第85話 風よ、届いて

「……?」


 ナギは何かの音に気がつき、周囲を見渡した。だが、映るものは焦土と化した荒れ果てた大地と、足下に転がるサナダの焼死体しかない。音はサナダからしたように思えたが、どうみても生きてはいない。

 辺りには荒涼とした風が唸りをあげて吹いているだけだった。

 風と勘違いしたのかもしれないとナギは踵を返したが、再びナギの耳が何かをとらえて立ち止まった。唸り声とも地鳴りとも受け取れる音。

 ナギはもう一度サナダに振り返ると、目に映った光景に驚愕していた。

 横たわるサナダの下から、青白い光が輝いている。その光は六つにわかれて大地をはしり、その光が模様を描き始めていく。


「まさか……、魔法陣?」


 蛇紋様をした魔法陣が地面に描かれたものを見て、ナギが息を呑んだ時、サナダの身体は半球体の眩い光に包まれていった。

 やれやれと、半球体の中から声が響いた。重厚で威圧感のある男の声にナギは雷鳴を連想させた。


“サナダの奴め。慢心して小娘に破れるとはな。意外に使えん奴だ”


 そこまで言うと、急に瞬く光でナギの目が眩んで視界が真っ白になって何も見えなくなった。その瞬間、強い力がナギの襟首を掴み、すさまじい力で締め上げていく。ナギは身動きもとれず、息が詰まってみるみる顔が紅潮していった。


“安心しろ。手加減はしている。少し呼吸が難しいだけだ”

「くああああっっっ……!」

“それにしても、惰弱なる大神官ナギよ。貴様の祖父ガズエラには悩まされたものだが、貴様もサナダと同様に情けない奴だな。聖鎧神塞グラディウスで、よもや機神オーディンなどという人形に負けるとは”

「おじいちゃんの名前を……、どうして知ってる……」

『貴様ごときには、その程度伝えるだけで充分だろう』


 嘲る男の声は、はっきりとした肉声となっていた。

 煌々と眩む光も消え、視力も戻って目をこらすと、一糸まとわぬ長身の若い男がナギを片腕で掴みあげでいた。

 銀色の長い髪が、自身が放つ闘気による強風によって煽られたなびいている。端正な顔立ちで、一見したところ痩身に見えるが、無駄のない筋肉は彫刻のように美しかった。


「あなたの髪、魔族の……」

『そうだ。私はサナダの肉体を依り代にして英気を養い、復活を待っていた。もう少しで、私が望む完全なる肉体に戻れたのだが、こうなればやむを得ん』

「……」

『私はもうひとりの“喚んだ男”に会いに行く。奴も私に会いたがっているだろうからな。貴様も私とガズエラとのよしみだ。面白いものが見られるかもしれんぞ』

「……リュウヤさんが、あなたと?」

『行けばわかるさ』


 若い男はにやりと笑みを浮かべた。

 端正な顔立ちから滲む笑みは邪悪そのもので、ナギは思わず戦慄を覚えた。


  ※  ※  ※


 リュウヤは剣を斬り放った姿勢のまま、呆然と地面を見つめていた。

 視線の先には女の細い腕が落ちている。その傍らで失った右腕を抑えてしゃがみこんでいる。傷口から滝のように大量の血が流れ落ちていた。

 凄惨な光景を目の当たりにして、何人かの子どもたちが悲鳴をあげ卒倒した。


「……お母さん?」

「見ちゃダメ。そのままじっとしていなさい」


 セリナの胸元かは顔を上げようとするアイーシャを、セリナはぎゅっと押さえた。

 アイーシャは迫るリリシアに危険を感じたセリナが、胸元に押さえつけたから目にしなくて済んだものの、セリナはひどく青ざめた表情をして立ち竦んでいる。逃げようにも足が根っこのように張りついて、足が動かせないでいる。

 しかし、ここで最も動揺していたのは、斬ったリュウヤ自身だったかもしれない。

 身体が小刻みに震え、手にした水晶の剣はチャリチャリと鍔(つば)から金属の擦れる音を鳴らしている。やがて、震える手からルナシウスが地面に落ちた。

 リリシアと蚊の鳴くような声でリュウヤが言った。


「リリシア、おい、大丈夫か?リリシア……」


 リュウヤの膝は崩れ落ちて、膝立ちのままリリシアににじり寄った。リリシアの身体が震えている。声こそ発してはいないが、想像を絶する痛みが彼女を襲っているくらい、噛み締めた唇と流れる血で容易に想像できる。


「ごめん……。俺は……、俺は何てことを」


 うずくまり、わななくリュウヤに対して、リリシアが俯いたまま無言で立ち上がった。リュウヤは涙を溜め、許しを乞うようにリリシアを見上げている。

 リュウヤが何かを言おうと、口を開いた時だった。


「ぐあっ!」


 リュウヤの顎が跳ね上がり、揉んどりうってリュウヤは地面に倒れた。リリシアの強烈な蹴りが、リュウヤの顎を捉え、冷たい視線でうずくまるリュウヤを見下ろしていた。

 そして、無造作な手つきで自分の腕を拾うと、リリシアは切断された箇所にその腕をつけた。その姿勢のままじっとしていたか、やがて柔らかな光が左手から溢れると、斬り落とされた腕に生気が戻り、指先がひくひくと動き始めた。


「……腕に、問題はない」


 何度も手の動かし右腕の状態を確認し終えると、リリシアはゆっくりとした足取りで、リュウヤに向かって歩いていく。身体は揺れ、その足取りは心もとない。

 どんなに強靭な肉体となっても、所詮は人間の身体である。感覚が麻痺しているから一見、平然としているが、大量の出血による影響は誤魔化しようがない。


「リリシア……」


 よろめき立ったリュウヤだが途端ににどすっと鈍い音がし、リュウヤの身体がくの字に折れ曲がる。

 再び子どもたちの間から悲鳴があがった。


「……!」


 リリシアのボディブロウが脇腹を抉り、リュウヤは息を詰まらせて、呻き声も出すことができなかった。

 それでも踏ん張って立っていたが、続けて放った後ろ鋭い手刀で、リュウヤは再び地面に転倒した。

 呻きながら、リュウヤはリリシアと呼び続ける。呼び続ける度、リュウヤは殴られ蹴りが飛んだ。顔は血で真っ赤に染まって腫れ上がり、衣服もボロボロになっている。


「リュウヤ!何故、抵抗せんか!」


 クリューネの声だ、とぼんやりと思った。目を開けると、セリナの傍にクリューネが立っている。無事なんだという以外、他に考えられなくなっていた。


「お主、そのままだと死ぬぞ!」


 いいんだとリュウヤは呟いたが、リュウヤの声はクリューネには届かなかった。

 今のリュウヤの胸の内には、贖罪と絶望の意識が支配していた。リリシアにまた深い傷を負わせてしまったという贖罪と、自分が何者であるかという絶望。

 そのふたつがリュウヤから、戦意を奪っていた。

 棒立ちのまま、リュウヤはリリシアに打擲され続ける。

 そんな光景を目の当たりにして、アイーシャはセリナの腕の中で震え続けていた。


「……やめて、もうやめてよ」

 

 あんなに謝っているのに。

 あんなに悲しい顔をしているのに。

 剣士様が可哀想。

 お母さんも怖がって泣いている。

 いかに綺麗で可愛い衣服を着ていても、母を襲い、友達にも攻撃を仕掛けてきた赤い瞳の少女が味方ではないことくらい、アイーシャの幼い目でもわかる。

 アイーシャには、その先がわからなかった。

 何故、あの女の子は苦しそうなんだろう。悲しそうなんだろう。

 味方じゃない。

 でも、“騎士物語”に出てくるような、悪い人や悪い竜とも思えない。


 ――かわいそう。


 アイーシャの脳裏には、そんな言葉が浮かんでいた。


「リュウヤの馬鹿たれ!」


 セリナとアイーシャの横で、クリューネが吐き捨てるように言うと、リリシアに向かって突進した。

 迫る気配を察知し、リリシアはクリューネが繰り出した蹴りに反応して受け止めて、跳ねてリュウヤたちから距離をとった。

 猿のように素早い動きだったが、それでもリリシアは着地すると、膝から崩れ落ちてへたりと尻餅をついた。見た目は無傷に見えるが、かなり弱っているらしい。

 クリューネはリリシアを追わず、呆然とへたりこんでいるリュウヤの胸ぐらをつかむと、顔が接するほど近づけてリュウヤを睨みつけた。

 腫れた顔から覗くリュウヤの瞳には生気がなく、悔しさを滲ませ、何かを訴えかけるように唇を噛み締めるリュウヤに、クリューネは怒りよりも抱き締めたいほどの衝動に駈られていた。 


「しっかりしろ。お主が戦わなかったら、セリナたちは誰が守るんじゃ」

「守る……」

「ここまで来たのは、ただセリナと会うためじゃあるまい」

 

 リュウヤの瞳が揺れた。

 絶対に守るからとセリナに言った自分の言葉が頭に過る。視線をセリナに向けると、子どもたちを一人であやすセリナが、今にも泣きそうな目でリュウヤを見つめていた。

 リュウヤは口を堅く結んで、セリナと視線を重ねていたが、不意に生じた高熱のエネルギーに目を向けると、リリシアが両手を掲げ、そこから巨大な光球が生み出されている。


「馬鹿め……!」


 クリューネが罵った。

 体力も残っていないはずなのに、これだけのエネルギーを持たせるには、魂を削らなければできないことだ。

 そんなものを使えば、リリシアも命がないはずなのに、リリシアにはもはや見境がなくなっていると、リュウヤは絶望する思いだった。

 リュウヤ、と言ってクリューネが立ち上がった。


「お主はみんなを守れ。私があいつを……」

「いや、いい。クリューネに手を汚させねえよ」


 リュウヤはクリューネの優しく肩を叩いて、ゆっくりと立ち上がった。気だるげな手つきで落ちていたルナシウスを拾い、フラフラと身体が揺らいでいるリリシアに視線を向けた。


「クリューネ。俺がなんで、この世界に喚ばれたか、わかった気がしたよ」

「なんだ」


 だが、リュウヤは寂しそうに笑っただけで、クリューネの問いに答えなかった。

 以前は、恐怖に打ち勝つ勇気を持っているからと思っていた。

 だが、リリシアの腕を斬り落とした時に感じた、重く泥のように粘着した感覚が正解を教えてくれた気がした。


 ――俺は、容赦なく相手を斬れるからなんだな。


 ヴァルタスが望む、復讐を成し遂げるだけの素質と残忍さを持つ男。

 殺人マシーンとなれる男。

 訓練や環境によるものではなく、純粋に相手を殺めることができる男。

 それが一介の高校生である片山竜也が、ヴァルタスに喚ばれた理由。

 幾ら人間と異なるとはいえ、ミルトを滅ぼした憎い相手とはいえ、これまで普通の高校生として暮らしてきた者が、そう易々と魔族を斬ることができるだろうか。


 ――俺の根っこは人斬り。歪んでいるんだな。


 自分の正体の底を知ってしまえば、後ここで、自分がやるべきことはわかっている。


「……リリシア。ごめんなあ、俺のせいでさ」


 リュウヤは小さく息をついた。洩らした息は気だるげで、呼吸を整えるためのものではなく、ただのため息ようだとリュウヤは自嘲した。

 剣を脇構えにし、わずかに腰を沈めてリュウヤは疾駆した。リリシアは目を見開き、迫るリュウヤにリリシアは生命を併せたエネルギー波を解き放とうとしている。


「今、楽にしてやるよ」


 斬る気になれば、殺す気になれば、リリシアがいかにパワーアップしたとしても、リュウヤにとって倒せない相手ではない。

 滑るように間合いを詰め、虚ろな言葉を響かせながら、リリシアの胴に撃ち込もうとした時だった。

 その時、リュウヤとリリシアの間を一迅の風か駆け抜けた。ただの風ではなく、青白い清浄な光を湛えながら、リュウヤとリリシアを包んでいく。


「……!」

「なんだ、この光は」


 リュウヤたちは繭に似た光の膜に覆われ、身動きができなくなっていた。しかし、青白い光は柔らかな閉じ込めているという感覚はなかった。むしろ庇護されていると言った方が近いかもしれない。

 

「そんなことしちゃダメだよ。……おとうさん」


 声に惹かれるように、リュウヤは声の主に視線を向けた。

 向いた先には、青白い光に包まれたアイーシャが、涙を溜めて小さな両手を向けていた。

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