第69話 帝国の食卓

 帝国最高の精鋭部隊である”血鳥団”の団長にして、領国である「ランヌ侯」の称号を持つ若き駿才グレボルト・カーマン。


 と、自ら吹聴して回るグレボルトの生活は、貴族に列され領地を得たことで傭兵時代とは比べ物にならないほど華やかなものとなった。


 侯爵館には毎日のように血鳥団の団員たちがまるでいきつけの飲み屋にでも通うかのように気安く訪れ、誰かが訪れれば宴が始まり、他の団員たちもどこからかやってきて、女たちが呼ばれ、いつも決まって深夜までの乱痴気騒ぎとなるのである。


「いいなあ、金があるっていいなあ。俺たち貧乏だったもんなあ」


 グレボルトは宴の度にそうやって涙を流し始める。グレボルトは酒を飲むと泣き出す、泣き上戸なのであった。


 こうなってしまうともうひたすら泣いて泣いて手がつけられなくなるので、血鳥団の部下たちはグレボルトが泣き出したら解散の合図とわきまえている。


「隊長……」


 団員たちはグレボルトのことを未だにこう呼ぶ者が多い。その度に「隊長と呼ぶな、ランヌ侯グレボルト様と呼べ」と叱られるのだが、大概の者は結局「隊長」と呼ぶに戻る。


 グレボルトは気前の良い領主となった。少なくともその配下の者たちにとって。


 とある恰幅の良い団員がこう嘆願した。


「隊長……熟女ハウスを……大陸中の熟女を集めた熟女ハウスを建ててほしいでごわす」


「お前いつもそればっか言ってんな。しょうがねえ、任せろ」


「隊長。すけべな本だけを集めた図書館を作りたい。”すけべライブラリー”さ。俺が選んだすけべな本だけを並べて、愛好家たちと議論したいんだ」


「てめえも変態か? まあいいだろう任せろ」


「隊長、それならアタシにはどこぞの貴族の男を紹介しておくれよ」


「いいけどてめえみてえなのが嫁ぐなら相当な賄賂を握らせなきゃ無理だぞ」


 と、終始このような調子であったためグレボルトが得た金はすぐに底をつきた。


 「あれほどあった金がもう無え……戦で稼がなきゃならねえな」


 そうグレボルトはぼやいたが、彼は子供時代に貴族の端くれであったにも関わらず、致命的な勘違いをしていた。


 戦とは、傭兵にとっては金を稼ぐ機会になり得ても、多くの貴族にとっては出費のかさむ不幸なイベントに過ぎないことを。



 ***


 帝国領”オーバーニュ侯”、ランドルフ・フォン・ブルフミュラーの食卓は、いささか奇異である。


 例えば先日彼の館にて催されたその宴は、グレボルト同様、女、女、女にまみれたものであった。


 その女たちとは全てランドルフの娘と孫たちである。娘が七人と孫が十一人。孫も全て女子であり、しかも皆男が見れば息を飲むほどの美人、美少女揃いである。


 無骨極まりないランドルフの遺伝子の一体何が突然変異を起こしたのかと思う者もいるが、ランドルフの妻であるエルザリーファ婦人の姿を見れば、皆「ああ、奥方の血のおかげか。神はさすがわかっておられる」と納得する。


 この日の宴は太陽がちょうど真上に昇った時刻に行われた。


 巨大な居間に大きな長テーブルが置かれ、ランドルフを上座にして両脇に娘や孫が並んで座る。そして奥方であるエルザリーファ婦人がその手料理を振る舞うというものだった。


 娘たちは家庭をもつ者がほとんどであるため、久々の家族集結に場は大盛りあがりとなるが、ランドルフは終始口数少なく、むしろ不機嫌そうな顔を浮かべる。そして料理を美味いと言うわけでも不味いと言うわけでもなくゆっくりと口へ運び続けるだけである。


 元々口数の少ないランドルフではあるが、こと自らの家庭内においてはさらに言葉が少なくなる。しかしそんな状態は皆もう見慣れているので誰も気に留めず宴は進む。それにランドルフが何も話さない方が、宴は華やかであった。


「あなた、二人が来たわよ」


 玄関の様子を見に行っていたエルザリーファ婦人がにこにことした笑みをたたえながらやってきた。


「……うむ、通せ」


 そうして宴に加わったのはランドルフ配下の将校であり、従士、そして副官ともいえる二人。ロドニーとマンヘイムである。


「親父、遅れてすまねえ!」


「将軍、誠に申し訳ありません。調練中の兵たちの中から意見の具申があったため聴取しておりました」


「……構わん」


「ほら、二人とも、こちらへ座って。今ご飯を持ってくるわね」


「ありがとうございます。奥方様」


 マンヘイムが丁重に礼を述べ、婦人に促された二人はこの宴の席へ着席する。


 男子のいないランドルフ一家から、彼ら二人は義理の息子のような扱いを受けているところがある。


 もちろんランドルフはそんなことを明言しない。職務の場では一切の私情も許さないほど二人に厳しく接することも多い。しかし実態として、こうして二人はよくプライベートな席に呼ばれた。


「ロドニーお兄ちゃん!」


 ランドルフの一番末の孫が椅子から降りてロドニーの元に駆け寄る。そして彼の眼帯をぐいぐいと引っ張りながら甘える。


「お! アンナちゃんは今日も元気……元気すぎるなあ!」


 それを見ていたマンヘイムが眉を潜めて、


「こらロドニー、将軍のご令孫に対して失礼だといつも言ってるだろう」


「別にいいだろ! なあ、親父い?」


 そのやり取りをその場にいるランドルフの娘たち、そして孫たち、エルザリーファ婦人が楽しげに笑う。


 そして、


「クス」


 誰にも気付かれないように、ランドルフもそう小さな笑いを口から漏らす。

 そしてそっと元のむすっとした表情に戻る。


 これがブルフミュラー家の食卓であった。



 ***


 皇帝の食卓は当初明るいものではなかった。


 帝国皇帝であるロイの元には数多くの臣下が会いにくる。

 挨拶、献策、ごますり、理由は様々であったが、とにかく皇帝は一人になる時間がほとんどない。


 それゆえ食事も当初は必ず誰かしらの面会希望者を入れて、お世辞やら国家情勢やらの話を耳にしながらとるのが常であった。


 しかしいつからかロイはそれをやめた。おべっかを聞き流しながらの食事はそれほどまでに彼を辟易させたのである。


 だがらといってアビゲイルと二人で食事をすることを、ロイは意図して避けている様子だった。


 アビゲイルは「ええ〜なんでえ?」と不満げな様子であったが、ロイはそれに答えなかった。


 アビゲイルと二人きりになるのを避けるために食事に度々呼ばれたのは、このような面々であった。


 ライル・ハンクシュタイン。ジュリアン・ダルシアク、そしてニコラ・ド・カルティエの三名である。これにアビゲイルを加えた四名が”皇帝の食卓”の日常だった。


 ニコラ・ド・カルティエは、先年に行われた対セラステレナ戦においてロイに降り、そして味方として勇戦したアミアン人部隊の指揮官、フランク・ド・カルティエの息子である。


 カルティエ将軍はあの戦いで戦死し、ニコラに兄弟はおらず、また母もすでに病で他界していたため、ロイはあれからこの天涯孤独となったカルティエの遺児の面倒を何かとみていた。


 ニコラは今年で十八歳になる少年である。

 勇敢な武人であった父とは異なり剣は苦手なようで、もっぱら書物を読み漁ってはロイやライルを恐れることもなく議論をふっかけることを好む少年だった。


 当然ロイにはからかわれ、ライルには軽くあしらわれるのだが、ライルは「確かにあの子は剣よりも政の方に才があるようです」とロイへ言ったことがある。


 しかし頭の回転は良いのだが不器用というか、対人関係を築くのが苦手なところがあり、歳の近い(といっても五つは離れているが)ジュリアンとすら感情むき出しの口論になることが多い。


 ニコラには自らの意見を決して曲げようとしない頑固なところがあり、それが誤りであったと気づいたとしても素直に訂正できず、皮肉めいたことを返す悪い癖があったのだ。そしてその傾向は相手の歳が近いほど強く表れる。


 心の内では反省し、どうにか己の体面を失わずに相手を認めたいという試みを実はしようとしていることをロイやライルは感じ取っている。


 しかしうまくできず、父であるフランク・ド・カルティエの息子に相応しい人物にならねばならないという気負いが、若さと混じり合って表にでているようであった。


 ニコラはある日の食事の席で立ち上がり、自らの立てた大陸征服計画、その軍事理論についてロイとライルに熱弁していた。


「ニコラ」


 そこでロイは食事を口に運ぶ手を止め、熱弁するニコラの口元を指差した。


「その計画を実現するに兵糧が足りないと思っていたら、お前の口元にいくらか付いているようだ。それを輜重計画に加えてはどうだろう」


「う……」


 ライルを始め皆から笑い声があがり、ニコラは思わず顔を赤面させ口を拭うと、着席した。


 するとライルがこう言葉をかける。


「焦る必要はないの。いつでも話を聞いてあげるから、また計画を修正できたら相談にきなさい」


「はい……」


 一方同席するジュリアン・ダルシアクは、やや複雑な心境である。

 こうしたロイやライルと共に彼は一緒になって笑う気持ちになれなかった。


 ニコラのことが本気で憎かったからではない。

 先年のセラステレナ戦での失態。敵の挑発に乗り陣形を乱し、危うく本陣壊滅となる危機を招いたこと。


 父の仇を結局この手で討てなかったこと。


 自分の至らなさに対する苛立ちと罪悪感が、時が経つほどに薄れるばかりか増大していく。


 そういった彼の感情に気づいている者は今は誰もいないようだった。


「ねえ、ロイ」


 十四歳になったアビゲイルが黒く美しい髪をなびかせロイの腕に抱きつき、膨らみ始めたその胸を押し当てながら言った。


「今度二人で、お散歩いかない? いつもお仕事ばかりでかまってくれないから……」


「……ああいいよ、アビー」


「ほんとお? やったあ!」


 喜びの声を上げるアビゲイルが再びロイに抱きつく。


 その様子をライルが何事かを思う目線で眺めている。


 これが皇帝の食卓であった。


  ***


「ようやく人事院の仕事から離れることになった」


 グレーナーが食事を口に運びながら、そう言った。


「これで少しは時間が作れるのかと思うかも知れないが、そうではない。私の仕事は外交と諜報こそが本領だ。よってこれからいよいよ忙しさを増すということになりそうなのだ」


 グレーナーは相手の顔を見ずに言う。


「……お前のことを思っていないわけではない。家に帰れないときはきちんと使いの者を出す。せめて食事は良いものを、と思っている」


 グレーナーは自らを納得させるかのように頷きながらそう言う。


「……だからまださびしい思いをさせてしまうかもしれないが、きちんとここ待っていてくれるな?」


 そこでグレーナーは初めて相手の顔を見てそう言った。


「ワン!」


 いつぞやに拾った犬(♀)がそう嬉しそうに返事をした。



  ***



 「全ては輝かしい日々だった」


 男はある飯屋で、そこの主人に対してぼやくように言った。


「美しき我が愛馬たち。それに跨って見る景色は、まるで神話の神々が住まう世界へとこの世が変わったかのようだった」


 男は目の前の肉料理をじっくりと噛みしめるように食べながら言う。主人は皿を拭きながら、やれやれといった様子で話を聞いている。


「しかし全ては失われた」


 男は突如皿の置かれたテーブルを拳で叩いた。


「アンドラモス……オリンピオス……我が最愛の馬たちよ……」


 男はそうやって泣き崩れ、テーブルに突っ伏した。

 店の主人はその男の様子を見てめんどくさそうに口を開いた。


「パウロスさんよ、そんなに馬が好きなら南に行けば良いんじゃねえか」


「……南? この帝国の南といえばナプスブルクとロッドミンスター。駄馬しかおらぬ不毛の地ではないか」


「違うよ、海を超えたイシュマールさ。あそこの馬はこの大陸のものより遥かにでかくて立派らしいぜ」


「そ、それは本当か?」


「ああ。一度商人がイシュマール産の馬を連れて歩いているのを見たことがある。大したもんだっだよ。やっぱ異国のもんは違うね」


 パウロスは電流が身体を走ったかのように立ち上がると、「こうしてはおれぬ。我が生きる道は見えた」と言って荷物をまとめだした。


「イシュマールへ行くんかい?」


「ああ。だがその前にロッドミンスターだ。親父、世話になったな」


「……ふ、良いってことよ」


 そしてパウロスは勘定をテーブルに置いて立ち去る間際にこう言った。


「ところでこの肉美味かったな。食べたことない感じだが、羊かなにかか?」


「いや、馬だよ。駄馬を潰したのさ」



 後に店主の変わり果てた姿が発見されたが、犯人は未だに捕まっておらず、帝国警邏隊は目下のところ捜索中である。

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