第83話 愛がイタイ
リリシアの小柄な身体を覆うように、闘気が白い炎となって吹き荒れたかと思うと、砂塵を巻き上げて猛然とセリナに襲いかかっていった。
「馬鹿野郎!」
リュウヤはセリナとリリシアの間に素早く割り込むと、“神盾(ガウォール)”に包まれたリリシアの拳を剣で弾き返した。
力任せで強引に弾いたために、腕が痺れるほどの衝撃がリュウヤの腕に伝わってきたが、気にしている場合ではなく、体当たりをしてリリシアを押し返した。
――ここから離さないと。
リリシアがよろめいたところで、更に上腕を狙って打ったリュウヤの蹴りが、リリシアの身体後方へとをはね飛ばす。
できれば、聖霊の神殿の敷地外まで戻したかったが、リリシアは翼を広げて勢いを殺すと、飛翔して壁の上に降り立った。
「リリシア、セリナは関係ないだろ!殺したいなら俺を殺せ!」
攻撃対目標が、自分からセリナに変わっていると感じ、リュウヤはリリシアを注視しながら剣を構え直し、慎重にセリナの前まで足を運んだ。不意にパチパチと、拍手が聞こえた。
やがて壁の向こう側から、光に包まれたサナダが、拍手をしながら宙に浮いて現れると、にやにやと醜い笑みをしながらリリシアの隣に立った。
「愛する者を救い、愛する者に殺されようと自ら身を投げ出す。リュウヤ君も健気だね」
「やかましい!それよりも、クリューネは……。クリューネはどうした!」
「私のお遊びについていけなかったようだね。気を失って、横になっているね」
サナダは壁の下へチラと視線を送りながら言った。おそらく視線の先に、クリューネが倒れているのだろうとリュウヤは想像した。
「まあ、君の場合は簡単にいきそうもないが、愛するリリシアに手出しが出来ないようでは時間の問題だね」
「……」
「しかし、愛する者同士が争う様は、見ていて切ないねえ」
わざとらしく頭を振り、嘆息するサナダを見上げながら、愛するとセリナが呟いた。
「リュウヤさん。あの子とは一体どういう……」
「リリシア・カーランド。俺たちの仲間で……」
リュウヤは言葉を切った。
剣の柄を握る手にに力がこもり、胸が苦しくて息が詰まりそうだった。
「もうすぐ、俺と一緒になるはずだった」
「……」
小さく唾を飲み込む音が聞こえた。
リュウヤからは見えなくても、セリナの身体が強張るのが伝わってくる。セリナの鋭い視線が、痛いほど背中に突き刺さってくる。
「ごめん。一人でいることに堪えられなかった」
「愛しているんですか?」
うん、と言ったリュウヤの声は、セリナの中で虚ろに響いた。
怒り、憤懣、侮蔑、嫉妬、憎悪。
リュウヤの言葉を耳にした瞬間、沈黙するセリナのなかで、燃え盛る炎のような激しい感情が吹き荒れた。
信じられなかった。
あんなに愛し合っていたのに。
記憶を失って、不安を抱えたまま、どれほど寂しい日々を過ごしたか。
自分なりに必死に堪えてきたのに。
それなのに、自分たちを捨てて、新しい女に乗り換えようとするなんて。
――裏切り者。
セリナの口から、怒りの感情とともに発せられようとした時、セリナの頬に触れた柔らかく小さなものが、セリナの内に燃え盛る炎をふっと音もなく消し去った。
触れたものを探ると、セリナに抱えられているアイーシャが、「どこか痛いの」と心配そうな顔をしてセリナの頬を撫でている。
――ああ、そうか。
アイーシャの優しさと温もりが伝わる小さな手が、ここまで自分が耐えてこられた理由を教えてくれた気がした。
そして、リュウヤが耐えられなかった理由も。
それを知ってしまうと、セリナはリュウヤを責めることができなくなっていた。
「……その気持ち、わかります。リュウヤさん」
と、か細く震える声でセリナが言った。
「私には、アイーシャや子どもたちがいたから、耐えることができたけれど……」
その後は言葉にならず、セリナは嗚咽を洩らして顔を伏せた。
そう。言葉にしてみて改めて実感する。私にはこの子がいたから耐えられた。 ここでナギ様に守られ、子どもたちに守られてきた。
だけど、目の前の男は悲しみを抱えたまま、誰かを守るためにここまで闘い続けてきたのだ。
「セリナ、俺はお前を裏切っちまった。言い訳のしようもない。でも、これだけは信じて欲しい」
「……」
「絶対に、お前たちを守るから」
疑う余地もない。
リュウヤの振り絞るような言葉に、セリナは「はい」と強く頷いた。
「リュウヤさんを信じています」
心が震え、思わず泣きそうになるのを必死に抑えながら、リュウヤは大きく深呼吸して、柄を握り直した。
そんな二人のやりとりを下卑た好奇心で見守っていたサナダが、ホッホッと嘲るような声を出した。
「メロドラマは、もう終わりかな。感動的だ。なかなかに面白いものを見させてもらった」
「……」
「だけどね。リリシアは面白くないと言っているんだよ」
うすら笑いするサナダの傍らで、紅い瞳で冷然と見下ろしているリリシアの目に、光が帯びた。かざした右手を中心に無数の光弾が生まれる。
「セリナ、嫌い。嫌い、嫌いみんな、嫌い」
ひとつひとつはそれほどの力は感じない。しかし、それはリュウヤにとってはであり、セリナたちにはそうではない。被弾すれば、確実に絶命するほどの威力は伝わってくる。
「みんな、伏せろ!」
リュウヤは後ろを振り向き、セリナと子どもたちに怒鳴ったのだが、そのリュウヤよりも、リリシアの抑揚のない声の方がはっきりと聞こえた。
「リュウヤは私のもの。みんな消えちゃえ」
解き放たれた無数の光弾は、流星のようになってリュウヤたちに迫ってきた。リュウヤは魔法陣を浮かべて、光弾を正面から受けとめた。
「くっ……!」
尋常でない衝撃が腕に伝わり、リュウヤは歯を喰いしばって衝撃に耐えていた。かつて受けたバハムートのホーリーブレスほどではないが、ファフニール以上の威力があると思えた。
リュウヤの耳に、子どもたちの悲鳴が、あちこちから聞こえてくる。
ここでリュウヤが引けば、セリナを始め、子どもたちは無事では済まない。
少しも気が抜けなかった。
「逃げればいいのに、無駄なことをするな」
リリシアの傍らで、サナダが呆れたように言った。
アイーシャや他の子どもたちが衝撃と轟音に耐え忍ぶ中、セリナはリュウヤの代わりのように、じっとサナダを見据えている。
自分の行為に意味はないだろう。
しかし、それがせめて自分の出来ることだと、言い聞かせていた。
そのため、端から見れば、サナダはセリナに語りかけているようにも見える。
「数も一対二。リュウヤ君はリリシアにまともな攻撃もできない。おまけに足手まといがたくさん。絶対に守るなんて現実的じゃないね。詰んでいるのに、これからどうするつもりかな」
うすら笑いするサナダをリュウヤは睨んだままでいたが、やがて、押し殺した声で何かを呟いた。
「……えよ」
「なに?」
「……詰んでねえ、と言ったんだ」
「ほ、ずいぶん強がりを言うね」
「強がりじゃねえよ。アンタの前提に間違いがある」
「なにが?」
「まず、一対二じゃないからだ」
リュウヤが言うと同時に、サナダはすぐそばに尋常ではない気配を感じた。
襲い掛かる野獣のような殺気だった。
振り向くと、そこには歯を剥き出しするクリューネの血だらけの顔と、眼前に迫る拳があった。
「なに……!」
「女を、舐めんな!」
不意をつかれたサナダの鼻っ柱に、クリューネの拳が叩きこまれると、「ぷぎゃ」と蛙を踏み潰したような声を発してサナダがよろめいた。
「貴様……!」
「そのうっとうしい鼻に、もう一丁!」
クリューネはサナダの襟首を掴むとブンと頭を振るい、額をサナダの鼻に衝突させた。
「……!」
石のように硬いクリューネの頭突きでサナダの眼鏡はへし折れ、鼻から大量の血が噴水のように溢れでた。呻くことも出来ずにサナダの膝が崩れる。
「武術は習っとらんが、喧嘩じゃ負けんぞ!」
クリューネは咆哮し、続けて放った蹴りがサナダの頭部にヒットし、サナダの意識が一瞬途切れた。足が力を失い、サナダは壁の上から地面に叩きつけられた。
「な、なんでだ。なんで……」
クリューネは完全に気を失っていたはず。よろめき立つサナダの耳に、クリューネの怒声が響いた。
「お前は相手を舐めすぎじゃ!」
クリューネの視界に、数百メートル先にナギが
回復させたといっても、距離が離れれば魔法効果も薄れる。
ナギの回復魔法も、クリューネが意識を取り戻した程度しかない。身体はあちこち痛むし、傷口からあちこち血が滲んでいる。
それでも身体は動く。
今のクリューネにはそれで充分だった。
「リリシア!何をしている!」
サナダの声に反応して、リリシアは攻撃をやめて翼を広げて飛び立とうとした。しかし、その瞬間、リュウヤが放った“雷槍(ザンライド)”の雷撃が足下の壁を砕いた。リリシアは上空に飛んでに逃れ、眼下を見下ろしていたが、立ち上る噴煙の中から、リュウヤが勢いよく飛び出してくる。
「リリシア!」
「……!」
無表情のリリシアの目がわずかに見開いてのけ反ると、リュウヤはリリシア抱きすくめ、そのまま地面に落ちた。
ルナシウスは鞘に戻している。
もがいて逃れようとするリリシアを、リュウヤは必死でしがみついていた。体勢は悪くても、
リュウヤの頬は腫れ、割れた額から血を滴らせる。 それでもリュウヤは離さなかった。抱きすくめ、耳に訴えるようにささやいた。
「リリシア……!聞け、リリシア。聞いてくれ!」
「……!」
「リリシア、愛している」
リュウヤの声に、リリシアの動きが急にとまった。
セリナがそっと俯く。
「俺はお前を酷く傷つけた。自分のことばかりで、本当に本当に酷いことをした。ごめん……。ごめんな」「……」
「俺はお前の気持ちを忘れていた。忘れられない思い出も受け入れてくれたのに。だけど、俺はお前とずっと一緒にいるから」
リリシアの全身から、力がゆるみを見せた。紅の瞳から光が失われていく。四肢から力が抜けていくのを、リュウヤも感じていた。「リュウヤ……様、本当ですか?」
リリシアの声。
リュウヤが顔をあげると、瞳が黒真珠のように濡れた瞳に戻っている。
「リュウヤ様……。私……」
“ダめよ!ダメ、ダめ!騙さレちゃ、ダめ!”
リリシアの心の中に、ミラの声が響くと、リリシアの身体が硬直した。
“ソんなオとコの何を信じるノ?あナタ、そこの女とノやりトり、ミてイタでしょウ?”
そう、見ていた。
やっぱり、二人は繋がっている。深いところで、自分の及びもつかないところで。愛しているなんて嘘。
どうせ、この人のこと忘れられない。
羨ましい。
悔しい。
妬ましい。
“だっタら、嫌な人。早く始末シようヨ”
「……そうよ。そうよね」
リリシアの瞳が妖しく紅に光り、リリシアに急激な力の変化が起きた。
「リリシア、やめろ……!」
押さえつけようとするリュウヤだったが、凄まじい力と、女性特有の柔らかさで、リュウヤの腕からスッと抜け出していった。
「セリナ……。セリナ、セリナ、セリナ!」
リリシアは立ち上がると、セリナを見据えたまま、突然疾駆した。
すさまじい殺気をみなぎらせたリリシアは、確実にセリナを仕留めにかかっている。
「リリシア、やめろ!」
リュウヤは叫びながら、無我夢中で駆けた。やがて、リリシアに追いつき追い越すと、その右手はルナシウスの柄に手が掛かっていた。
それから、リュウヤは無意識に動いていた。
リュウヤはリリシアに追いつき、腰を沈めた。セリナに向けて、拳をふるうリリシアの腕に、
次の瞬間、リリシアの右腕が虚空に舞っていた。
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