第206話 破壊神エリシュナが狂い咲く
『アズにゃん、ミスリード。あなたたち何をぼんやりしているの』
『は……?』
『まだムルドゥバとの戦いは終わってないのよ。停戦命令なんてまだ出てないでしょ。誰が指示したの』
突然の神様宣言に加えて戦況を無視した命令に、アズライルとミスリードはまごついていた。この戦いに備え、グリュンヒルデには粒ぞろいの精鋭が集っていたが、プリエネルとの攻防もあって既に戦うだけの魔力は尽き、戦意もなくなっている。
エリシュナが率いた“深淵の森”勢ですら、負傷者救護とエリシュナをはじめとした行方不明者捜索を優先に兵を当てていたのだ。
アズライルとミスリードは、道行く間に状況から早期の停戦が必要と判断していた。そしてルシフィに会うと、正式に停戦協定を結ぶべきと提案している。
アズライルの意見にルシフィも即座に同意したのだが、本来、罪人であるはずのルシフィが表に出るわけにはいかず、アズライルが交渉に立つまでには話が進んでいた。その矢先の出来事だった。
『は、いや、あの、その、しかし。兵たちはかなり消耗しております。食料や武器などもグリュンヒルデの大砦ごと失い、これ以上の戦いは無意味かと……』
アズライルは最後まで言い切ることが出来なかった。上空から閃光がほとばしったかと思うと、アズライルの巨体が弾き飛ばされていた。重い地響きを立てて地面に倒れ込むアズライルに、ミスリードが慌てて駆け寄った。
『ちょ、ちょっとエリシュナ様。いくらなんでもあんまりじゃないの!』
『“……じゃないの”?』
『……』
『誰に向かって、モノを言っている?』
睨まれた瞬間、凄まじい眼力がミスリードを襲い、全身が硬直した。ミスリードは逃れるように目を逸らし、直立不動の姿勢となっている。全身から冷たい汗が噴き出していた。
殺される。
だが、アズライルを見捨てるわけにもいかない。
『いつもの威勢はどうしたのよ、ミスリード』
『いえ……、申し訳ありません。しかし、アズライル軍団長は魔王軍随一の将。魔王軍の将来を思ってのことです。何とぞご慈悲を……』
懇願するように跪くミスリードの傍らで、アズライルはわずかに呻き声を発しているだけで動きもしない。エリシュナは侮蔑するように鼻を鳴らした。
『魔王軍の猛将たちが情けないわね。魔王軍の名誉も誇りも、一気に地に落ちたわけかしら』
まあいいわとエリシュナは地上を睥睨しながら見渡した。眼下にはシシバルやテトラといったリュウヤの仲間たちが、エリシュナを注視している。
くすりとエリシュナの頬に、いたずらぽい笑みが浮かんだ。
『えい!』
エリシュナは突然キーロックを振りかざし、いきなり“
「でりゃあっっっ!!!」
テトラ・カイムが踏み込んで
高エネルギー波同士が衝突し、衝撃波が嵐となって砂塵を巻き上げる中、エリシュナの左側面の方向から、鳥の形を模した炎の塊が嵐を割って突撃してきた。
ミスリードはその炎の鳥に見覚えがある。いや、それどころか、忘れ難いものだ。
『“
自然とミスリードは、苦い顔つきになる。
ここからは見えはしないが魔法が発せられた方向の岩山肌に、白い甲冑姿の男たちが八角形に陣を構えているのだろう。
先の一年戦争時、エリンギア東側の指揮にあたっていたミスリードだったが、ついに抜くことができなかった。白虎隊と彼らが繰り出す“
威力は“
陣形を組み、ひとりひとりの力による合体魔法。
陣形は1つから部隊が複数に分かれても放つこと可能で、その変幻自在で強力な陣形魔法に、ミスリードが担当した東側の軍はしばしば悩まされたものだった。
そんなミスリードにとって脅威の魔法でも、エリシュナは顔色ひとつ変えず、悠然と佇立したままでいる。
炎の鳥がエリシュナに激突する直前、真横に魔法結界が生じ、炎の鳥は炎の塵と化してあっさり砕け散った。
『あの“
ミスリードは呆気にとられた。
あの炎の鳥が、無惨に砕け散った。
自分たちが苦しめられたあの魔法を、エリシュナはバリアひとつで簡単に防いだ。
ただ、“
『エリシュナーーー!!』
破城槌から二刀のサーベルに変化させ、猛獣が牙を剥くが如くにエリシュナの背中へ向かって、刃を繰り出した。だが、しかし。
エリシュナは振り向きもせず、キーロックの頭部を後ろに突き出しただけで易々とシシバルの刃を受け止めていた。
『な……!』
『元軍団長のくせに技が温い軽い。ちょっとの素早さだけかしら』
キーロックをそのまま押し込むと、恐ろしいほどの力でサーベルから伝わり、剣を把持した両手が頭上に伸び上がった。万歳するような格好となってしまい、シシバルの胴ががら空きとなった。エリシュナにとっては好きだらけで、振り向き様、エリシュナは飛び上がり、シシバルの胸元にミドルキックを叩き込んでいた。
『……!』
呼吸も出来ず、シシバルはまっ逆さまに地面へと落下していった。激突する寸前、ティアが竜化して受け止めていたから助かったものの、そのままなら頭を割って即死していただろう。
“くそ、僕が……!”
「止まりなさい、ティア君!」
テトラに制止され、突進しようとしたリンドブルムが振り返り“でも”と言おうとすると、カッと激光がリンドブルムの背を照らした。頭上スレスレを熱波が過ぎていく。虚空の彼方に消えるエネルギー波に慄然としながら光源を追うと、エリシュナの冷酷な瞳がリンドブルムの身体を縛りつけた。
『……坊や、勇気と無謀は違うのよ?』
“くそ……!”
リンドブルムは力を振り絞り、立ち向かおうとした。しかし身体が動かない。本能がエリシュナの恐ろしさを感じ取り、足がすくんでしまっていた。自分に対する怒りで顔が熱くなっていく。悔しさと情けなさで、いつの間にか頬に涙が伝っていた。
『いかにも子どもらしくて、可愛いわねえ。それ以上近づいたら、容赦なく殺してあげるけど』
“くそ……!くそ……!”
『竜の図体は目障りだからね。ガキに戻ってすっこんでてくれない?』
リンドブルムは歯を剥き出しにして、うなりながらエリシュナを凝視している。キーロックがスッとリンドブルムに向けられた。
「……ティア君、帰ってきなさい」
地上からのテトラの声が聞こえた。敵わないことは自分が一番良くわかっていたが、リンドブルムはエリシュナを睨みつけていたが、やがて力を失ったようにスッと地上に降り立つと人化して、悔しさをぶつけるように地面を何度も殴りつけた。
『ここはホントに精鋭揃いの戦場ね。あんたたちを片付けるには、ちょっと手間が掛かりそう』
肩凝りをほぐす真似をしながら、エリシュナはおどけるように言った。
『妾は聞いたことがある。“善く戦う者は、勝ち易きに勝つ”て。掃除の片付けも、やり易いとこからはじめるみたいだしねえ』
倒れているリュウヤやクリューネ。或いは歯向かいそうな兵士たちから始末するつもりか。テトラはそう推測していたが、身構えるテトラの様子から、意を察したエリシュナが違うわよと微笑むと、おもむろにキーロックを空に掲げた。
『世界のみんなー!』
エリシュナは朗々と叫んだ。
その高く澄んだ声はグリュンヒルデを越えて、タギルのいるアルゼナにも聞こえた。奇跡的に生き残ったネプラスの息子たちとわずかな兵で、アルゼナから王都ゼノキアに向かって出発したばかりだった。タギルは援軍が来たのかと空を見上げたが、目に映るのは不気味に彩られた黒い雲ばかりだった。
『まだ寝てる君ー!起きたばかりのボクー!お仕事してるあなたー!妾はね、この間違った世界が嫌になったのー!あなたたち、これから殺してあげるねーー!!』
言い終えると同時に、キーロックの頭部に膨大なエネルギー波を持った光球が生じた。一個の星を思わせるほどの光の塊で、着弾すればグリュンヒルデは完全に吹き飛ぶだろう。
「なんて力……!」
テトラとティアが魔力を高めると、エリシュナは可笑しそうにくすりと笑った。
『大丈夫よ。これだけのエネルギーだと、妾にもけっこう返ってくるから、まだあなたたちは始末しないわ。妾も熱いの嫌だもの』
「……」
『それに、あなたたちには絶望を味わってもらいたいのよね』
「まさか……やめて……やめなさい!」
『心配しないで、あとで情けない魔王軍も一緒に破壊してあげる』
えっとミスリードは自分の耳を疑っていた。戦えと言い、今は味方をも破壊すると言う。
まるで支離滅裂で、エリシュナの思考が全く理解できなかった。
『何を……、何を仰っているんですか、エリシュナ様!?』
叫ぶテトラや喚くミスリードにエリシュナは優しく微笑むと、子を諭すような口ぶりで言った。
『新たな創造のために、間違った世界を破壊する。それが真の神としての役目だからね』
「やめて……やめて……」
エリシュナからはるか後方の空で、アイーシャがバリアを叩きながら叫んでいた。だが、声は虚しくバリア内に返ってくるだけだった。エリシュナによって形成された“
淡く白く透明な影がアイーシャの近くに佇んでいる。未練を残したさ迷える魂だろうかと振り向いて、その正体にアイーシャは目を見張った。
『……ゼノキア様』
さ迷える魂――ゼノキア――は悲しげに佇み、その視線はエリシュナに注がれている。
――エリシュナ。
ゼノキアの声がアイーシャの頭の中に響いたかと、映像が次々と脳裏に浮かび上がり、濁流のようになってアイーシャの頭の中に流れこんでくる。アイーシャには見覚えのないものばかりであった。登場する人物が銀髪の男たちだったり、深い森であったりする。どこかの戦場を幾多も経て、やがて王都ゼノキアの宮廷へと場面が次々に変わり、居並ぶ家臣の中にシシバルやアズライルを見つけると、ようやく思い当たるものがあった。
「これ……、ゼノキア様の記憶?」
あまりの膨大な量に、アイーシャは頭が破裂するような感覚に襲われていた。頭を抱えてうずくまり、記憶の濁流に流されまいと必死に堪えていた。
不意にエリシュナの姿が映った。
そのエリシュナは涙を流しながら、邪気に満ちた笑みを浮かべてこちらを見ている。キーロックから光が視界一杯に広がった時、アイーシャは現実に引き戻されていた。
「まさかエリシュナ様が……」
アイーシャは涙と汗と鼻汁で顔をべとべとにしたまま、呆然とエリシュナの後ろ姿を見つめていた。
そのエリシュナの高らかな笑い声が、闇の空にこだまする。
キーロックに滞留する光は輝きが更に増し、目も開けられない。光に満ちた世界で嬉々としたエリシュナの声が響いた。
『妾の愛よ、世界に届け!“
光球から無数の花びらが舞う閃光が四方八方無数に拡散し、世界各地へとばく進していった。ムルドゥバへ。メキアへ。人口が多く集まる大都市を中心に、闇の空を切り裂いて突き進んでいく。
そのひとつは、王都ゼノキアへと向かっていた。
ゼノキアはその日、快晴だった。
エリシュナの魔力の影響も、グリュンヒルデの西方に位置するゼノキアまでにはさすが届かず、澄みきった青空が広がっていた。
一年中温暖な気候であるゼノキアだが、昨晩は突然冷たい大嵐に見舞われ、不吉な知らせではないかと、ゼノキアの人々は不安な夜を過ごしていたのだ。しかし、翌朝になるとすっかりと晴れ上がり、戦時中と感じさせない、いつもの穏やかな陽射しに包まれていた。
魔族も労役に駆り出される人間たちも、いつもの日常生活を過ごしていた。知り合いと会うと、挨拶代わりにと昨晩の大嵐を肴に話をし始める。夕食の準備にと、買い物に出掛けていたとある魔族の親子もそうだった。八百屋の前で友人と出会い昨日の大嵐から始まって、野菜の値上がりについて不満を言っている。
子どもは退屈そうに、水溜まりの前でしゃがみこんでいたが、水面に映るものに気がついて、立ち上がって空を見上げた。
『お母さん、あれ何?』
魔族の男の子が母親の裾を引いた。友人と談笑していた母親が振り向くと、男の子は指をくわえたまま空を見上げている。コラと、母親は子を叱った。
『赤ちゃんじゃないんだし、指なんて口にしてたらダメでしょ。立派な戦士になれませんよ』
『でも……お母さん。晴れてるのに、雨が降ってくるよ』
『雨?』
『うん、光ってる雨……。花びら?』
母親と友人が空を見上げると、無数の光軸が町に向かってくる。細い線が空にはしり、その光景はたしかに雨に似ていると思った。しかし、その正体はと不審に思った刹那、天から降り注いだ光の雨がゼノキアの町に直撃していた。
『危ない……!』
危険を察知し、母親は咄嗟に子どもを庇おうとしたが、それは虚しく無意味な行為でしかなかった。
エリシュナが放った“天蓋式萌花爛々(コスモス・グランドカバー)”のひとつはゼノキア上空で細かくわかれて町を呑み込んだ。灼熱の嵐は親子や友人たちをはじめとして町の半分以上を一瞬で破壊、蒸発させていた。
やがて猛烈な嵐がおさまると、賑わっていた王都ゼノキアの町は不気味に静まり返り、抉りとられた地面の所々から、巨大な煙を立ち上らせていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます