第175話 今を越える、明日のために

 エリシュナは脂汗を額に、上空で無双するリュウヤを見据えていた。

 蹴られた腹をさすりながら、大きく深呼吸をして呼吸を整えた。部下が時間を稼いでくれたおかけで、蹴られた腹には鈍い痛みが少し残る程度になり、呼吸さえ整えば動きには支障はなさそうだった。


『……しかし、今日は随分と飛ばす』


 これまで記憶によれば、リュウヤ・ラングは魔力が乏しいはずで、できるだけ省エネするような戦い方をしている。しかし、今日は技も動きもいつもより大胆に思える。


『……』


 リュウヤの動きを注視していると、騎兵が怯む隙に距離をとったリュウヤがポケットから何かを取り出すのが見えた。それはキラリと紅く瞬いていた。リュウヤが胸に当てる仕草をすると、蝶の羽根が燦然と輝きだす。


 ――何か工夫があるわけか。


 紅く光ったものは魔石だろうとエリシュナは推測した。ハーツ・メイカの改良により、鎧衣紡プロメティア・ヴァイスのエネルギー源をリュウヤ本人から交換可能となった魔石にしたことまではわからなかったが、厄介だということは直感した。


『止まりなさい。アンタたち!』


 魔力切れを待つのは無理無理だと判断したエリシュナは、上空にキーロックを向けると、いきなり萌花蘭々コスモスを轟かせた。花吹雪の閃光が、リュウヤと騎兵の間に割って入るように屹立し、突然の閃光にリュウヤも魔王軍の動きが止まった。


『エリシュナ様、何を……』

『リュウヤちゃんは妾の獲物よん。他の奴らを始末してちょうだいよね!』


 そう叫ぶと、エリシュナは大地に砂塵を巻き上げで翔び上がった。

 ざっと見ただけでも、すでに三十近くも一騎当千の猛者が斬られている。いくら自分がこれ以上ぼやぼやしていたら、ここを突破されてしまう。リュウヤは全身血だらけだが、この乱刃の中でも返り血ばかりでかすり傷すら負っていない。執着してしまっているが、敵はリュウヤだけではないのだ。

 エリシュナが動いたのを見て、ムルドゥバ軍の魔空艦や魔装兵(ゴーレム)も砲火を噴き始め、再び両軍の戦闘が再開していた。


「そのまま大人しくしてればいいのによ!」

『アンタの好き勝手にさせるわけないでしょうが!』


 闘志を剥き出しにするように、リュウヤとエリシュナの打ち合いが始まった。吼える野獣同士が互いの喉を噛み破らんとするばかりに武器が激突しあう。

 猛気が雷鳴のように轟き、鋭い閃光が空を駈けた。エリシュナを援護しようと、魔王軍もリュウヤとエリシュナの後を急追したが、あまりの速さとムルドゥバの攻勢もあって、三騎ばかりがついてくるのがやっとだった。

 打ち合ううちに、二人は山々の間に流れる深い河水まで移動していた。


『状況は不利だと本隊に伝えろ!』


 と、駈けながら追う魔王軍のひとりが、急いで仲間に指示した。


『何を言う。我らだけでもエリシュナ様に加勢しないと』

『我々がいっても足手まといになるだけだ。だから、エリシュナ様はここまで来たのだ』

『ここ?』

『わからんか!この渓谷を』


 言われて、ここがグリュンヒルデ南西の渓谷だと、騎兵は地図を頭に浮かべていた。


『その先、およそ北に進めばグリュンヒルデの平野に抜ける。その近くには!』

『ゼノキア様か……』


 このままいけば挟み撃ちの形になる。ゼノキアとエリシュナのふたりなら。

 眼に強い光を宿すと三人は顔を見合わせてうなずき、『頼んだ』『生きろよ』と短いやりとりしたあとで、ひとりが馬首をかえすとそのまま離れて駈けていった。残る二人はエリシュナとリュウヤを追った。自分たちではエリシュナの力にはなれない。しかし、せめて戦況を見極め伝えなければ。

 魔王軍の戦士たちは忸怩じくじたる思いを抱きながらも、グリフォンに鞭をいれていた。


『そら、そら、そら!』


 連続する光弾が水面を打って水柱が立ち上り、リュウヤはすり抜けるように水面上を駈けた。視線はエリシュナからひたりととらえて離さない。

“弥勒”は鞘に納まっている。

 鯉口をゆるめ、リュウヤは柄を握った。

 リュウヤとエリシュナの間に水柱が重なって立ち上り、一瞬だが死角が生じた。刹那、光の鱗粉に反射し、きらきら散る飛沫を浴びながら、リュウヤは一気に身を躍らせて飛翔した。


「おらあっ!」


 真伝流奥居合“虎走り”。

 火を噴くような烈剣がエリシュナに迫った。エリシュナは身をひねって刃をかわしたが、抜き打ちと続く上段からの斬撃が袖とスカートを切り裂き、ひらりと衣服の切れ端が揺れながら川面に落ちた。


『しゃらくさい奴!』


 エリシュナもただでは済まさない。身を宙で反転しながら打ち返したキーロックは、稲妻のような勢いがあった。


『このまま落ちろお!』

「ぬぐっ……!」


 単純なパワーだけなら、小柄ながらも魔族のエリシュナの方が遥かに勝る。ろくに抵抗できないリュウヤを押し込むように、そのまま川の中へと叩きこんだ。


『そのままくたばれえっ!!』


 エリシュナはキーロックをかざし、滞留したピンク色のエネルギー弾を波が渦巻く川面に振り放った。


萌花爛々コスモーーース!!!』


 キーロックから放たれた強烈な熱波が河水ごと粉砕しようする直前、水の中から生じた強大な力場の壁が、萌花爛々コスモスの閃光を四方に散らした。鎧衣紡プロメティア・ヴァイスから放たれた魔力の壁は深く豊富な川を割り、周囲の岩を砕いて、落石をおそれたエリシュナはリュウヤから距離をとらなければならなくなった。


「……やべ、危なかったあ」


 鎧衣紡プロメティア・ヴァイスが放つ羽根のバリアに囲まれながら、リュウヤが川面にまで浮遊していく。

 萌花爛々コスモスを防いだ衝撃で、リュウヤの上衣はぼろぼろになっていた。

 リュウヤが河の水面から離れると、それまで割れていた川が思い出したように勢い良く流れだし、互いに濠々とぶつかり合ってリュウヤの足下で幾つも渦をつくっている。

 リュウヤは上衣を破り捨て、下に着ていたラッシュガードだけになった。


 ――今のはマジでやばかったな。


 と、リュウヤは内心、胸を撫で下ろしていた。エリシュナの魔力は強大で、豊かな水量が分厚い壁となり、威力を減殺してダメージはほとんどなく済んだ。しかし、まとも受けていたら上衣だけでは済まず、もっと酷いダメージを受けていたに違いない。

 それに火傷や刀傷を晒してきた時から直感していたが、以前は安易な挑発にも怒り狂っていたエリシュナが、精神的にも変化して隙がなくなっている。


 ――予定通りと言えば予定通りだが……。


 こりゃ綱渡りだなと、リュウヤとしては苦笑いするしかない。


「取り合えず、仕切り直しだ」


 リュウヤは不意に構えを解くと、大きく深呼吸をした。ふと、足下に漂っていたエリシュナの衣服の切れ端に気がつくと、汗止め代わりにちょうどいいと思い、おもむろに拾ってそれを頭に巻いた。それから柄を握り直して、ゆっくりと八双に構えてエリシュナの動きを窺っていた。

 それら一連の動きがあまりに大胆かつ自然だったので、エリシュナは虚を突かれた格好となり、手を出す機会を失っていた。


 ――バケモノめ。


 一方で、エリシュナも表面上は冷笑を浮かべていたが、心の中で慄然としていた。

 リュウヤは大きく肩で息をしているが、気持ちを整えるためのもので顔色から疲労しているとは言い難い。過去二度戦っているが、あの時よりもさらに剣の冴えが増している。

 単純な力では勝っている。

 魔力でも勝っている。

 だが、圧倒的な剣技にタフな精神力や体力。それらを具現する蝶の羽根に根負けし、エリシュナは自分の心が挫けそうだった。

 だが、もう少しだとエリシュナは自らを励ました。この先に進めば、魔王軍本隊も近い。

 本隊と合流できれば。魔王ゼノキアが加われば。


『いいわねえ、リュウヤちゃん。妾をもっとぞくぞくさせてちょうだい』


  ※  ※  ※


『エリシュナがリュウヤと交戦しているだと?』


 グリフォンを駈る騎士からの報告を聞き、こちらではなかったのかと、ゼノキアは魔空艦“レオナルド”の見張り台から猛火を噴いている魔空艦“マルス”を睨みながら、見張り台に備えてあるハンドセットを手に取った。


『おい、艦長。どうなっている!』


 ゼノキアの怒声に、申し訳ありませんと艦長の怯えた声がした。


“エリシュナ様の萌花爛々(コスモス)の反応が凄まじく、レーダーの判別がしにくくなっておりました。加えてこの乱戦……”

『わかった。もういい』


 ゼノキアは憤然としながら、ハンドセットを叩きつけるように切った。

 リュウヤ・ラングはシシバルと行動をともにしていると踏んでいた。

 ムルドゥバ軍の光信号からリュウヤとバハムートの出撃に関わるやりとりが確認され、いつ出てくるかと守勢にまわって警戒していたのだが、魔王軍を攪乱(かくらん)するための偽信号で、まんまとだまされていたことになる。


『で、状況はどうなのだ』


 ゼノキアが伝令役の騎士に訊ねた。


『それが……、リュウヤ・ラングの勢いに苦戦している様子。状況は押し返されつつあります』

『くそっ!』


 ゼノキアは唸ると、やにわにマントを脱いで傍らに控える親衛隊長のエルリックに預けた。


『行ってくる』

『ど、どちらに?』

『知れたこと。エリシュナを助けねば』

『お待ちください!魔王様が単身で向かうつもりですか』

『魔空艦より私の方が速い。ぼんやり乗ったままでいられるか。後からついてこさせろ』

『では、私も行きます!』


 親衛隊長のエルリックはこうもりの羽根を広げると、ゼノキアは眉をしかめた。


『……お前は船を守れ』

『いえ、お供します!私は親衛隊長です。盾となるのが私の役目』

『駄目だ。貴様は私の代理として船を任せる。船を指揮して後ろからついてこい』


 ゼノキアはにべもない。

 エルリックはゼノキアも持たない翼を持っていて魔人化もできるのだが、それで親衛隊長に置いているわけではない。魔族としては誰もがうらやむ翼と魔人化の能力がありながら、戦いの腕前はそれほどでもなかった。だが、明るく実直な性格は誰よりも安心感があって、ゼノキアは親衛隊長として傍に置いていた。容易に心を開かないエリシュナでさえ、エルリックを信用していた。

 エルリックの申し出はゼノキアにも感動を与えたが、盾といってもそれだけの力があればこそで、すぐに斬られるとわかっているのに盾代わりにするほど、ゼノキアでも酷にはできなかった。それに信頼できる人柄というのも、そうそう得られるわけではない。


『守れ、いいな』


 親衛隊長エルリックの回答を許さずに、ゼノキアは空へと翔び、伝令がその後に従った。あっという間に遠ざかるゼノキアの姿をエルリックは呆然と見送っていたが、豆粒の大きさとなったところでようやく自分の任務を思い出し、慌ててハンドセットを手に取った。


  ※  ※  ※


 ゼノキアが自分の船から離れていくのを、山あいの森からじっと注視していた者がいる。小柄で薄汚い灰緑色の服を着て、フードつきマントを羽織っている。フードを目深に被り、遠くから見れば木々と区別がつかない。

 敏捷な動きで森を駆け抜けると、やがて森の開けた場所に出た。大木が佇立し、そこに小柄な者と同様の身なりをした者達が集まっていた。

 数から言えば二十。広い肩幅や体つきから、男がほとんどだとわかる。


「魔王ゼノキア、リュウヤさんのところに向かいました。ついていくのはグリフォンの騎兵一騎」

「計画通りだの。リュウヤの策があたったか」


 報告にざわめく集団の中の一人、大木の太い根に腰掛ける者がフードの下から可笑しそうに笑った。小柄で細身、声は若い女のそれだった。


「ゼノキアも、さすが“恐ろしく強いが馬鹿”だな。腕に自信がありすぎる。その辺りはリュウヤも同じ脳筋。相手の癖はわかると見える」


 エリシュナが苦境に陥れば、魔王ゼノキアは単独でも動く。

 エリシュナが先鋒として向かっているという情報を手に入れてから、リュウヤがジルを通じてアルドに提案した策だった。ムルドゥバ軍がケーナを出発し開戦までの間、彼らはリュウヤの策に従って人の姿に変え、山野を潜みながら行動していた。


「姫、笑っている場合では……」

「そうだった、いかんの」


 たしなめられて姫と呼ばれた女は笑いをおさめると、腰掛けた木の根から立ち上って、男たちを見渡した。


「これから作戦遂行となるが、お主らはここまで見てきて、“今”の戦がわかったか。魔族があの人間に押される戦だ」

「……」

「人間……、いや、今のムルドゥバ軍は強い。それに主のアルドには世界を統べようとする野心がある。今の我々でムルドゥバに勝てると自負する者はあるかの」


 問いかけに対し、居並ぶ者たち一同、悄然しょうぜんとして声もない。


「さすがにわかっとるようだの」


 フードからは表情も見えないが、沈黙した空気からは、それぞれが女の言葉を深く噛み締めているものがあった。


「それでも、我々も生きていかにゃならん。屈服し管理されて生きるのではなく、自らの意思で」

「……」

「そのためには今日得たものから考えろ。話し、共有し、行動しろ。ひとりとして余りはない。だがその前に、我々は勝たにゃならん」


 女はフードをはね上げると、金髪の長い髪がフードの下からこぼれ落ちる。女に応じるように、男たちも一斉にフードをはね上げた。


「いいか。今日、我々竜族は魔王軍に勝つ。そして、明日からまた生きるぞ」


 若い女――クリューネ・バルハムント――が呼び掛けると、ティアマス・リンドブルム以下、竜族の男たちはおうという声をあげ、魔王ゼノキアが向かう先を見据えて疾駆した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る