第60話 海軍演習②

 両艦隊はボルドー沖に展開し、睨み合った。

 演習であるので、両国海軍の間にはきちんとした取り決めがある。


 まずは艦隊機動の訓練を目的とした演習。

 そして空砲を使った砲撃演習。空砲であるので、兵を音に慣らせるということや装填の演習という目的もありつつパフォーマンス的な意味合いもある。

 最後に相手艦へ接舷し、白兵戦演習である。この場合接舷は双方の艦体をなるべく破損させないよう留意し、白兵戦は木剣などを用いて行う。


 ロッドミンスター海軍司令官のメラン提督はその長身と鋭い眼光を目の前の”敵艦隊”へ向け、口元を歪ませた。


「やれやれ、どうやらあちらは操艦もおぼつかないような素人ばかりのようだ」


 前方の帝国艦隊は旗艦を先頭に縦一列となる単縦陣をとって向かってきているが、速度が統一できておらず各艦ごとの間隔がまばら、というより旗艦の反応に僚艦がまったくついてこれていない。


「こちらも単縦陣で反航戦の形をとる。その後は接舷し白兵戦だ。格の違いを見せてやれ」


 メランの指示に配下の兵たちが一斉に動き、直ちに旗艦のマストへ信号旗が掲げられると、僚艦たちは規律だった操艦で旗艦ロイヤルオークに追従し始める。


 双方の練度の差は誰が見ても明らかで、その様子は陸地から眺めているロイにもよく見えている。


 隣にいるウルフレッドが無言でロイの横顔を見つめる。その表情には「あんたに恥をかかせることになりそうだ」と、そう書いてあった。


 しかしロイはそのウルフレッドの気持ちを感じ取りながらも、あえて何も答えないでいた。


 さて、演習の様子である。


 メランはまず砲戦を指示した。無論実弾は使わず薬室に火薬を積めて点火するだけの空砲である。


 しかしこの動作であっても練度が低い者が混じれば時として大事故を引き起こすことになる。そしてロッドミンスターの海兵たちは完璧な動きでそれを遂げた。


 旗艦ロイヤルオークが最初の号砲を放つと、僚艦がそれに続く。砲から次々と吐き出される白煙が規則正しく、美しさすらあった。


 そのあたりは提督であるメランの美学、こだわりによるところでもある。


 このロッドミンスター貴族の男は、生来の貴人ではない。

 三代前では海賊の頭領として南方の海を荒らし回っていた一族の末裔であり、それが商人となってロッドミンスター王家に仕えるようになった。


 軍の指揮以上に南方諸島の諸民族との知己や他大陸との交易、情報について通じていたためメランの祖父や父は、ウルフレッドの父である先王に重宝されたのだった。


 メランはそういった祖父や父を毛嫌いしている。

 粗野な言動、卑しい身分。醜悪。それがおぞましいほどに嫌いだった。

 メランはよく知っている。海賊や商人といった祖父や父がいかに小心であり、いかに醜く、いかに浅ましい男であったかを。


 だから自分は常に美しく優雅であろうとし続けてきた。そのためであればいかなる学びにも努力は惜しまず、危険も厭わない。しくじれば死などという場面には何度も乗り越えたきた。文字通り全てをかけてきたのだ。そのためであれば主君を裏切ることなど些事に過ぎない。己が美しく生きるためには他者に依存しては決してならないことを知っているから。


 潔癖とも言われることがある。それでもそのやり方を押し通す。そのための知恵と胆力が己にはある。


 であるからこそ今メランは苛立っている。目の前の醜悪な艦隊の姿に。


「アミアンの田舎者め。宗主国を名乗るというのなら、その資格を問わせてもらおう。全艦、進め」


 メランが進撃の号令を下したそのとき、ようやく”帝国海軍”の各艦が砲を撃ち出してきた。


 てんでばらばらの号砲。斉射という概念すら知らないと見える。まったく、呆れ果てたものだ。


 メランがそう嘲笑しようとして、口髭に手を当てたその時だった。


 海面に次々と水柱が立ったのである。


「実弾……だと!?」


 メランはそう声を出して、すぐに己を恥じた。そのような姿を部下に見せるべきではなかった。


「提督! 撃ってきました! 帝国艦隊の奴ら、撃ってきましたあ!」


 兵が慌てて叫んだその言葉はそのままメランの心中を代弁していた。


 言われなくともわかっているぞ、なぜだ。馬鹿なのか? 帝国艦隊の指揮官、アンクトンという田舎者は何を考えている。もし当たりでもしたら──。


 メランが思わず歯を食いしばったそのとき、足元に衝撃が走った。


 そして旗艦ロイヤルオークに火柱が上がったのだ。


 つまり、帝国艦隊の放った実弾がメランの座乗するロッドミンスター海軍旗艦ロイヤルオークに直撃したのである。

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