第121話 あなたとともに

 小野田から見せられた動画が終わった後、リュウヤは座卓の前に座り込んだまま腕を組み、大きく息を吐いた。

 茶の間は重い空気に包まれたまま、皆、一様に無口だった。リュウヤの向かいでは兵庫が静かに目を瞑り、小野田は正座したまま硬い表情で一同を見渡している。

 勤務先から帰宅したばかりの健介はスーツ姿のまま、リュウヤの母と状況を今一つ把握できずに戸惑った様子で並んで座っている。セリナとアイーシャは無言のままうつむいたままで、クリューネとリリシアは、既に次の戦闘に向けて意識が変わっていた。


「災いてやつは、頼んでなくても勝手にやってくるもんだな」


 自嘲するようにリュウヤは呟くと、小野田に顔を向けた。


「魔空艦……、俺たちが乗ってきた船は、まだあのままだよな」

「ん?ああ、来週には、解体作業始める予定だけど」


 リュウヤたちが乗っていた魔空艦は、“違法につくられた建築物”として処理されていると、数日前に小野田は笑いながら話したことがある。

 さすがに不審に思った上司が一度は視察に来たが、およそ航空力学に反するような魔空艦の形状を見て、納得した様子で帰っていった。リュウヤが行方不明になっていた理由と同様、突拍子もない事実よりは、納得しやすい嘘に耳を傾けるものらしい。


「悪いけど、明日中に窓と屋根だけでも修理してくれ」


 病気で道場に立つことが出来なくなったが、兵庫に見込まれた剣士である。しかし、そんな健介でもリュウヤの言葉に耳を疑っていた。


「小野田。奴らの、動画の場所はわかるか」

「……まだ、詳しい特定まではできていないけど、場所はネブラスカ州じゃないか、という書き込みがある。FBIに知り合いいるから、それとなく探ってみたが、あちらさんも、まだ何かの特殊映像と思っているみたいだ」

「騒ぎになる前に、奴らを叩くしかないな」


 魔空艦なら一時間くらいでアメリカに着く。未知の世界に馴れていないエリシュナを叩くには早ければ早い方がいい。リュウヤは腕を組んで考え込んでいると、リュウヤの母が「わからない」と震えながら言った。


「……竜也。私はお前が、さっきから何をわからない。“斬る”とか“倒す”だとか、いったい何を」

「……」

「ねえ。セリナさんも、竜也に言ってやってよ」


 ――母さんを呼んだのは失敗だったか。


 うろたえる母に、リュウヤは母を座に加わらせたことを後悔していた。剣士の娘として育てられたが、元来が小心で、そのせいかさほど剣の腕はのびなかった。同席させるか悩んだのだが、いつまでも誤魔化せることではないと思い、話に加わらせたのだった。

 顔をくしゃくしゃにさせる母が哀れで、思わず目をそらすリュウヤの隣で、セリナがためらいがちに口を開いた。


「……わたし、わたしも、わかりません。ネブラスカあるアメリカ、遠い国。ここ、日本」


 セリナがアイーシャを抱き締めたまま、日本語で言った。それ以上は言葉見つからないのか、隣のリュウヤに向き直り、異世界の言葉で話した。


「アメリカて、この世界ではとても強い国なんでしょ?ムルドゥバよりもずっとずっと。魔王軍なんて、アメリカの人たちに任せていればいいんじゃないんですか」

「魔王軍に村が襲われたんだぞ。ミルトみたいに」


 リュウヤは語気を強めた。


「奴らにとって、人間は食糧で奴隷だ。しかも相手はエリシュナ。恐ろしさはわかっているだろ。あいつらを放っておいたら、どうなるか」


 自分の故郷を忘れたのかとリュウヤの言外に、咎める空気を察知しセリナは罪悪感に苛まれたが、瞳はリュウヤからそらさなかった。


「身勝手なことを言っているとは思います。でも、これから、家族で平和に暮らせると思っていたのに……」

「エリシュナたちを放っておいたら、テロどころじゃなくなる。もっと酷いことが起きる」


 リュウヤが恐れているのは、エリシュナたちが核や生物兵器といった大量破壊兵器を手に入れることだった。

 剣と魔法の戦いや古風な生活スタイルに拘っているのは、魔王ゼノキアやアズライルのような頑迷な男くらいで、彼らが中枢にいるから変化を見せていないが、魔族のほとんどは人間と同じように、文明の力による利便性を求めている。

“深淵の森”の住人が古い生活スタイルなのは、文明の影響が及びにくかっただけで、魔空艦が配備されれば早速運用している。

 そんな彼らが、この世界の強大な兵器に惹かれないわけがない。そして、上っ面の理解だけで、自分達の魔法と同じ感覚で使用するだろう。

 それが、どんな結果をもたらすかは考えずに。

 精霊や人々の内に秘めるエネルギーによってつくられた魔法の力は、大地を焼け野原にしても、毒に満ちても、草木は生え毒もすぐに消える。しかし、この世界で造られた毒は、最悪でも半永久的に消えない。

 また反対に、エリシュナたちの力を恐れたアメリカ軍が、大量破壊兵器を使用してしまう可能性も充分にあった。


「だから、エリシュナたちは、俺たちが今のうちに何とかしないと」

「……」

「また心配かけるけど、セリナはアイーシャは家で待っていてくれ」


 リュウヤの言葉にセリナはうなだれ、消え入るような声で、はいと頷いた。涙で視界が滲み、落ちた滴がセリナの手を濡らした。リュウヤはセリナの手を優しく握って拭うと、クリューネとリリシアに視線を向けた。


「二人とも悪いけど、協力してくれるか」

「“協力してくれるか”などと、水くさいこと聞くな。私らの仲じゃろ」

「お供します。リュウヤ様」

「……すまん」


 リュウヤが頭を下げると、重い沈黙が室内を満たした。母とセリナの力無くすすり泣く声が、重い空気をわずかに震わすだけだった。


「これも、剣に生きる者の宿命か」


 それまで、無言のまま座って耳を傾けていた兵庫が、疲れきったように長い嘆息をした。そして、覚悟を決めたように表情を引き締めて、リュウヤに言った。


「竜也、話が済んだらワシの部屋に来い。」


 刀は兵庫の自室に保管してある。兵庫が立ち上り、自室に戻ろうと身を翻した時だった。兵庫を呼び止めるように、突如、小野田のスマートフォンが鳴り響いた。小野田が着信相手を確認すると、ウチの上司だと首を捻った。


「はい、小野田です」


 と始めは平静に答えた小野田の表情は、話が進むにつれ戸惑い訝しげになり、驚愕へと変わっていった。小野田の様子に、リュウヤたちの視線が一斉に集まる。


「動画の……、はい。え、あのエリシュ……じゃなくて、あの女ですか?はい、テレビにですって?」


 小野田は驚きの声をあげると、やにわにテレビのリモコンを取ってテレビを点けた。幾つかチャンネルを変えていたが、ある映像が映し出され、小野田の指が止まった時、目にした者は呻くような声を発した。

 その映像はビデオカメラを使って、自分で撮影しているものらしい。

 黒地に朱模様の衣服。傲岸な笑みを浮かべた長い銀髪の女が、ひどく不安定にぶれて画面に映し出されている。脇には研究者らしい白いガウンを着た男が一人正座のような格好で座っている。後ろ手に縛られていた。


「エリシュナ……」


 クリューネが呻いた。

 どこかの施設らしく、背後には銀色に光る配管が複雑に絡み合っているのが見えた。

 画面下のテロップには“アメリカ、核施設占拠?”と記されていた。テロップの右隣で、アナウンサーがスタッフらしき者とやり取りしているワイプ映像があった。


「私、名はエリシュナです。魔王ゼノキアの妻。隣にいるのはマイケル。マイケル、お前は何をしている人ですか?」


 マイケルと呼ばれた男が無言のままでいると、エリシュナが手にした白い日傘で、いきなりマイケルの肩を打ち据えた。


「ぐがあっ!」


 マイケルの悲鳴に混ざって、骨の砕ける音がリュウヤたちの耳に聞こえた。床にのたうちまわるマイケルの悲惨な姿に堪えられず、リュウヤの母は気を失い健介が慌てて身体を支えた。

 映像では、エリシュナが喘ぐマイケルの襟首をつかんで、強引に引き起こしている。


「もう一度、マイケル、あなたは何している人ですか」

「……研究員。核施設の研究員です」

「よいです。マイケル」


 たどたどしい英語に被せるようにして、テレビからは翻訳の声が流れた。


「核、という魔法を手にいれた。私たち、この世界、支配、のぞみます」


 エリシュナはそこまで言ってから、一旦は口をつぐんだ。そして、陽気に手を振ると、次に発した言葉は魔族訛りがある元の世界の言葉だった。


『ハーイ。リュウヤにアイーシャちゃん、久しぶりい。あなたたちもこの世界のどこかにいるんでしょ?ジャパンという国かしらん』

「……」

『妾はネヴァダ州てところの研究施設にいます。さっきも言ったように、妾はこの世界を支配しようと思ってるの。この世界をゼノキア様への贈り物にしたいのよねえ。でもね、帰るにはアイーシャちゃんの力が必要なのよ。そ・こ・で』


 そこまで言うと、エリシュナはカメラを掴むと、目一杯レンズに顔を寄せた。それまでの秀麗な表情は一変し、狂気を宿した視線が、リュウヤとアイーシャの存在をわかっているかのように突き刺してくる。


『お前ら出てこい』


 低く圧し殺したエリシュナの声に、リュウヤたちの総身に悪寒が奔り、肌が粟立つのを感じていた。


「軍隊ども、やってみなさい。いらっしゃっても、こんな風に、潰しますよ」


 カメラが研究者らしき男に向けられた。エリシュナが所持する日傘の尖端が男に突きつけられた。

 その尖端が光ったと思った瞬間、映像は切り替わり、緊張した面持ちのアナウンサーたちが映し出された。


“これから先の映像は、あまりに残酷で衝撃的過ぎてお見せできません。ご了承ください。……さて、一連のテロ事件の関係ですが、意味不明な言葉のなかにジャパン、リュウヤなど日本を指すものと思われる言葉もあり、関連を……”


 青ざめたアナウンサーがそこまで言ったところで、テレビを切ったのはリュウヤだった。眼がくらむような怒りに血液が沸騰し、今にも爆発しそうだった。


「誰がアイーシャを連れていくか。ふざけんな」


 しかし、何よりも時間がないとリュウヤは思った。リュウヤを名指しし、日本と特定してきた。準備が整えば、マイケルにしたような問答無用の攻撃をしてくるのは明らかだと思った。


「小野田、船の修理を早く頼む。さすがにあのままじゃアメリカ行くのも一苦労だ。明日中にとは言ったが、今晩中に何とか出来ないか。応急措置でいい」

「わかった」


 上司とのやりとりを終えた小野田は、表情を強張らせたまま頷いた。切迫している状況に、無茶だという気にもなれない。

 小野田は「後でな」と言って立ち上がり、どこかに電話を掛けながら、急ぎ足で茶の間から出ていった。

 玄関の開閉する音と車の発進音が遠ざかっていくのを追うように、セリナはゆっくりと外を眺めた。煌々と月明りが庭を照らし、草木や池の水面が静かに淡い光を反射させている。

 小野田が家を出ると、リュウヤと兵庫は奥の部屋へと入っていった。リュウヤの母は健介とリリシアに介抱されながら、水を飲ませに台所へ向かった。

 本来ならセリナの役目だろうが、身体が震えて足に力が入らない。アイーシャの温もりだけが頼りだった。

 静かで平穏な世界。

 明るく幸せな未来が待っているはずだった。その希望がたった数週間で崩壊しようとしている。


「どうして……」


 と、セリナが言った。


「どうしてあの人たちは、あんな真似をするんですか。わざわざ敵をつくって、何の得があるんですか」

「……異なる存在や世界に対する、恐怖や警戒の裏返しかの」


 誰ともなしに発した言葉をクリューネが答えた。


「リュウヤが私らの世界に召喚された時は、ヴァルタスの力や知識があり、そしてお主がおった。反対に私らがここに来た時には、リュウヤがおるしの。やはり理解し、繋いでくれる存在は大きい」


 縁側に立ったクリューネが、庭を眺めながら呟いた。


「それと、魔族が持っている選民意識や差別意識だな。自らを優れた民族が何故、人間なぞに膝を屈しなければならんのか。奴隷に等しい存在だったくせに十年足らずで生意気な、とな」

「でも、それは私たちの世界の話で……」

「その感覚をここの世界でやっとるわけだ。セリナやリュウヤは環境に溶け込もうとしていた。だが、奴らにその気はない」


 自分で口にしてみて、改めて絶望的な状況にあることを認識すると、クリューネは思わず身震いした。部屋に入り込んでくる冷たい夜気のせいだけではなさそうだった。


「でも……、勝てますか」


 セリナの問いに、クリューネは自信があるようなそうでもないよな、曖昧に微笑んでみせた。

 前回は逃げるだけで良かったが、今回は敵を打ち倒さなくてはならない。勝てるとも明言できない相手だった。

 だが、それでもとクリューネは思う。

 なあにと明るく声を張った。


「この神竜バハムートがおるんじゃ。セリナとアイーシャは、ゆっくりと家で酒宴の準備をしといてくれ。大いに痛飲しようぞ」


 眩しすぎるクリューネの笑顔に、セリナの目頭が不意に熱くなった。見ているだけしかできない自己嫌悪と無力感にうちひしがれ、再び涙が頬を濡らした。

 私はずるい。

 辛いことがあったら、泣いてばかりだ。

 涙を拭こうとしたセリナの手を、柔らかく小さなものがぎゅっと握りしめてきた。顔をあげると、アイーシャがクリューネをじっと見つめている。


「……クリューネのお姉ちゃん」

「どした、アイーシャ」


 子どもには似つかわしくない、強い眼差しと気迫に、クリューネは思わずけ反っていた。顔を真っ赤にさせ、瞳を濡らしながら口にした言葉に、クリューネもセリナも耳を疑った。


「……わたしも行く」

「え?」

「さっきの女の人、ここにいちゃダメ。お母さんをまた泣かせる。わたしも行って、わたしたちの世界に帰すの」

「……」


 セリナとクリューネが見つめる中、アイーシャは絞り出すような声で言った。


「わたしも、お父さんの力になりたい」

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