第146話 魔王軍文武百官、一堂に会す

 王都ゼノキアの朝議の間に、文武百官一同に会するのは開戦時以来一年ぶりで、懐かしきと久闊を叙して語る者もいれば、あれはもういないかと嘆ずる者もあり、会うなり涙ぐんで『目にゴミが入っただけだ』と強がるへそ曲がりもいれば、さしたる感慨もなくつくねんと佇む冷淡な者もいる。

 そんな冷淡者でも、将軍ネプラスの容態に武術師範ベリアと情報局長マルキネスの死と、それらに関わったリュウヤ・ラングとその一味の噂については、さすが関心を示さずにはいられず、他人の話に聞き耳を立てていた。


『ベリア師範にマルキネスにネプラス将軍か。わずか数週間で随分と寂しくなったな』


 一人の将校が深いため息をつくと、相手のまったくだと暗い顔をした。

 竜の力を失ったリュウヤ・ラングの存在を、魔王軍の誰もが軽視していた。

 クリューネらと行方知れずと聞いても、バハムートの変身も時間が限られていることは掌握済みだったし、大したことはできまいとタカをくくっていたと言っていい。

 それが一日で前線を上回る被害をこうむり、完全に実力を見誤っていたというのが将官たちの実感だった。


『ネプラス将軍はいまだに寝込んでいるらしいな』

『いや、立てるとは耳にしたが、負傷した腰骨の回復具合が悪く、もはや戦えない身体らしい。アルゼナにいる嫡男が当主となったとか』

『三人ともアルゼナにいるはずだろ』


 アルゼナはベリアがリュウヤ・ラングに討たれた町であるが、兵担地として魔王軍の重要拠点のひとつでもある。ネプラスの息子たちはいずれも勇将と知られ、嫡男のペルセナは長官、他二人は補佐として副官に任じられていた。


『だから、今日は代役だ』

『ああ、それで……』


 将校の一人が末席である列の後ろを一瞥した。長身の色白な女剣士が、緊張した面持ちで立っている。


『ネプラス将軍の娘リディアか。たしかに評判通り、えらい美しい娘だな』

『美人だが、滅法気が強いらしいぞ。事件に真っ先に駆けつけて、単身でリュウヤ・ラングに向かったそうだからな』

『その割に、あんな隅にいるなんて、随分と殊勝なところがあるじゃないか』

『気をつけろ。さっき声を掛けにいった奴が、“あなたに興味はない”と手酷くやられてたよ』

『それはそれは……』


 将校たちは互いに苦笑いして肩をすくめていた。そんな男たちの軽口を知りもせず、リディアは居並ぶ将官たちを見回していた。

 父ネプラスの代理として、諸将を見定める位置に都合が良いから隅にいるのだが、その中でも一際目を引いたのは、獣王アズライルの大きな後ろ姿だった。

 堂々と佇立する姿は圧巻で、憧れとも言えるアズライルと将校の一人として同じ間に立つなど、数年前のリディアには想像もできないことだった。アズライルは何か考えごとをしているらしく、腕組みをして近寄り難い雰囲気を醸し出している。


 ――どうしよう。


 勝ち気な娘は迷っていた。

 アズライルは朝議の間に入る時から深刻そうな顔をし、ネプラスの娘であるリディアに気がついた様子もない。かといって、アズライルの雰囲気は近寄りがたく、こちらから挨拶にいったものかどうか迷っていると、甲高い声が広間に響き、リディアは声の主にギョッとした。

 リディアだけではなく、居並ぶ群臣が目を丸く、或いは失笑、若しくは苦々しい表情で視線を送っている。


『お化粧に手間取って、あやうく遅れるとこだったわあ』


 濃い化粧でも隠しきれない口周りの青髭。

 純白ドレスの衣服をまとった細面の中年男が、手をひらひらさせながらアズライルに近づいていく。


『アズにゃん、おひさあ』

『きちんと“アズライル”と呼べ。ミスリード』

『やあねえ、私とアズにゃんの熱い仲でしょう。あんなに濃密な旅の時間を過ごしたのにい』

『……』


 アズライルは不快そうに顔をしかめ、周りで呆然と見てくる将官を睨みつけた。

 アズライルの眼光を恐れて、将官たちはそそくさとアズライルから距離を置き、慌てて傍の者と天候や衣服のほつれだとか、適当な話題を見つけては雑談を始めた。


『……貴様も魔導士部隊を束ねる軍団長だろう。言葉遣いくらい改めんか』

『アズにゃんて野獣とか粗豪とか言われながら、案外そゆとこうるさいわよね。ちょっと前まで、野人て感じがまだあったのに』

『俺たちは、今は将にも規範を示して、兵を律し束ねる立場の軍団長だぞ。当たり前のことだ』

『変に真面目すぎ。そんなんだから、いまだに独身なのよ』

『……んな』


 声をあらげそうになったところに、ミスリードが『食べる?』とにこやかに紙袋を差し出した。見ると、中にはアズライルの好物であるパンケーキが入っている。


『来る途中買ってきたのよ。まだ時間あるし』

『……貰っておく』


 憮然としながらもアズライルは袋からパンケーキを取り出した。倣って、ミスリードもさっそく頬張り出す。口をモゴモゴさせながら、ミスリードはまったくねえと言った。


『料理に洗濯、裁縫も修繕も出来て、ホントなら手間掛からない旦那なはずなのにねえ』

『……わかったから、もう、よせ』


 アズライルは外見の割に手先が器用な男で、下手な職人程度には自分で身の回りが始末ができる。

 着ている士官服も自分で仕立て直したものだし、“ハエタタキ”もゼノキアまで戻る間に、使いやすいように自分で修繕していた。

 さすがに屋敷の掃除や洗濯などは住み込みの老夫婦に任せているが、事務仕事や獣王部隊を指揮する直属の部下なども家に出入りする程度なので、他家に比べて人がいないに等しく、邸宅はアズライルの巨体でも広すぎるくらいだった。

 それでもアズライルが独身なのは、“獣王”という粗暴な印象から躊躇する家が多く、実際にその名に相応しい生き方をしてきたことが大きい。加えて、大概は一人で用事が済んで積極的に求めはしてこなかったので、何となく今日まで独身のまま過ごしてきたのだった。

 それがミスリードに見透かされたのが腹立たしく、アズライルは忌々しげな表情を浮かべながら、パンケーキを一口で頬張った。


 ――アズライル殿は独身なのか。


 二人のやりとりに耳を傾けていたリディアは、意外に思って聞いていた。士官服を縫っているアズライルを想像すると、愛嬌があって変におかしく、ひとりくすくす笑っている間に、アズライルとミスリードの話題は変わっていた。


『……それよりも凄かったわねえ。“地獄の花”』

『ゼノキア様の話だと、核兵器という異世界の武器らしい』


 パンケーキを食べ終えたミスリードが言った。

 ミスリードはエリンギアの東側で交戦中、核の爆光を見たという。そこから生じたキノコ雲を、魔王軍は“地獄の花”と呼んでいる。


『私の魔法なんか目じゃないくらいの破壊力だけど、あれが手に入ればムルドゥバなんて、楽勝なんだけどなあ』

『だが、竜の山は放射能とやらの毒に汚染されて不毛の地となった。ゼノキア様の話によれば踏み入れたら最後、不治の病に侵され、血を吐いて苦しみながら死ぬらしい。除染する方法もあるそうだが、そうそう近づける場所ではない』

『……』

『そんなものが、異世界には何十何百万発もあるとか。俺には想像もできん』

『さっきから、考え事してるようだったけど、そのこと?』

『まあな』


 単純に、核の破壊力に驚いていたミスリードだったが、アズライルが難しい表情で唸っている姿を見ていれば、いつまでも浮かれているわけにもいかなくなっていた。ゼノキア様から詳細を聞いているらしいなと、ミスリードは思った。


『今日は、その異世界の話かしらね』

『エリシュナ様も容態は回復はしたみたいだが、まだ報告は何もまとまっておらん。違うだろう』


 首をかしげるアズライルの隣で、ミスリードはコンパクトを取り出して、鏡を覗き込みながら、化粧をし直し始めた。


『それにしても、やっかいなものを持ち込んで来たわね。リュウヤ親子は』

『まったくだ』


 舌打ちするアズライルの耳に、複数のパタパタと足音が近づいてくる。耳慣れた軽い足音から誰かと察して、アズライルは『姫王子め、相変わらず遅いな』と呟いた。


『どうも、こんにちは』


 広間には王子ルシフィが羽毛のようにやわらかな挨拶しながら入ってくる。そのあとにタギル宰相が入ってきた。

 ルシフィは士官服に着替えているものの、細身の身体からはまるで威厳が感じられず、広間の隅にいるリディアには、慣れない舞台衣裳を着ているように見える。

 ルシフィはアズライルと一言二言言葉を交わすと、王子が立つべき玉座が置かれた台座の左端にたった。前手にしてちょこんと佇む姿は使用人を連想させる。


 ――相変わらず、ふわふわゆるゆるしてて頼りないな。


 ぽっきりと容易く折れてしまいそうな華奢な身体なのに、竜の力を持っていた頃のリュウヤと互角に渡り合ったというのが、今でもリディアには信じられないでいる。

 リディアがルシフィを眺めている間に、タギルがルシフィの反対の位置に立つと、誰が言うともなしに将官たちは整然と並びはじめ、アズライルを右端の先頭にして、リディアは最後列の左端に立っていた。


『さて、始めますかな』


 タギル宰相が一同を見渡すと、使役の兵士を促した。兵士が奥に消えると、次第に静寂が朝議の間を支配していった。

 誰もしわぶきをあげず、やがて、兵士を先頭に奥からゼノキアとエリシュナが数名の従者を連れて現れると、ゼノキアから放たれる闘気に圧倒されて、広間の空気は一気に引き締まった。

 酷い傷を負ったという王妃エリシュナの顔の右半分には、白い仮面がつけられていた。表情のない顔のまま、ゼノキアの玉座の隣に立っているのがルシフィたちの目にも不気味に映った。


『皆の者、この一年御苦労だった。負傷した者、この世にいない者、もはや戦えぬ者も数知れないが、その分、彼らの代わりに、新時代の勇者として著しい成長を遂げた者も多い』


 ゼノキアは一旦言葉を切り、群臣を見渡した。


『それ以外の者については追って沙汰するが、この長きに渡った戦争の勲功一等を賞したいために、急ぎ集まってもらったのだ』


 おおっと、群臣からは小さなどよめきが起きた。勲功一等は誰か。その声の唸りがおさまる前に、厳かなゼノキアの声でタギルの名が告げられた。

 タギルは気がつかず、ゼノキアからもう一度名を呼ばれて、きょとんとした顔をしながら玉座のゼノキアを見上げた。


『わ、私ですか?』

『何を間の抜けた顔をする。お前が勲功一等だ。私の前へ来い』

『……』


 予想外のことに興奮を抑えきれず、タギルの顔は真っ赤になっていた。


『後方より潤沢な物資の支援や武器の供給、兵士の補充を行い一年もの長い戦持ちこたえることができた。加えて、リュウヤによって混乱した兵をよくまとめ、その後の治安を短期間で回復させた。こうして安心して家で過ごせるのもタギルのおかげだ。感謝する』

『いえ……』


 タギルは感動して、言葉を詰まらせて俯いていた。

 奥から従者二人がやってきて、ひとりは壮厳な装飾が施された木箱を持ち、ひとりは筒を手にしていた。筒を手にした従者が、ひざまずくタギルに差し出した。


『目録だ。金百斤、絹二万疋、それと……』


 ゼノキアが他の従者に目配せすると、従者が箱を開けて中から一振の短剣を取り出した。タギルはあっと声をあげた。

 知っているようだなと、ゼノキアはニヤリと笑った。


『王家に伝わる聖剣マインゴーシュ。市中見回りで護身用役にでも立ててくれ』


 王家の秘宝のひとつとして知られ、タギルも祭礼の際に一度しか見たことがない。


『こ、このようなものを……』

『ただ眠らしておくのは勿体ない。物は使ってこそだ』


 タギルは感動のあまり、礼を述べることも出来ずに俯いていた。群臣の中には単純な武人もいて、ゼノキアの考えが理解できずに不満を抱く者もいたが、それは一部だけで、他は驚きはしたものの、『さすがはゼノキア様』と好意的に受け入れられていた。

 町は大被害大混乱と聞き、将兵の誰もが不安を抱えて王都に戻ってきている。

 確かに暴徒によって破壊された家屋や建物なども多く、抉られたような傷痕を残す宮廷の状況は見るだけで痛々しいものがあったが、人々には出征前と同様に生気があり平穏に暮らしている。着実に町が回復する姿がそこにはあった。

 無事な屋敷や家族に安堵し、家人から『タギル宰相のおかげ』と感謝の言葉を聞けば、たしかにタギル宰相こそと思わざるを得ない。


『これからも民の慰撫いぶに励むように。頼むぞ』


 ゼノキアのいたわりある口調に、自分もあのように讃えられたいものだと、諸将は感涙するタギルを羨望した。

 和やかな空気が、朝議の間に満ちていた。後はゼノキアから労いの言葉があって解散となる。誰もがそう思っていた。


『……ルシフィ、前へ来い』


 ゼノキアの低い声で、弛緩した空気がピンと張りつめた。穏やかな形相が一変し、怒気をはらんだ鬼のような表情でルシフィを睨みつけている。


『何をしている。早く来い』

『は、はい!』


 アズライル以下の家臣も、今まで感傷に浸っていたタギルもそれどころではなく、何事かと息を呑んで二人の様子を見守っていた。

 ルシフィは緊張した面持ちでゼノキアの前にひざまずくと、ルシフィをの頭上に『貴様の罪は重い』という言葉が重々しく響いた。


『今回の事態を招いたのはルシフィ、貴様の責任だ。自分の役目も忘れて勝手に都から離れ、リュウヤに付け入る隙を与えた。しかもリュウヤに敗れるとは』

『……』

『結果、多くの将兵が命を失い、前線の士気にも影響を及ぼした。このことがわかっているのか』

『……返す言葉も、ありません』


 ルシフィはうなだれたまま、声を絞り出すように言った。独断で軽率過ぎたという後悔は、いつも心の片隅にある。しかしと、ルシフィは決然と顔をあげた。


『ですが、リュウヤさん……いえ、リュウヤ・ラングは父上を狙うおそれがありました。相手が相手なだけに、早急に動く必要があり、そのためには僕が行った方が……』

『黙れ!』


 立ち上がって、ゼノキアが大喝した。

 空気が震え、群臣の身が金縛りにあったように硬直した。最後列にいたリディアは初めて聞くゼノキアの怒声に、心の底から震え上がっていた。その中で、ルシフィだけが悲しい眼差しで、ゼノキアをじっと見つめている。


『この私がリュウヤごときに遅れをとると思うか。私の周りには勇将猛者が控えている。自惚れるな』

『……』


 貴様の罪は重いとゼノキアが再び言った。そして次の言葉に、家臣たちは耳を疑った。


『ルシフィ、貴様を後継者としての地位から外す。加えてもうひとつ』


 怒りに燃えるゼノキアの眼光が、ルシフィの濡れる瞳を焼いた。


『貴様を斬罪に処す』

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