第215話 これから
アイーシャがリュウヤの先をとてとてと歩いていく。
アイーシャの両隣には、リリシアとテトラが並んで歩いていて、アイーシャはテトラの手を引いていた。
幼い子どもだから手を繋いでいるのではなく、辺りにはアルドが集めた“デッドマン”の破片が数多く散らばっていて、ややもすると足を取られかねないからだった。
テトラの空間把握能力や感知能力が、鍛練を重ねた剣術家より桁外れではあっても、そこまで完全でも万能ではない。先にティアの背の上で慌てふためいていたように、緊張や集中が解ければ普通の盲人とさほど変わらない。
アイーシャは自然とそれに気がつき、気遣ってのものだ。その隣では、リリシアが自分の足下が疎かになっているアイーシャに、声を掛けてそれとなくフォローしている。
テトラやリリシアとは帰ったら何をするかという話をしているらしく、アイーシャが「お母さんのシチューが食べたいな」とはしゃぐ声が聞こえてきた。
『強い子ですね』
リュウヤの隣では、ルシフィが眩しそうに目を細め、アイーシャの後ろ姿を追っていた。
グリュンヒルデの日没は早く、陽が傾いたかと思うとみるみる内に山々の陰影が濃さを増し、薄暗くなった空には星が瞬き始めていた。夕陽の残光によって、グリュンヒルデは物憂げな赤味を帯びている。
プリエネルの“トゥールハンマー”により大砦の二万はほぼ全滅、さらにエリシュナとの激闘によって多くの命が奪われたが、それでもグリュンヒルデには一万超える兵士がいるはずである。
そのグリュンヒルデの大地は異様な静けさに包まれていた。魔装兵(ゴーレム)の駆動音もどこか遠慮がちで、ひっそりと動いているようにリュウヤには思えた。
度重なる激戦で散らばった両軍はまだまとまらず、平野や山のあちこちに松明らしき炎が灯って揺れ動いていた。一度近づいて離れていくのは、味方を間違えたのだろう。しかし、双方に争いは起きた様子もなく、ただ他の炎を目指して揺らめいている。
それだけ兵士たちは疲労しているのだと、リュウヤには揺らぐ炎を見つめていた。
「強いかなあ」
チラチラ揺れる炎を見据えながら、リュウヤはそんなことを言った。我が子が褒められるといささか照れ臭い。
「あいつは、まだ子どもだよ」
帰ったら思いっきり抱き締めてあげたいと思いながらも、心ならずもな言葉を口にしたのは、親馬鹿と思えたからだ。
そんなリュウヤの心境を見透かしたように、ルシフィはふふっと小さく笑った。
『こういう時は“そうだな”くらい言っても、親ばかなんて思われませんよ』
「そ、そうか?」
『そうですよ』
思わず顔がぽっと熱くなり、リュウヤは自分の頬をしきりに撫でている。ルシフィはクスクスと可笑しそうに笑っていた。
『もう誰も敵う人なんていないのに、リュウヤさんて全然変わらないんですね』
「よせよ」
『その変わらなさが、リュウヤさんの良いところですよね』
からかっているのではなく、本心から褒めているというのは感心したような口ぶりから伝わってきて、リュウヤはいよいよ照れ臭くなり、ルシフィから顔を背けるしかなかった。
同時に、人物を好ましいと思いながらも、それだけに重苦しい気分が胸の内に広がっていた。
「……すまないな」
『なんのことですか』
「エリシュナのことだ」
『どうして、リュウヤさんが謝るんです。戦場ですよ』
ルシフィに振り返る、残光に照らされたルシフィの瞳には、わずかな潤みがある。
「普通の戦場ならな。だけど、そうじゃない。俺たちは一度は共闘し、今はこうして肩を並べて歩いている。義理とはいってもエリシュナはお前の母親だ。一言、言わずにはいられなかった」
ルシフィは不意に立ち止まって悲しそうにうつむいていたが、やがていいんですと顔をあげた。
『僕はあの時、母上を止められなかった。僕がするべきことだったのに……』
「……」
『だから、謝らないでください』
二人はじっと顔を見合わせていたが、どちらが言うともなしに無言のまま並んで歩き始めた。さっ、さっと草を蹴り、踏みしめる音が耳まで届いた。
――良い奴だな。
正直、素直、誠実。
リュウヤはルシフィの人柄に、改めて好ましく思わずにはいられなかったが、ふと唐突に疑問が生じていた。こういう場でなければ思い浮かびもせず、訊ねもしなかったかもしれない。
「前から疑問に思っていたことがあるんだけどさ」
『なんですか?』
「なんで、ゼノキアのために戦っていたんだ」
『それは、僕は王子だし、魔王ゼノキアの後継者ですから……』
そういうことじゃなくてさと腕組みして、リュウヤなりに言葉を選んだ。
「冷たくくされて腹立たなかったのか。魔王軍に随分と貢献したお前が流刑されたと聞いた時は正直、驚いたよ」
異世界に戻ってきた後、ルシフィが僻地に流刑と耳にした時、リュウヤは何かの策略かと疑っていた。その後、責任を負わされた旨と聞いて、難敵が戦線から離脱した喜びよりも驚きの方が強かった。幾分、憤りも混ざっていたかも知れない
「俺がお前だったら、ゼノキアをぶん殴るな。そんな気持ちにならなかったのか」
ぶん殴るというのはまだ優しい表現を選んだつもりで、ルシフィを支持する将校は少なからず存在していると聞く。しかも、一度は極刑にされるはずだったという。反乱を企ててもおかしくはない状況だとリュウヤには思えた。だが、ルシフィは甘んじて罪を被り、僻地で静かに暮らしていたという。
ルシフィ不在のおかげで、魔王ゼノキアを引っ張り出すというムルドゥバの作戦も上手くいったが、はじめからルシフィが戦場にいたら、戦況も随分と違ったものになっていただろう。
それとは別にゼノキアに対する憤りがある。語気を強めたリュウヤに対し、ルシフィは困った様子で苦笑いしていた。
ルシフィは星を見つめながらしばらく考え込んでいたが、やがてゆっくりと口を開いた。
『頼まれたから……ですね』
「頼まれた?」
『ええ。兄上たちが次々と病気や怪我で亡くなり、僕一人だけになった時、父上から後継者指名のために呼ばれたんです。枯れ木のやせ衰えて、ベッドに伏していました。……そうですね、アルド将軍に力を吸いとられた時の、あの姿を思い出してくれれば』
「……」
『あの衰えた手で僕の手を握ると、“頼む”と一言だけ言ったんです。言葉にならなくて涙を流した父上の姿、今でも瞼に焼きついてます。その時に決めたんですよ。魔王軍のために身を捧げよう、て』
「そうなのか……」
言ってから、胸の内にある憤りの正体がわかった気がした。
「……やっぱり、ゼノキアは馬鹿だよ」
『え?』
馬鹿と言われ、ルシフィが少し険しい顔をした。憤りを見せるリュウヤの視線と正面からぶつかった。
「お前が国のため、魔族のためにやってきたのに、あいつはそんなお前を最後まで無視していた。エリシュナには、あれだけ愛情を注いでいたのに」
これだけ父を想い、国のために尽くそうとしたのに。
リュウヤには自分の胸の内に沸き起こる憤りの正体がわかった気がした。何故、ゼノキアはエリシュナに向けた愛情を、少しでもルシフィに向けてあげなかったのか。穢らわしい人間との間の子だからか。ゼノキアの偏った愛情がリュウヤには腹立たしかった。
憤慨する気持ちはルシフィにも伝わって、険しかった表情もやわらいで次第に寂しげな表情へと変わっていった。
『……ありがとうございます』
ルシフィは足下に転がっていた小さなボルトを目にとめると、コツンと小さく蹴った。乾いた大地を跳ね、
『……リュウヤさん、何でそんなに怒ってくれるんですか?』
気持ちはありがたいとは思うが、本来は敵同士である。リュウヤがそこまで肩入れしてくれるのをルシフィは疑問に思った。訊かれるとリュウヤは空を見上げていたが、やがて照れくさそうに頭を掻いた。
「好きだから……、かな」
『……』
「色々あったが、お前には感謝の気持ちしかない」
『……』
「国に帰ったら、もう二度とお前と戦うことがないようにしてくれ」
『はい……そうします。僕もリュウヤさん好きだし』
ルシフィは乙女のようにはにかんで見せたが、リュウヤの目には頼もしく心優しい戦士が微笑んだようにしか映っていない。
『アイーシャちゃんみたいに、理不尽に戦わなくても良いように。それに……』
ルシフィが向ける眼差しは、悲しみの色が宿っていた。視線の先にはアイーシャたちの後ろ姿が見えるが、向けているのは更にその先だった。人だかりが出来、集団の中からむせび泣く声が聞こえてきた。
静かに横たわるクリューネの遺体があった。その脇にティアが座り込み、周りを薄汚れたローブをまとう男たちが立ちすくんでいる。竜族の男だった。誰もが絶望にうちひしがれ、涙を流している。
ルシフィが重苦しい気分を吐き出すように、小さな声を漏らした。
『……それに、クリューネさんのように』
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