第9話 大義の人
夜が白み始めている。
「ウドロフ将軍は自ら兵を率い村々の救援にあたりましたがナプスブルクの白鬼と思われる軍勢と交戦、討ち死にされたと……」
「ウドロフ……なんということだ」
第一王子マシューデルは野営地の陣内でその報告を聞くや、思わず手にしていた杯を床に落とし、絶句した。
ウドロフはマシューデルが幼少のころより側に仕えていた者だった。少しばかり年長で忠実なその家臣はマシューデルにとって言葉には出さずとも兄のような敬意を抱く、全幅の信頼を持つに足る存在だった。
物心ついて間もない頃から将来の王者として期待を一心に集めたマシューデルが唯一弱さを見せられたのがウドロフだったし、彼はこの王子を愛していた。少なくともマシューデルはそう理解していた。
それが憎きナプスブルクの者に討たれた。
きっと卑劣な手を使われたに違いない。そうでなければあのウドロフが敗れるはずがない。おそらく村人たちを人質にされその力を発揮できない状況に追い込まれたのだ。マシューデルはそうウドロフの最期を想うと、怒りに身を委ねた。
「ウドロフの遺体は見つかったのか」
「戦場に放置されていたそうです……今小隊がこちらへ運んでいるとのこと」
「ウドロフを埋葬する。戦はそれからだ」
「殿下、ただちにウドロフ軍の生き残りをまとめ、ノースウォールを包囲すべきです。そうすればメラン将軍の兵がミューゼ川を上り城を奇襲する手筈。逆にこのままここに留まれば各個撃破される恐れが」
「お前はウドロフが腐れ落ちていく様をこの私に見よというのか?」
「しかし……」
「逃げてきた民に護衛を付けマーダリー城にまで届けさせろ。充分な食料と、わずかでも良い、金も持たせてやれ」
「今は少しでも兵力が必要なときです。それに後方にウルフレッド殿下の手の者がいるとは考えにくく……」
「この国の混乱に乗ずる者たちはウルフレッドやナプスブルクだけではないのだ。賊や暴徒も弱き者を襲っている、奴らから民を守らなければ」
「ですが今は戦に勝たねば──」
「黙れ」
マシューデルの参謀はそれ以上の言葉を噤んだ。この第一王子の心に潜む暗い激情が顔を覗かせつつあることに気づいたからだ。
「ウドロフよ、お前を死なせたのは私の未熟さだ。だが仁義の心を失ってまで勝利を得たとしたら、お前は私を軽蔑するだろう。私達が共に誓ったのは強くそして平和なロッドミンスターを作り上げること。私一人になっても必ずや打ち立ててみせるぞ」
王とは慈愛に満ち寛容の心をもってして叡智に優れ、臣を心服せしめて民を慰撫する者。
その姿になることができない、なろうともがくほどに遠ざかっていくことの苦しみはウルフレッドにはわかるまい。善人であろうとするほど己の本質と乖離していくことの恐怖は初めから悪であろうとするお前にはわからない。
そしてこの拷問に似た痛み。頭を締め付けるような痛みからいったいいつ解放されるのだ。
マシューデルが歯を食いしばりそう思ったとき、陣幕に衛兵が駆け込んできた。
「申し上げます。東の浜辺に、メラン将軍の艦隊が!」
「何故だ、メラン将軍はノースウォール城に向かったはずだ!」
参謀が叫ぶように言ったとき、マシューデルは締め付けられるような痛みと共に瞬時に状況を理解した。
「おのれ裏切ったかメラン」
怒りに顔を歪ませて陣幕を飛び出して見たその先にはメラン将軍率いる艦隊の姿と、その船上になびくウルフレッドの第二王子旗がなびいていた。
***
「進めえ」
ウルフレッド軍将校のジドゥーバルが雄叫びを上げて進むと同時に、ホランド、エリクセンの隊も浜辺に上陸をし、競い合うようにマシューデル軍本陣に突進を始めた。
「まさかお前が裏切るとはな、メラン」
馬上のウルフレッドは傍らにいる少壮で痩せぎすな貴族の男を見て言った。
「王にふさわしいのは貴方様だと確信いたしました故」
「嘘をつけ」
ウルフレッドは薄ら笑みを浮かべるこの提督を目で制止した。
「そのつもりならば最初の戦の前にこちらについていたはずだ。あの戦いで俺たちの横腹を食い破りハーマンを討ち取ったお前が、今あえて劣勢の俺たちにつく理由なんてない、利に聡いお前ならなおさらだ」
「そう申されましても」
「奴から何を貰った」
ウルフレッドはこの言葉を言った直後、メランの顔をじっと観察した。僅かな表情の動きさえも見逃すまいと。
これは可能性の一つ。いやただの勘だといってもいい。だがこの強欲な貴族がマシューデルを裏切ってまでリスクを侵すとしたらそれしか考えられない。だとすれば「奴」の名はメランだけが知っている。
この男に取り入るとすれば海を隔てた南方のあの帝国か、あるいは。
「私は正当な評価を求めただけです」
黒か。やはり。ならばカマをかけたついでにもう一つだけこの男に尋ねよう。これが真実だとすれば、とてつもなく恐ろしい隣人を我らは生み出したということになる。
「お前に金を渡したのは、ナプスブルクのあの摂政だな」
メランは返事をしなかった。だがその表情は「ならばどうしたと言うんです」と語っていた。
正直なところ、ランドルフが首尾よく三百の手勢でウドロフ軍を引きつけたとして勝てる見込みは五分に満たないと見ていた。
ノースウォールから出撃し全軍で敵本陣を目指すという本来の策には欠点が多すぎた。ウドロフが兵を分散させ城に向けていてそれを一蹴できなければ終わり。分の悪い賭けと言わざるを得ない。
だからミューゼ川に現れたメラン艦隊が白旗を掲げていたのを見たとき、ウルフレッドは自分の天佑というものを確信し、心を震わせた。
だがすぐにその心を大きな疑念が満たしていき、それがおそらく真実であることを知って、自分が底しれぬ闇に足を踏み入れつつあるのではないかという恐れを感じていた。
それでも今日勝たねば生き続けることはできない。たとえ行き着く先が破滅であったとしても。
「……今はそれ以上問うまい。行くぞ、兄上を討つ」
「仰せのままに」
メランは仰々しくお辞儀をして見せた。
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