第十一章 Radio Nowhere

第124話 荒野より君に告ぐ

日本を発つ時は晴れ晴れとした青空だったのに、魔空艦が太平洋に出ると次第に雲が増え、ハワイを過ぎた辺りでその雲も厚く重く暗いものへと変わっていった。


「大雨になりそうだな」

「大雨どころじゃない。大嵐じゃな。この気温だと、竜巻まで発生するかもしれん」


 クリューネが操舵室から空を睨みながら言った。リュウヤも天候の読み方は昔に習っていたが、クリューネには竜族独特の勘があるのか、もう少し具体的だった。

 リュウヤは小野田から借りたスマートフォンに目を落とした。魔空艦が出発してから、現地の天候や情報の検索を行っているが、“Recerving page”のままでページが変わらない。

 小野田の話ではこのスマートフォンは特別製で、世界中のどこにいても繋がるという代物だったが、魔空艦に使われる魔力の影響なのか、電波障害を起こしてまともに動かない。

 唯一、モザイクのようなニュースキャスターが映る日本のニュース番組が、何とか見られる程度である。

 リュウヤは検索を諦めてニュース番組に戻すと、スマートフォンを脇の小物を置く小テーブルに置いた。


「どちらにせよ、今のうちに雲の上を飛んだ方が良さそうじゃな」

「了解」


 クリューネの提案に、リリシアは素早くキーボードで入力すると、船底の魔法陣が輝きを増した。


「よし、魔空艦“グレートバスタード”よ。上昇じゃあ!」

「“グレートバスタード”?何だ、それ」


 突然意気高揚して意味不明な名を告げて叫び、後ろから身を乗り出すクリューネに、副操縦席のリュウヤも操縦席のリリシアも唖然としている。


「前にアイーシャとテレビ見てたら、動物番組で鳥の特集やっとったら、そんな名前が出てきてな。響きが気に入ったからそれにしたんじゃ。この船には名前無かったし、この際だ。ちょうどいいじゃろ」

「まあ、別に悪かないけど……」


 無邪気な提案にあえて反対する理由もなく、リュウヤとリリシアはうなずいて了承した。

 日本語をまだ十分に解しないクリューネはもちろん、リュウヤも鳥に詳しいわけではないから気がつかなかったが、水鳥の一種だと誰も知らない。

 ぼんやりテレビを眺めていたクリューネは、グレートバスタードを襲っていた、勇壮なタカの名前だと勘違いしている。


「よし、改めて“グレートバスタード”よ。軽やかに空高く羽ばたくのだ!」


 鳥の中で、最も重い鳥と言われる“グレートバスタード”にクリューネが呼び掛けると、船は更に上昇し、厚い雲を貫いていった。やがて“グレートバスタード”が雲上に出ると、頭上から眩しい太陽が燦然と船を照らした。

 蒼弓の空と見渡す限り雲の平原が広がり、視界を遮るものは何もない。あと三十分もすればアメリカ大陸に入るとクリューネが言った。


「リュウヤ。まだ、向こうでは動きはないのか」

「いや、アナウンサーが騒いでいるだけだな」


 テレビでは核の研究所を占拠した際らしきエリシュナの映像が頻繁に流し、その間にアナウンサーやコメンテーターが見解を述べるのだが、憶測の域をでないものばかりだった。


「リュウヤ。ネットとやらで、情報は掴めんのか」

「アクセスからどうしようもない。それにどうせろくな情報もないよ」

「何でわかる」

「犯人探しで一生懸命だからな」

「犯人?誰のことだ」


 リュウヤは答えなかった。

 リュウヤの念頭には霊園までの車中、小野田から聞いた話がある。

 昨日の臨時ニュース後、ネットの書き込みだと、事件の重大性よりもエリシュナが発した“リュウヤ”や“アイーシャ”とは何者かといった関心の方が強いという話だった。

 関係の無い人間の住所や氏名がネットに晒され、“さっさと出ていけ”“迷惑だ。殺されろ”、“逃げるな偽善者”といった誹謗中傷が多数並べ立てられているという。

 もしも自分やアイーシャだったらと、恐怖に苛まれた人間の冷酷さにリュウヤは背筋が凍る思いがしたものだが、その冷たさはどこかで体験した記憶があるとリュウヤは思った。

 それがどこだったかと記憶を探り、その正体に思い至るとリュウヤは顔をしかめた。


 ――冷たいのは、どこの世界でも同じか。


 リュウヤは苦笑いして、副操縦席の背もたれに体重を預けた。

 リュウヤは人間とって敵なはずの長官リルジエナに肩を持ち、リュウヤに石を投げてきたメキアの住人を思い出している。

 当時は今の生活の安定を望みリュウヤに反発していたが、リルジエナ亡き今は町の商人たちが人間らしい生活を求めて運動し、人間たちによって町が運営されている。

 リュウヤがレジスタンス参加後に、商取引でメキアの人間と顔を会わせたことがある。

 面識のない人間で、向こうもリュウヤと気がつかなかったようだが、リュウヤの存在など無かったかように、自分たちの力でリルジエナを倒し、町を取り戻したと誇らしげに語ったことに呆れたものだった。

 

「……どこも人間はしょうもねえよな」

「なんじゃ、さっきから陰気にボソボソと。これから戦いに行くというに。お主がそれでは士気が下がるわ」

「……悪かったよ」


 リュウヤは苦笑いしてクリューネに謝り、傍らのニュース映像に視線を落とした。相変わらすの酷い映像だったが、「アメリカ政府に動きがありました」とアナウンサーの緊張した声ははっきりと伝わってきた。

 画面が切り替わり、青いカーテンを背に、壇上で初老の男が厳かな口調で話している映像が映し出された。画面の隅に赤と白の横縞模様の旗らしきものがある。背広姿から国防相といった大臣かもしれないとリュウヤは見当をつけた。

 男が話す後に、翻訳する女のぎこちない声が途切れ途切れに続く。


“……我々は国家の威信に懸けて、これ以上無法なテロリストを放……せん。……これまでテロリストは不可思議な電磁波を放ち……を確認にする……できませんでした。……しかし、今はデスバレー……にあると確信しています。……既に軍の戦闘機がネリス、グルームレイクより出撃しており、……分もあればテロリストを駆逐できる……ています”


 そこまで聞いて映像を切り、バカヤロウとリュウヤは苦い顔をして舌打ちをした。

 不安そうに見つめるクリューネとリリシアに、リュウヤは急ごうと言った。


「……無駄に人が死ぬだけだぞ」


  ※  ※  ※


 弾丸のような雨粒が艦橋を叩きつける中、エリシュナは艦長席に寄りかかってモニターに流れる映像を愉快そうに眺めていた。リュウヤが見ていたスマートフォンの映像ほどではないが、かなり乱れて時おり映像が静止する。

 アメリカの国防相と名乗る大臣が、青ざめた面持ちで演説をしている。細かい内容はわからなかったが、こちらに喧嘩を仕掛けにくるのだと、おおよそのところは見当がつく。


『……目が疲れる。私には堪えますな』


 艦長は映像から視線をそらし、目をマッサージして耳だけを傾けた。毒電波を浴びているようで気分が悪い。見ても見なくても同じだと、艦長は自分の目を休ませることにした。


『今のうちに休ませときなさい。奴らが来たら、そんな暇無くなるから』

『たしかにそうですな』


 戦闘に突入すれば激しい爆音と極度の緊張、そしてエリシュナの高笑いや金切り声で頭痛に悩まされることとなる。

 平静を装いながら、艦長はいじわるく考えながら目を揉んでいた。

 国防相の会見が終了すると、モニターは周辺地図を示した画像に切り替わり、それまで息を呑んでモニターを眺めていた魔空艦のスタッフが、夢から覚めたように動きが慌ただしくなり、艦橋内は喧騒に満ちた。

『それにしても、“死の谷”とは不吉な地名ですな』


 マッサージを済ますと、艦長が窓の外を眺めながら言った。

 黒々とした雲の下に荒涼とした砂漠の風景が広がっている。嵐と砂漠の荒々しい光景は心を畏縮させるものがあって、艦長としては、もうネブラスカ州の豊かな土地が懐かしくなってきている。


『デスバレー。“死の谷”なんて怖い名前ついているけど、過去に死んだ記録はたった一人らしいわよ』

『ほう……』

『この辺りは大昔金が採れたんだけど、移民の一人が死にそうな目に遭って、土地を去る時に“さよなら死の谷”と言ったのが由来ですって』

『名前の由来など、案外と他愛もないものですな』


 艦長は苦笑いして、窓の外に視線を戻した。エリシュナの話を聞いてしまうと、荒涼とした大地にも愛嬌を感じてしまう。

 そういえば王都ゼノキアも、魔王ゼノキアが仮につけたものが、そのまま公称になったのだったか。ゼノキア自身が嫌がっていたが既に浸透してしまったので、ゼノキアは“首都”だの“この町”としか呼ばない。


『しかし、エリシュナ様はよくご存じですな』

『あのジョージに聞いたのよ』

『ああ、あのジョージですか……』


 艦長が顔をしかめる傍らで、エリシュナは正面を向いたまま、口の端だけ歪めてみせた。


『エリシュナ様、終わりました』


 ガーツールがリリベルとララベルを従えて艦橋内に入ってきた。


『ジョージはどうだった?』

『ラゴミソの実の食い過ぎでしょう。もはや、まともな返答もできない有り様でした。使い物にならないので、甲板から砂漠に放り出しました。下は砂漠ですから運が良ければ生きているでしょう』


 言ってから、ガーツールは運が悪ければかなと首を捻った。ラゴミソの実を過剰に摂取して、ジョージは廃人と化している。生きていてもその先には苦しみしか待っていない。


『我々も認識出来ていない様子でしたが、最後までジェニファーを離しませんでしたよ』

『死んでいるのに?』

『ええ、自分で殺しておいて、女の死体に“愛している”と囁き続けてましたよ』

『馬鹿ねえ。最後まで冴えなくて、憐れなジョージ』


 ククッとエリシュナが愉快そうに声をたてると、追従するようにして、ガーツールやリリベルとララベルも含み笑いを始めた。


 ――いかにも身内の笑いだな。


 艦長だけはエリシュナたちに加わらず、会話も聞こえないふりをして横目でエリシュナを眺めていた。

 艦長は“深淵の森”の魔族の出ではなく、生まれも育ちも王都ゼノキア育ちである。エリンギアとの生活も長いためにエリシュナら“深淵の森”とは隔たりがどこかにあった。それに軍人の会話というものは、もっと洗練されたものであるべきだと思っている。

 そんな艦長からすれば、エリシュナたちの会話は下品で感情剥き出し。田舎臭くて趣味が悪く、いかにも野蛮人のように感じられた。そんな会話に加わる趣味は艦長にはない。


『艦長、右舷後方より敵影の報告です!』


 警報アラームが鳴り、通信係の緊張した声が艦橋に響くと、艦長は姿勢を正して本来の仕事に戻っていった。


『戦闘機五……いや、六機を確認、北東側から装甲車両十台はいるとの報告です!』

『よし、艦内に知らせろ。各隊砲撃用意!』


 艦長がスタッフに指示を送る中、エリシュナは悠然とした足取りで窓へと足を運び、周囲を窺うそぶりを見せた。気配をさぐり、鼻をクンクンと鳴らした。


『……他に地上にも人間がいるわね』


 匂いと気配から、その数は百くらいかとエリシュナは思った。暗闇と砂漠に巧みに隠れて、視覚では判別しにくい。馴れない土地に兵を向けては、思わぬ不覚をとるかもしれない。


 ――あっちにはガーツールを当てるか。


 エリシュナがそんなこと考えていた時、再び警報アラームが艦橋に響いた。


『北西側より接近する物体を確認!……え、これって』


 通信係がモニターを注視しながら怒鳴った。モニターの地図には、エリシュナの魔空艦に向かって急速に接近する赤丸が表示されている。

 モニターを睨んで艦長がうめいた。


『……この反応、魔空艦か?』

『ガーツール、パラソリアを持って妾についてきなさい!リリベルとララベルも!』


 そう怒鳴ってエリシュナは身を翻すと、突然駆け出して艦橋から勢いよく飛び出していった。


『お、お待ちください。エリシュナ様!』


 ガーツールがエリシュナのパラソリアを持って、慌てて後を追う。

 リリベルとララベルも、きょとんとしていたが、我に返ると急いで走り出した。エリシュナは軽いスキップみたいな走り方なのに、風のような速さで、あっという間に姿を見失ってしまった。

 向かった方向から見当をつけて、ガーツールたちがエリシュナに追いついた時には、エリシュナは既に甲板上に出ていて、艦首に立って猛雨にさらされている。運航時に作業できるよう、魔空艦から生じるバリアが緩衝となってかなり和らいではいるものの、わずかな間でエリシュナの衣服はぐっしょり濡れていた。


『エリシュナ様、このままでは風邪をひきますし、これから戦闘に入ります!人間どもは兵に任せて、早く艦内にお戻りください』

『……ただの兵に任せられない奴らが、そこまで来てるのよ』


 エリシュナが、黒い空を見上げながら呟いた。ガーツールとリリベルとララベルも倣って空を見上げる。

 不意に雲を掻き分けるように、一個の影が暗い空に重なって映った。影の底には魔法陣が輝き、光の粒子を散りばめながら、エリシュナたちに接近してくる。見覚えのある陰影にガーツールは息を呑んだ。

 この異世界のものとは明らかに違う形状。

 激戦を繰り広げたばかりの船。

 エリシュナたちが迫る船を凝視する中、蝶にも似た青白く瞬く光の羽根とその光に反射して、銀色に輝く巨大な生物が船から飛び出してくるのが見えた。


『たしかに、あれは兵どもには任せておけませんな。私がケリをつけましょう』

『気持ちはわかるけど、あなただけで戦うのはやめておきなさい』

『え……』


 おどけたいつもの口調と異なり、真顔で注視してくるエリシュナにガーツールは表情を引き締めていた。将としてのエリシュナは、身内であっても態度は厳しい。


『あなたの実力は認めるけれど、あなたひとりでは勝てない。必ず2人以上、よく作戦を練ること。地形や風、周囲の状況をよく見極めて戦いなさい』

『……』

『がっかりしないでよ。あのふたりに関してだけだから。それ以外はあなたを頼りにしてるから』

『は……』


 ガーツールは複雑な笑みを浮かべながら、エリシュナにパラソリアを渡した。


『それにしてもあいつら、妾が言った通りにアイーシャちゃんを連れてきてるかしら』


 エリシュナがいつものおどけた口調に戻ったので、内心安堵したリリベルがまさかと笑って答えた。


『年端のいかない幼い子どもを、戦場に連れてくる親などいませんわ』

『幾ら強い力を持っているといっても、あれは偶然の産物。奇跡のようなもの。そんなものに頼る戦いなどどの世界でも無いでしょう』


 リリベルの後を継ぐように、ララベルが意見を述べた。


『そうよねえ。どちらにせよ、あいつらを血祭りにあげないと、どうしようもないかあ』


 エリシュナはわざとらしく嘆息し、首を振った。


『手を焼く相手ですが、前回は我々が有利でした。万が一の場合でも、核を使えば良いだけです。爆発に巻き込まれるのと、放射能という毒に気をつければいいだけのこと』

『また取りにいくのはメンドイから、出来るだけ使いたくないわねえ』


 エリシュナは悠然と空を見つめたままでいる。

 忌まわしきリュウヤ・ラングと神竜バハムート。

 その場にいた者には、迫る正体が何なのかわかっている。わざわざ口にすることではなかった。


『ま、ガーツールとリリベルにララベル、いろいろと頼むわよ』


 エリシュナは空を見上げたまま静かな口調で言うと、いってらっしゃいませ、と後ろでガーツールたちが恭しく頭を下げる気配がした。


『決着、つけるわよん』


 エリシュナはおどけながらも、歯を剥き出しにして邪悪な笑みを浮かべると、コウモリに似た翼を広げ、漆黒の空へ向かって猛然と飛翔していった。

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