第54話 建国の誓い

 その日、ナプスブルク城の王の間──現在は摂政たるロイが国内外の要人と謁見するための場となっている──でロイはどこかうわの空で外から差し込む光を眺めていた。


 かつて王の椅子があったそこには、今は摂政のための小さく質素な椅子があるのみである。ロイが命じてそうさせた。


 セラステレナとの戦いが一段落し、ロイは他者から見れば勝利の栄光の余韻に浸る君主として見えるだろう。


 実際はロイの頭の中ではセラステレナへの戦勝のことなど、とうに消え失せている。


 こうして椅子に腰掛け、自分はここにいるのだぞと周囲に示す。


 自分を訪ねる者たちは怖れと尊敬のこもった視線を向けてくる。


 自分はそういった人々に対し、一言二言言葉を投げかける。すると全てが動き出す。


 下級の官吏たちも以前とは比べ物にならないほど練達してきている。いや、皆この状況に慣れてきているのだ。


 打つべき手は打った。全てはここから始まるのだ。


 その時、王の間の外が騒がしくなった。


 扉越しに衛兵が叫ぶ声が聞こえる。それを押さえつけるような怒号。荒々しい足音。


 まもなく王の間の扉が激しい音を立てて開け放たれた。


「逆賊ロイ・ロジャー・ブラッドフォード! そこを動くな!」


 踏み込んできた兵士の一人がロイに向かってそう叫んだ。そして次々と武装した兵たちが王の間になだれ込み、玉座に座るロイを取り囲んだ。


 兵士たちは手にした剣をロイに向ける。


 ロイは抵抗しなかった。静かにその様子を眺めているだけである。


 兵士たちの後ろから三名の人物が現れた。


 筆頭政務官 マルクス・フォン・ラーケン。


 ナプスブルク軍参謀 グレーナー・グラウン。


 そして……ナプスブルク軍将軍 ランドルフ・フォン・ブルフミュラーであった。


 彼らは王の間に歩みを進めると、ロイを一瞥した。そしてそのまま玉座への道の脇へ整列すると、背後から続く一人の人物へと目線を移した。


「これは、陛下」


 ロイがそう言ってにやりと笑った。最後に王の間へ入ってきたのは他ならぬナプスブルク国王にして王の間の本来の主である国王アルノー二世その人だったのだ。


「少しお会いせぬ間にだいぶお疲れのご様子」


 ロイが言うと、すかさずマルクスが「無礼者! 言葉を慎まぬか!」と怒鳴り声を上げた。


 摂政ロイに最も媚を売っていたこの男の変貌ぶりは滑稽という他ないものであったが、それがこの場において何が起こっているのかをわかりやすく説明する役割を果たしていた。


 アルノー二世は心労から少しやつれた顔をしていたが、それを精一杯尊大にしてみせ、両脇を武装した兵士に守らせながらゆっくりとロイの前に歩み出た。

 そして重々しくこう述べた。


「摂政ロイ・ロジャー・ブラッドフォードよ。お前は自分の罪を自覚しているか」


 ロイは「はて」というように首をかしげて見せた。


「わからぬというのなら自覚させてやる。お前は我が王国を簒奪し、破滅に向かわせようとしている」


「陛下、それはあらぬ嫌疑です。私は摂政として与えられた国権を行使しているに過ぎません。そう、契約によって陛下からお借りした権利。すなわちこの国の政を行う全ての権利です」


「黙れ。誰が宿敵であるロッドミンスターと手を結んで良いと言った。誰がセラステレナと、我が娘たちが嫁いだあの国と争って良いと言った。娘たちに何かあれば……」


「陛下、ご心配にはお呼びません。国家の全件を国王ではなく私が握っている以上、姫君らには人質としての価値も処刑して国内の志気を上げる生贄としての価値もありません。あるとすれば、そう、例えばこのように陛下を不安に駆らせて凶行に手を染めさせるといった、そういうことならばセラステレナは考えるかもしれません。妾も同様の姫君たちの利用方法としてです」


「黙れ黙れ、この無礼者。その不遜な態度を初めから許すべきではなかった。やはり下賤な者が行うことは争いと破滅でしかなかったのだ」


「私は王国の未来を思って事を行っています。事実死に体だった国内の産業は息を取り戻し、東方ではボルドー山を掘り抜いた鉱夫たちが港町を作りつつあります。同盟国のフィアットとは公正な貿易が行われ、枯れかけていた国庫には富が戻ろうとしているではありませんか」


「それらは全てお前の欲望を満たすための行為だ」


「はて、それらの富を私が私利私欲のために使っていると。そうですな、確かにこの前子供部屋を一つ改装させました。娘があまりに強く望むので職人たちにそうさせたのです。陛下、私が国費を使って個人的な何かをしたとすれば、せいぜいその程度です」


 アルノー二世の顔は怒りと屈辱に満ち、赤黒くなっていた。

 そして彼は論戦はここまでだと示すように、こう叫んだ。


「簒奪者ロイ・ロジャー・ブラッドフォードへ命ずる! 国権を全て予に返上せよ! そして獄を抱き、裁きを受けるのだ」


 王の叫びに呼応するように、玉座を取り囲んだ兵士たちが剣をロイの肌すれすれに突きつけた。


 するとロイは両手を上げて抵抗する意思がないことを示して見せる。静かに目を閉じ、口元に笑みをたたえて。


 やがてロイは口を開き、静かにこう言った。


「……わかりました」


「……何? 今、なんと言った」


「国権を陛下にお返しいたします。そう言ったのです」


 アルノー二世はその答えに思わず絶句して立ち尽くした。自らの要求がこうもあっさりと受け入れられることは完全な予想外だったからだ。


 ロイはそれを気にもとめずに言葉を続ける。


「そうだ、本物の玉座もお返しせねば。おい、あれをここへ」


 ロイがそう声を上げると、王の間の中へ三人の人物が現れた。すなわち、軍師ライル、ロイの副官であり従者のランゲ、そして傭兵隊長改め将軍グレボルトの三名である。


 グレボルトが重そうに抱えるそれを見て、国王アルノー二世は驚愕した。


「それは……私の」


 国王にとっては見間違えようのない品物。それは確かにロイから買い取り、居城であるカーデン城にあったナプスブルク王の椅子であったのだ。


「グレボルト、小汚く目障りな私の椅子をどけ、その真なる王の椅子を相応しき場所へ置いて差し上げろ」


「なんで俺が……」


 グレボルトがぶつぶつと文句を言いながら、王の椅子をこの王国の主に相応しい玉座がある所へ置く。


 アルノー二世は事態がまるで理解できないという様子で言う。


「私の城にあったはずだ、それが、なぜ……」


 ライル、ランゲ、グレボルトの三人は、玉座への道を挟んでランドルフやグレーナーと相対するように整列した。


 そして彼らは静かに主君の言葉を待った。


 やがてロイは場にいる全員を見回してから言った。


「今日、この日より私はナプスブルクの摂政をやめる」


 そして次の言葉はこの大陸の歴史に永遠に残る宣言となった。



「私は新たなる国家の建国をここに宣言する。それは旧アミアン王国領を直轄地として、ナプスブルク王国、ロッドミンスター王国、フィアット王国の三人の王と三つの国を傘下におさめた大国家。すなわち”帝国”の建国である」

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