第65話 繁栄の帝国

 こうした順調な軍拡だけでなく試験兵器への投資までできるようになった背景にはきちんと理由があった。


 それはかつてなく順調な経済状況である。


 ロイが行った政策の一つに、臣民から「皇帝のパンとサーカス」と呼ばれるものがある。


”帝国臣民は飢えない”


 そう書かれた立て札が領国のいたるところに立てられると、特定の人間を対象にした食料の無料配給が始まったのである。


 特定の人間とは貧民である。これまで”貧民”とはあくまでお金をあまり持たない人々を例えて表現する言葉に過ぎなかったが、ロイは臣民一人一人の職業、収入、借金の有無と額などを役人に調査させ、その上で明確な基準を設け、その基準に合致する者を”貧民”にした。


 この場合の”貧民”とは以前までの例えではなく、この帝国内での臣民のカテゴリー、すなわち制度上明確に定められたある種の階級であり最下層の者の定義である。


 こうした”貧民”は月に一度それぞれの村や町、都市の役場へ行き食料の配給を受けるための紙券を受け取る。そしてそれを使うことで一日二食まで無料で食料の配給を受けることができる。


 もちろん役人が直接食べ物を配っては飯屋を潰すことになりかねないので、”貧民”は飯屋にいき、大概の店で用意されるようになった貧民用の質素な飯の提供を受ける。店は受け取った食券を月に一度役場へ持っていき金に替えるというシステムだった。


 貧民は他の臣民に認められているいくつかの権利を制限される代わりに飢えから解放された。彼らは差別の対象とされることもままあったが行き倒れることもなく、また貧民同士で恋をすることも、家庭を持つこともできた。


 そして条件を満たし貧民の基準に合致しなくなれば本人の意志に関わらず再び一般臣民に戻るのである。


 これにより帝国内から餓死者が消えた。


 同時に生活のための窃盗も大幅に減り、治安も向上する結果を生み出した。


 しかし当然このような政策には莫大な費用がかかる。それを補ったのが「皇帝のサーカス」の部分である。


 帝都ブロケンガルドをはじめ、帝国内の中規模以上の都市の殆どで大量に建造されたのは以下の施設群である。


・売春宿(女が男を買うこともできるし、男が男を買うこともできる。全ての性欲に完璧に対応する。”帝国臣民は性欲に飢えない”がキャッチコピー)


・これまで人を堕落させると禁忌されていた薬物と酒を楽しむ酒場


・当選すると一年間に限りその領内で酒池肉林の日々をおくれる夢の国へ入場できるくじ引きの販売所


・千個に一つ大金の入っている宝箱の販売所


・犯罪者同士に拳闘をさせる公営賭博場


・犯罪者の女(元貴族か富裕層)を見世物にする小屋(成人のみしか入ることができない)



聖女崇拝アイドル。若く人気のある劇団員をまるで聖女のように信奉する者たちを政府主導でまず作り、その様子や噂を流布する。次にこれらが本当の流行であるかのように錯覚し熱中する者たちが発生してきたら、運があれば聖女に実際に会える機会を多額の金で売る。聖女は一度目は右脚を見せてくれ、二度目は左胸、十回通うと全身を見せながら微笑んでくれる。同じ手法を物品や料理屋などにも幅広く展開していく。




 つまりは娯楽。それも刹那的で常習したくなる快楽を得られるものか、あるいは途方もなく非現実的な世界へ行くことのできる夢を買う娯楽で帝国を埋め尽くしたのである。


 帝国のごく普通の人々はこれらの娯楽を大いに楽しみ、そして金をつぎ込んだ。なにせそれまでの彼らにとって娯楽とはちょっとした街の催し物や行きつけの店での愚痴の言い合いくらいのものだったのだ。特にアミアン王国は道徳に厳しく売春宿ですらそこに通うのは汚らわしい者がすることだとされてきた。それが女に薬に他人の流血、そして一発逆転人生。それを手に入れろと国が大手を振って手招きするのである。


 彼らは嬉々として日々の労働をし、その日得た賃金から食い物を買う金を除いた多くをこれらの娯楽につぎ込むようになった。


 しかし”貧民”階級の者たちは決してこれらの施設を利用することができないよう固く禁じられている。これは実に巧妙な効果を生み出した。


 彼らは一日に二度の配給食に満足せず、いずれは自分も酒と女の日々をと目指して職能を得ようと努力した。そうして彼らはそう遠くないうちに技能を身につけ、それなりの収入を手にし、貧民である第三カテゴリーから離れていくのである。

 全ては見上げればすぐそこにある快楽に満ちた人々と同じ生活をするためであり、そこへの道は明確に示されているからであった。

 この帝国における身分は、生まれや慣習ではなく、職と金なのである。


 だから貧民である者も職能を得さえすれば、上の階級へ上り繁栄に満ちた生活を享受できるのだ。


 ロイはこうした貧民たちが目指す次のステージ、刹那的快楽を繰り返す生活をおくる人々を第二カテゴリーである”消費者”と名付けて呼んだ。消費者とは帝国における実質的な中産階級であるが、他国における中産階級と帝国における”消費者”とは決定的な違いがあった。


 それは貯蓄の有無である。大陸の他の国家における中流家庭では、成人すれば少しずつ資産を作り、やがてそれなりの額の貯蓄となって老境に達し、小さな土地と共にそれを子に遺し受け継いでいく。


 しかし帝国の消費者たちは違う。十分な収入を得、食べ物もそれなりのものを食いつつ、ほとんどの貯蓄を作らずにその日の快楽を求めて金を使って回った。そしてその莫大な金は最終的に帝国の国庫に吸い上げられる形となっているのである。


 おかげで帝国の財政状況はナプスブルク時代の比ではないほど潤沢であった。


 しかしこの政策の妙はそこではない。この政治がおそらく他の国のどの王のものより優れていて残酷であることの本質は、巻き上げる金の規模ではない。


 民に搾取を感じさせないことこそがこの政策の肝である。


 本来、税率を上げようものならその度に反発を受け、悪くすれば反乱のもとにもなりかねない事態となる。それほど税とは繊細に扱わなければならないものであるのが常である。


 しかしこの政策は違う。貯蓄すらままならないほどの搾取を行っておきながら民が憎むのはくじ引き屋の主人や賭博場の主に対してがせいぜいで、国家は恨まれる危険がないのである。何故ならばその金は民が自ら望んで差し出したものだからだ。例えそれが巧妙に心理をついた一種の扇動であったとしても。


 だからむしろこの状態を繁栄、我が世の春と捉えている者もいるほどで、その享楽の様子はそれを見る他国人すら帝国の熱にあてられたかのように、皆一様にこの帝国をこう表現する。


「飢える民がおらず、皆が喜びの声をあげ、旧態を捨て去り繁栄を極めんとする新たなる時代の国家」


 ロイはそれらの声が聞こえてくる度に、眉をひそめ心の中で暗く毒づくのであった。


 ロイのこれらの政策は、倫理的に大きく逸脱している。


 この時代の倫理とはすなわち宗教である。


 下民から貴族に至るまで何らかの神を信奉し、その教えを規則とし、道徳としている。それがこの大陸世界の常識である。


 そして宗教の種類は国により民族により数あれど、ロイの行った政策を倫理的によしとする宗教は間違いなくこの大陸には存在しなかった。


 そのためこの新興の帝国の皇帝が行った所業は、虐殺よりも罪深いものだと糾弾する者も少なくない。


 だがこの帝国において国教などというものは存在せず、王に助言をし、教えに従わせる代わりにその正統性を担保する司祭などいようはずもなく、それを現実的に止められる者はいなかった。


 いたとしても、ロイは耳を貸さなかっただろう。


 何故ならロイは理解しているからだ。


 この世に神はおらず、倫理は夢想である。だからこそ今自分の側に悪魔がいるのだと。


 神など存在しないが悪魔はいつだって私の隣にいるよ。それは愛しい娘の全てを奪っている。


 だからこいつを殺すために、私はなんだってする。例え世界が地獄になろうとも。



 ともあれそうして帝国は、いびつな輝きを放ちながら紛れもない大国へと変貌したのである。


 そしてこれは皇帝の思惑通りであった。


 だからこそ、次の”第一カテゴリー”の人間が生まれるのだ。

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