第66話 帝国人事院

 現在、帝国は陸軍を除いて深刻な人材不足にあることは先にも触れた。


 中でも地方や中央の政治に携わる官吏役人が圧倒的に不足しており、国の発展に対して実務レベルでの体制側の対応が追いついていない。


 だから例えば役場には連日臣民による長蛇の列ができ、諸手続きにまる一日かかる有様である。また、皇帝となったロイは臣民の収入や職業、住所、家族構成などを徹底的に調べ上げそれらをリスト化して保存することを要求しており、これに対応する下級役人たちは殺人的な忙しさに見舞われている。


 こうした問題を解決するために設立されたのが帝国の人材登用を統括する”帝国人事院”である。


 帝国人事院は国の政を担う役人などの官吏、いわば文官たちを採用するための専門機関であり、ライル・ハンクシュタインとグレーナー・グラウンが共同で責任者を務め組織を束ねていた。


 そしてこの二人こそがこの帝国内で激務と過労の頂点に君臨することは今は誰もが知っていることであり、一種の哀れみをもってみられていもいた。


 なにせグレーナーに関しては幽鬼と見間違われ危うく斬り殺されそうになる事件があったし、ライルに関しても”片足を引きずる女の物乞いが王宮をうろついていた”などと言われたことがある。実際には明け方に寝床を求めて彷徨っていただけなのであるが。


 しかし当の本人たちにはこの激務を放棄する気持ちは微塵もなかった。


 それは皇帝ロイの意図をこの二人がはっきりと見抜いていたからである。


 現在、皇帝ロイを頂点とする”帝国”には、”帝国宰相”の地位が明確に制定されている。帝国宰相は事実上皇帝に次ぐ権力を持つ臣下における最高位であり、帝国元帥に対してすら命令を発する権利を持つ。


 にもかかわらずロイはその宰相を建国から三年間未だに任命していない。


 その候補に挙がっているのがライル・ハンクシュタインとグレーナー・グラウン。この両名であることは誰の目から見ても明白であり、今回の帝国人事院の共同代表を二人が担っていることからも、一連の出来事は全て帝国宰相を決めるための試練であることは、ライルにもグレーナーにも容易に想像できた。


 この二人には権力を得たい理由があった。


 ライルはエッカルトという男をこの大陸のどこからか見つけ出し復讐をするという目的がある。家族の仇であり、己の女としての尊厳の全てを奪い取った宿敵への復讐である。そして片足の動かぬ女の身でこれを成すに圧倒的な力が必要であり、その力とは権力にほかならない。


 そのためにロイ・ロジャー・ブラッドフォードという男に目をつけ、自分の全てを差し出す代わりに権力を与えられることを願った。


 女としての身体を差し出すことで、と考えたこともあった。しかしそれはロイにあっさりと拒絶された。それだけでなく軽蔑の感情もロイから感じ取ったため、その時ライルは己を深く恥じた。この時の恥ずかしさ、浅ましいとすら感じた思いは彼女に強烈な反省を行わせるに十分だった。だから今はただ才においてのみこの皇帝を認めさせてみせるという決意をしている。


 一方グレーナーにも権力への渇望があった。

 彼が己の胸の内全てを他人に語ったことはない。ただ”無能に使われるのはもはや我慢ならない”と言っていたのを人が知っているのみである。

 したがってなぜ彼が帝国宰相の地位を欲しているのかは未だ彼のみぞ知る事であるが、その権力への執念はライルにも決して劣らぬものであることは働きぶりを見ればよくわかった。


 つまりこの二人はライバルなのである。


 帝国人事院が目下行っていることは、帝国領内から下級〜上級官吏を任せられる在野の士を発掘、登用することである。


 帝国人事院の採用政策は以下のとおりである。


 まず任官希望者たちは帝国領内の各役場(複数の村や町を束ねる”郡”以上の地域に必ず設置されている)にて、役人による採用一次選考を受ける。


 内容は己の出自、経歴、そして得意とする学問についての質疑応答、政策についての議論である。


 面接官である地方の官吏はここで一次選考を通過させる人物だと認めれば、任官希望者へ二次選考への案内を行う。


 二次選考は帝国内の中規模以上の都市で行われ、さらに上級の官吏による厳しい査問が行われる。過去に犯罪歴があるかどうかもチェックされ、そしてこれに合格することで、地方の下級役人ノンキャリを望む場合はここで採用活動終了となる。しかしさらに地方ではなく中央の高級官吏を本人が望んだ場合、晴れて帝都ブロケンガルドにある帝国人事院の門を叩くことを許される。


 ブロケンガルドの帝国人事院における最終選考は、並の者であれば足を踏み入れただけで息を呑むような場だった。率直に言って地獄とはこういった場のことであろう。


 まず、任官希望者が入室を許可され足を踏み入れると、正面には”帝国宰相候補”、あるいは”帝国頭脳の双璧”と呼ばれるライル・ハンクシュタイン卿とグレーナー・グラウン卿がテーブルを挟んで座っている。


 彼らは(寝不足だからなのだが)恐ろしい形相で入室してきた任官希望者を睨みつけ、座るよう命じる。


 そして任官希望者が恐る恐る椅子に腰掛けると、次はその両側から圧倒的なプレッシャーが襲ってくる。


 何故ならば彼らの両脇には帝国人事院に集められた他の文官や一部武官が、およそ数十人も列をなして任官希望者の両脇に座って品定めをするような目線を送ってくるのである。


 彼らには採用を左右する権限を持たされておらず、あくまで見学目的での参加なのであるが、中には帝国で名の知れた人物もおり、”帝国の白鬼”ことランドルフ騎兵将軍が任官希望者の真横にいたこともある。


 大抵の任官希望者はここでおしっこを少し漏らす。


 しかしそれでも厳しい二次選考までを勝ち上がり、さらに中央での栄達を夢見てきた者たちである。村一番の秀才、一族の誉れ、名族の御曹司、実業家の息子、いずれも己に揺るぎない自信を持ち、ここまでやってきた者たちなのだ。


 彼らは多くの帝国臣民が娯楽に溺れ享楽を楽しむ中、それらには目もくれず勉学に励み、政を議論し、己の知を磨いてきた野心家の群れである。


 彼らこそロイによるところの”第一カテゴリー”に属する人物たちであり、”知識人”インテリと呼ばれる者であった。


 彼らは選考の開始が告げられるとまず”挨拶”を始める。すなわちこれから自分が任官しようとする帝国の君主であるロイ・ロジャー・ブラッドフォードという人物について、彼がいかに大陸の歴史上稀なる英雄的存在であるかとか、はたまた神の生まれ変わりであるとか、伝説上の人物の再来だとか、その偉業や正統性を美しい言葉で大げさに褒め称えるのである。


 これを単なるおべっかだと軽蔑する者がいる。しかしそれは誤りである。


 彼らはこの”挨拶”をまるで詩を詠うかのように美しく、滞らせず流れるように、感情を大いに乗せて述べる。やってみればわかることだが、これは馬鹿にはできない芸当である。


 すなわち教養、礼法、機転、度胸、これらを己が備えていることを示すための行為というのがこの一見茶番に見える行為の本質なのであり、官吏の採用を受けるにあたり門前払いと判断されるかどうかの重要な行為だった。心で本当に思っているかは重要ではない。ここで美麗字句も満足に述べられない者はそもそもインテリである役人組織でその任を果たすには明らかに知力不足である。そう判断されて当然というのがこの世界の常識であり事実である。


 が、今回は事情がやや違った。


 彼らが仕えたいと望む主君に対して、これまでの伝統がそうであったように、どこぞの王様に対してそうするように褒め上げることが、ロイ・ロジャー・ブラッドフォードという男に対してだけは非常に難しかったのである。


 なぜかというと、美麗字句の常套として相手の出自の良さを褒め称えるというものがある。ああ、あなた様は千年続く栄光ある○○家の末裔にしてこの国を統べる正統な王でございます、といった風に。しかしロイは元奴隷である。


 だからある任官希望者はそこには触れず、「これまでの人々の世に悲しみを抱いた天がこの大陸に遣わした高貴なる神の御使いこそブラッドフォード皇帝陛下でございましょう」と言ったことがある。


 しかしグレーナーがすかさず、「いやあのお方は元奴隷であるし、その前はどこの誰だかよくわかっていないゆえ高貴には程遠い出自だと考えられる。精神の高潔について言っているのであってもそれも間違いで、あのお方はその政治を見て分かる通り極めて現実主義的な人物。それゆえ清濁併せ持ち現実に即してそれらを使いこなすというのが常で、恐れながら陛下は高潔な聖人とは異なる人といえる。それに特定の神を信奉していないしどの宗教にも属さない。そもそも天からの使いが金で国を買って国家を乗っ取るようなことをするはずがない。だから神の御使いということもないだろう」と言うと、任官希望者は次の言葉に詰まって苦笑いと冷や汗を浮かべた。


 出自が駄目なら英雄的な実績を称えるという手がある。そう、例えば先年セラステレナとの戦いでの功績だ。敵将ヨハン・クリフトアスをその奇策をもって見事に誘い出し野戦にて撃滅した知略こそ、この大陸の新たな英雄に相応しい偉業であります。


 そう言った任官希望者に対してはライルが、「いえ、あれは私が陛下に献策したものですので、私の実績です。そもそも陛下は戦についてはあまり得手ではあらせられない」とピシャリと言ってしまったため、この任官希望者は大いに困惑し、「おお、ではハンクシュタイン様こそ救国の英雄であり、その主である皇帝陛下はまるで雲上の……うんぬんかんぬん」と迷走しはじめたことを言い出して周囲の苦笑を買った。


 ならば内政だ。優れた内政手腕こそ皇帝陛下の常人ならざるところであり、例えば「皇帝のパンとサーカス」政策こそ帝国を繁栄に導く新たな時代の奇跡の政策であると称賛した者がいたが、これに対してはライルとグレーナーが「正気か!?」と身を乗り出して問い返した逸話がある。


「あの政策は民の貯蓄を強引に絞り出させることで新興の我が帝国がその当座の運営資金を得るという苦肉の策であり、あんなことを十年も続ければ中産階級である者たちですら貧民同様に貧しくなる。つまり目先の金を得る代わりに将来の衰退を確実に招くのは避けられない。しかしそれでも我が帝国を取り囲む現在の情勢においてはやむなしという判断で行ったものだ。そもそも金とは知恵、労力、勤勉が生み出す産物。したがって快楽漬けにされ堕落した民衆がいずれ金を生み出すことができなくなるのは自明の理。それを国家の新たな時代を開く妙策などと……」


 と、帝国頭脳の双璧と言われた二人からそろって反論を浴びることになりその任官希望者はクソを漏らして泣きながら自宅に帰る、ということもあった。


 一見するともはや合格することなどありえないほどの厳しい選考に見える。


 事実他国に比べても非常に厳しい選考ではあるのだが、”挨拶”の段階で蹴落とされる者には、明らかな下調べの不足か考察の甘さ、または想像力の欠如が目立った。地方の下級役人としてはそれで問題なくとも、ライルやグレーナー直下の腹心、もしくは大勢の役人を率いる高級官僚としては実力不足と言わざるを得ない。


 ちなみにこの最終選考の合格条件は、ライルかグレーナー、どちらかが合格と判断することである。この場合皇帝であるロイの裁可は必要なく採用となる。


 ライルとグレーナーは先にも言ったように権力を欲している。

 そしてその権力はどうやって得られるものなのかもよく理解している。

 すなわち権力を得るためには一人ではいけない、徒党を組む必要があるということを知っている。


 派閥。帝国内で権力を掌握するためにはライルもグレーナーも己の派閥を作り上げる必要がある。


 そしてその構成員は無能であってはならず、かつ忠実である必要がある。同時に、そのような人物を他の派閥に渡すわけにはいかない。


 そういった思惑もあっての人事院なのだが、ライルもグレーナーもいざ対面で任官希望者と向き合うと、つい一個人として相手と向きあってしまい、結果無能ではないにしろ上級官吏としては派閥関係なくふさわしくないという人物は拒絶するようになっていた。

 それに二人ともまだ己よりも未熟な者に対しての寛容さを持ち合わせておらず、そういった者を目の前にしたときはいかなる打算よりも感情を優先させて嫌悪し、己の優越を確かめてしまう若さがあったのだ。


 このあたりもロイは二人の性格をよく読んだ上であえて任せていたのだが、それを裏で感づいているからこそライルとグレーナーも苛立ちながら、しかしやむを得ず人事院の仕事を続けているという状況であった。


 ただそれでもライルとグレーナーがはっきりと自覚していることがある。


 それはこの出世競争で敗れれば、残った政敵は無事に生きてはいられないだろうということだった。

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