第74話 宣戦布告

 ヤオメン共和国の首都、グレイノルンにあるうらぶれた酒場でその男はカウンターに座り酒を飲んでいた。


「思うに」


 と、男はすでに酔い始めた様子で酒のコップをテーブルに置くと、酒場の主人に対して話し始めた。


「思うに、人というのは自分と同じ階級の者同士で自然と群れるものだ」


 男はやや神経質そうな目をコップに向けながら語る。


「ここでいう階級というのは身分もさることながら、当然人格も含む。いや人格が身分を生み出すと言い換えても良い。例えばほら、あそこの隅でバカのように騒いでいる連中は鉱山で働く肉体労働者だろう。服についた汚れなど意に介せず、バカ騒ぎをどう見られるかも気にせず平然とああしている。彼らと私が交わることは一生ない。そう、階級が違うからだ」


 この男の話を店の主人はまともに聞いてはいない。しかし聞いているように見せる態度が巧みで、酔い始めた男はいよいよ興が乗り始めたといった様子である。


「同様に、私が貴族王族と交わることもない。やはり、階級が違うからだ。まあこの共和国では中流こそが主流層であって、貴族などもはや存在しないがね」


 男は自分の話を相手が聞いているかなど無関心のようである。やがて「つまり」と一呼吸置いてこう言った。


「僕に友達がいないのはそれが自然だからなのだ。群れるには同類が必要だが僕と同じレベルの人間はそうそういない。だから僕はごく自然的に孤独だったのだ。しかしそれも過去の……おっと、ちょうど来たようだ」


 男が店の入口へ目を向けると、そこには一人の青年と言っても支障の無い歳の人物が立っていた。


 店主はその人物を見て思わずぎょっとした。


その人物は共和国の議長、アイザック・アディンセルだったからだ。


「やあウィル! もうだいぶ酒が回ってるようじゃないか?」


 ウィルと呼ばれた男はアディンセルからそう声をかけられると、若干の照れを見せつつも目を輝かせた。


「アイク、我が友よ。君が約束の時間に遅れたから先に飲むはめになったんだぞ」


「すまない。だが娘に呼び止められてしまって。年頃だから色々と難しいんだ」


 アディンセルはそう言いながらウィルの隣へ座ると、エールを注文した。


 店主がエールの入ったジョッキを目の前に置くと、二人の会話が始まった。


 互いの近況、それについての冗談めかした指摘、他愛もない男同士の会話である。


 友人もおらず一人酒場に現れては店主を相手に愚痴を吐き散らすだけの生活を送っていたウィルが、こうして友を得たのはごく最近の出来事だった。


 ウィルはアディンセルの前ではいつにも増して饒舌になった。そういうウィルの言葉にアディンセルは気を悪くするでもなくにこやかに頷き、そして洒脱のきいた言葉を返すので、ウィルはアディンセルとの会話を心の底から楽しいと感じていた。


 やがて二人の会話があまりにも盛り上がりをみせていたので、店の主は気になってしまい、聞き耳を立て続けるにも我慢できなくなり思い切ってアディンセルに「楽しそうにいったい何を話してるんです?」と、自らも話に混ぜてほしいという気持ちを顕にして言った。


 するとアディンセルとウィルは、目を輝かせながら店主の方を見て、こう言った。


「南の皇帝を殺す話さ」



 ***



 ロイが帝都ブロケンガルド城下にある市場の視察をしていたときの出来事だった。


 従者のランゲがふと目を離した一瞬の隙をつき、ロイは刺客に襲われた。


 とっさに胴を守ろうとした左腕にナイフが深々と突き刺さり、ロイは苦痛に顔を歪めて膝をついた。


 危うく二撃目を受けるところでランゲが刺客を組み伏せ、この突如現れた暴漢を取り押さえることに成功したため、ロイは一命を取り留めた。


 暴漢の名はウィリアム・ランパートと言った。


 ウィリアム・ランパートは薬物を多量に摂取しており、半ば狂乱状態となっていたため、尋問をしようにも遅々として進まなかった。


 医師の見立てによると、この薬は幻覚作用と強烈な興奮作用を持つ植物を煎じて作られており、恐怖心を麻痺させる効果がある。そのため戦の前にあえて使用する辺境民族もいるといういわくつきの物だった。


 そんな薬を大量に摂取して完全に正気を失っている男の名が何故わかったかというと、懐に一通の手紙を持っていたからだった。


──親愛なるロイ・ロジャー・ブラッドフォード殿。


 この男ウィリアム・ランパートは崇高なる使命のために自らの身を捧げることを望んだ。


 彼が君の命を奪うことに失敗したとしたら、やはり運命なのだろうと思う。


 僕は愛する一人の娘を持つ父親だ。君と同じように。


 僕たちは同じ運命を持つ仲間だ。


 しかし君と私には決定的に違うところがある。君はそれに気づいているだろうか。


 それは君が自らの運命を嘆き、生まれ変わった我が子を憎むのに対して、僕はまるで反対の気持ちを抱いているということ。


 つまり僕はこの運命を天啓のように仰ぎ受け入れ、そして今の我が子こそ真に愛すべき存在だと確信しているんだ。


 運命を愛する者と憎む者、そのどちらかしか生き残れないのだとしたら、僕らの結末はいったいどうなるのだろうね。


 次は僕が君の首を切り裂きに行く。


 まもなくそのための全てが整う。


 だからこれは宣戦布告だと思ってほしい。


 お身体を大切に。やがて会うその日まで。


──追伸


 ウィルの遺体だが、できれば丁重に弔ってやってくれないか。


 彼は哀れな男だったが、僕を友と呼び、愛していた。


 それでは。



 皇帝、暴漢に襲撃される。

 一命は取り留めたものの傷の悪化による熱によって一時は危うい状態に陥る。


ブロケンガルドの宮殿内は騒然となった。

ライルらも連日の軍議を一時中断せざるを得ず、遠征計画の立案に無視できない支障が出た。


 この遅れが帝国にとって大きな打撃になるであろうことは多くの者が痛感していた。

 しかし不吉な帝国の未来を心に抱いても、それを言葉にすることはできない。


 無意味だからだ。

 彼らにはすでに前に進む以外の道は残されていないのだから。

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