第76話 侵略者

 帝国に軍事行動開始の予兆あり。


 この知らせは瞬く間に大陸を席巻した。


 特に敏感に反応を示したのは帝国の北西に位置するシグルーン王国、エッセンラント公国の二カ国である。


「帝国の侵略者どもめ」


 シグルーン王国の国王は直ちにエッセンラント公爵と会合し、帝国の侵攻に備えるための議論を交わした。


「敵はおよそ八万の軍勢で攻め寄せてくる構え。戦えばひとたまりもないぞ」


 エッセンラント公爵がそうため息をもらすと、シグルーン国王はそれに同調しつつもこう言った。


「すぐにセラステレナへ使者を。教皇猊下の援軍があれば撃退できる。あとはオタリアだが……」


「あの日和見国家が動くだろうか」


「公爵、彼らが動かなければセラステレナの援軍到来まで持ち堪えることすら怪しい」


「……では改めて使者を出しましょう。我らは城に籠城を」


「公爵閣下、申し上げてもよろしいでしょうか」


 そう言って姿を現したのは一人の壮年の男だった。

 シグルーン国王は自らの臣下であるその男を見ると、安堵の顔を浮かべる。


「おお、アイヴァーではないか。どうだった、敵方の様子は」


「物見をしますれば、敵の様子がつぶさに見えました」


「それで、敵はやはり大軍か」


「はい。こちらを一気呵成に攻める様子で帝都を出発しました」


「ではただちに籠城の準備を」


「いいえ、国王陛下。籠城はなりませぬ」


「……なぜだアイヴァー? 我が方は公爵の軍と合わせてもせいぜい二万五千程度。籠城以外に勝ち目が」


 アイヴァーは狼狽するシグルーン国王に不敵な笑みを向けて言った。


「だからこそ籠城はせず、ここは打って出るべきなのです」


「なに……?」


「野戦を挑むべき理由は三つ。ひとつは味方の士気。我らは中小の領主が身を寄せ合ってできた国家。つまり連帯と信頼こそが命綱。敵の侵攻に対して王が本城に籠城ではそれが崩れまする。そうなれば戦う前に国は瓦解。ここは王自らが積極的な抗戦の意思を示す必要があります」


「ぐぬ……」


「次に、籠城は敵の読み通りであるということ。偵察によれば敵は大量の攻城兵器を伴って進軍しています。中には多数の砲の姿もありました。籠城をすれば長く守ることは難しく、座して死を待つのみでしょう。しかし打って出れば敵の意表を突くことができます。なに、敵を打ち破る必要はないのです。野戦にて敵の意表をついて出鼻をくじき、その侵攻速度と攻城能力を低下させた上でしかるのちに援軍到来まで籠城すればよいのです」


「砲まで持ち出してきたというのか。……たしかに野戦で攻城兵器にさえ打撃を与えられれば時間が稼げる。しかしそれでも敵はあの帝国軍。野戦で出鼻をくじくことなどできようか?」


「そこで三つ目の理由。すなわち勝機です」


「勝機? この戦いに勝機があると?」


「はい。まごうことなき勝機が。つまり、帝国内に裏切り者がおります」


「なんだと、その者の名は」


「約定により申せませぬ。しかし、確かな情報です。我らが野戦に打って出た折には彼の者が内応し、敵本陣を急襲する手筈」


「おお、そのような者が……」


「これぞ我が策の集大成。帝国を打ち破る神算にございます」


 シグルーン国王はその言葉を聞くと、失っていた自信を取り戻したかのように顔へ生気を取り戻した。


「なるほど、やってみる価値はありそうだな。公爵殿、異論はないな?」


「……座して死を待つくらいならば戦って光明を見出しましょう。帝国の侵略者どもに鉄槌を!」


 国王と公爵が手を握り、臣下たちの中から喝采がわきおこった。


 帝国にただ飲み込まれるだけに思われたこの二つの小国に、今希望と戦の熱が沸き起こったのだ。


 その様子をアイヴァーは微笑みながら眺めた。


 そしてこう思った。


 裏切り者とは私のことですよ、陛下。

 あなたには世話になったが、やはり命には代えられない。


 それにしてもライル・ハンクシュタイン卿、噂に違わぬ恐るべき策士。元娼婦であるという話は果たして真実か。そうであればなんという時代か。

 まさか娼婦に尻の穴を覗かれるような目に自分が合うことになろうとは。


 籠城をさせずに無謀な決戦を挑ませる。それはまるで先年のセラステレナとの戦いの再現。


 そのために私を利用する。私の思想、性格、財産、性癖、後ろめたい真実、それらを全て調べ上げた上で。


 だがこれで私も晴れて帝国貴族の仲間入り。こんな田舎の官吏で生涯を終えるなど耐えきれないと思っていたところだ。


 逆境こそチャンス。我が世の春は今まさにこれから始まるのだ。



 シグルーン王国の高級官吏アイヴァー・マクドレンは、その数日後、帝国にほど近い国境沿いの茂みの中で息絶えていたところを発見された。


 そのことをシグルーン国王が知ることは、ついになかった。

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