
「うお!? ちくしょ……どわ!?」
将校がそんな叫びを上げながら落馬する。トドメを刺す必要はない。砲兵隊を潰すことに専念する。
しかし今の一撃でこちらの兵士にも被害が出た。
鍛え抜いた兵たちがやられるとは、敵は将校が未熟でもよく訓練された部隊のようだ。
「ほう、まだいたか」
将軍の視線の先にさらに敵騎兵の一団。こちらの進路を塞ぐかのように横隊で布陣している。
敵の最前列には巨大な斧槍を手にした白髪の将。間違いない、あれが敵騎兵隊の大将格。
佇まいからして中々の手練。いや、この歳まで戦場で生き抜いてきたのだとしたらそれも当然か。
「しかしなめられたものだ! そのような横隊で突撃を抑えるつもりかぁ!」
将軍は怒号を上げる。こちらは楔形陣形で一点突破。老将よ、貴様をその布陣ごと噛み破ってやるぞ。
敵の先頭部隊が目の前に迫る。
「全隊突破せよ! 蹂躙してやれぇ!」
兵士がそれに応える声が聞こえる。双方の距離、さらに縮まる。
接触。
ここで将軍は目を疑った。
こちらの兵は楔形陣形で敵の中央に突進した。
敵は薄い横隊。防げるはずが無い。単純に力点と数の問題だ。
しかしこの光景はどうだ。
我が鍛えし精兵たちがまるで巨人の胸に阻まれるが如く突撃を弾かれ、地面に切り伏せられていくではないか。
敵は装備が優れているだけではない。まさか練度においてもこちらを遥かに凌駕しているとでもいうのか。
さらに将軍は自軍が恐るべき状況に追い詰められていることにそこで気がついた。
敵の横隊の両翼が大きく前進しているのである。横一文字だった敵の陣形は今やV字型の鶴翼陣となり、その広がった翼は我が方の密集した騎兵たちを半包囲しつつあったのだ。
将軍が戦慄を覚えたのは、それら両翼の敵兵が手にしている獲物──つまり彼らが遠隔攻撃可能な弩騎兵であることを知った時だった。
「しまっ──」
弩騎兵が一斉に矢を放つ。それらは突撃の勢いを殺された自軍騎兵の側面や後方から容赦なく襲いかかった。
今や突撃は完全に失敗し、公爵軍最精鋭の騎兵隊は阿鼻叫喚の地獄の真っ只中となった。
呆然とした将軍の目の前に一人の男が立ちはだかった。
白髪の老将。そばで見ると恐るべき偉丈夫である。
「なにか言い遺すことはあるか」
老将が静かに、しかし重々しくそう問いかけてくる。
将軍はすでに理解していた。この男は”帝国の白鬼”。帝国最強の将軍にして最大戦力。
だとすれば運がなかったとしか言いようがない。よりにもよってこの男に出くわすとは天は我を見放したか。
しかし逃げるにはもう遅い。貧乏くじを引かされたのは私の方だったか。
将軍はそう思うと、大きくため息をはいた。
一瞬の沈黙が場を流れる。
やがて将軍は不敵な笑みを浮かべると、目の前に佇む死の使いにこう言い返した。
「たわけ、まだ敗れたわけではないわ」
将軍はそう言い放つと同時にサーベルを高々と掲げて突進した。
白髪の老将はそれを見ると一言こう言った。
「見事」
そして斧槍を振り下ろすと、将軍の胴を薙ぎ払った。
***
「ランドルフ将軍、突出してきた敵騎兵隊は全て討ち取りました」
マンヘイムからの報告を受けたランドルフは足元に横たわる敵将の遺体を見下ろしながら「うむ」と返事をした。
「ロドニーはどうした?」
「それが、落馬の際にまた負傷したようで……」
「……そうか。手当てをしたらすぐについてこいと伝えろ」
「では我らも進軍を?」
「ああ」
ランドルフは馬上から戦線を見渡した。
砲兵隊が破壊した敵陣の穴から味方が浸透しつつある。
先陣は第二軍団麾下のネルラント重装歩兵団だ。指揮官はバルタザール・フォン・ベロウ将軍。
ナプスブルク貴族で軍から身を引いていた人物だが、非常に老練な指揮をする。
ああいった人物が今のナプスブルク王に仕えていれば。いや、あの王だからこそ骨のある人物は去っていったのだ。
この戦いはこれまでのものとは様相が異なる。
幸いなのはベロウのような良将、よく訓練された兵たちが今回の戦いには多く存在することだ。
その分敵も強大ではあるが──胸が高まる自分を、心地よく楽しんでもいる。
「ゆくぞ。前進」
ランドルフが静かに号令を下すと、ランドルフ騎兵軍は威風堂々と進撃を開始した。
***
「騎兵隊の突撃は失敗。エストハイン将軍は戦死されました!」
「敵重装歩兵、止まりません! 奴らの盾は弩兵の矢すら弾き返します」
「エストハイン将軍を破ったと思われる敵騎兵軍が我が方の側面に迂回しつつあります」
もたらされる報告の数々はどれも公爵を追い詰めた。
しかし公爵は意識が焦燥に飲まれることをギリギリのところで踏みとどまり、直ちに対応策を部下へ命じた。
「シュミットとフックスにそれぞれ二千を与えて増援に向かわせ戦線を支えさせろ。弩兵は一度下がらせて右翼に再集結。敵騎兵が接近してきたらば矢の雨を食らわせてやれ」
公爵に命じられた伝令は「ははっ」と返事を返すとすぐに駆け足でその場を去った。
「シグルーン王、内通者の決起はまだなのですか?」
その問いに狼狽しきっているシグルーン王は「い、いや何も……アイヴァーの姿も見えないのだ」と言って目を伏せてしまった。
ほれ見たことか。やはり敵の裏切りなどに作戦の成否をかけるべきではなかったのだ。
「シグルーン王、あなたの親衛隊を前線に投入します。これで一時は時間を稼げるはず……その隙に他の部隊を後退させ城に籠城しましょう」
「わ、わかった」
だとしても果たして援軍が来るまで持ちこたえれるだろうか。
公爵は天を仰いだ。
油断がなかったわけではない。帝国軍は大軍だと知り、どこかその兵団に未熟な綻びや欠点があるに違いないと思いこんでいた。そこを付け込みさえすればあるいは勝機があるのではないかと。
しかし現実はどうだ。装備も練度も将の質もこちらのはるか上ではないか。
籠城だ。かくなる上は一日でも多く耐え、出血を敵に強いる他ない。
だが我が領民が蹂躙される様子をこの目で見なければならないのかと思うと、心臓を抉られる思いだ。
悪夢よ、どうか早く覚めてくれ。
公爵は誰に祈るでもなく、そう願った。
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