第十六章 第二次グリュンヒルデの戦い

第173話 Lightning Game

 魔空艦の甲板に現れたエリシュナの衣装に、グリフォンに騎上している兵士たちはどよめきを起こした。

 白地に金の刺繍が織り込まれたドレスを着て、手にはエリシュナの背丈を悠に越える杖を把持している。杖の頭には王冠の装飾と柄の先には凹凸がある。一見すると、その杖は鍵の形に似ていた。


『似合うかしら』

『はっ、神々しく、まるで天使のようです』

『顔に火傷や刀傷だらけのおばちゃんが?』


 エリシュナが返すと、答えた将校はグリフォンから飛び降り、恐縮したように片膝をついて頭を垂れた。


『エリシュナ様はこれまでの、何倍も輝いていらっしゃいます。天使とは誇張のつもりで言ったわけではありません』

『もういいから、顔をあげなさいよ』


 エリシュナは苦笑いして将校を立たせると、甲板に集まる男たちを見渡した。先手となるエリシュナの魔空艦二隻は、海の入り江から入って山の深い森林にひそんでいる。“深淵の森”から運んできた旧型の魔空艦で、以前の魔空艦よりも古く、引退して練習艦となっていたものだ。しかし、今日の戦いで使い捨てるつもりで“深淵の森”から引っ張り出してきたのである。


『これで、面子は揃ったかしら?』

『はっ……!』

『あいつらがいなくなると、“深淵の森”の顔ぶれも随分と変わった気がするわね』

『……』


 エリシュナの笑みも、居並ぶ将校たちの目にはどこか寂しげに映った。

 彼らは“深淵の森”から連れてきた将校たちで、この一戦のために集められた。いずれも腕に覚えのある猛者たちだが、ガーツールを始めとしてエリシュナの側近たちが去った今、ぽっかりと穴が空いたような感覚がエリシュナにはあった。

 珍しいと誰かが言った。


『感傷に浸るエリシュナ様など、エリシュナ様らしくありませんな』

『ゼノキアでの裕福な暮らしになれて、すっかりお姫様になられてしまったんですなあ』


 男たちは小さく笑い声をあげた。

 集められた“深淵の森”の戦士たちは、豪の上にエリシュナとの付き合いが長い者たちばかりだから、言葉にも遠慮がない。たとえエリシュナでも、『言ってくれるわね』と苦笑いして済ますしかなかった。

 だが、その一笑いがエリシュナの気を和らげ、沈みかけた雰囲気を一新させた。

 そんなエリシュナたちの空気を見計らったように、突如、紅い光がエリシュナたちをカッと照らした。続く爆音と衝撃に振り向くと、海からグリュンヒルデの平野に向かう山々の上を、ムルドゥバの魔空艦と魔空艇が進行していくのが見えた。ムルドゥバ軍はグリュンヒルデの糧倉に向けて、嵐のような光弾を放っている。

 鍛えぬかれた豪の者たちでも圧倒されるほどの火勢で、誰もが目を見張っていてその光景に息を呑んだ。


『ムルドゥバ軍は全軍をこちらに向けたのか?』

『いや、情報だと一部、三隻程度と聞いたが』

『あれは倍以上はあるぞ……』


 あまりの数の多さに、誰かが悲鳴のような声をあげた。エリシュナは奥歯を噛み締めながら、通り過ぎようとする魔空艦の列を睨み据えていた。


 ――ケーナで合流したのか。


 未開地だったケーナ地方で開発を進めているのは耳にしていたが、そこでひそかに船を建造していたのだろうか。

 魔空艦一隻に五隻の魔空艇カイトがついている。

 その魔空艇は改良されたものか、魔空艇には一体ずつ魔装兵(ゴーレム)が搭乗している。

 そして進行する魔空艦は八隻。途中の魔王軍でも保有しているのは十隻だが、半分はアルゼナに向けている。停戦してからそれほど月日は経っていないはずなのに、これだけの数を動かせるムルドゥバの生産力と物量にエリシュナは内心、驚いていた。

 確かにその数は驚異だが、ムルドゥバはエリシュナたちの存在に気がついていない。ここまでは予定通りだ。

 さあてとエリシュナは内心の動揺を抑えながら、のんびりした様子でウンと背伸びをした。


『“深淵の森”のみんな。ガーツールやリリベルの弔いの時、そして魔族の誇りと強さを存分に見せつける時がきたわよ。この一撃の成否に魔王軍の浮沈が懸かっていると思いなさい』

『……』

『いいことみんな』


 兵士たちの表情が引き締まり、数百の視線が一斉にエリシュナへと注がれている。

 エリシュナは鍵を模した杖を空に掲げた。


『魔王ゼノキア様より与えられし、新たな魔道具“キーロック”。今から妾が先頭に立ち、この杖で勝利への扉を開いてやるから、あなたたちは後からついてきて、死にもの狂いで戦いなさい。いいわね』

『お一人で、ですか?』


 将の一人が、正気を疑うような目でエリシュナを見つめた。


『妾を誰だと思っているの』


 エリシュナはニヤリと口の端を歪めた。


『エリシュナ様よ』


 エリシュナはこうもりの羽根を広げると、具現化した闘気が紅い炎のようにエリシュナの身体を包んだ。紅蓮の火球は紅い尾を引きながら、一瞬にして上空へと飛翔していった。


  ※  ※  ※


「高熱源体急速接近!数は……たったひとつ?」


 部隊の最左翼に位置するムルドゥバ側の魔空艦のレーダー係が、モニターに映る反応に目を疑いながら叫ぶと、艦長の顔色はみるみるうちに青ざめていった。


「誰だ。まさかゼノキアか」

「いえ、これは……」


 レーダー係が口にする前に、艦橋内に赤い光が満ちた。ぎょっとして艦長をはじめとした乗組員が光が射す方を見ると、窓の外に白いドレスと鍵を模した杖を手にした女が一人佇んでいる。


『これから、妾と鬼ごっこをしましょう』


 女を包む炎は、すべてを焼きつくさんばかりに燃え盛り、おもむろに杖の頭部を艦長に向けた。

 小柄な身体に似つかわしくない強大な魔力の持ち主。

 妖しく光る紅い瞳と冷たい微笑。

 艦長が伝聞でつくりあげたイメージと、目の前に立つ女とが物の見事に重なっていた。


『さあ、妾をつかまえてごらんなさい』

「エリシュナ……!」


 艦長が名を呼ぶと同時に杖――キーロック――の頭部から桃色の光が生じた。


『光栄に思いなさいよ。私の萌花蘭々コスモス!』


 エリシュナの冷笑とともに、次の瞬間には強大なエネルギー波が、吹き荒れる花びらのようになって押し寄せ艦橋にいる者すべてを焼きつくし、艦橋ごと破壊していった。


『まずは一隻目!』


 轟く爆音に赤い炎と黒煙をあげて墜落する魔空艦を一瞥すると、エリシュナは次の魔空艦へと突進した。ムルドゥバ軍の反応は早く、魔空艦や魔装兵(ゴーレム)がエリシュナに向けて一斉に射撃をするも、巧みにかわして容易に当てさせない。

 一隻の魔空艇が体当たりを仕掛けてきたが、まるでダンスを踊っているようにくるりといなした。エリシュナは続く魔空艇の連射をかわすと、その船体を踏み台にして更に翔び、狙いをつけた二隻目の魔空艦の頭上に回り込んでいた。

 既にエリシュナはキーロックを高く掲げ、魔力が頭部の王冠に集められ急速な勢いで増幅していく。


『いっくわよおお!!天蓋式萌花蘭々コスモス・グランドカバー!!!』


 叫び声とともに解き放たれた膨大な高熱の光軸が、全方位に撒かれて流れ星のように落ちていく。放出された熱波は山々の地表を焼き、凄まじい爆音と砂塵を空高く噴き上がらせた。空に満ちる黒煙の中で、魔空艦一隻と魔空艇二隻による爆光が瞬いていた。エネルギー波に砕かれた魔装兵ゴーレムの機体が塵のように散っていく。


『……ちっ』


 狙いとしては魔空艇カイトをもう三隻沈めるつもりだったのだが、向こうはエリシュナの意図を読んで回避あるいはバリアで防いだようである。さすがに魔法というものを知っているだけに、異世界ではアメリカ軍を駆逐した時のようにはいかないらしい。


『まあ、いいわ。次!』


 気を取り直し身を翻した瞬間、黒煙の中に蝶のはばたきを見た。刹那、黒煙を砕き、白い閃光がエリシュナの目の前を奔った。戦慄とともに身体が反応し、寸前で閃光を受け止めると眼前には不気味な光沢を放つ刃と若い男の顔がある。

 唾棄すべき男のはずだが、どういうわけか腹の底から可笑しくて頬が弛んでしまう。相手も同じで狂暴な笑みを浮かべていた。


「相変わらず反応が早えな。エリシュナ」

『相変わらず汚い手を使うのが好きね。リュウヤちゃんは』


 エリシュナはキーロックを押し込んで突き放すと、距離を取るため後方に翔びさがったが、リュウヤは脇構えにして敢然と突進してくる。エリシュナがキーロックで迎え討つ瞬間、リュウヤは瞬時に勢いを増して殺到してきた。


「ずあっ!」


 気合いとともに踏みこんだ一刀を、エリシュナは辛くも跳ねあげてかわし、続く二刀目を受け流して反撃したことでリュウヤが離れ、ようやく体勢を立て直すことができた。


『アナタがいるてことは、竜の姫様や妾をぶん殴ったあのクソガキも、どこかにいるのかしら』

「さあな。自分の身を心配したらどうだ」

『あなたも……ね!』


 言うなり、エリシュナは萌花蘭々コスモスを放ったが、同時にリュウヤの剣からも天翔竜雷アマカケルリュウノイカズチが咆哮していた。

 互いの高エネルギー同士が激突し、凄まじい波動が漂っていた黒煙を四散させ、魔空艦をも後退させていく。

 エリシュナとリュウヤとの間から生じた衝撃で、ムルドゥバの陣形が崩れたのを、エリシュナ見逃さなかった。手を空に掲げ、合図として決めていた“雷鞭(ザンボルガ)”を上空に放つと、山の森林に潜伏していた“深淵の森”の魔空艦の砲口から一斉に火を吹き始め、合図に応じて“深淵の森”の戦士たちがグリフォンを駈り、怒号をこだまさせながらムルドゥバ軍とリュウヤに向けて猛攻を仕掛けてくる。


「やっぱり、用意があったか」


 リュウヤは呻きながらも、躍りかかってきた二人の騎兵を一刀で斬り捨てたが、その隙に乗じてエリシュナが猛然と迫ってきていた。

 リュウヤはエリシュナの繰り出す連撃を“弥勒”で凌ぎながら後退し、周りの状況を素早く確認した。二隻は撃沈、ムルドゥバは分断という形になって、四隻は前進を余儀なくされ、残る二隻はエリシュナたちに足止めされている。

 魔空艇カイトに載る魔装兵ゴーレムも反撃しているが、グリフォン部隊に苦戦している。彼らが放つ矢は強い魔力が籠められている。魔弾銃並の威力があるらしく、突き刺さった矢が魔装兵ゴーレムの腕に当たっては爆発とともに粉砕されていた。


 ――だが、ここからだ。


 幸運にも、仲間が乗る船は沈められていない。シシバルたちが乗る“マルス”は、グリュンヒルデに向けて無傷のまま進行を続けている。ここでリュウヤがエリシュナを凌げば状況は逆転し、ゼノキアもエリシュナの危機に黙ってはいないだろう。


 ――さあ、こい。


 背後から斬りかかってきた騎兵を、リュウヤは振り向き様に槍ごと斬って捨てると、素早く身を翻して剣を構え直し、エリシュナに付け入る隙を与えなかった。


『可愛いげのないクソヤローだこと』

「お互い様だろ、クソ女」


 互いに罵りながらも凶悪な冷笑を浮かべ、共鳴するように二人の凄まじい猛気が大気を揺らしていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る