第120話 トモダチ
道場の稽古も終わり、記念の集合写真を撮って一般の門下生を帰すと、その後に軽い酒宴が始まった。
丸藤ら高弟十名が道場に残り、リュウヤの復帰と新当主となったことや、そして初稽古が無事に終わったことを祝したものだ。
「随分と賑やかだの」
クリューネはリリシアと一緒に、道場から聞こえてくる陽気な笑い声に耳を傾けていた。
軽い酒宴だから、ビールの一人数缶程度の量のはずだが、稽古後の酒は充分効き目があったらしい。特に騒いでいるのは、師範代の丸藤という親父だとクリューネは声を聞きながら思った。
酒を飲んでいることもあって、道場には高弟の家族が迎えに来ていて、道場裏の駐車場代わりとなっている庭には、三台ほど車が止まって関係者らしい女たちが雑談をしていた。
アイーシャはその家族の子どもらしい、男の子と遊んでいる。同じ歳くらいの子で、言葉など通じていないはずなのに、男の子が身振り手振りを交えて熱心に話をしている。アイーシャは相槌を打ちながら、だんご虫をいじって遊んでいる。
「ぼんやりしとっても仕方ない。暗くなってきたし、家にリュウヤの母が戻っておるはずだ。何か手伝うか」
「そうね」
リリシアの声はどことなく虚ろで暗い。リリシアだけでなく、クリューネにも疎外感に似た感覚が胸に浸していた。
原因は何となくわかっている。
リュウヤも道場主となり、セリナも妻として門下生にも歓迎されている。アイーシャも周りに可愛がられ、クリューネとリリシアだけが置いてきぼりになっているような感覚があった。
「おおい、アイーシャ。戻るぞ」
クリューネが離れた場所で遊んでいたアイーシャに声を掛けると、はあいとアイーシャが立ち上がって、トテトテと駆けてくる。後ろから男の子が「アイーシャ、またなあ!」と大声で手を振るのが見えた。アイーシャも小さく手を振り返した。
「友達がもうできたか」
「うん。コタローて言うの。来週から剣術習いにくるんだって」
「なんじゃ、もう言葉わかるのか」
クリューネに言われて、アイーシャは首を捻った。
「手で何か色々とするから、何となくわかった。でも、アイーシャも言葉よくわかんないから、“すごいね”とか頷いていたら、どんどん喋ってくるんだもん」
「もう男を手玉にとっとるか。末恐ろしいな」
クリューネがカッカと笑うと、からかわれたと覚ってアイーシャがぷっとむくれ、クリューネを睨みあげた。
「アイーシャ、いい子にしてるもん。テダマなんかとってないもん」
クリューネは悪かったと苦笑いしてアイーシャの頭を撫でると、手を繋ぎ、先ほどから黙っているリリシアに振り向いた。
「この一週間で、色々と変わっていくの」
「リュウヤ様も、セリナも遠くなっていく感じ」
「今朝も、リュウヤの母が二人目の子どもの話なんかしとったしの」
言ってから、クリューネとリリシアの顔が、急に耳まで熱くなるのを感じていた。
リュウヤ親子は、二階のリュウヤの私室を使って暮らしている。
日本に転移してから3週間以上となるが、セリナのやけに肌艶が良く、朝食中も満ち足りた表情をしてリュウヤに寄り添っている。
リリシアにしてみれば自分が経験したことではあるし、クリューネにしても二人の間で何が起きているかは容易に想像がつく。
もしかしたら今頃はと、クリューネとリリシアはそれぞれリュウヤの隣に寄り添い、あり得たかもしれない自分の未来を思い浮かべていたが、不意に互いの視線が合うと寂しそうに笑ってクリューネは、足元の小石をコツンと蹴り飛ばした。
カラカラと、小石が生け垣の下に隠れてしまうまで見届けると、クリューネたちはまたゆっくりと歩き出した。
「腹が立つから、ケンスケでもからかうか。顔はリュウヤとそっくりだし」
「クリューネ、意地が悪い……」
リュウヤの父片山健介は、図書館司書として図書館に出勤している。
父親だけにリュウヤと似ているが、リュウヤと違い、穏やかで優しげな性格な性格が災いしてか、よくクリューネに絡まれている。
「今日は酒も旨そうだしの」
「クリューネの場合、今日“も”」
傾きかけた秋の太陽が庭の白樫の葉に隠れ、紅い光が家屋の屋根を染め、地上は暗い影がクリューネたちを覆っていた。昼間と違って空気も冷たくなっている。今の薄着では肌寒いくらいだった。
昨日、熱燗を初めて飲んだが、この季節ならちょうど合うだろう。
――そろそろ冬着も考えんといかんかな。
季節が変わる。
衣服も変わる。
ジルたちはどうなっているのだろう、と茜色の空を見上げてクリューネはぼんやりと考えていたが、キキッと門の前からブレーキ音がして視線を空から落とした。 見ると白いプリウスという車が、門の前に止まっている。見たことある車種だと思っていると、果して中から出てきたのはリュウヤの友人という小野田だった。
「ナンダ、オノダカ」
「こんにちは、クリューネさん」
「イツモヒマダナ、コームイン。コノ、ゼーキンドロボー」
元来の性格もあるが、この数週間、昼はリュウヤとともに事情聴取や煩瑣な手続きで小野田と顔を会わせる機会も多かったせいだろう。小野田に対して遠慮がなくなっている。
小野田は出会うなり、片言の日本語でいきなり悪態をついてくるクリューネに面食らったが、すぐにそれどころではないと気を取り直すと、「竜也はいるか」とせき込むように聞いてきた。
「……リュウヤサマ、アッチ」
リリシアが道場を指差すと、小野田は頷いて道場へと向かおうとしたが、不意に足を止めて、スーツの内側ポケットから、表面黒く反射する薄い板を取り出した。
「君たちには、これがわかるかな……」
小野田は黒塗りの表面を指でなぞると、パッと幾何学模様な画面が現れてスライドしていく。
〝
スマートフォンという携帯型通話機については、街中やCMで見掛けていたが、クリューネたちがこうして間近で目にするのは初めてである。珍し気に感嘆の声を挙げる中、画面はとある動画サイトとなっていった。タイトルに“SOS”と記載してある。
「……これ、君たちのトモダチか?」
小野田が出した画面には、一人の女性が映し出されている。二十代前半と思われる。真っ暗な小屋の中で、何かを訴えかけるように悲痛な声だった。やがて映像が動きを見せ、閉めきったカーテンの隙間へと入っていった。
眩しい太陽の光で、一瞬、画面が真っ白になるが、すぐに調整されて、外の光景が映し出された。クリューネとリリシアは、映し出された映像を見て息を呑んだ。
どこかの村の家屋を押し潰して、その上に巨大な船があった。周りには中世風の甲冑姿の兵士が剣や槍を手にして歩いており、隊長らしき馬上の騎士には、甲冑の肩部に
甲板上に人影が蠢いた。映像がアップされると、黒地に朱の装飾が施された銀髪の女が、船首から地上を
「……魔王軍の紋章と、こやつエリシュナか?」
「どうやら誰か知っているようだな」
緊張した面持ちで、画面を注視するクリューネとリリシアを見て小野田が言った。
映像は急に暗くなり、再び女の画面に戻っていった。涙目となって「ヘルプ、ヘルプ」と言い続けていたが、突如、爆発音とともに破壊される音が続き、画面が真っ白な煙に覆われてしまった。
先ほどの女のものらしい悲鳴が響く。耳を塞ぎたくなるような絶叫で、煙の奥から複数の男たちの怒声が聞こえた。
『そこだ!あそこにいたぞ!』
魔族特有の訛りのある怒号が響く中、映像は激しく揺れ動き、動画は終了した。
「……君らのともだち、て感じじゃなさそうだな。コメントじゃ良くできた映像とベタ褒めだが、アメリカ政府は問題視している……といっても、言葉がわからない君らに言っても仕方ないか」
小野田はスマホをポケットにしまいながら言った。
「竜也を呼んでくれ。あいつを交えて君らと詳しく話がしたい」
※ ※ ※
眼鏡を掛けた色白の男が身振りを交えながらモニターの表示について説明すると、ガーツールは何か指示をして、男が慌ててキーボードを打った。
男がエンターキーを押すと画面が切り替わり、“日本剣道連盟”と太い文字や防具姿の剣士たちの画像が何枚も表示された。
“ケンドー”と呼ばれる古来から伝わる撃剣競技を取りしきる団体らしく、質実剛健で古風な防具や雰囲気がガーツールには好みだった。
「……と、まあ、“リュウヤ”と“ケン”や“カタナ”など、自分の調べたいキーワードを打ち込めば、コンピューターが検索してくれるわけです」
「なるほど便利。ありがとうございます。ジョージ」
「いえ……」
ジョージは半笑いを浮かべながらも、視線は落ち着きなくガーツールの横を通りすぎていく。
視線の先を追わなくても、何があるかガーツールにはわかっている。部屋の隅には、全裸の若い女が口に猿ぐつわを噛ませられ、手足を縛られた状態で床に転がっている。
ガーツールは小屋に隠れて、スマートフォンと呼ばれる機械で撮影していた若い女を見つけると、衣服を剥いで、ジョージという青年の家に連れてきて身体を拘束していた。
ジョージは村の青年で、パソコンという機械に詳しかった。
“ヘナチョコ”と仲間から呼ばれ、名前通りの気弱でひ弱な男だった。だが、馬鹿ではないようで、ガーツールたちにはよくわからなかったが、大まかに言えばパソコンを巧みに操り、あらゆる記録を盗み見るのが趣味だという。
「女、友だちか?」
「ええ、僕の幼馴染みでジェニファーと言います。来月、友人と結婚する予定だったんです」
ガーツールには言葉は半分くらいしかわからなかったが、“幼馴染み”“友人”“結婚”というキーワードで意味は理解できた。
ジョージから学んだ片言の英語で、ガーツールが聞き返す。
「しかし、ジェニファーが流した動画、消すこと求める」
「削除はしました。ただ世界中に拡散したので、誰かがコピーしてれば、それをアップする可能性も……」
「我々、知られた。我々、まだ準備、必要。君、大変になります」
言葉の使い方は出鱈目だったが、ガーツールが向ける目には刃を突きつけてくるような凄みや威圧感があり、ジョージの額から大量の汗が噴き出し、呼吸も激しく乱れ始めた。
ガーツールはニコリと優しく微笑んで見せたので、ジョージは安堵の息を洩らした。
「……だから、私たち、協力してほしいです」
「も、もちろん、もちろんです!」
慌ただしく頷くジョージに、ガーツールは上手くいったと内心ほくそ笑んでいる。
ジョージは真面目で至って気の弱い青年である。
鈍では役に立たず、かといって知恵がまわれば、下手に工作されかねない。
普段から軽んじられながらも、大人しく仕事をする。そして、褒められ馴れていない人間が望ましかった。
ジョージは魔王軍が求める人間で、褒めれば数倍の働きをし、小心だから復讐を考えることや何かしらの工作をすることもできず、ガーツールたちが求めることだけを実行する。
ジョージも家族や友人を殺されているが、そんな力も度胸もないことを、ジョージ自身がわかっている。
彼は彼なりに、現実主義者だった。
『ガーツール。お邪魔していいかしら』
『これはエリシュナ様……』
分厚い本を片手に現れたエリシュナに、ガーツールが立ち上がって頭を下げて迎えると、ジョージも慌ててガーツールに習った。
『で、動画とやらはどうなったのかしら』
『残念ながら、完全に削除することは難しく、我々の存在が知られるのは、時間の問題のようです』
『もう少し情報を集めたかったけれど、仕方ないわねえ。この村を捨てるしかないか。“別れたものは誰にもなつかしいものさ。住み慣れた場所が天国なのだ”』
エリシュナは“ファウスト”と記された題名の分厚い本を、無造作に床へと放り捨てた。
「ジョージ、聞きたいことあります」
片言の英語を話すエリシュナに、ジョージが緊張した面持ちで姿勢を正した。
「この世界、私はこの世界を支配したい。ですが、人少ない。その分、力欲しい。最強の魔法を望みます。最強の魔法は、何ですか」
「魔法……ですか?」
世界を支配という言葉も珍妙だったし、魔法というものなど、物語以外に存在しない。しかし、現に物語から現れたような存在に、手から飛び出す炎や雷に家族や仲間を焼き殺され、そして目の前で問われれば、最強と呼べる魔法に近いものを考えるしかなかった。
「ええと、やはり……、核兵器がこの世界では最強ではないかと」
「核兵器?それはどこにありますか?」
「私たちの国では、ネバダ州というところが核の実験場になってますから、おそらく、そこのどこかに保管されているのではないかと」
ジョージがゆっくりと言葉を選びながら答えると、エリシュナは優しく微笑んでみせた。恐怖と緊張に苛まれた状況では、エリシュナの微笑はジョージを救う天使の微笑に思えた。
「あなたにその場所、見つけることできますか?」
「核の保管場所ですか?国家機密ですよ?ぼ、僕なんかじゃ……」
「あなた、パソコンマスター。きっと、やれる」
マスターという言葉と頼りにされているという感覚が、ジョージの意識の底に残る矜持をくすぐった。
以前、インターネットで知り合った友達に頼まれ、過去に国防省へのハッキングを手伝い、“ベストパートナー”だと讃えられたこともある。その伝手を頼りに調べれば、核兵器がどこの施設に保管されているかくらいは、わかるかもしれない。知識として把握したいだけだとか、幾らでも理由がつく。
「……やります。見つけてみせます!」
ジョージは、力強く頷いてみせた。ジョージの中には復讐心よりも、エリシュナが自分を必要としてくれていることが嬉しかった。
この二十数年、村で必要とされたことなどない。
家族からも。友達からも。
「ありがとう。では、褒美の前渡し。ジェニファーを好きにしなさい」
「え?」
「あなた、ジェニファー、好き。見ていればわかります」
エリシュナに言われ、ジョージは眼鏡の奥から目を見開いた。瞳には獣のような獰猛な光が増し、表情は強張る。しかし、喜悦に満ちた口元がジョージの回答を示していた。
ジョージの視線が床に転がるジェニファーに向かう。
ジョージの視線に気がついたジェニファーが、激しく首を振った。豊かな乳房が揺れ、虚しい抵抗が一層の欲情を誘った。
「僕は、僕は……」
「ジェニファー、好きになさい。あなたの思うように。彼女の婚約者、もう死んだ。あの大男」
「マーフィー。大男マーフィー。馬鹿力でいつも僕を
「死にました。タスケテと、ひどくみっともなかった」
ざままみろと、ジョージはヒヒッと邪悪な笑みを浮かべた。
「奴がいないなら、これで、ジェニファーは僕の思うように……」
「これからも、私たち協力すれば、村の女すべて、あなたにあげます」
「……します。しますとも!」
目を爛々と輝かせ、涎を垂らしながらジョージはジェニファーへとにじり寄っていった。その光景は、餓えた獣がようやく餌にありついたのと似ていた。
「……!」
「愛してるよ。君は僕のものだよ。ジェニファー、愛してる」
ジョージの足が、ゆっくりとジェニファーのもとへと向かう。上半身の衣服を脱ぎ捨て、骸骨のように痩せた半身が露になった。
ジェニファーは必死に抵抗しようとするが、縛られた身では、イモムシのように蠢くしかできないでいる。ジョージの影とともに、絶望の色がジェニファーを覆っていった。
行こうとエリシュナはガーツールを促した。
「ごゆっくりと楽しめ」
ジョージがベルトを外したところで、エリシュナはドアを閉めた。
ドアの奥から、獣が肉を貪り喰うような唸り声とを耳にしながら、ガーツールが言った。
『あの者たちをどうします』
『ジョージが言ってた“核兵器”が保管されている場所までは連れていきましょ。そこで、使えないようなら始末なさい』
『ここで始末しても良いのでは?』
『この世界最強の魔法とやらが保管されているのだもの。罠ぐらい仕掛けられているでしょ。そこを突破する力は無さそうだけど、通訳ぐらいには使えるはず。代わりが見つかるまでは使っておきましょ』
『……』
『それまでは、ご褒美代わりに村の女たちとイチャイチャさせてやりましょ。ラゴミソの実で中毒死しないよう、使える程度に飼い慣らしておけばいいわ』
『しかし、せっかくの食糧を汚してしまうのは、いかがなものかと』
『馬鹿ねえ。たかが、人間の十人や二十人』
エリシュナは家の外に出ると、空高く太陽の強い日射しがエリシュナたちを照らした。エリシュナは日傘を開いて、顔をしかめながらガーツールに振り返った。
苦手な暑さに閉口したからだけではなく、目先のことしか考えられないガーツールに不満を抱いたからだ。
ガーツールは第一の腹心とも言える男だったが、今の返答で一軍や長官は任せられないかもしれないとエリシュナは思った。ゼノキアの妃としてではなく将としての思考が働いている。側近や護衛としては気の利き頼りになる男であるが、所詮は武辺者なのかもしれない。
しかし、第一の腹心がそれでは困るのだ。
ここは“深淵の森”ではない。
『いいこと、ガーツール』
エリシュナはひたりとガーツールに目を据えた。エリシュナの鋭い眼光を受けて、ガーツールの身体に緊張が奔った。
『ここは異世界よ。これから七十億人と喧嘩しようってのに、数十人の人間に拘っている場合?』
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