第96話 リュウヤ・ラング対マルキネス
東門側の庭園は円形状の噴水の周りが小さな広場となっていて、
「中国の宮殿みたいだな」
リュウヤは目を凝らして薄闇の奥に浮かぶ木造の建物を眺めていた。昔、教科書や歴史書で読んだ中国の紫禁城や阿房宮といった建物が脳裏に浮かんでいる。
西洋風の城や町ばかり見てきたリュウヤにはいささか違和感があった。クリューネたちも同様らしく、苦い顔をして宮殿をにらんでいる。見慣れぬものに反発を抱くのはどこの世界でも変わらないらしい。
「仰々しくて軽薄な朱の柱に通路の
綺麗に刈り込まれた生垣から、クリューネが金色に輝きを放つ“竜眼”の瞳で建物を見据えながら口悪く言うと、周囲を窺っていたリリシアも
「リリシア、そっちはどうだ」
後方確認のため、少し遅れていたリュウヤがリリシアたちの後ろに近づいて声を潜めて訊いた。
「大丈夫です。巡回兵の姿はありません」
「茂みにも、トピアリー・ガーディアン(装飾庭園の守護者)の反応も無いな。。銅像も単なる銅像じゃ。ここは単なる庭で、特に仕掛けをしとらんようだ。意外と不用心だの」
クリューネは“竜眼”を解除しても、首を傾げながら、もう一度周囲を見渡した。広場の一角に、黄色い花々が咲き誇っている光景に目が止まった。他にも咲いている花はあるのに、それが一際目を引いたのは、その鮮やかさが陽を迎える早朝に、よく似合っていると思えたからなのかもしれない。
「シルランか……。扱いが難しい花というから、良く手入れされておるんだろうが」
トピアリー・ガーディアンのようなトラップがあれば、その魔力に竜眼が反応する。事前の調べで庭園の状況は把握しており、トラップに対する用意もしていたのだが、あまりの無防備さに腑に落ちないものがあった。
さすがにリュウヤたちも、この庭園をルシフィが管轄しており、トラップを嫌がって警備を悩ませているという経緯までは知らない。
「まあいい。朝議の間に入り込めば、後宮まではすぐだ。このまま行ければ、大騒ぎを起こさずに済みそうだ」
正面を見据えるリリシアとクリューネに向けて、行くぞと言い掛けた刹那、全身が悪寒に襲われた。リュウヤの背後に重くのし掛かるような気配と熱風が迫った。
――誰もいなかったのに。
リュウヤは確かめる間もなく、振り向き様に剣を抜き放った。熱い風が頬をかすめて通り過ぎる。
リュウヤのルナシウスに重い衝撃が伝わってくる。十分な手応えがあった。
「かはっ……!!」
ひとりの男が悲鳴にもならない声をあげた。
振り返ると腹を裂かれた剣士が剣を振り下ろした格好のまま、口から大量の血を吐き出すと、前のめりに崩れ落ちていった。一般の魔王軍の兵士と異なり、鎧も剣も立派な拵(こしらえ)えをしていた。
いつ接近したのか、リュウヤにはまったくわからなかった。
「なんだコイツ。いつ、俺たちに近づいた……?」
リュウヤは顔を挙げて、クリューネたちに振り返ると息を呑んだ。驚愕するクリューネとリリシアの背後に一人の男が
その手には牙のように刀身の太い真紅のダガーを
――あぶねえ!
間に合わないと本能が覚ると、リュウヤの口が自然と動いていた。
「鎧衣(プロメティア)……!!」
リュウヤの胸元にさがる濃青の楕円形ペンダントから蒼い光が発せられ、瞬きもしない間にリュウヤの身体を鎧のようなプレートを覆い、円形状のプレートが周囲に浮遊している。
そして、リュウヤの背中から生えた蝶の羽根に似た光が、リュウヤを一気に推進させる。
一瞬で間合いを詰め、男がダガーをリリシアの首元に突き立てるよりも早く、その刃をリュウヤは剣の根本でダガーを抑え込んでいた。尋常でない力が刀身から伝わり、リュウヤは抑え込むのに必死となっていた。
『蒼き光を放つ闇夜の蝶……。リュウヤ・ラング、まさか貴様がここに来ていたとはな』
「真紅のダガー“ブラッドブレイド”。アンタは、魔王軍情報局長マルキネスだろ」
『よく知っているな』
「けっこうマメに調べたんでね!」
リュウヤは剣を巻き上げるようにして、マルキネスの“ブラッドブレイド”をはねあげると、足を踏み出して剣を八双から振りかぶった。マルキネスも剣を繰り出しリュウヤの剣を防いだ。火花が散り、ガキンと金属の焼ける臭いが鼻をついた。
「リュウヤ、どけい!」
クリューネが叫ぶとともに、
俺の友を奪ったばかりではなく、美しい花までも……。
『貴様ら……!』
雷撃の熱波に焼失した花壇や生垣に気をとられ、次の動作がわずかに遅れた。その時には真横に殺到する気配がある。ほのかな光がマルキネスの視界に入った。振り向くと、拳を握るリリシアが迫っていた。
拳に白い光を放つ魔法陣が描かれる。
「
リリシアは小さく口の中で呟いていた。
位置も間合いも充分で、不意を突かれて守るべき箇所も無防備。鋼をも砕く魔法に覆われた拳は、マルキネスの顎を砕くはずだった。
だが、次の瞬間にマルキネスは消えていた。
忽然と、唐突に姿がなくなっていた。まるで漫画が1ページなくなっているように。
「どこに……」
リリシアはマルキネスの姿を求めたが見つけられない。すると急に背後から殺気を感じ、身体を返すとマルキネスの真紅の刃が、頭上に輝くのが映った。
どうやって背面にまで廻ったのかわからず、身体が縛られたように硬直していた。
殺られる、とリリシアが思った瞬間、リリシアは身体を突き飛ばされた。地面に転び、リリシアは急いで顔をあげると、ルナシウスで刃を弾き返し、
「リリシア、怪我はないか?」
「は、はい、すみません」
「謝るな。ぼさっとしてないで、早く次の攻撃に備えろ」
「あ、はい……」
リュウヤに叱られ、リリシアは慌てて立ち上がって身構えた。次いでマルキネスを挟む格好で反対側にいるクリューネに目を向けると、視線が合い「大丈夫」という表情でうなずいてみせた。
リュウヤはそれを確認すると、剣を構えたままリリシアに寄った。
「さっきの奴の動き、見えたか」
「いえ、全然……」
「俺もまったく見えなかった。消えたと思ったら次にはリリシアの背後から現れやがった。あれは身体能力によるものじゃない」
「では、魔法だと?」
「魔法か特殊能力。瞬間移動といったとこだろう」
「……厄介ですね」
「ああ、厄介だ」
他愛もないやりとりにリュウヤもリリシアも互いに見合わせ、思わず失笑するのを見て、クリューネも「何を呑気に笑っとるか」と苦笑いした。
そんなリュウヤたちの耳に、周囲からざわめきが起こり、複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。
『誰か倒れている!』
『今の轟音は何だ!』
『朝議の間からしたぞ!』
と、怒号のような声が、薄暗い空の下を飛び交っている。
『貴様らも策を
「……」
『やがて、ここだけでなく、市街を巡回する兵も集まる。如何に主力が不在とはいえ、魔王軍も人無しではないぞ。数万の兵とここに残された魔空艦五隻。バハムート相手でも、遅れはとらんぞ』
マルキネスはブラッドブレイドの切っ先を、リュウヤに向けた。リュウヤたちの作戦は失敗し、勝ちは明らかにこちらにある。放っておいても、リュウヤたちはいずれ討たれる。
そうなる前に、マルキネスにはやらなければならないことがある。
『その前に、我が友の敵と美しいシルランの代償を払って貰うぞ』
「シルラン?情報局なんて怪しい仕事やってて、意外と風流なんだな」
状況は不利になっているのは明らかなのに、リュウヤの言葉は明るく、余裕があった。頭を掻いている仕草はマルキネスには無邪気とすら映った。
「ま、アンタが現れたのは予想外だったな。騒ぐと街の人には迷惑掛かるから、出来るだけ静かに済ませたかったんだが」
『……』
リュウヤはクリューネに目配せしたあと、傍らのリリシアに「作戦ちょいと修正」と言った。すると、リリシアは構えを解き、懐から紅く光る石を取り出した。
『魔石……?』
「魔石同士、魔力をリンクさせることが出来る。魔空艦の通信やレーダーでも使われるから、おたくも知っているよな?この魔石は、王宮の外に置いてある魔石と繋がっている。細かく割ってしまったから微弱な量しか伝えられないけど、それだけで充分だ。レジスタンスの
『……何だ。何を言っている』
「
リュウヤがそう言ったと同時に、リリシアが魔石を握った手にわずかな電流の光が奔った。
その瞬間。
ゴウッと東門側から猛烈な爆発音と熱風が起こり、衝撃が大気と地面を大きく揺らした。燃え盛る炎が空高く伸び上がり、灼熱の熱波がマルキネスたちの元にまで押し寄せてくる。
その威力はマルキネスの身体がよろめくほどで、あまりの熱量や光量に、まともに目を開くことが出来なかった。
「……退避してもらうよう手配してもらって、正解だったな」
轟音に紛れて、リュウヤの声が微かに聞こえた。
リュウヤが東門に入り込むのとは別に、リリシアとクリューネは王宮の外である用意をしていた。
レジスタンスの
比較的大きな空瓶に詰め込まれているだけだから、その威力は止まることを知らなかった。辺りはどす黒い炎と煙に包まれる。
兵士の声は悲鳴や絶叫へと変わり、地獄のような業火に照らされて逃げ惑い、或いは混乱し呆然と立ちすくむ兵士たちの人影が映っていた。
「後始末が大変だな」
『おのれ……!』
歯ぎしりし、剣を構えるマルキネスに、兵士三人が息を切らして駆け寄ってきた。リュウヤたちに気がついた様子もなく、マルキネスを偶然見つけて、九死に一生という気分だったのだろう。
『マルキネス様、現場が混乱しております!どうか、ご指示をお願いします!』
『たわけ!今はそれどころじゃない。侵入者が目の前に……!』
目を向けると、そこにはリュウヤたちの姿は消えていた。押し寄せる黒煙の塊だけがそこにある。クリューネもいつの間にか消えていた。
『逃げた?逃げただと!?』
『マルキネス様……?』
『くそっ、間抜けだ俺は。敵を目の前にしながら!』
呆然とする兵士たちを前に喚き咆哮するマルキネスだったが、それどころではないとようやく冷静さを取り戻し、それぞれ指示を与えて、残る一人に南門の隊長を探して、噴水広場まで来るよう伝えた。
『リュウヤ・ラングめ。狙いは奴の妻子だろうが、かといって
隊長が来たら、早く追わなければ。
奴等がどんなに急いでも、瞬間移動を使えばわけもない。
リュウヤの妻子の場所も把握している。
『リュウヤが着くよりも先に、あの親子を殺すという手もあるな……』
マルキネスはニヤリと残忍な笑みを浮かべた。
魔王ゼノキアの命に背くが、侵入され兵士も何名も殺され、王宮も損害を受けているこの状況なら、ゼノキアも強くは咎めはしないだろうと思った。それにマルキネス自身も友人を殺されたばかりだ。何らかの意趣返しをしなければ気が済まない。
――魔王様の御意思に反してしまうが。
魔王ゼノキアという絶対的な存在があるのに、正体不明の『不思議な力』に、いつまでも拘る必要もないだろうとマルキネスは思っている。
『奴め、どんな顔をするか楽しみだ』
憎悪が高まるあまり、ケケッと普段しないような、猿の奇声にも似た笑い声をあげた。
その時、マルキネス様、隊長を連れてきましたと声が響き、おうと振り向いたのだが、マルキネスの動きがそこで止まった。
猛る炎の群れに照らされて、突然、透き通る刃が黒煙の中から伸びた。蒼く光る羽根が黒煙でもありありと浮かび上がった。
――リュウヤ・ラング!
だが、マルキネスにはリュウヤを認識するまでが限界だった。
瞬時に懐まで潜り込んだリュウヤは一気に身体を伸ばし、手にした剣が槍のようにマルキネスを突き上げていた。マルキネスは自身の剣を構える間も、瞬間移動を使う間も与えられず、ルナシウスの刃先が一直線にマルキネスの喉を貫いていた。
『……』
マルキネスは目を剥いたまま棒立ちとなり、リュウヤが剣を引き抜くと、糸が切れた人形のように、音を立てて崩れ落ちていった。一瞬の激しい闘争にも関わらず、駆けずり回る兵士たちは誰も気がつかないでいる。
爆発の混乱に紛れて逃げたのは、リリシアとクリューネだけだった。
リュウヤはマルキネスの瞬間移動の限界がわからない以上、ここで何としてでも始末しておかなければならないと思っていた。
リリシアとクリューネをセリナの下へ向かわせ、自身は黒煙に紛れてじっと機会をうかがっていたのだが、マルキネスの独白を聞き、考えは間違っていなかったと安堵していた。
――闇が味方をしてくれた。
リュウヤは空を見上げた。
朝日の白い光は先ほどよりも強さを増しているが、まだ空には星が残っている。東門に来てから、長い時間が経ったように思えたが、まだ日の出の時刻になっていない。
――今がチャンスだ。
リュウヤはフードを目深に被ると、火の手から逃れる負傷兵に紛れて、リュウヤはクリューネたちの後を追った。
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