第172話 そして、決戦へと

 王都ゼノキアを楽器や軍鼓が揺らし、猛々しい魔獣を駆る戦士や物々しく勇装した兵士たちが整然と列を成して城門より北東へと出立していく。空には五隻の魔空艦が鶴翼の編隊を組み、兵士たちを空から護るように飛行していく。

 町に残る魔族も人間も、威風堂々な魔王軍に圧倒されながら軍列を見送っていた。


『……アズライルが先鋒から外れるとは珍しいな』


 軍楽隊の音楽に耳を傾けながら、椅子に腰掛けるネプラス将軍は窓の外を眺めていた。綺麗に刈られた緑樹の庭と屋敷の壁が見えるばかりで、音楽は壁の向こうから聞こえてくる。


『エリシュナ様が志願されたのだ。話には聞いているだろ』


 ネプラスの隣でタギル宰相も椅子に腰掛け、並ぶように窓の外を眺めていた。タギルは最前線の町アルゼナへ向かうよう命じられ、出立前、ネプラスの下に挨拶へと訪れていた。

 普段、後方にいるタギルが陣列に加わったのは、王都ゼノキアを守備した手腕を評価されてのものである。


『あの女狐とはもう呼べんな』


 ネプラスが小さく笑うと、タギルも口の端だけ歪めた。

 ネプラスもタギルもエリシュナを『油断のならない人物』と警戒していた側である。才気はあっても高飛車、傲慢で酷薄な性格。目だけは笑わず品定めするような鋭い視線は、ある種の人間に警戒を抱かせるのに十分な力を持っていたのだ。


『ゼノキア様は、エリシュナ様に惚れ込んでいたからな。ルシフィ様が放逐されて、悪女、傾国の美女とはかくの如しかと嘆いたものだが』

『明らかに野心を抱いていた節が無いでもなかったが、思い返してみると、変わったの異世界から帰って来られてからかな』

『ゼノキア様が寝ずに看病したと聞くが』


 事実だとタギルはうなずくと、しばらくお互い顔を付き合わせていたが、腑に落ちた気がして窓の外に視線を戻した。


『やはり、それかな』


 ネプラスの呟きにタギルは応じず無言のままだったが、雰囲気で同意しているのは伝わってくる。

 ゼノキアは政務の間もエリシュナの傍で自らも手厚い看病し、食事も常に一緒だったと聞いている。それがエリシュナの弱った心をしっかりと掴んだのだろう。


『その辺りは、さすがにルシフィ様の父御だな』

『まったくだ』


 ネプラスも同じことを考えていたから、タギルの発言に思わず声をあげて笑ってしまっていた。室内に男二人の括達な笑い声が響いていたが、やがてそれも落ち着くと、タギルがそろそろ行くと立ち上がった。


『タギル、見送りに行けなくて済まないな』

『気にするな。その分、留守をしっかり頼むぞ』


 留守かと足をさすりながら、自嘲気味にネプラスは笑った。


『こうなってしまっては、家で留守番しかできんがな』

『泣き言など聞かんぞ』


 冷淡なタギルにネプラスが顔を上げると、タギルの厳しい目とぶつかった。


『泣き言言うなら、さっさと“将軍”の座ををアズライルにでも譲るべきだったな』

『お前もつれないことを言うな。軍務の処理などもあるし、タイミングというものがある』

『それだけ、“将軍”という地位は重いということだ』

『……なるほど』


 足をさすりながら、考えを改めてネプラスが言った。不具に等しい身体の苦しみを古き友人に洩らしてみたものの、結局はただの愚痴でしかなかったようである。


『将軍たる者が、泣き言を言ってはいかんわけだな』

『そうだ。俺も“宰相”。その座にいるなら、老いも若きも健常不具も関係ない。それだけの重責を一手に担っている身。人に愚痴を言うなら、さっさと退くのが筋だ』

『“俺”か。学舎以来だな。あの“へなちょこ”タギル君が、立派になったなあ』

『馬鹿どもが、私をわかっていなかっただけだ』


 学業こそ秀でてはいたものの、タギルは魔族どころか人間の中でもかなり非力で、魔力もさしたるものもなく、へなちょこといじめの対象だった。ネプラスと何故か気が合って今に至るが、タギルは少年時代の当時を思い出したのか、顔を真っ赤にして憤然としている。そんなタギルをネプラスは微笑して見守っていたが、ふと真顔に戻して口を開いた。


『……ムルドゥバは南に兵を動かしたらしいな』


 ふむと立ったまま、タギルはうなずいた。


『そうだ。ムルドゥバは兵の一部を割いて、南のケーナに向かったらしい』

『半月前、テトラ・カイムを調査隊の護衛で向かわせたところか』

『アルドもなかなか小細工を使う。あの未開の土地に、経由地として、それらしい砦をつくっていたようだ』


 ケーナ地方は強大な魔物が棲息し、魔王軍ですら容易に手を出せない土地だった。しかし、調査隊を送りテトラ以下白虎隊によって、状況を把握させた後で魔装兵ゴーレムを送り、開発を進めていったようである。魔族ですら恐れる地に足を踏み入れ、短期間で自分たちのものにしてしまった人間の冒険心と技術力に、タギルは慄然としたものだった。


『アルゼナ方面は、虚兵というわけかな』

『ムルドゥバもこちらもな。分断を狙っているというのが大方の予想だ』


 兵站地として魔王軍の物資食糧の備蓄はアルゼナの城が担ってきたが、ムルドゥバの侵犯に備えて、ある場所に兵站地を移していた。

 天嶮の要害、生命線。

 広大な平原はあるものの、堅牢けんろうな山々が平原を囲み、山の麓を海に流れ込む深い河があり、容易に侵略を許さない。

 時代は変わり、魔空艦が空を翔け、魔装兵ゴーレムが地を疾駆する時代になっても、その自然の要害の価値は変わっていなかった。


『向こうは食糧や燃料など物資に乏しい。死にもの狂いで主力を当ててくるだろうな』


『だからこそ、私がアルゼナに向かい、虚兵を指揮する。彼の地ではゼノキア様自らが指揮し、彼の地に潜んでムルドゥバを魔王軍の精鋭で迎え討つ』


 ムルドゥバの動きを察知したゼノキアは、気がつかないふりをして敵を誘い込み、魔王軍の主力をぶつけて一息に叩き、打撃を与えたところでアルゼナから挟撃するというのが軍議でまとまった作戦だった。

 空を飛行する能力がない魔装兵ゴーレムの戦力を割かせるためにも、海上で戦う案もあったが、ムルドゥバを油断させるには誘い込みの方がいいというミスリードの案が採用された。

 本人曰く、『やっぱり誘うにはお酒飲ませて、こちらから面白い話してあげた方が相手も気が緩んで、部屋に連れ込みやすいのよね』ということだったが、そこから自身の赤裸々エピソードを交えて語り出したのには、さすがのゼノキアも呆れて閉口していたのだが。


『軍議では油断を誘うと言う話でまとまったが、ムルドゥバも彼の地に誘導していると承知の上で、仕掛けてくるだろう。こちらも承知の上で決戦に挑む』

『読み合い、読み合いの行きつく先は、正面からの殴り合いか』

『決戦とは、そういうものかもしれん』

『……いずれにせよ、あの地での勝敗が決め手となるか』


 ネプラスが言うと、タギルは緊張した面持ちで大きくうなずいた。


『グリュンヒルデ。かつて竜族と雌雄を決した地。このような戦とは、何かと縁が深い土地のようだな』


  ※  ※  ※


 テトラ・カイム以下白虎隊を乗せた魔空艇三隻は、本隊より半日遅れてムルドゥバを出発していた。急なエンジン故障で乗り換えを余儀なくされたからで、ムルドゥバには替わりがなく、エリンギアで代替機を借りて、南方に向かった主力部隊を追っていた。

 一隻15名。

 出発が遅れて白虎隊の戦士たちに焦りの色があるのが伝わってくる。何となくいたたまれない気持ちになったテトラは、兵士たちから背を向けるように窓に寄り掛かっていた。目では見えないが、魔空艇カイトの下には蒼い海が広がっているはずだった。


「こういうのって、ついてないて言うのかな。戦争から少し遠ざかるわけだし、ついてないとは違う気がするけど」


 窓の外を眺めるような格好でテトラが誰ともなしに呟くと、隣にいた副長は首を傾げて小さく唸った。


「わずかに死が遠ざかったからと、結局、死んでは意味がありませんよ。朝飯が遅いか昼飯が早いかくらいの違いしかないかと」

「だよねえ」


 テトラは嘆息した。

 別に戦を好むわけではないが、作戦に支障をきたすわけだから、それは戦況の行方や前線の兵士たちの命に関わる。


「とにかく急ぎましょ」


 テトラが操縦士にもう少し速度を出すように操縦席に顔を向けた時だった。「あれ?」という不審な声とともに、副操縦士側から「海上に不審な漂流物」という声がした。


「……何?」


 テトラの意を察した副長が操縦席に向かい、副操縦席から窓の外を覗き込んだ。あっと副長が声をあげた。


「テトラ隊長!船、船の残骸のようです」

「残骸?」

「おそらく、沈没した船のものじゃないでしょうか」

「もう少し状況を教えて。高度下げられる?」


 一度方向を変えて、ムルドゥバの警護隊に連絡させないとと思いながらテトラが言った。こんな時、人の目を借りないと状況を把握できないのがもどかしい。

 重圧がテトラの身にかかり、魔空艇が旋回していくのがわかった。高度が下がっていくにつれ、操縦席側からは異様な雰囲気が伝わってくる。


「どうしたの?」

「海に人らしき死体が多数……、焼け焦げた痕、明らかに何者かに攻撃されてます」

魔空艇カイト、着水用意!我が船はただちに救護活動、一隻はムルドゥバ警護隊に応援要請。他一隻は周辺地域の警戒にあたれ!」


 報告を聞いたテトラの決断は早かった。ムルドゥバを襲撃した敵の仲間が、まだ残っていたのかもしれない。

 テトラの指示に魔空艇は大きく旋回し、波を切って海上に着水した。兵士たちはあわただしく鎧を外して裸となり、外へ飛び出していく。本来の任務ではないが、焼け焦げ飛散した漂流物や浮かぶ死体を目の当たりにすれば、ただ事ではないと容易に想像がつく。


「ひでえな、子どもばかりじゃないか」


 左翼に佇むテトラの耳に、絶望したような誰かのうめく声が届いた。彼だけでなく、重苦しい兵士たちの気持ちがテトラの身体に突き刺さり、胸をきりきりと苦しめてきた。


「生きているのがいたぞ!女だ。女一名!」


 生きている。

 頭をガツン殴れたような衝撃があった。

 ざぶざぶと海をかき分ける音がテトラに近づき、女と思われる身体が魔空艇の翼にあげられた。

 テトラは女の前にしゃがみこむと、手を掲げて治癒魔法を唱えた。衰弱と傷の治療は別だが出来る手当てはしなければならない。


「大丈夫あなた。しっかりして!」


 テトラが呼び掛けると、うっと女が呻いた。


「テトラ……さん?」

「え?」

「……わたし、セリナです。……セリナ・ラング」


 セリナ・ラング?

 予想もしない名前を聞いて頭の中が真っ白になった。集中が切れ、魔法が途切れそうになった。


「どうしたのセリナさん。なんで、こんなことに」

「みんなは……、みんなは?」

「ええと……」


 返答に迷うテトラに、セリナはうっと声を出すと、衰弱しているとは思えないほどの強い力でテトラの腕を掴んできた。

 身体の震えがテトラを揺さぶってきた。


「……アイーシャがしたんです」

「どういうこと?」

「聖霊の神殿に向かう途中だったんです。ムルドゥバの魔空艦が来たと思ったら、鎧を着た影がここに飛んできて、アイーシャがその影に乗っ取られて……。そしたら、そしたら……みんな、みんな黒焦げに……」

「わからないセリナさん。ムルドゥバの魔空艦?鎧を着た影?なんのこと」


 テトラの脳裏には、アデミーヴと呼ばれる“人型兵器アデミーヴ”の名が浮かんでいる。

 だが、テトラもその存在を噂でしか耳にしたことがないし、先の事件で実戦投入されたと聞くが実用には遠いという話を耳にしている。加えてアイーシャとアデミーヴとの繋がりが想像も出来ず、ただ混乱を招くだけだった。


「アイーシャは、ムルドゥバの魔空艦と一緒に行ってしまいました……」

「わかったわ。アイーシャちゃんを探すから、警護隊の人が来たらそれに乗って……」

「嫌です。アイーシャを助けないと」


 テトラの腕を掴む手に力が増した。声には恐怖と怒りと絶望が混ざっている。意識が混乱しているのではなく、その言葉にはある種の確信があって言っているようにも思えた。


「アイーシャはきっと戦場に向かったはず。テトラさん、私を連れていって下さい」「でも、一般人を連れてはいけない」

「お願いです。どうか。どうか……!」


 セリナの鋭い視線が盲目の瞳に、ひたと向けられているのをテトラは感じた。

 細い指先と、向けられる鋭い視線から伝わる鉄のような固い意思と吹き荒れる炎のような怒りが、テトラを震撼させた。


「お嬢さん」


 副長が見かねたように間に入ってきた。


「あなたは混乱しているんだ。少し休みなさい」


 言葉を柔らげてセリナに話し掛ける副長に、テトラは手で制して遮った。


「副長、警戒中の魔空艇カイトを降ろして」

「はい?」

「私はセリナさんと……、この人を連れて本来の任務に戻ります。副長は残って警護隊が到着まで現場の指揮をして。……何をしているの。早く指示を!」


 テトラが呆然として立ちすくんだままでいる副長に気がつくと、語気をあらげた。普段、気さくで温厚なテトラと異なり、撃剣時のような気迫におののいて、副長や周りにいた兵士たちは顔色を変えていた。副長が急いで信号を送るよう指示する傍らで、テトラはセリナの手を優しく包み込むように握った。


「セリナさん。アイーシャちゃんに会いにいこう」

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