第50話 来訪者

 旧アミアン王国の都、アミュール城は労せずしてナプスブルク軍の手中に落ちた。


 実質的なアミアン総督であったクリフトアスが捕虜になり処刑された(と認識された)ため、セラステレナの敗残兵たちは統率を失いアミュール城を放棄し、北に逃れた。


 クリフトアスに合流すべく進軍していたセラステレナ教皇率いる増援軍は、敗走してくる味方と国境付近でばったりと出くわす形になった。


 味方の無様に教皇は激怒し、「余の軍勢を以てナプスブルク王都を征するまで本国に帰還せぬ」とまで言ったが、側近たちの説得によって断念し、北方のセラステレナ本国へ引き返した。


 実際のところセラステレナ本国も国内や周辺諸国への警戒を怠るわけにもいかず、長期間国元を不在にして戦をすることは彼らにはできなかった。


 勝利の勢いに湧いたナプスブルク軍、フィアット軍、および蜂起したアミアン人が相手となれば戦いが長期化することは明白であり、そのような状況はセラステレナ本国としても避けたい。


 だから教皇は側近らが制止するの見越した上で、たとえ本国軍だけでも敵を成敗するという強硬姿勢を示し、臣下の忠言を容れるという形を演じて、国家元首としての威厳を保ちつつこれ以上の損耗を戦略的に回避したのであった。


 とはいえ、属領である旧アミアン王国領の全てを失陥したことは紛れもない大打撃であり、教皇の権威にも多大な影響は避けられない事態であった。


 事態を重く見たセラステレナ教皇は、国外へ使者を放った。

 すなわち大陸北方諸国に対して、ナプスブルク征伐連合結成の呼びかけである。


 この呼びかけを各国の代表たちは鼻で笑った。なぜ我々がセラステレナの悩みに兵を出さねばならないのかと。

 しかしただ一人それに応えた者がいた。


 大陸の最北西に位置する小国、ヤオメン共和国議会議長、アイザック・アディンセルのみが教皇の求めに応じた。


 アイザックは招集した本人である教皇すらも驚くほど迅速にセラステレナ本国の主城へと参上し、唖然とする教皇に拝礼した。


「アイザック・アディンセルと申します! 教皇猊下」


「……驚くほど若いな。ヤオメン共和国の新しい議長がこれほどの若者だとは」


「若輩者ゆえ、皆に指導を乞いながら何とかやっております」


「貴国は人民に選ばれた人民が国を治めているのだったな。なるほど、”太陽の子”などと言われているその理由も、貴君とこうしてあえばわかる気もする」


「ただ明るさが取り柄というだけです。そのように呼ばれますと、恥ずかしいばかりです」


 そう言ってアイザックは白く綺麗な歯を覗かせて笑った。


 ──この男は。


 教皇は目の前で無邪気とも取れる笑顔を見せる青年を見て、おぞましいような気持ちになった。


 ”いったい何をしにきたんだ、この若者は”


 そう教皇が思うには理由があった。


 あまりにも早すぎるからだ。教皇が各国君主及びそれに相当する人物に向けて、対ナプスブルク大同盟を呼びかる使者を放ったのはわずか六日前のことである。


 確かに六日あれば使者から話を聞き、ここへやってくることは可能だ。


 だがあまりにも判断が早すぎる。

 まるで”そうなることを予め予測していたかのような”不気味さがあの笑顔の裏にこびりついているように思えるから、教皇はこのたった一人の呼応者を手放しで歓迎できないでいるのだ。


「猊下」


 若者のその言葉がまるで自分の心中を見透かしているような温度を持っていたので、教皇は思わず身体を強張らせた。


「ナプスブルクは猊下の国のみならず、大陸全土を我が物とする野心を持っています。私たちが共に手を取り、これに立ち向かわなくては。猊下の志を聞き、そう思ったのです」


 ほざきおって、何が狙いだ。教皇は心のなかでそうつぶやく。


「……それで、共和国はどれほどの兵を?」


「そうですね、まずは三百」


「三百?」


「猊下、我が国は共和制を敷いております。議長とはいえ、私の一存ですぐに動かせる兵は、せいぜいその程度なのです」


 アイザックはまるで叱られた犬のような顔をしてそうつぶやいた。


 その言葉に教皇は再び戦慄に似た想いを感じた。


 君主を持たない共和国が、たった六日でセラステレナに協力する議決を下せるはずがない。

 やはり不気味だ。警戒を緩めてはならない。教皇はそう思い直し、懸念を言葉にする。


「……貴君の来訪はヤオメン共和国公式のものではないか?」


「まさかまさか。きちんと議会で話し合い、私がこうして共和国の代表としてやって来ております。ただご懸念の通り私たちは共和国ですから大軍を動員するにはいささかの時間が必要で、すぐに動かせるのは三百というわけなのです」


「たかが三百で何をするつもりなのかね?」


「この三百が数年のうちに十万となり、ナプスブルクを討ちます」


「いったいどうやって」


 教皇の問いに、アイザックはにっこりと微笑みを返し、そして答えた。


 彼の口から出た言葉は、はるか遠い先にいる、まだ顔を見たことも無いロイ・ロジャー・ブラッドフォードという男に対して致命傷を与えるうるものだった。


「反ナプスブルク連合、”大陸大同盟”の結成を数年以内に。このアイザック・アディンセルが猊下の正義のために必要な全てを整えてご覧にいれます!」


 ほざきおる、若造。だがこの威圧感はいったい。まるでこちらがそれを拒めは私を殺すと言っているようなものではないか。


「アイク」


 緊迫する会談の場にアイザックの名を告げて現れたのは場違いな人物だった。


 透き通るような白い髪。そして声も清らかな水のような美しさ。年端のいかぬ一人の少女。


 その声を聞いてアイザックは振り返り、笑う。


 アイザックは少女の頭を優しく撫でると、教皇の方を向き直して穏やかに言った。


「さあ猊下、大陸に正義を示そうではありませんか」

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