第九章 王都、燃ゆ

第95話 その男、凶暴につき

 その男は、暗闇の奥からゆらりとやってきた。

 早朝の王都ゼノキアの街にはまだ薄暗い闇が漂っていて、王宮の東門に現れたその男は、真っ黒なローブをまとってフードを目深に被っている。東門を守る兵士たちの目には不気味な影がゆらめいているように見えた。

 顔が見えないのに男だと判断できたのは、背は並みでも肩幅の広い体格と、フードから無精髭がのぞいているのが、待機室からこぼれる灯りで確認できたからだ。

 時刻は午前五時を過ぎていた。

 日の出にはまだ時間があり、空には星が輝いているものの、男の背後に山の丘陵に沿って、夜明けを知らせる白々とした光がほのかに浮かんでいる。薄暗い闇夜にふらふらとうごめく男の姿はゾンビのようで、魔族の兵士から見ても男は不吉に思えた。


『おい、貴様はどこへ行くつもりだ』


 東門を警備する門兵は、男がこちらに近づいてくるのを見て、槍を構えてさえぎった。男はうつむき、くぐもった声がフードのなかから洩れてくる。


「うう……、アアア」

『病人かよ、こいつ』


 余計な奴が来たと、門兵は舌打ちしている。

 本隊がある南門への定時報告も済み、あと数時間もすれば交替の当番兵がやってくる。王宮に固定配置されているから、市内の面倒な巡回もやらなくても済むから、のんびり茶でも飲み、外が見える位置に陣取って、雑談でもしていれば良いはずだった。

 退屈な勤務が続くが、レジスタンスやシシバルに悩まされる最前線よりは余程良い。俺は幸運だと、仲間には言わないもののその門兵は思っていた。

 しかし、今は厳戒体制中である。この男のような不審者を捕まえて取り調べた場合、半日は潰されてしまう。

 過去に取り調べに関わらなくてはならないことがあり、夕方まで帰れないまま非番が潰れてしまった経験が何度かある。

 そのため門兵たちはこういった不意のトラブルに、最早うんざりしていた。


 ――最前線で仲間は苦労している。気を緩めず、不審者は誰だろうと見逃すな。


 朝礼で訓戒を垂れるネプラス将軍のいかめしい顔が浮かんだが、眠気や疲労からくる倦怠感が老将軍の訓戒を忘れさせた。

 自分たちが見えない場所まで、追い払った方が手っ取り早い。


『おい、病人だ。誰か来てくれ』


 門兵は近くの待機部屋に声を掛けると、奥から残りの兵士四名が眠そうな顔をして現れた。

 面倒事を避けたいのは誰もが同じで、早く帰って休みたい。

 巻き添えになるのを恐れ、普段の勤務とは打って変わって行動が素早い。自分たちが明らかに不利益となる事態には積極的に、一丸となって協力する。兵士たちは男を取り囲んだ。


『なんだコイツ、人間か。斬り捨てちまえよ』

『そんなことしたら、またそれで取り調べだ。嫌だよそんなの』

『じゃあ、そこの角まで連れてくか』

『念のため、気をつけろよ。厳戒体制中なんだから』


 大丈夫だろと、兵士の一人が男の身体を触りながら言った。


『真っ青な顔してるし、明らかに病人だ。確認したとこ武器もねえ。他と違ったところは、ボロボロになってるが、けっこう良いブーツ履いてるてことくらいか。どこで盗んできやがったんだか』

「ウアア……」

『おい、貴様。中に入るんじゃない。そっちは王宮だ』


 兵士たちは門の外まで連れ出そうと、男を挟むようにして腕をとった。すると、男は急に力を失い、膝から崩れ落ちた。あまりに不意の行動だったので、両脇の兵士も倒れそうになった。


『こ、こら、何をしているか!』

『これだから、病人は面倒なんだ』


 門兵が舌打ちしながら無理矢理立たせると、男は右手側の門兵にしなだれかかってくる。


『お前、世話を焼かせるな。命があるだけありがたいと思え!』

「……」

『あ、なんだ?』

「……その剣、借りるぞ」


 はっきりとした肉声が男からし、フードの下から獰猛どうもうな眼光が門兵を捉えた。


『貴様……!』


 門兵は自分の腰が急に軽くなったかと思うと、目の前を光が一閃し、剣の切っ先が反対側の兵の首筋を断っていた。

 男が手にしている剣は見覚えのある造りをしている。

 滑らないよう柄に蛇の皮を巻いてあった。

 門兵は自分の腰の軽さに気がついて視線を落とすと、いつもそこにあるはずの剣が鞘だけとなっていた。


『俺の剣が……盗られた?』


 呆然としながら門兵は顔を上げると、既に仲間は男によって斬り倒されていた。一人は喉を突かれ、二人は顔を割られ、一人は胴を斬り裂かれていた。

 ほんの数分前まで言葉を交わしていた仲間たちは肉塊となって転がり、辺りは血の海となっている。そして門兵の目には、仲間の死骸を背景にして、上段に構える男の姿が映っていた。


『……』


 門兵は言葉を発する間も考える間も与えられず、呆然と剣を見上げていた。

 男の身体がゆれた瞬間、ひゅっと風の鳴る音をだけが聞こえたような気がした。しかし、それが男が剣を振るったのだと知覚する間もなく、次の瞬間には門兵の顔面は叩き割られ、鮮血を噴き出しながら地面に倒れていた。


「上手くいったな」


 その男――リュウヤ・ラング――は兵士たちの息が無いことを確認すると、ほっと息をついた。


 真伝流奥居合“連立つれだち”。

 無想神伝流の流れを汲む真伝流の型の一つで、敵に挟まれたことを想定している。その型を“行連ゆきづれ”とともに応用したものだが、ほぼ一太刀で絶命させられたことにリュウヤは安堵していた。


「ありがとよ。なかなか斬れ味は良かったぜ」


 リュウヤは門兵の剣を、門兵の死体の上に投げ捨てた。


「リュウヤ様」


 門の陰から声がし、リュウヤが「いいぞ」と声を掛けて振り向くと、ルナシウスとネックレスを手にしたリリシアとクリューネが駆け寄ってくる。クリューネは、兵士の死骸を見渡しながら呻いた。その声には、感心したような響きがある。


「みんな一太刀か。やりおるの」

「リュウヤ様、お見事です」


 リリシアはルナシウスとネックレスを手渡しながら言った。


「……上手くいったのは良いけど、この顔色は戻るのかな」


 リュウヤはルナシウスを腰に差しながら、待機室の窓に映る自身の顔を眺めて苦笑した。


「ゼゼルが言っていただろう。しばらくしたら元に戻ると」

「しばらくて、どれくらいだ?」

「私が知るか。ゼゼルに聞けば良かったろうに」

「む……」


 リュウヤは言葉もない。

 門兵らに近づく前、リュウヤは少量の火薬を飲んで顔色を変えていた。

 ゼゼルの知恵で、飲んだ当初は気分は悪かったがしばらくすると気分は治り、顔色だけは土気色に変色したままでいる。ゼゼルによれば、強制労働を免れるために、手口の一つとして使っていたという。


「次は朝議の間か」

「今の時間、庭園は手薄のはずじゃ。一気に行こう」

「そうだな。リリシアは後方頼む」


 リリシアが小さく頷くのを確認すると、リュウヤはふっと息を吐いて正面を見据えた。

 先は庭園となっているらしく、薄闇のなかに石造りの道に沿って並木が連なり、鬱蒼うっそうとした木立の茂みがある。奥に噴水らしき輪郭が映る以外に静寂に包まれて、人の気配もしない。


「待ってろよ。アイーシャ、セリナ」


 リュウヤは緊張で乾いた唇を舌を舐めると、リュウヤは前を向いたまま、手を前に煽って合図を送った。三人は身を屈(かが)めて疾走し、やがて薄闇に紛れた。


  ※  ※  ※


 その日、情報局長マルキネスが既に出仕していたのは、全くの偶然によるものだった。

 いつもマルキネスは午前8時頃に登城している。

 しかし、これまで辺境で警備にあたっていた古い友人が、最近、西の正門警護警備隊の副隊長として配置されていることを知り、陣中見舞いと称して昔話をするため、もっとも暇な時間帯となる早朝を選んで、いささか早すぎる登城をしていた。

 リュウヤが東門に現れる少し前で、これで古い友人というのが東門に配置されていたら、リュウヤと鉢合わせしていたはずである。

 マルキネスと副隊長は互いに詩歌と押し花を好み、部下に迷惑がられているとも知らないで、押し花のしおりをつくって配ったという話をマルキネスが熱心にしていると、友人も感心した様子で聞き返す。ついつい話が弾んで、シルランという蘭の一種に話が及んだ。


『東門の庭園にその花があって、日の出とともにその鮮やかな花を咲かす。そろそろその時間だ。あの花を押し花に使ってみたいが……』

『さすがに王家の敷地内のものですから、勝手に摘むわけにはいかんでしょう』


 副隊長は穏やかに笑ってみせた。

 気の合う友人で歳もマルキネスと同い年だが、立場はマルキネスが格上であるし、あくまで勤務中である。部下の手前、マルキネスに対する言葉使いは丁寧だった。


『東門の庭園の花々は、ルシフィ様が管理していらっしゃる』


 マルキネスが顎をでながら言うと、副隊長はほうと目を丸くした。


『ルシフィ様なら、言えば承諾してくださるかもしれんが、あの性格だから押し花を見て悲しむかもしれんな』

『ああー……』


 マルキネスと副隊長の頭から煙のようなものがプカプカと上がって二人の頭上で大きな綿のような雲をつくると、その中でルシフィが、複雑な笑みで押し花となったシルランを眺めている姿がありありと浮かんでくる。

 ルシフィの人となりは、副隊長も辺境の地で伝え聞いていたものの、配置換えで任命式に魔王代理として現れたルシフィを見て、初めはどこの乙女が紛れ込んだかと目を疑ったものだった。


『あの方は生きる姿をそのままでる方だから、手を加えたものに理解はしても、好まれはしれん』

『そういえば、ルシフィ様はいつお戻りで?』

『昨日の昼近くに発たれたばかりだからな。兵を慰留いりゅうせねばならんし、リュウヤたちはエリンギアに向かったとも聞いている。少なくとも明日じゃないかな』


 マルキネスは自分で言ってみて、それだと遅いなと感じた。

 シルランの押し花という自分の企画が気に入ったのと、気の合う友人と下見でもして、もう少し語り合いたいという気分になっている。鮮やかに咲く黄色い花々は、朝の光によく映えるだろう。


『副隊長、ちょっと東門の庭園まで付き合ってくれないか?』

『いや、しかし……持ち場を離れるわけには……』


 構うもんかとマルキネスは立ち上がった。


『私も魔王軍の情報局長として、各警備区域の警護体制や兵の士気を把握しなければならん。副隊長、東門まで案内したまえ』

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