梅花は柿色の輪に零《こぼ》れて
紺藤 香純
第1話
「ただ今ご紹介にあずかりました、
緊張のあまりマイクに向かって一気に喋ってしまった。
市民ホールの広い講堂には、幅広い年代の人々が集まり、壇上に立つ薫を一斉に見つめる。制服に身を包んだ中学生もかなりの人数いる。薫の出身校の制服だ。
隅の方の席に恋人の姿を見つけ、薫はふと息をこぼした。つき合って半年になる、可愛い女性だ。今回、藤岡市民講座の講師を務めることになったと話したら、梅の模様が刺繍されたネクタイをプレゼントしてくれた。2月という季節柄、相応しいチョイスだ。彼女は今日が誕生日だという。
薫はそのネクタイを軽く締め、スーツのポケットにしのばせたものを確認する。首から下げたストラップには、認知症サポーター講習後にもらえるオレンジリングだ。
「先程、司会のかたが『市民講座最年少の若い講師』なんて仰っていましたが、訂正させて下さい。ぼくは若くないです。もう32歳です」
若いじゃねえか、と野次が飛ぶ一方、中学生が「やっぱりね」と言いたそうな表情をした。こら、中坊。後で先生に言いつけるわよ。
「では、講演に移らせて頂きます。『地域単位の認知症ケア ぼくたちにもできること』というテーマでお話をさせて頂きます」
パソコンのエンターキーを押し、スライドを開始する。プロジェクターからスクリーンに映像が映し出されたのを確認する。
そのとき、講堂の扉が静かに開いた。ふらりと入ってきた人物を認識し、薫は我が目を疑った。長身の、年下の男。髪色は黒く戻しているが、蛇を彷彿させる眼差しは2年前と変わらない。
「まずは、ぼくのお仕事。ケアマネージャーについて。正式な資格の名称は、介護支援専門員。介護が必要な高齢のかたの介護サービスを計画するのが、ぼくのお仕事です」
フラットに話をしつつも、男が気になって仕方がない。
あんた、なにしに来たの。市民講座のお知らせはだいぶ前から張り出されいるから、知っていてもおかしくないけど、なぜ来たの。なぜ今更ぼくの前に現れるのよ。
男は壁にもたれかかって腕を組み、薫を見つめる。講堂のライトに照らされて、左手の指のリングが一瞬だけ煌めいた。
薫は男に気づかないふりをして、話を進める。
「ぼくが担当したかたの事例です。Aさん、80代女性。自宅に独り暮らし。万引きを繰り返していました」
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