第62話 ボルドー沖海戦


「なあまさか、これもあんたの策、とかいうわけじゃないよな?」


 ウルフレッドは呆然と開けていた口をようやく動かして隣のロイにそう尋ねた。


 ロイは目の前で起こり始めた大海戦を凝視しながらこう答えた。


「……君は私をいったいなんだと思ってるんだ?」


「そりゃ、悪知恵でいうなら大陸に並ぶ者のいない……」


「分別くらいはあるつもりだ。おい誰か! あいつらを止めろ!」


 そんなロイの叫び声を軍艦の砲撃がかき消した。



 ***


「全艦、砲撃開始!」


 アンクタン提督が配下に向かい号令する。


「提督! すでに開始しておりますが!」


「じゃっかあしい! 当てる気で撃ち始めろってことだ!」


 帝国艦隊は旗艦ブレスラウを筆頭に一斉に実弾砲撃を再開した。

 狙いはロッドミンスター艦隊の先頭をいく旗艦ロイヤルオーク、及び二番艦のグレデス・バリーである。


 水兵たちはこれは訓練なのだと何度も頭の中で思うたび、「本当に訓練なのか?」と疑問に悩まされた。


 その度に提督の怒号と、その提督の気質を見事に受け継いだ昔ながらの下士官らの怒声によって、どうやらとにかく手を動かさなくてはひどい目に合うことだけは間違いないと理解し、砲弾を込めては撃ち出し、砲身を掻き出して灰を取り除いてからまた弾を込めるという作業をただ繰り返した。


 この時代の砲の精度はお世辞にも高いとはいえない。さらに波によって狙いが狂い続ける海上で、砲手のほとんどが新兵であるとなれば当てるのは至難である。

 事実最初の命中弾はまぐれであり、帝国海軍が撃ち出した砲弾はロッドミンスター海軍艦艇の十数メートル付近に水しぶきを上げ続けるだけだった。


 しかしその様子をロベストール・メラン提督は「侮辱的挑発行為」と捉えた。


 そして旗艦ロイヤルオークは目下火災の鎮火作業の真っ最中であり、甲板上は混乱を極めている。


 その様子を眺めながらメランがつぶやいた一言を、彼に長年仕えている配下がはっきりと耳にした。


 それはいつも冷静、かつ余裕と気品を第一とするメランから聞いたこともない一言であった。


「……野郎、ぶっ殺してやる」


 メランの配下はただ震え上がって自らの司令官を凝視した。


 そんなメランの怒りを代弁するかののようにして、ロッドミンスター艦隊の片舷に備え付けられた各砲が一斉に火を吹く。


 一等戦列艦グレデス・バリーが放った砲弾が、帝国海軍三等戦列艦デッサウの船首を吹き飛ばした。デッサウは艦のコントロールを失い、戦列から外れ始める。


 そしてその後ろにいた三等戦列艦ニンフェーはデッサウの様子に驚き、急速に転舵をしてしまうミスをおかした。


 これによってそのさらに後続のアリアドネとデルラントにも混乱が伝播し、やっとのことで成立していた単縦陣ももはや酔っ払った蛇のようなひどい有様に陥った。


 そんな中で俄然元気であったのは、対セラステレナ戦の生き残りが多く乗艦する二等戦列艦ライプツィヒと、旗艦ブレスラウである。


 陣形最後列にいたライプツィヒは僚艦の無様な様子など気にもとめないかのように猛然と速度を上げ、全ての僚艦を追い越してブレスラウの後方についた。


「やはり頼りになるのはあいつらだけだ」


 アンクタンが言った「あいつら」とは、旧アミアン王国時代から自らに付き従う配下たちのことである。彼らだけは操船もおぼつかない新兵とは別で、長年提督と寝食を共にしした精鋭である。この古参兵たちはアンタクタンと共に過ごすうちにいつの間にかこの漁師のような男の性格が乗り移ったかのような者ばかりで、初めての訓練、そして突発的な衝突に尻込みする新兵を怒鳴りあげ、ケツを蹴り上げて任務に就かせている。


 旗艦ブレスラウ及びライプチィ匕の二艦は砲撃をしながら猛然と速度を上げて、ロイヤルオークとグレデス・バリーへ接近していく。


 メランは鎮火作業の終わったロイヤルオークの甲板でその様子を眺めていた。そして相手の意図を読み取ったようで、大きな舌打ちをしたあと「いいだろう。後悔させてやる」とつぶやく。


 そして麾下へ命じ、艦隊を動かした。


 命じられたのはロイヤルオークとグレデス・バリーを除いた各艦、すなわち二等戦列艦アルデバランを中心とした二等〜三等戦列艦たちである。


 これらが標的にしたのは帝国海軍旗艦ブレスラウと、同じく二等戦列艦ライプチィヒ以外の帝国各艦である。


 この二艦以外の艦は操艦もままならない新米水兵や士官によって大きく出遅れていたが、それでも旗艦に追いつこうと必死に追いすがろうとしていた。


 アルデバランらの狙いはこれらがブレスラウの元へたどり着かぬよう、阻止砲火を行うことだった。


 アルデバラン以下の各艦の砲撃は、妙技と言っていいものだった。


 というのも、艦隊司令であるメランは珍しく頭に血が昇ってはいたが、さすがにそれでも両国の君主が観戦している中、相手艦隊を沈没させるようなことはするわけにはいかないと、当然ではあるがわきまえている。配下の各艦長たちもその意図をよく汲み取っており、アルデバランらの砲撃は相手艦隊への”脅し”として絶妙な至近弾を繰り出していたのであった。


 そのためアリアドネやニンフェーといった帝国艦隊後続はますますパニックに陥り、先頭をいくブレスラウとライプツィヒを孤立させる形となった。


 そしてそれこそがメランの狙いであり、”これで邪魔者はおるまい”と、眼前のブレスラウに座乗するアンクタン提督に向かって無言で語りかけた。



 上等だこの野郎。

 ブレスラウの船首で立ち上がりそう叫び声を上げたのはジャン・ジャック・アンクタン提督である。顔には青筋がまるで網のように浮き出ている。


「こっちが二等戦列艦だからってなめてやがるな? まあこっちの装甲戦艦は前の戦いで沈んじまったからなあ。ああ栄えあるアミアン海軍旗艦リヨネースよぉ」


「提督がリヨネース単艦で敵艦隊のど真ん中に突っ込ませましたからね。あれはもう沈んで当たり前というか、無事にこうして生還できたのが奇跡というか」


 副長がため息を吐きながらそう言った。


「じゃっかあしい! おかげで敵を四隻撃沈できたじゃねえか。戦ってのは勘定なんだよ。殺られるより多く殺った方が勝ちだ」


「……では提督。こちらは二隻、相手もどうやら二隻。どうしますか」


「決まってる。全艦突撃。こっちが沈められる前に敵の横腹に接舷。斬り込んで皆殺しだ」


 二等戦列艦が一等戦列艦に砲撃戦で勝つのは不可能(というか当てては非常にまずいことになる)。となれば速度の利を活かして肉薄、そして白兵戦。


 なんだかんだ間違っちゃいないんだよなあ。


 副長は再びため息をつきながらそう思った。


 皆殺しはまずいんだけどなあ。


 そうも思ったが、今さらどうにか制御できる指揮官でもないし、まあなるがままさと副長は青い空を眺めた。

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