第81話 もうひとりの喚ばれた男
「ナギには悪いことをしたの」
時間切れとなり、バハムートの変身が解けたクリューネは、巨大なクレーターの中に身を埋める二体の
黒こげとなった
おそらく、操縦者も無事ではないだろう。
「謝って済む話じゃないけど……」
戦いは完勝といえたが、ナギたちは本来、無関係のはずだった。
それなのに闘いに巻き込んでしまったという
リュウヤは顔をしかめて焼け焦げた大地を見渡していたが、聖霊の神殿から近づいてくる人影に気がつき目をとめた。
白いぼろきれのような衣服に、ぼさぼさに乱れた髪、びっこを引く素足が痛々しかった。
「ナギ様……」
目を見張るリュウヤに気がつき、クリューネも振り返ってナギの姿を認めると、二人は急いでナギの下へと駆け寄っていった。
傍に寄ると、ナギは安堵したような微笑を浮かべてリュウヤの胸元に倒れこんできた。消耗しきった身体で無理したらしく、ごめんなさいと、声もかすれている。呻くように謝ってリュウヤの身体から離れたが、立っているのも困難な様子だった。
「ナギ様、無理するなよ」
そう言うとリュウヤはあることに気づき、クリューネから纏っている魔法のローブを脱がせ、それをナギに羽織らせた。
「そんな格好までして」
ナギもクリューネには言わなかったが、リュウヤの角度からだとナギの破れた衣服の襟元から、形の良い白い乳房がちらちらと覗いて見えるのが気になって仕方がなかった。
小柄なクリューネのだからサイズは合わないが、そのまま惨めな姿でいさせるよりは、はるかにマシだと思った。
「あなた方にお礼を言いたくて……。あの白い竜は、クリューネさんですよね?」
「いや、ナギよ。礼なんかいらんぞ。むしろ、こっちが謝らんと」
「……」
「奴等は私らを追ってきた。それなのに、無関係のお主らを巻き添えにさせてしまったんじゃ。礼など……。すまん」
「クリューネの言う通りです。ナギ様には、なんと言ったらいいか」
悄然と頭をさげるリュウヤに、ナギは穏やかな笑みをたたえたまま、ゆっくりと首を振った。
「あの人たちは、力試しのように私たちを攻撃してきました。これが他の町だったら、もっと深刻な被害をもたらしていたと思います。この程度で済んだのはリュウヤさんたちのおかげですよ」
「でも、聖霊の神殿や子どもたちは……」
「子どもたちが無事なら、聖霊の神殿などどうなっても構いません」
穏やかな笑みは変わらないが、ナギの言葉にはどこか投げやりな響きがあるのを、リュウヤは感じていた。
そんなリュウヤの視線から逃れるように、ナギはそっと目を伏せた。
ナギの胸の内は、虚しさと寂しさで満ちていた。
絶対の防御壁を誇る聖霊たちの集合体である
隙を突かれ、ファフニールの砲撃に一度は結界は破られたものの、それでも力は充分に残っていたはずだった。しかし、不利を覚ると聖霊は一斉に逃げ去り、ナギたちを見捨てた。
この地は、聖霊たちの安息の地として集まる場であり、人間は聖霊たちから力を借りるために彼らを祀る。
所詮は、利己で繋がれた関係だろうと頭では理解していたつもりだが、実際にその底を目にしてしまうと、その事実はナギの心が砕くのに充分だった。
「……私は子どもたちと、この地を離れようと思います」
「どうして、突然?」
「このままでは、また魔王軍がやってくるでしょうし、それを防げる聖霊たちがこの地にはおりません。私には……」
ナギはそこで言葉を切ったが、呻くように呟いた。
「私には、もう
聖霊の力を失えば、残るもの無力な女しかいない。
借り物の力で大神官などと崇められ、ある時には参拝者に説法などをしていた自分が恥ずかしく、そうした感情もこの地を離れる理解のひとつにあった。
「でも、ここを離れてどこへ?」
「ムルドゥバ。あそこには、多少の知り合いがいますから」
「そうですか……」
結果として、ナギたちの暮らしを奪ってしまった贖罪の念が、リュウヤたちの表情に暗い影を落とした。
そんなリュウヤたちを励ますように、「そんなことより」と、ナギはリュウヤの肩をポンと軽く叩いた。
「リュウヤさんには、早く会いたい人がいるんじゃありません?」
ナギに言われると、リュウヤははっと思い出すものがあって、ナギに詰め寄った。
「セリナは……、アイーシャは無事なんですか?」
「大丈夫。ご無事です。セリナさんの怪我は、魔法で治しました。今は神殿の奥に避難していますよ」
ほっとため息をつくリュウヤに、クリューネが良かったのと傍らで言った。
「記憶をなくしとるが、なあにお主らだったら、これから幸せな記憶で埋めておけばいいだけじゃ。そうしたら……」
不意に、クリューネは言葉を詰まらせた。
みるみる表情が歪むと、目の端に涙が溢れ、身体が小刻みに震え始める。
「何だよクリューネ。泣かなくてもいいだろ」
「泣いてなんかない……!ゴミが目に入ってくしゃみしそうになっただけじゃ!」
「まあ、ありがとな」
「だから、泣いてなんかないと言うに!」
「いつも優しいよな。お前は」
「だからあ……!」
一年以上、苦楽を共にした仲である。
クリューネの強がりなどリュウヤはとっくに見抜いていて、優しい手つきで頭を撫でている。
それがクリューネには嬉しくて、飛びついて甘えたい衝動に駆られたが、そこは必死で堪えた。堪えれば堪えるほど寂しくて悲しくて涙が溢れてくる。
「行け……!セリナたちのとこに行くぞ!」
泣きじゃくったまま歩き出すクリューネの後を、ナギがついていこうとしたが、やはり足元が覚束ない。
見かねたリュウヤがナギの前にしゃがむと、ナギを背負って歩き出した。ナギはわすがにためらいを見せたが、背負われた後はリュウヤにその身を預けてくる。
軽い身体だとリュウヤは思った。
「ナギ様はムルドゥバで、何をするつもりなんですか?教会辺りにお勤めですか」
「仲の良い方は何人かいますが、宗派が違うので難しいでしょうね。ただ、子どもたちの今後もあるので、落ち着くまでは保母さんとして一緒にいられるよう、お願いしてみるつもりです」
「大神官が保母さんか」
何となくギャップがおかしくて、リュウヤがつい失笑してしまったのだが、ナギは気にした様子もなく、言葉を続けた。
「正式な神官なんて、私一人しかいませんから。祭礼の日曜以外、やっていることは保母さんと変わりません。ですから、世間知らずの私でもやっていけるかも、て自信はあるんですよ?」
「ナギ様がその調子なら、大丈夫ですよ」
今日のナギはよく喋ると、リュウヤは思った。
久しぶりに再会したこともあるだろうが、激しい戦闘直後とその勝利で、身体は疲れきっていても、精神はまだ興奮状態にあるのかもしれない。
「リュウヤさんは何をなさるんですか?」
「え?」
「セリナさんとアイーシャと一緒に暮らすのでしょ。平和になったら、故郷に帰るんですか?」
「いや、俺は……」
そこまで言ってリュウヤの足が止まった。
クリューネは気がつかず、前を歩いている。多少は落ち着いたみたいだが、涙を拭う仕草を見せているところから、まだ泣いているらしい。
「……そのことで、セリナには話さなきゃいけないことがあって」
「なんですか?」
リュウヤは返答ができなかった。
再会。
そして、本当の別れ。
リュウヤの脳裏には、リリシアの姿が浮かんでいる。頭の中のリリシアはひどく疲れきり、壊れかけた虚無の瞳がこちらを見つめている。
ファフニールとの戦闘直前に見せた、リリシアの表情が脳裏に焼きついている。
リュウヤは自分のせいで傷つけてしまったあの女の子を、見捨てることなど出来なかった。
――だからといって、セリナとアイーシャを見捨てるのか。
わき起こってくる自問に返せる言葉はない。間違った選択かもしれなかった。
――クリューネやナギ様も怒るだろうな。
怒るどころではなく、失望され、嫌悪の目で見られるかもしれない。だが、かつてはリリシアも、セリナと同じくらいに愛情を感じた女である。
自分が選んだことを後悔するべきでなく、自分の責任であり、どんなに罵られようが詰られようが、甘んじて受け入れるしかなかった。
「……さん。リュウヤさん」
耳元でナギの声がして我に返って顔をあげると、「クリューネさんが呼んでますよ」と、ナギの白い腕がリュウヤの顔の横からのびた。
「おい、ぼさっとしとらんで早く行くぞ」
遠くの声に我に返って顔をあげると、ようやく落ち着きを取り戻したクリューネが、リュウヤたちに手を振っている。
「今、行くよ」
リュウヤは大声返し、歩き出そうとした時だった。
総身に寒気が奔り、リュウヤの足が再び止まる。「またですか」というナギの非難がましい言葉を無視して、リュウヤは立ち竦んでいた。
強大な力が突如海上から起こり、尋常でない速度でこちらに接近してくる。押し寄せてくる殺気の波に抵抗するかのように、リュウヤは海の方向を睨みつけていた。
「どうしたの。リュウヤさん」
リュウヤの異常に気がつき、ナギは怪訝な目でリュウヤの視線を追った。陽光を浴びて煌めく海に清涼感のある青空が広がっている。
その青空に、ぽっとふたつの光が浮かんだ。光といってもひとつは鳥の翼に似ているもので、もうひとつは光の球だった。
「もしかして、ルシフィか?でも、こんな殺気じゃ……」
「ルシフィがきよったのか?」
クリューネが駆け戻って尋ねてくると、わからんとリュウヤは首を振った。
「クリューネ。ナギ様を頼む」
わかったというクリューネの声だけ聞いて、近づく光を見据えながら、ナギを降ろすと、リュウヤはルナシウスの鯉口を弛めた。
「来るぞ……」
ふたつの光のうち、光球が先行して地上に降りてきた。光が消えると、鷲鼻に眼鏡を掛けた白衣の男が立っている。
強大な力のわりに貧相な体格をした男が現れたので、キョトンとして男を見つめている。リュウヤだけは表情を緩めず、男を睨みつけている。
「こんにちは、リュウヤ・ラング君。私の名前はサナダ・ゲンイチロウ」
リュウヤは男の発した言葉と名前に耳を疑い、息を呑んだ。ナギとクリューネは聞いたことのない異国の言葉に戸惑い、互いに顔を見合わせている。
「……日本語。それにアンタ、日本人か」
「そう、私の名は真田源一郎。名前や情報から予想した通り、やはり日本人だったか。君もこの世界に“喚ばれた男”なのだな」
「君も、てことはアンタもか」
サナダは答えず、ふふんと鼻で笑った。
「まあ、他の人間なら、同じ日本人と懐かしむところなのだろうが、私は民族に同胞意識、帰属意識や誇りなど大して持ってなくてね。君は私にとって、邪魔な敵でしかないのだよ」
「なんだ、おぬしら。いったい、何を話しとる」
割り込んでくるクリューネに、リュウヤが鋭い一瞥を向けて「不用意に近づくな」と叱咤すると、怯えた様子でクリューネは後退りをした。
敵。
リュウヤの本能が、サナダが放つ異様な殺気を感知して、そう告げていた。
ためらうな。
斬れ。斬り捨てろと。
「こいつは俺たちの敵だ」
「そのとおり。私は君たちの敵だよ」
サナダが言うと同時に、風がふわりと舞った。サナダの眼下に腰を沈め、剣の柄に手を掛けるリュウヤの姿があった。
「なるほど、速いねえ」
一瞬の間に、リュウヤはサナダとの距離を詰めるリュウヤを見ても、サナダは悠然と見下ろしていた。
――抜かせ。
シッと歯の隙間から洩らすような気合いとともに、抜き打ちに放つ刃は、佇立するサナダの首へ鋭い閃光となって襲い掛かる。
間合い。角度。位置。
リュウヤ自身でも絶妙のタイミングだと思えた。
だが、刃が届く直前、ガキンという鈍い音とともにルナシウスの刃は弾かれ、リュウヤも地面に転倒させられた。
「私は敵だが、私が戦うわけじゃない。君が戦う相手は別だよ」
後ろ回転受け身から跳ねて後方に退き、剣を構えたリュウヤとサナダとの間に、人間の姿が浮かんでいる。その人間は先ほど目にした光の翼を広げていた。
「リリシア……」
銀髪のポニーテールに銀色のドレス。
清純さなドレスとは対極的に、妖しく爛々と輝く紅い瞳。
肩にはピンクのうさぎのぬいぐるみを載せ、両手の拳には魔法陣が浮かんでいる。
その姿を見て、リュウヤは愕然とした。クリューネもナギも呆気にとられている。
「……おい、サナダ。リリシアに何をした」
「この子に潜む心の闇を解放させてあげた、くらいかな。おかげで私は、下手な魔族よりも、強大な戦士を手に入れられたよ」
ギッとリュウヤは、奥歯を鳴らす。
心の内から怒りも闘志も身を燃やすほど噴き上がってきているが、リリシアの前ではそれらも、感情となって表に出る前にかき消されてしまっている。
「心を解放し、空っぽになったこの子には、何も悩まされることはない。くだらない男とのトラブルにも苦しまなくて済む。彼女は主の命令だけで動く、私だけの人形。リリシアはリュウヤ君を躊躇なく殺せる。だけど、リュウヤ君はどうかな?」
「てめえ……!」
「うん。良い表情だ」
悲痛な顔をするリュウヤに、サナダは冷笑を浮かべたまま、行け、と右手を掲げリリシアに命じた。
リリシアの両目が紅い光を帯びると、瞬時にリュウヤへと迫ってきた。弾丸のように殺到するリリシアに対し、リュウヤはどうしたらいいか迷ったまま、ルナシウスを構えるしかなかった。
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