第49話 告白
ロイは砦の一室で静かに窓の外の月を見つめていた。
ベッドに入っても無駄だということはわかっていた。もう何日もまともに眠れていない。
目の下の隈は一層濃さを増したようだが、気にするでもない。
ふいに、部屋のドアがノックされた。
「閣下、私です」
「……ライルか、入れ」
部屋に入ってきたライルの顔は緊張に満ちていた。
「どうした、珍しいじゃないか。君が慌てるなんて」
「閣下……ヨハン・クリフトアスが死亡しました。物音を聞きつけた兵士が部屋を見ると絶命していたようです。毒を盛られたのかと疑いましたが、それにしても遺体の様子がおかしく……」
「そうか……」
ロイの反応は予想外だったのか、ライルは意外そうな顔を浮かべた。
「驚かれないのですか」
「そういうわけではないが」
その言葉の含みを感じ取ったライルは、ロイの顔を見つめた。
「閣下、何を知っておられるのですか」
「……」
返事をしないロイを見て、ライルは増々疑念を深める。
「閣下」
やがてライルは意を決したようにすると歩み出て、ロイの前に立った。
「私は自らの復讐を果たすためならば、あなたに全てを捧げると誓いました。それでも隠す必要があるというのですか?」
「……」
「あなたも私と同様、綺麗な身の上でないことはわかっています。今更何がわかったとしても、私は驚きはしません」
ロイはライルから目をそらしたまま、月を見つめている。
「閣下。もしあなたが隠すものに私の知略が役立つというのなら、使ってほしいのです。それが私への信用を深めることになるのなら、私はどんなことでもいたします」
ライルは真剣な眼差しでロイを見つめた。
その視線を受けて、ロイは月からその目を落とした。
そして言った。
「……私の娘は悪魔に憑かれている」
「は?」
「たとえ話ではない。文字通り、奴にその身体を奪われ憑依されている」
ロイの言葉があまりに予想外だったため、ライルは口を開けたまま絶句した。
冗談はやめてくださいと言うべきだろうか。その話とクリフトアスの死になんの関係が? 彼女の顔にはそういう気持ちが浮かんでいる。
しかしロイは言葉を続けた。
「私が元奴隷ということは君も知っているだろう。私と、妻、そしてアビゲイルの三人はある日を境に奴隷として、とある国の富豪に買われた」
ロイはゆっくりとライルを見て、言う。
「富豪の慰み者にされた妻は、ある日その子を孕んだ。やがてそれが知られると殺された。アビゲイルに異常が現れたのはそのころだ。”奴”はアビゲイルに憑依し、私の肩を叩いた。そしてアビゲイルの声でこう言ったんだ。”お前とその娘を救う力をやる。だから私に力を貸せ”と」
ライルは戸惑った。私の主君は狂人、あるいは妄想に取り憑かれた異常者だったのかという考えが過ぎったからだ。
「クリフトアスがどう死んだか私にはわかる。外傷は一切なく、目は白目を剥き、全身から何かを吸い出されたような状態で、恐怖に顔を歪ませていたはずだ」
ライルの不安はわかるといわんばかりのロイの答えだった。
「私の飼い主だった男も、そうやって死んだ。アビゲイルの身体を乗っ取った”奴”が喰ったんだ」
「いったい、何を」
「魂。奴の言う所によればな」
「そんな馬鹿な」
「事実だ。私はそうやって富豪を殺し、金を得て、今こうしている。ただの奴隷だった男がそれ以外にどうやって国を買う?」
「……」
ロイは再び窓の外へ目をそらして言葉を続けた。
「あれが悪魔かどうかはわからない。というか、あれの正体が何なのか私は未だに知らない。だが例えるならそれがふさわしい、そう思って悪魔と呼んでいる」
「そんな生き物が実在するなんて」
「まだ疑うか? だろうな。私だってそうだった」
ロイは大きなため息をついた。
「あれの目的は人の魂を喰らい、成長すること。味には好みがあるらしい。だから選り好みできる立場を求める。幼い自分を保護者のような存在に守らせ、その者に権力を持たせて、喰らうべき人間を選別できる位置に自身を置く。やがて成長を果たしたら娘の身体を解放する。それが奴との契約だ」
「馬鹿な……」
「そうさ、馬鹿げてる。つまり私はあの悪魔の保護者であり、奴隷なのだ。私がナプスブルクの権力を買い、今なおさらなる権力を求めているのは、奴に餌を与え続けるため。それ以外に理由など無い」
ライルはこれまで自分を現実的な思考の持ち主だと自負してきた。
少なくともおとぎ話や宗教上の伝説は物語として楽しみ、現実問題とは隔離して考えられる人間だと自覚していた。
しかし今は目の前の摂政の話をもしかしたらその通りなのかもしれないと思い始めていることに動揺を覚えた。
それほどまでに、この自らが忠誠を捧げた主君の態度が嘘をついているようにも、妄想に囚われた異常者にも見えなかったのだ。
ライルは疑問を投げかける。
「……そうやって魂を喰らって、どうするというのです」
ロイは答えた。
「……奴とは別に、もう一体いる。対になる存在といえるらしい。お互いがいずれ出会うことになる。その時より強い力を持つ方が相手を喰らい、完全体へと生まれ変わる。その争いに勝つのが奴の目的だ」
「対になる存在? それはどこに」
「……それはまだわからない。だが確実にこの大陸のどこかにすでに存在している」
「つまりあなたは、その悪魔が生まれ変わるために力を捧げるべく、自らが王権を手にしたと」
「そうだ」
「自らの娘を救うためだけに国を動かし、そして隣国に進み人々を殺すと」
「……そうだ」
「目指す権力は、いったいどこまで?」
「奴の腹が満たされるまでだ」
「そのためならば大陸中を戦火に燃やすと?」
「……そうだ」
「は……ははは」
ライルは崩れ落ちるように壁にもたれかかった。手にした杖が床に乾いた音を立てる。
「狂っている。あなたは狂っている」
ライルはそう言ってロイを見つめた。
「それが事実なら閣下、あなたはこの世の誰よりも悪人であり、あなたこそ悪魔の名にふさわしい人といえるでしょう」
「軽蔑するか、ライル」
そう問われたライルは、視線を下に落とした。
その表情はロイからは見えなくなった。
「閣下」
「なんだ」
「その悪魔が人の魂を喰らう生き物であるとしたら、もし悪魔が求めた時、閣下は私を悪魔へ捧げますか?」
ロイはその言葉に眉を潜めた。そこにはわずかなためらいが見える。
しかしロイはこう答えた。
「ああ。奴が望んだならば、私は君を悪魔へ捧げるだろう」
「そうですか、ならば一つ約束してください」
そう言ってライルは不自由な片足をぎこちなく動かして歩み出ると、ロイの両手を握りしめて言った。
「悪魔に捧げるのは、どうか私の復讐が果たされたあとに」
「……誓う。必ずや」
ライルはロイの目をじっと見つめた。
その目からはすでに驚きの感情は消えている。
覚悟、自信、そして共感のような感情をロイは彼女から感じ取った。
ロイその理由をその時はまだ理解できなかった。
ロイの手をライルは握りしめ、小さく振った。そして彼女特有の魅力であるその悪戯っぽ微笑みをたたえてこう言った。
「むしろ好都合というものです。主君の背後にいるのが悪魔なのならば殺人鬼などこの世界のどこにも逃げ場はない。そうは思いませんか、閣下」
「私はその殺人鬼にも劣る畜生かもしれない」
「私もすでに清らかであることはとうに捨てた身です。畜生に落ちたのならば手を握り、仕えるのは神ではなく、魔こそふさわしい」
ロイは気丈なライルの姿を、少しばかりの驚きをもって見つめた。
ライルから伝わる感情に、どこか親しみのようなものを感じたからだ。
それはロイが初めて彼女から向けられた感情で、そのことが意外に思ったのだ。
拒絶されると思っていた。
あるいは、忌避されると。
しかし目の前のボサボサ髪の美しい軍師はそうではなかった。
ロイはライルに微笑み返すと言った。
「大陸を統べる策、”お前”と練ろうか」
「はい、全ては互いの欲望のために」
この時ロイは、何年ぶりになるかという心からの笑みを顔に浮かべた。
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