第125話 とあるアメリカ兵について

 遠くから迫る飛行物体を、ケインズ分隊のマーカス二等兵は自分の目が信じられず、砂が付着したゴーグルを何度も擦って目を凝らした。

 何て馬鹿げた光景だろう。


「船が空を飛んでいる……?」


 マーカスとしては船としか言い様がない。本来海や湖に浮かんでいそうな船が、船底に幾何学模様の描かれた光の環を輝かせて空を飛行している。


 ――スターウォーズみたいだよ。


 マーカスは任務を忘れて、船をしばらく注視していた。マーカスだけではない他の兵士たちも同様の表情をして眺めている。


「おい、敵に気づかれるぞ。早く身体を伏せろ!」


 ケインズ分隊の分隊長ケインズ軍曹はさすがに冷静で、隊長の叱咤する声にマーカスたちは我に返り、慌てて闇と砂漠に身を隠した。


「なあ、ミルズ。俺たち、いつの間にかスターウォーズの世界に迷い込んでいたんだな」

「なら、俺たちはデス・スターに乗り込む反乱軍か」


 そう言って、マーカスの隣にいるミルズ二等兵はククッと笑みを洩らした。戦闘を目前に笑っている場合ではないはずだが、マーカスにしても現実味を感じない。ミルズも同じ思いなのだろう。


「……?」


 船と空軍との戦闘を眺めているうちに、暗い雨空に光が瞬いたのを目にした気がした。その後に凄まじい轟音と稲光が空を駆け抜けていった。


「雷か……?」


 稲妻に誘われるように顔を上げてみたものの、直後に吹き荒れた砂の嵐が襲いかかってきた。


「うわわわっ!!」


 雨でべっとりと濡れた砂がマーカスや兵士を覆い、マーカスは吹き飛ばされないよう砂漠に身を伏せるのに精一杯で、確認どころではなくなっていた。

 空に蝶が羽ばたくのを見た気がしたのだが。


「ひっでえな、こりゃ……」

「マーカス、この嵐だ。不用意に顔を上げるなよ」

「わりい」


 マーカスは素直に謝って顔を伏せて、視線だけを砂漠の丘陵に向けた。

 風に吹き上げられた濡れた砂が、衣服やその隙間に積もって重みを増していく。

 ゴーグルをつけているが暗闇と砂嵐のために視界も悪く、ポイントまでアサルトライフルの“M4”を抱え身を低く屈めながら移動しているものだからいかに鍛えている兵士たちでも既に息が乱れ始めていた。

 

「……この雨、訓練だったら中止になるのになあ」


 マーカスぼやくとミルズはまったくだよと同意した。

 ミルズは同じ時期に入隊し、気の合ったためにネリス基地ではどこに遊びに行くにも一緒の仲だった。

 ノースカロライナ州の出身だという。


「でも、これは実戦だ。マーカス」

「そうだな」

「俺たちにしたらチャンスだ」

「まったくだなミルズ」


 チャンスだと、マーカスはミルズの言葉を噛み締めた。

 マーカスとミルズは陸軍の兵士の誰もがそうであるように、陸軍特殊部隊への入隊に憧れていた。

 選ばれた戦士。軍の先鋒。アメリカを守り、未来を切り開く英雄。

 将来の目標。夢。

 そのためには訓練で好成績を納める他に、何より実戦を重ねることだ。

 その実戦が今、目の前にある。

 本来、この任務は特殊部隊が請け負うものだが、ほとんどがシリアに出払っていて、マーカスたちが所属する一般部隊に白羽の矢が立ったのである。

 敵は船を模した戦闘艇で、嵐を避けるために低空飛行続けながら西へ進行しているという。マーカスら一般部隊はデスバレーの砂漠に先回りして潜伏し、テロリストたちを待ち受けていた。ケインズ分隊はその先鋒と言える位置を任せられていた。


「でも、無線もレーダーも使えないて状況が怖いよな。頼るのが、自分の目やに耳だけてのが」

「何を言ってんだマーカス。それが“戦い”の醍醐味だろ。それに俺たちがいるじゃねえか」


 ミルズが明るい声で言った。敵が発する強力な電波妨害で衛星カメラや無人飛行機も使えない。無線も使えず、連絡には信号機を使った光信号を送って取り合わなければならない。

 頼れるものは、自分の耳と目。そして十二人の頼れる仲間たち――。

 そこまで考えた時、肩に重い手がのる感触があった。振り向くと隊長のケインズ軍曹が傍にいる。顔をマーカスに近づけ、気合いだぞと力強く言った。


「俺たちならやれる。クソ野郎の船に乗り込んで、俺たちの国を守るんだ」

「は、はい……」


 船を強襲して乗り込み、核を奪還する。戦闘機も装甲車両もあくまでも囮、核を奪還するマーカスたち歩兵部隊がメイン、それが司令官からマーカスたちに与えられた任務だった。


「帰れば、俺は英雄だ」


 兵士たちに声を掛けに行くケインズの背を見送りながら、マーカスは呟いた。

 任務を受けた時、兵士の誰もが興奮状態にあった。出発の際、一人は「俺たちは正義だ」などと咆哮したものだ。

 そうかもしれない、とマーカスは思う。

 エリシュナと名乗る女テロリストは、これまでに数ヶ所の村を破壊し、多くのアメリカ人を殺傷してきた。しかも、残された死体の状況から食われた痕があるという。聞いているだけで胸がむかむかとする内容だった。恐怖より怒りが先に立っていた。

 この怒りは正しいと、マーカスは確信している。

 海外に派遣されたとしても、国家の既存利益を守る、新たな利益の獲得という極端に言えば金の話でしかない。

 だが、これは違う。

 母国が蹂躙され、自分たちの国民が殺されているのだ。そしてテロリストは恐ろしい核兵器を奪い、を脅かしている。

 国の威信と人類を守るために戦う。これが俺たちの本分なんだと、マーカスの胸中は誇り高い使命感に高揚していた。


 ――この任務を成功させたら。


 人々の賞賛。言い寄ってくる娘たち。軍からの勲章。

 晴れて栄光の特殊部隊へ。

 想像しただけでも、高揚感で身体がふるえるようだった。

 夢まであとわずか。

 銃把を握りしめたマーカスの耳に、嵐に紛れて爆音と船が放つ駆動音が響き渡る。

 作戦通り、敵の船は空からの迎撃に集中して、地上部隊の存在には気がついていないようだった。


「強襲準備!通信官、各隊に信号を送れ」


 ケインズの命令に通信官が周囲に潜伏する各隊に向け、信号機を掲げた。チカリと瞬いた灯りが不意に途切れた。


「おい、何してる」

「いえ、急に手が軽くなって……」


 通信官の声が急に止まった。通信官の身体が震えはじめたのが、暗闇でもケインズにはっきりとわかった。


「俺の、俺の手が……」

「なんだ。おい、どうした」

「俺の手が無いんです。隊長、俺の手が……!」


 通信官が掲げた腕に、ケインズも周りの兵も言葉を失っていた。

 数秒前まであったはずの通信官の右腕前腕が、消失している。切り取られた赤い肉が剥き出しとなり、そこから思い出したように大量の血が噴き出してきた。


「うで、俺の、俺の、俺の、腕、腕があああああ!」

「敵だ!敵がいるぞ!」


 耳を塞ぎたくたるような絶叫をしながらのたうち回る通信官を押さえ込み、ケインズが指示を送るとマーカスたちは急いで円形に隊形をつくって銃を構えた。

 通信官の悲鳴だけがこだまする中、マーカスたちは恐怖と緊張に苛まれながら暗闇を注視していた。

 何だ。何が起きた。

 どんなことをしたら、あんな風に身体が斬られる。


『……エリシュナ様がおっしゃられた通りだった。こんなところに人間が潜伏していたとは。しかし、残る人間は最早こいつらだけ』


 風に紛れて不意に声がした。明らかに若い男の声だった。

 だが、英語でも中東圏でもアフリカの言葉でもない。男は聞いたこともない言葉を使っていた。


「誰だ。止まれ!」


 ミルズが銃を向けた瞬間、ヒュンと風が鳴った。闇に何かが煌めいたのはわかったが、その正体は誰もわからなかった。

 しかし、ミルズの首が両腕ごとだけは誰の目にも明らかだった。


『なかなかの反応。よく訓練されている。確かに兵士どもを先発させていれば痛い目を見たかもしれない。これは私の役目』


 再び風が鳴った。今度は連続して聞こえ、マーカスの周りの男たちは、一瞬にして首をはね飛ばされ、声も無く砂地に埋もれていった。マーカスが逃れることができたのは、よろけて思わず尻餅をついたおかである。

 あっという間に仲間が殺され、残ったのはマーカスと通信官を手当てしていたケインズだけとなっていた。


『生きていたか』


 サクリサクリと砂を噛み近づいてくる音がした。やがて光とも言えない光に浮かび上がる男の姿にマーカスたちは驚愕した。

 長身で華奢にも見える体つきは、惨殺行為をしてきた人間のイメージとかけ離れている。

 銀髪の男は悲しげに首を振っていた。


『私もリュウヤ・ラングやバハムートと手合わせしてみたかったが、エリシュナ様はあの二人に敵わぬとおっしゃる。辛いことだ。我が斬糸剣“アリアドネ”が、バハムートはおろかリュウヤにさえ敵わないと言われるとは』

「貴様、何を言っている」

『しかし、私には私のやるべきことがある。私はただ、任務を遂行するのみ』

「貴様、だから何を言っているのか聞いているのだ!」


 ケインズが拳銃を抜いた瞬間、風が鳴った。

 マーカスの目の前で、ケインズの身体は通信官とともに一瞬で輪切りにされて、これで通信官の手当や、悲鳴に悩まされることもなくなった。


『私の名はガーツール。エリシュナ様の第一が臣』


 ガーツールは表情も変えず足を運び、へたりこむマーカスの前に立った。不意に空を見上げ、釣られてマーカスもガーツールの視線を追った。

 空に青白い光を放つ蝶と、炎のように燃え盛る桃色の光が衝突し、凄まじい衝撃音を地上にまでせている。


『エリシュナ様。第一が臣として、この強さをあなたに認められたい』


 マーカスは嘆息するガーツールの、女のように細い指一本一本からキラキラと光るもの見た。風に煽られたなびくそれは、ピアノ線のようにも思えた。


 ――あれが“風鳴り”の正体?


 刹那、マーカスはヒュンと風が鳴ったのを耳にした気がした。

 急に視界は漆黒に染まり、次の瞬間にはマーカスの頭部は意識は永遠に途切れたまま、砂漠に転がって、ガラスのような瞳で虚空を見つめていた。




 アメリカ陸軍所属マーカス二等兵18歳。

 彼の夢は、彼の死体と幾多の仲間とともに、砂漠の中に埋もれて消えた。

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