第205話 答えは風の中にある
真の神と傲然と言い放つエリシュナに、リュウヤは驚きよりも馬鹿馬鹿しくて呆れていた。
腕に覚えがあるリュウヤにも自信家な一面はあるし、クリューネも自分を神竜だなどと、しばしば口にしてはいるが、あれはクリューネの強がりだったり、一種の照れ隠しでもあったりする。
だが、アルドやエリシュナのように、臆面も無く大真面目な顔をして“神”とまで名乗る神経が、リュウヤには理解できないでいた。しかも、プリエネルとの激戦を経て敵味方関わらず死傷者が多数いるというのに。誰もが疲れ切っているというのに、エリシュナには何も見えていないのだろうか。
「どいつもこいつも、寝惚けたことばかり言いやがる」
超越した力で思いのままに操ろうというだけで、目指しているのは暴君と変わらない。
体の内側から怒りが沸々とわいて、リュウヤは近くに落ちていた剣を杖代わりに、膝に力を入れて立ち上がっていた。チラリとリュウヤはルシフィたちを一瞥した。表情は見えないが立ちすくんだままでいる。エリシュナの突然の出現に、ルシフィもアズライルも呆気にとられているようだった。
ククッという声に誘われ、視線を戻すとエリシュナはエメラルドを見せびらかすように、冷笑を浮かべている。
『リュウヤちゃん、これがどういうものかわかるう?』
「知らねえよ」
エメラルドの魔石とクリューネから聞いてはいるが、今はそれ以上の関心はなく、エリシュナの質問などに考える気も起きなかった。それよりもアイーシャとクリューネをどうするかに思考が向いている。とらわれたアイーシャも心配だが、今は出血が酷いクリューネの手当てが先だと思った。
動かないクリューネに意識を向けていると、勝ち誇ったようなエリシュナの嘲笑がリュウヤの耳を打った。睨み上げると冷笑するエリシュナの視線とぶつかった。
『これはね、元々は聖剣エクスカリバーに嵌め込まれていたもの。これでアルドはプリエネルを操っていた』
「……」
『妾の魔眼は観ていた。アルドのすべての力や意思が、このエメラルドで増幅され、プリエネルによって発現される流れをね』
主人の意思のままに動き、秘められた力を放つ聖剣エクスカリバー。
刀身は妖精が集まる聖泉の水に研がれ、エルネスト火山の炎によって鍛えあげられたものだという。たしかに名剣ではあったが、所詮はただのミスリルソードのひとつでしかない。しかし、エメラルドの魔石を装着させて一種の魔法生物化させることで、絶妙な切れ味に加え、危機が迫れば意思に反応して特殊な魔法を発動させて持ち主を救うことから、いつしか聖剣と呼ばれるようになっていた。
『……でもアルドを失い、持ち主は現在、白紙の状態。エクスカリバーちゃんは新たな持ち主を求めているの』
「その持ち主てのが、お前てわけか」
ふふんと鼻を鳴らしてせせら笑っただけで、エリシュナは答えなかった。もはや答えるまでもないことだからだ。
『アルドのような紛い物の神はあれが限界。妾ならもっと強い力を見せられるわん』
「お前程度の神様になんてよ、ムルドゥバにもたくさんいるから珍しくも何ともねえ」
『は?』
「世話になってた教会近くに、精神病棟に自分は神様だなんてのはたくさんいたからよ。昼になると配給やるんだけど、汚い人形抱えてブツブツ言ってるじいさんが“とんでもねえ、俺は神様だよ”なんて言いながら飯とトイレットペーハー一個抱えて帰るんだ。アンタと話が合うと思うぜ」
『……リュウヤちゃんは、妾をイラつかせるのがホントに得意よね』
「お前には、それがお似合いだ」
口元をひくつかせながら、エリシュナは強張った笑みを浮かべていた。エメラルドの光が増すと、ぼっと炎が点火されたように、膨大な魔力がエリシュナの身体を包んだ。
『その減らず口、叩き壊してあげる』
伝わる魔力がリュウヤの肌をじりじりと焼いた。まともにぶつかれば粉微塵に吹き飛ばされる。
それこそ、この世界に喚ばれたきっかけとなったトラックの比ではない。
「リュウヤ様!」
『いけない……』
エリシュナの様子に、いち早くリリシアとルシフィが反応していた。翼を広げ、猛然とエリシュナの下へと向かっていく。しかし、リリシアとルシフィはそれぞれ目的が違う。
リリシアはエリシュナを倒すため。
ルシフィはリュウヤとエリシュナの間に、割って入るため。
二人の素早い動きにエリシュナは舌打ちした。やはり、アズライルやミスリードより頭ひとつ抜けている。だが、それぞれ目的は異なるとはいえ、エリシュナにとっては邪魔が来たという認識しかない。
――リリシアは5秒、ルシフィは6秒。
迫る二人を視界に捉えながら、エリシュナは位置と距離からおおよその時間を予想した。特にリリシアが先というのが厄介だったが、その前に、この得た力で目の前にいる更に厄介な男を始末する。今がその絶好の機会で、距離がありすぎて、テトラ・カイムがいないことも大きい。離脱するのはその後だ。
『安心しなさい。クリューネちゃんの隣に並ばせてあげるから!』
エリシュナは輝く魔石を懐にしまうと、キーロックを振り上げて猛然と突進してきた。リュウヤは杖代わりに拾った剣で、咄嗟に脇構えに構えたのを見て、エリシュナの邪悪な笑みが大きくなった。
――そんな身体と雑剣で何が出来る。
一撃で済む。
ダメージと疲労が蓄積し、疲労困憊した人間の身体。“
空気を粉砕しながら怒濤の勢いでキーロックがリュウヤの頭部に迫った。しかし、リュウヤは冷静だった。身体は痛みと怒りで熱くなっている。
だが、自分でも不思議なことに、リュウヤの心は森閑と静まりかえっている。
エリシュナを捉える頭の一部分は氷のように冷たいくらいだった。瞬きもせずエリシュナを見据え、短く息を吐くと、すっと腰を沈めながら左に足を運んで転身した。
王冠を模した杖の頭部がリュウヤの髪をわずかにかすめ、リュウヤはキーロックを紙一重の差でかわしていた。
大木をへし折るような強烈な嵐をも受け流す、草原の草花ようなやわらかさだった。
『なに……!?』
信じられない思いで、エリシュナの表情が固まっていた。
肩から右脇腹まで、がら空きとなっているのがありありと映っている。リュウヤは八双に構え直し一歩踏み込んで思いっきり剣を振るった。
だが、エリシュナもキーロックを振るった勢いのまま身を回転させ、再度上段から振り下ろしていた。頭ではなく、身体が先に動いていた。リュウヤの剣とキーロックが交錯し、両者の間に火花を散らすとリュウヤとエリシュナはそれぞれ後方に跳ね返されていた。金属の焦げたような臭いが漂った。
『くっ……』
エリシュナから笑みが消えた。
キーロックを構えると、いつの間にかリュウヤが目の前まで距離を詰めている。剣を肩に担ぐようにしエリシュナの腰の高さまで身を屈めていた。真伝流奥居合“棚下”の型を応用したもので、リュウヤは地面に目を落としたままエリシュナの動きには目もくれず、剣を横からおもいっきり振るってエリシュナの脇を駆け抜けていった。
剣がパキンと高い音を立てて折れた。
だが、切っ先には手応えが残っている。振り返るとエリシュナは脇腹を抑え身を屈めて立っていた。手の下から鮮血が滲んでいた。
歯を剥き出しにし、目を見開いてリュウヤを睨むエリシュナは悪鬼の形相だった。
『おのれ、おのれ……』
あんな落ちていた雑剣で。
あんなボロボロの身体で。
エリシュナは侮辱された気分になり、怒りでキーロックを握る手に尋常ではない力が加わった。だが、エリシュナが出来たのはそこまでだった。エリシュナの横側から重い気配がのしかかってきた。
五秒。
予想した通りの秒数に、リリシアがエリシュナの間合いに入っていた。
固めた拳にほのかな光が宿っている。光は拳を覆うように魔法陣へと変化し、
『ガハッ……』
顔がのけ反り、小さな呻き声をあげるエリシュナに、リリシアが猛然と拳の嵐を仕掛けてくる。
――かわさなくては。
と思った次の瞬間、リリシアの強烈な一撃が顎を砕いていた。
「うらあああああああああーーー!!!」
咆哮しながら繰り出す連撃は次に鳩尾を、肩を、胸を鋭く抉り、拳の衝撃でエリシュナの身体は紙をひしゃげたように、奇妙に歪んで捻れ飛んだ。
『母上!』
六秒。
ルシフィがようやく追いつき、エリシュナへと手を伸ばしたが、折れ曲がった指先をわずかに掠めただけで、エリシュナの身体は鮮血を撒き散らしながら空を飛んでいた。
『母上、手を……!』
ルシフィはそれでも手を伸ばし叫んだ。ルシフィの声が微かにエリシュナにも聞こえたが、憎悪と侮蔑の感情しか浮かんでこない。
――やかましい!
人間の間の子、ルシフィ。
罪人ルシフィ。
憎きリュウヤ・ラングと馴れ合い、中庸と調和を盾にする惰弱な偽善の塊。
真の神がそんな者の助けなど。
真の神であるはずの自分が、こんな無様に負けるなど間違っている。
醜く朽ちたゼノキアを滅したのも、気高く強く美しかった彼の汚したく無かったから。
こんな世界は間違っている。
間違っている世界など……。
混濁した思考の中で、エリシュナは触れようとしてきたルシフィの手を払いのけた。驚愕するルシフィが映るのを最後に、意識が急速に遠ざかり暗闇の世界が広がっていった。
――我が主よ。
暗闇の中で、緑色に輝く光がエリシュナに語りかけてくる。優しく心強く。
誰とエリシュナは光に訊ねた。
――我が主よ、我が問いに答えよ。その黒き意志と力の正体。主が望むもの。さすれば……。
さすれば?
――あなたが望む真実の力を主に与えよう。さあ、我が問いに答えよ。
光が手を差し伸べるように広がっていく。暗闇の掻き消す光に誘われるゃうに、エリシュナは光に手を伸ばした。
エリシュナは自らに語りかける。自分は何を望むのか。沸き起こる感情が求めるものは何か。
自らに問い続けその答えに当たった時、エリシュナは穏やかな笑みを浮かべ、光に触れた。
そう。これが自分の望むものだ。
『すべてを……破壊』
エリシュナが見ている世界に光が満ち、暗闇を振り払った時と同じ頃、ぼろ雑巾のように虚空を舞っていたエリシュナの肉体が、漆黒の炎に包まれた。
『母上!?』
急激に増幅していく炎と圧迫感に、ルシフィの総身に寒気がはしっていた。尋常ではない事態が起きているのは明白だったが、呆然とするだけだった。
「ルシフィどいて!」
リリシアがとどめを刺すべく突進した。
『リリシアさん、やめて!』
母に手を出すなという意味か、リリシアの身が危ないという意味か、ルシフィは自分でもわからないまま叫んでいた。刹那、ゴウッと漆黒の炎が膨れ上がり、巨大な津波を想起するほどの大きさとなってリリシアとルシフィに迫った。炎から発する凄まじい邪気にリリシアとルシフィの身体は硬直していた。
漆黒の炎が二人を呑み込もうする直前、リリシアとルシフィに目には、漆黒の炎が紅い目や口を開いて笑ったように見えた。
漆黒の炎が爆発を起こしたと思った時には、既にリリシアとルシフィは地面に叩きつけられ昏倒していた。
戦いの行方を見守っていた者のほとんどの目には、、リリシアとルシフィが爆発による魔法か何かで倒されたのだと映っていた。しかし、黒い炎が揺らいでみせただけで、実際には強烈な一撃がルシフィとリリシアをそれぞれ襲ったのをリュウヤは見逃していない。
『そう、これが妾が求めた答え』
エリシュナを包む黒い炎に誘われるようにして、空には分厚い黒い雲が集まり覆っていく。
プリエネルと同じ現象が起きているが、今度は朱や紫色が混じり、より異様な雰囲気を醸し出している。
やがて黒い炎が不意に消えると、虚空にエリシュナらしき女ががひっそりと佇んでいた。
らしきと、リュウヤが疑ったのは身にまとう衣装が変化し、印象も変わっていたからだ。白銀のドレス姿から、身体のラインがわかるほどピッタリとした衣服となっている。胸元にはエメラルドの宝石が輝き、蝙蝠の羽根は黒い翼となり、カラスにも似ていた。
肩から胸元まで白い肌を露出させ、激戦によって傷つけられた顔の醜い傷も無くなっている。透き通るような肌と銀の長い髪は、闇の世界によく映えた。
『……“創造は破壊から生まれる”。陳腐だと思っていたけれど、今はわかるわ』
キーロックを肩に担ぎ、エリシュナは物憂げに天を仰いでいる。一見、隙だらけだが、全ての攻撃に対処出来る余裕がエリシュナから感じられた。
「くそ……!」
どうすると思いながらアイーシャに視線を向けると、“
『冷静になればわかるはずだった』
「……」
『今のリュウヤちゃんなんて、あの二人より容易いはずなのに。つい意地になっちゃった』
静かに語りかけた後、キーロックに滞留していたエネルギー波が撃ち放たれると、巨大な熱波と激光がリュウヤの網膜とその身体を焼いた。咄嗟に身を捻ってかわそうとしたが、
「リュウヤさん!」
セリナが絶叫したものの、果たしてその声がリュウヤに届いたのかどうか。
空に投げ出されたリュウヤは受け身もとれず、地面に激突していた。アイーシャの叫びで瞬間的に身体が動いて直撃を避けられたことと、激戦により鍛え上げられた精神力のおかげで即死は免れたものの、重度の火傷と打撲による激痛に挟まれて虫の息となって倒れている。
エリシュナの感心したような溜め息が聞こえた。
『また、寸前で身をかわしたのかあ。大したものね。ま、どっちにしろ助からないから、クリューネちゃんと枕を並べて、そのまま死んでなさいな』
エリシュナに促されるように視線をさ迷わせると、傍らにクリューネが倒れている。クリューネの目には力がなく、口から血を流し喘鳴しながら空を見上げていた。
「クリューネ……!」
この期に及んで、何もできない自分の無力さが情けなかった。クリューネの傷を癒す力もない。こんな風に、ただ、もがくしかできない。
クリューネの名を呼び続けながら、リュウヤは残った力を振り絞って手を伸ばした。クリューネはリュウヤに気がつくと、両目から涙を溢しながら、リュウヤを伸ばす手を握ろうとしていた。
何かを訴えかけるように。
「リュウヤ……リュウヤ……」
「ごめんクリューネ……。ごめんな」
クリューネの指先が触れ、細く小さな指を握りしめると、『皆の者、聞きなさい』と冷厳としたエリシュナの声がリュウヤとクリューネの頭上に響いた。
見上げると、闇の空にエリシュナが浮かんでいる。
死の境にいるリュウヤとクリューネには、もはや目もくれない。
『改めて告げる。妾の名はエリシュナ。この世のすべてを破壊し新しい世界……いや、真の世界を創造する神』
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