第84話 集結セヨ

 サナダは今、自分の身に起きていることが信じられないでいた。

 ほんの数分前までは、クリューネを余裕で圧倒していたはずなのに、今は目の焦点も足腰も定まらないほど叩きのめされている。


「私は……。こんなはずでは……。私の力は……」

「ぶつぶつと、うるさいわ!」


 クリューネは跳ね上がると、サナダの顎に膝を叩き込んだ。歯が幾つか欠け、流れ落ちた血が草むらを濡らした。

 喧嘩は先に仕掛けた側が圧倒的に有利となる。

 クリューネには、リリシアやリュウヤのように、武術の心得など無いが、その代わりに、メキアのスラム街で培った喧嘩の心得はある。

 慢心し、隙だらけとなっていたサナダは、いかに強大な力を持っていたとしても、機先を征され、なりふり構わぬクリューネに猛攻に対処することができず、殴られ続け、朦朧もうろうとした意識のなかで思い浮かんだのが、呼んでもあらわれないリリシアに対する怒りだった。


「こんな時に……。役立たずめ!」


 罵るサナダの耳に、クリューネの澄んだ声が響いた。


“母なる地よ、紅の竜を風に乗せ、空にその威を示せ……!”


 ぎょっとして見上げた先に、高く跳躍するクリューネの姿があった。既に魔法攻撃の態勢に入り、手の内には眩い火球が生まれている。


 ――これまでのお返しじゃ。


 リリシアには躊躇しても、サナダに対しては躊躇する理由などない。

 クリューネの手の内から、膨大な熱量を持った火球が生じた。危険を察知し、サナダが高位魔法の“雷槍ザンライド”を放つが、詠唱時に術者を保護する自動結界によって阻まれてしまう。


「なんだと!」

「当然じゃろが!」


 たかが、高位魔法が通用するかとクリューネは心の内で罵った。

 こっちは竜言語魔法だぞ。


「“臥神翔鍛リーベイル”!」


 カッとクリューネの手の内の光が瞬き、灼熱の業火が竜の形を模してサナダに襲い掛かる。


「うぬ……!」


 到達する寸前に、サナダは魔法陣を浮かべ、臥神翔鍛リーベイルが轟音を立てて衝突した。混濁した意識で呪文も集中できていないはずだが、サナダの結界は強力で竜言語魔法ですら耐えている。


「ハ、ハハッ!やはり、私は凄い。素晴らしい!この状況で、竜言語魔法ですら耐えている!」

「……」

「クリューネ姫。この魔法を耐えきった時、お前の最後だ。きっちりと仕返ししてやるぞ!」


 哄笑するサナダの先で、クリューネの右腕がだらりと垂れ下がった。強力な魔法には体力も使う。負傷したクリューネの体力が、限界にきているのだとサナダは思った。

 クリューネも意識が薄らいでいるのか、口が小さく動いている。何か呟いているようだった。


「もう、ろくに意識もなくなっておかしくなったか。ざまあみろ!」


 だが、あるものが目に映って、サナダの哄笑が不意にやんだ。

 力なく垂れ下がった右の手のひらに、小さな光球が生じている。

 まさかと声をあげるサナダの耳に、あの忌まわしい澄んだ声が、轟く衝撃音に紛れて聞こえてきた。


“……に乗せ、空にその威を示せ

 大地にその勇を轟かせよ

 耐えよ

 耐えよ

 さすれば、勝利は我らのもの……”

「な、なんだと!」


 サナダは愕然として、自分の目を疑っていた。クリューネが今やろうとしていることは、かつてサナダも試したことがある。しかし、精神が集中せずに力が安定しないため、ついには諦めたのだ。

 それなのに。


「……お前は何者だ」

「お主は知っとるだろう。我が名は、バルハムント国第十六王女、クリューネ・バルハムント。そして、神竜バハムートの力を受け継いだ者」


 そこまで言って、クリューネは右の手のひらを上に向け、肩まであげた。光の塊はクリューネの頭ほどの大きさになり、その熱量の凄まじさは、サナダに小さな太陽を連想させた。


「もう一丁の……、臥神翔鍛リーベイル!」

 

 クリューネが腕を突き出すと、解き放たれた燃え盛る紅の竜が、サナダに向かって突進していった。強靭さを誇っていた魔法陣は脆くも打ち砕かれ、サナダは炎の濁流に呑まれていった。


「オ、オオ、オオオオオオ……!!」


 灼熱の濁流に呑み込まれ、業火がサナダの身を焼いていく。


「そ、そんなあ……!こ、この、わたしがあ……!」

 身にまとう白衣が、衣服が一瞬で灰となり、肌を髪を焼き尽くしていく

 せっかく、この世界に喚ばれたのに。

 こんな素晴らしい力を手に入れたのに。

 もうすぐ自分の願いがかなうところだったのに。

 熱波はサナダの皮膚だけではなく、内部まで及び、内臓も骨も脳も炭化させようと侵食していった。

 薄れていく意識の中で、不意に女性の後姿が浮かんだ。

 戦争により荒廃した世界で、唯我独尊で生きてきたサナダであったが、そんなサナダでも唯一心を許した女がいた。

 だが、彼女も戦争で早くに死んだ。

 彼女の死を目の当たりにし、はじめて無力な自分が嫌だと思った。

 悲惨な時代が嫌だと思った。

 優れた知恵と技術に加え、圧倒的な力を得たことで、思い通りに何でもやれるようになり、久しく遠退いていた感情が再び蘇り、心がうずきだした。


 ――手に入れたのは、人形の小娘だけか。


 唐突に、サナダの脳裏にリリシアの顔が浮かんだ。

 その次に死んだ女の顔がリリシアと重なる。そういえば、リリシアはどこか死んだ女に似ているような気がするサナダは思った。

 サナダの記憶からは死んだ女の顔など既に薄れてしまっていたが、狂った意識は、いつの間にかリリシアが死んだ女と認識するようになっていた。


「ああ、リリシア……」


 リリシアが何か言っている。

 サナダは残った力を振り絞って、炭化した腕を伸ばした。

 リリシア、リリシア。

 何を言うつもりなんだ?

 黒ずんだ指先がリリシアの幻に触れようとした時、リリシアの口から、雷鳴のような怒声が響き渡った。


“この役立たずめが!!”


 怒号に吹き飛ばされサナダの意識は、絶望の底へ落とされた。

 闇が広がるだけの何もない虚無の世界。

 絶望を抱えたまま、サナダの視界を真っ暗な闇が覆っていく。そして、最後の怒声がサナダをこの世界に喚んだ声だと気づかないまま、サナダのは意識はそこで途切れた。

 サナダを焼きつくした炎が消失し、周りが明るさを取り戻すと、地面の上に炭化したサナダが転がっていた。胎児のように身をすくめ、右手を天に向かって伸ばしている。

 これが戦いであるとはいえ後味の悪さは残り、思わず目を背けると、その先にうずくまるナギと目があった。


「大丈夫か、ナギ」


 クリューネの問いにも、ナギは力無い笑みで頷くだけだった。疲労困憊し、まだ自力で立つこともできないらしい。

 待ってろと言って、ナギを治療しようと足を向けた時、異様な鈍い音と子どもたちの悲鳴がクリューネの耳を捉えた。

 ほんのわずかな気の緩みを見透かしたような、不吉で重苦しい音だと思えた。

 クリューネは再びナギと目を合わせると、ナギはクリューネを凝視したまま小さく頷いた。「早く行って」とその目は語っていた。


「お前には我慢ばかりさせて、すまんの」


 クリューネはぼそりと呟いて謝罪を口にすると、踵を返し神殿へと疾走していった。クリューネの背を視線で追いながら、ナギはゆっくりと立ち上がった。

 びっこをひきながら、ナギは歩いた。まだるっこしいほどの足取りだったが、ナギはリュウヤたちの下へと見届けたい気持ちがナギの足を進ませていた。

 サナダの遺体まで来たときに、ナギの足がそこで止まった。怯えたように身を縮こまらせている、かつてサナダだった炭の塊を、ナギは寂しく見下ろしていた。


「哀れな人」


  ※  ※  ※


 厚い雲の上を、三つの影が滑走していた。長い船に似た胴体で、その底は卵を抱えた魚のように膨らんでいた。その胴体から幅の広い直前状の翼を広げ、主翼には左右に二基ずつのエンジンと、降着するためのフロートと呼ばれる艇体に似たものが設置されている。


「ジル隊長!え、ええと、この信号なんだっけ?……あと、敵、そう、魔空艦らしき敵影。二時の方向です」


 胴体の先端にある副操縦席で、ハーツ・メイカが操縦桿にかじりついているジル・カーランドに言った。


「ちょっとジル隊長、聞いてます?」

「うるさいな。こっちは慣れない操縦で忙しいんだよ」

「だから、他の連中に任せろてあれほど言ったのに……」

「お前だって、レーダーやモニター設計したのはお前なのに、オペレーターとしちゃ零点じゃねえか」

「いや、ジル隊長。実用テストでは、僕……」

「まあまあ、二人とも」


 操縦席の奥から、若い女のとりなすような声が聞こえた。胴体にあたる操縦席の奥は空洞のようで、陽の届かないその場所には、五名ほどの人影が映る。声はその中心からだった。

 薄がりだが、女が手にした銀色の杖がわずかな光に反射して、夜の星の如くキラキラと輝いている。杖といっても、刃の部分が棒状になっていて、形状自体は剣のそれに似ていた。


「レジスタンスを代表するお二人だから、魔空挺の操縦は何の問題もないですよ。でも、そんな喧嘩していると、兵士たちが不安になっちゃう……」


 女にたしなめられ、ジルとハーツは後ろに控える兵士たちに振り返った。暗がりのなかでも、確かに皆、不安と不審の目をジルたちに向けている。レジスタンスのリーダーと兵器開発チームのリーダーだから、この船に精鋭を集めたわけなのだが、頼りない操縦とみっともないいさかいに、とんだ見込み違いだと兵士たちは呆れているようだった。

 ジルとハーツは、そんな兵士たちの表情や雰囲気に気がついて、ばつの悪そうに、自分たちの仕事へと戻った。

 とにかく目標は近い。

 気持ちを切り替えなければならなかった。

 これから、大規模な戦闘に突入するのだと思うと、身の内から引き締まってくるようだった。

 ジルたちの操縦席の窓から左右を見渡した。そこには、ジル達が操縦している同型の魔空艇カイトが左右に一機ずつ、V字に並んで飛行している。


「それにしてもハーツさん。聖霊の神殿の情報、ホントなの?」

「ホントですよ、隊長」


 隊長と呼ばれた女の質問に、ハーツは自信に満ちた口調で言った。


「魔空艦にも我々のシンパがいます。“A”てコードネームの奴なんですが。そいつからの情報だと、機神オーディン二体は、リュウヤ・ラングと白い竜、おそらくバハムートに撃破されたそうです。向こうは大混乱らしいですよ」

「凄いなあ、リュウヤ君も姫ちゃんも」


 感心した様子で女が言うと、コツンと床をつく音がして、靴音と重ねて操縦席に近づいてきた。


「ムルドゥバの時もありえない巨人を倒してたけど、やっぱ私たちと違うんだな」


 女は自分を支える杖に触れながら、広がる雲を見つめていた。


「隊長、以前からリュウヤたちと知り合いなんだっけ?」


 正面を向いたまま、ジルが言った。


「知り合いどころかお師匠さん。姫ちゃんは妹て感じだけど……。凄かったんだよ。初めて出会った時、絡んできた悪漢を足払いだけでポーンと宙に浮かせちゃってさ」


 女はジルとハーツの間から身を乗り出して、ジルを覗むように話し出した。

 花のような香りがした。

 背はすらりと高く、健康的な褐色の肌。

 太陽の光を浴びて、輝く瞳は宝石のようだった。

 白い胸当てに白ずくめの軽装が美しく、ドレスを着ているようにも見えた。

 テトラ・カイム隊長。

 美しい女剣士だった。


 ――いいな。リュウヤのやつ。


 妹のリリシアはべた惚れだし、クリューネも明らかに気がある。それに死んだけど奥さんがいたとかいうし、そしてこの美人剣士。

 確かに恐ろしく強くて顔も悪くないが、魅力はそれだけでないのだろうとジルは思う。あの強さの割りに気さくだったり、意外と気弱な部分があったり、そそっかしいところに、女を惹き付けるものがあるのだろう。

 リリシアがかつて、リュウヤを「可愛らしい」と評したことを思いだしながら、ジルは胸当からでも見える、テトラの胸の谷間をチラチラ眺めていた。

 その下には、さぞ、豊満な胸が隠れているのだろう。


「やだなあ、どこ見てんだよ。ジルさん」


 テトラが恥ずかしげに胸元を押さえたので、ジルの方が吃驚してしまっていた。


「隊長。目が見えないはずじゃないの」

「うん、見えないねえ。でも、気配で人の動きがわかるのよ。音、風、匂い他に色んなもので動きを感じる。今は視線で感じたんだけど。ハーツさんが、私のお尻を眺めてたのも、ちゃんとわかってたんだよ」

「じゃあ、俺が何してるかわかる?」

「目が見える時ほどじゃないけど、ジルさんが手を振って足を組んだくらいかな」

「……すごいな」

「そりゃ、リュウヤ君に追いつきたくて、頑張ったんだから」


 ニシシと屈託のない笑みを浮かべるテトラだったが、ジルとハーツは呆気にとられていた。すぐに我に返って自分の仕事に戻ったが、内心、感心は続きさすがアルド将軍の推薦だと舌を巻いている。

 魔王軍が聖霊の神殿に向かうリュウヤたちを狙って、大規模に動き出した情報を受け、ジルはムルドゥバ国をアルド将軍に支援の要請をしていた。

 そこでアルドはムルドゥバ随一の剣士であるテトラに、レジスタンスと協力し、部隊を指揮するよう彼女にその任を命じたのだった。

 無論、アルドがレジスタンスに見返りとして、レジスタンスが開発した魔空艇カイト他、新兵器と資料の提供を求めたのは言うまでもない。

 ジルはその剣士が女であることは驚きもしなかったが、盲目の剣士であることに驚愕し、果たして戦場で通用するのかと疑問に思っていた。

 しかし、今の一連のやり取りは、テトラから何か尋常でないものの一端を感じさせていた。


 ――ムルドゥバ随一は伊達じゃないな。


 そう思いながら、ハーツはいささか神妙な面持ちでレーダーとモニターを眺めていたのだが、突然、横の印字機から、細長い紙が帯のように吐き出されてきた。


「“A”からだ!」


 ハーツは印字機に飛びつくようにして、長い紙を引っ張ると、食い入るように何度も何度も読み返した。

 他の人間には意味不明な記号だが、レジスタンスのメンバーにはわかる。

 やがて、ハーツに緊張の色が奔った。


「ジル隊長、魔空艦の“A”から報告。聖霊の神殿で動きがあったらしく、これから聖霊の神殿に進行するそうです!」

「動きて、何かわからんのか」

「具体的にはわかりません。向こうも、情報が錯綜して現場がかなり混乱しているみたいです!」

「混乱か……」

「チャンスだよね」


 テトラが言うと、ジルがああと正面を見据えたまま言った。雲の切れ間に青い海や小さな島がちらちら覗いている。


「このまま、魔空艦に強襲を仕掛けて後顧の憂いを絶つ」

「でも、当初の目的はリュウヤの救援脱出でしょ。相手は魔空艦ですよ。大した火力のないこの船じゃ……」

「大丈夫よ。私たちが魔空艦に乗り込む。混乱しているなら、なおのこと」


 テトラが屈託のない声のまま、ハーツの言葉を遮った。


「そのために、私と私たち“白虎隊”たちがいるんだから」


 ねっ、とテトラが奥に呼び掛けると、座って待機していた“白虎隊”と呼ばれた男たちはオウッと気合いを発して立ち上がった。男たちはムルドゥバでも選ばれた戦士たちである。そんな彼らがテトラに向ける目は熱く、畏敬に満ちていた。


「ほら、ね」


 テトラは微笑むと杖の先で、床を軽くトンと突いた。

 テトラの目は自信に満ちて美しく輝いており、とても盲目の人間とは思えない。


 ――まるで戦いの女神様だな。


 ジルもハーツも、優雅にして凛と佇むテトラを感心しながら見つめていた。

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