第10話 グレトナ・グリーン海岸の戦い
前衛中央の部隊を指揮するジドゥーバルは、素早く動揺を収めて向かってきた敵の一団に対し、馬上で巨大な槍を掲げながら激高するように吠えた。
「ぶち殺すぞ、マシューデルの犬ども」
すると前方の敵集団の中から一騎が速度を早めて抜けてきて、ジドゥーバルへ向かってきた。姿を見るに敵の将校。
ジドゥーバルは嬉しくなった。敵にも活きのいいのがいやがる。こうでなくっちゃ面白くねえ。
敵の将校はジドゥーバルの姿を見据えると、大声で言った。
「卑しきウルフレッドの将。馬上で大槍とは笑わせる」
ジドゥーバルは挑発する敵の誘いに乗る。すれ違いざま、一騎打ちの一瞬。
「馬上でまともに槍を振れねえのはなぁ」
ジドゥーバルはそう言い構えた槍を、まるで丸太が風を切るような音とともに突き出して叫んだ。
「てめぇが弱えからよ!」
敵の将校は自らの槍を突き出す間もなく、胴に大穴を開けられてそのままジドゥーバルの頭上高く放り投げられ絶命した。
隊長を追ってきた敵の兵たちが彼の名を叫ぶが、ジドゥーバルの耳には一切入らない。
「そらぁ突撃だ! 皆殺せぇ!」
***
前衛左翼のホランド隊は猛然と進む中央ジドゥーバル隊の様子を、やや後方から追いかけていた。
「まったくジドゥーバルの馬鹿め。ここまで声が聞こえてくるぞ」
ホランドは小さく整えて生やした髭をかきながら、同僚の様子にため息をついた。
「全軍、正面の敵へ打撃を与えつつ左へさらに展開、敵を包囲する! 中央の味方を支援するぞ!」
***
前衛右翼、エリクセンの部隊は左翼ホランドの動きに呼応するように、敵左翼の包囲に移り始めていた。
「落ち着いて隊列を敷き、敵を囲むのだ。弓兵、ジドゥーバル隊の前方へ向かって射撃支援せよ」
エリクセンは深々と顔に刻まれた皺を撫でながら努めて冷静に言った。白髪交じりのその姿は兵たちに貫禄を思わせるには充分だ。
「エリクセン隊長!」
突如部下が叫ぶ声にエリクセンが顔を向けると、自身のすぐ右側に敵騎兵の小集団が迫ってきていた。
しまった、本陣から出ていた敵の斥候部隊が戻ってきたか。ここまで接近されるまで気づけないとは不覚をとった──。
エリクセンはとっさに身構えるが、敵騎兵の内の一騎が声を上げて斬りかかってくる。
それをなんとか剣で受け止めたが、そのまま敵の突進を馬がもろに受け、地面に放り出されてしまった。
エリクセンは痛む全身にうめき声を上げて即座に起き上がったが、同様に馬から落ちた敵兵が奇声を上げて剣を振り上げる。
再びそれを剣で受け鍔迫り合いの様相となると、敵兵がエリクセンへ怒声を上げながら言った。
「くたばれ、この老いぼれ」
それを聞いたエリクセンは頭に血が上り、我を忘れて吠え声を上げると、敵兵の剣を押しのけてその身体を真っ二つに切り落としてこう言った。
「まだ爺じゃねえ!」
エリクセン・マクガフィン、三十八歳。ウルフレッド側近の最古参にして忠義に曇りなき老け顔の男。独身。
***
押している。敵は奇襲の動揺から立ち直りつつあったが、ジドゥーバル、ホランド、エリクセンの三隊が見事に優勢を維持している。
「これで負けたら俺のせいだな」
ウルフレッドは馬にまたがり本隊を進めながらそう呟いた。
兄上をここで確実に討てるかが勝負の分かれ目だ。
本拠地のロッドミンスター城をはじめとした各城にはまだ兵が残ってる。そうそう奇策が通用するもんじゃない。こんな冷や汗をかく思いは何としてでもここで終わらせる。
ウルフレッドは前方のマシューデル本陣を凝視しながら思った。逃してたまるものか。
本隊後方のメラン軍一千はついてきているものの動きが鈍い。
「我々は水兵。陸での戦いは苦手なのです」
そううそぶくメランの顔が浮かぶようだ。
もし、もし全てがうまくいったら、あの男の処遇はどうするべきか。
殺したい。戦で俺よりも後方にいた事を責めて殺すことはできるか? だが背後にあのナプスブルクの摂政がいるとすればどうなる?
いや、ナプスブルクの兵力なぞ今や千にも満たないと聞く。ロッドミンスターを統一した後ならば恐れる理由などないはずだ。
白鬼が相手だとしても、やれる。
なあジドゥーバル、ホランド、エリクセン。俺たちならやれる。
「とにかく、勝たなきゃ始まらねえな」
ウルフレッドは馬に鞭を入れ、マシューデルの本営へ駆けた。
***
「多勢に無勢。敵はメラン軍と合わせ三千はいるでしょう。このままでは前衛が破られます」
「ウドロフ軍の生き残りの姿は見えんか」
「見えません、間に合わないものかと」
「そうか」
マシューデルはそう呟くと、陣幕の天井を眺めた。
王位、民、兄と慕った男、すでに失ったものとこれから失うであろうものたち。
自分はどこかでそれに安堵しているのではないか? いやそれは自嘲というものだ。
だが結局のところ私の人生は迷いの中にあったままだ。もし私がウルフレッドであったならば、違ったのだろうか。
「コービン参謀」
「はっ」
「よく尽くしてくれた。お前は幕僚たちと共に逃れよ。そしてロッドミンスター城へたどり着き、我が息子と妹を支えて欲しい」
「まだ負けたわけではありません」
「もういい、頭が痛いのだ」
「殿下……」
マシューデルは椅子にゆっくりと腰を掛けると、外の音へ耳を向けた。戦の音が先程よりも近づいている。
カンカンカン、ガンガン。誰かの叫び声。まるでそういう戯曲の中にいるような、現実味の無い音曲。
ふと、マシューデルは口元に笑みを浮かべた。
それは自らを笑うものではなく、純然たる悪意に満ち、他者へ向けられた微笑みだった。
「ウルフレッドよ。届くぞ、お前の首元に。裏切り者を裁く我が尖兵の刃が」
陣幕に轟く主君の笑い声を、コービン参謀はぞっとする思いで立ち尽くしながら聞いた。
***
ウルフレッド軍本隊。
「右方より敵騎兵集団接近! 殿下ぁ!」
勝利を確信していたウルフレッドは、配下の絶叫に近い叫びを聞いたとき何が起こったのか理解できなかった。
東側のなだらかな丘の頂点に姿を現した騎兵隊を見て、ウルフレッドは戦慄した。
「王国親衛騎兵隊……馬鹿……な」
見間違えようの無い姿。ハルケン鋼で作られ王国の金紋章を刻印された重装鎧に身を包んだ兵士。ロッドミンスター王国軍最精鋭にして男の中の男と謳われた者でのみ構成された王に絶対忠義を尽くす集団。
だが騎士団長は王位継承が終わるまで中立を保つと言ったはずだ。
その王国親衛騎兵隊。全軍では無いにしろ、百は超えている。なぜ本営ではなくこんなところに。
兄上は、使えると思った者に対してその力が最大限になるようにする。そのためならば自分が危険に晒されることも厭わない──。
まさか虎の子の親衛隊を遊撃に回していたなんて。いったいどの段階から。初めからそうしていた? そんなはずはない。ならばどこで──。
「敵騎兵、来ます!」
「う、ぐ……」
防げるか? 親衛隊を相手に? できるのか? 頼りになる奴らは前で戦っていてここにはいない。いや俺の力で勝たなくてどうする。勝てるのか?
「全軍、後──」
「困りますなあ、殿下」
「メラン……いつのまに」
ウルフレッドが振り返ると、メランが馬上で真っ黒に焼けた顔を歪ませて微笑んでいた。
そしてメランは静かに左手を空に向かって挙げる。メランの後ろに控えていた従者が大きな旗を海岸に向けて振る。
すると轟音が鳴り響き、ウルフレッドが浜辺を見ると居並ぶ艦隊が赤い炎を噴き出していた。
「砲撃……」
丘から突撃を開始したばかりの親衛騎兵隊は、まだ速度を出し切る前に一騎、また一騎と砲撃の爆風に捉えられ黄金の王家の紋章が刻まれた鎧を地面に横たえた。
それでも騎兵隊は「王家万歳」を叫び続け突進するも、隊長と思わしき者が砲弾の直撃で爆散する様子を見たとき初めて動揺が走った。
射程の短い青銅砲でもこの距離で一斉射を受けては、統率はもはや取れなくなっていた。
「全軍、討ち取れ」
背後に控えていたメラン軍の歩兵たちがばらばらに孤立した親衛隊兵士に襲いかかる。そして一人、また一人と討ち取られていく様子をウルフレッドは呆然と見つめた。
「マシューデル殿下ならば、これくらい容易くやったでしょうな」
メランはそう言ってウルフレッドに笑みを向けた。
「殿下!」
ウルフレッドの元に伝令が駆け込む。
「敵の大将、マシューデルを討ち取ったとのこと! 我々の勝利です!」
おお、という歓声がウルフレッド軍の兵たちから上がる。前方のマシューデル本営の付近でも大きな歓声が上がっていた。
勝ったのか……。
生き残った。だが……。
見上げた空が、歪んで見える。朝だというのに、澱んだ泥のような空だ。
ウルフレッドはめまいにも似た感覚を覚えながら、この日の勝利を生涯忘れずに記憶することになった。
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