第65話 裸のつきあい
ルシフィは石造りの湯船に顔の半分まで浸からせて、ぶくぶくと湯面に泡を吹き出していた。立ち上る湯気は狭めな浴室に満ち、うっすらと靄がかかっているようだった。
ルシフィたちは騒ぎになりそうな町中を避け、トレノ郊外の小さな村で宿をとっていた。浴室が若干狭い割りに湯船は広く、浴室の半分近くもある。宿主が自慢の天然温泉というだけに、室内はよく清掃されて清潔な感じであるし、赴きのある造りとなっている。
そんな天然温泉に加え、一週間ぶりの風呂であるにも関わらず、ルシフィは今一つ気分が晴れないでいる。その理由が、思わぬ出会いをしたクリューネ・バルハムントという竜族の姫にあることはわかっていた。
――さあて、どうしようかなあ。
このままクリューネを捕らえて、ゼノキアまで連れていくのも手だが、もう一人の竜、傍にいるはずのヴァルタスの姿が見えないのが気になっている。
一応、様子を確認してからに判断した方がいいかもしれない、とゆらゆらと灯りが揺らいで映る湯面を見つめながら思案していた。
「おう。なかなか良い造りではないか」
カラリと戸が開いた後で浴室に響いた声に、ルシフィは耳を疑った。
『クリューネ……さん?ここ、混浴ですよ?』
「だから来たんじゃろが。待たせたな」
なんでここに?
だから来た?
待たせたな?
クリューネ姫て、そういう子なの?
え、困るよ。
え、僕、こういう経験全然無いのに。
ルシフィの頭の中は期待や、ちょっとした怖れだとかが掻き混ざってすっかり混乱してしまっていた。ただうろたえて、クリューネを見ないように室内に目を泳がせている。
「いやあ、やはり風呂は毎日入らんとな。水で拭いても、そこかしこが痒くなってたまらんわ」
はっはっはと豪快に笑いながら、クリューネがルシフィに近づく気配を感じていた。ルシフィの視界に細い足の爪先が映り、ルシフィがあっと声をあげた。
「なんじゃ?」
『……あの、クリューネさん。湯船に浸かるなら、身体を洗ってからじゃないと』
「なんじゃ、お前も結構うるさいの」
クリューネの発言に、そのまま入るとつもりだったのと、自分の立場も忘れて説教したい気持ちが沸いて思わず振り向くと、流し場に向かうクリューネの豊かな金髪の隙間から、薄い背中と小さくて丸い尻が覗(のぞ)いて見えた。
「……!」
ルシフィは慌てて向き直ると、背を丸めるように身体を肩まで湯船に浸からせた。
「いやあ、宿代まで出してもらって、すまんな。あのまま野宿かと思うとたまらんかったわ」
『いえ、町を出るのは僕が提案したわけですし、ここの宿代、そんなに高くないですから』
「ありがたいのう。旅は道連れ世は情け。情けは人のためならず。女同士、気軽にいこうぞ」
「……女同士?」
「客は他におらんようだが、こんな狭い混浴風呂なんて恥ずかしくて、私も落ち着いて入れんからの」
「……」
――そういうことか。
男が入っている浴室に、やけにクリューネは大胆だと思っていたのだが、これまでにも何度かあったように、またしてもそういう勘違いかとわかって、ルシフィはほっとしたような、一方でがっかりしたような気分になっていた。
だからといって、今ここで真実を打ち明ける気にはなれないでいる。
そんなことをすれば、地獄の蓋を開けたような騒ぎになることは明白だからだ。とにかく今は身を縮め、クリューネがそのうち出ていくか、自分の出るタイミングを待つしか無いと覚悟を決めた。クリューネは流し用の湯槽から汲んだ桶で、何かの修行のようにザブザブと勢いよく頭に湯をかけている。
「ところで、ルシフィよ。お主は、どこまで旅する予定なんじゃ」
『あ、あの、人探しが目的なんです』
「人探し?」
『僕には母がいるんです』
ルシフィは幼い頃に、戦火に巻き込まれ生き別れた母がいること。
育ててくれた祖父の話だと、褐色肌で自分とよく似ているとのこと。
一人旅でも通用する力を持てるようになったから、一人旅をしていることなどをクリューネに語って聞かせた。
「お主も苦労したんじゃの」
『いえ……』
話を聞き終わり、発したクリューネの声には同情するような響きがあった。ルシフィは小さな声で答えると、口をつぐんで、それ以上は何も言わなかった。言えなかった。
余計なことを言うとボロがでるおそれがあったからというのも確かだが、半分以上は嘘をついているという後ろめたさからだった。
旅をするにあたり、身の上話を誰にいつ聞かれてもいいよう、ヤムナークと相談して予め用意していた。
台本通りの説明なので、比較的滑らかに舌はまわるが、死んだ母をダシに使うのは辛いものがある。
「では、お主。そこまで先は急がないか」
『え、あ、まあ、はい』
「なら、お主の腕を見込んで頼みたいことがある。ちょっと途中まで付き合ってくれんかな」
『なんでしょうか』
「バルハムントという竜の国の、アギーレという町まで行きたいんじゃ」
バルハムントにアギーレ。
竜の姫であるクリューネから発せられた言葉に、ルシフィは身を強張(こわば)らせた。
『あそこ……、廃墟なはずですよね。あんなとこに何の用が』
「うん、まあ一種の宝探しだな」
『宝探し……』
「どうじゃ、付き合ってくれるかな」
『いいですよ。僕で良ければ』
おそらく、そこにヴァルタスもいるかもしれない。
ルシフィにはそんな予感があったし、それに、宝探しと言うクリューネの目的も気になっていた。
何にせよ、これからクリューネと行動すれば、様々な貴重な情報が得られるだろう。
「いや、お主と会えて良かったわ」
不意に耳元近くにクリューネの声がしたので、振り向くと湯船にもたれるクリューネが傍にいた。
やわらかそうな肌に、組んだ腕から覗くピンク色の突起したものが見えた。
ルシフィは慌てて目を背けた。
「なんじゃ」
『いや、クリューネさんの肌が綺麗だな、と思って……』
「何を言うとる。お主もなかなかのもんじゃぞ」
言うなり、クリューネは黒く変色させているルシフィの髪をさらりと鋤いてきた。さらに小さな指先がルシフィの肩をなぞっていく。
「このさらりとした絹を思わせる髪質。陶器のように艶々した肌。マシュマロみたいな柔らかい弾力もあるし……」
クリューネは腕をざぶんと湯船に突っ込ませると、やにわにルシフィの胸をつかんできた。
『な、な、何するんですか!』
「いや、胸は私と変わらんなと思ってな」
ルシフィは胸を押さえながら振り返ると、開けっ広げに立っている裸身のクリューネに目を見張った。
上の平らな乳房からくびれのある腰、下のうぶ毛のような陰毛まで、全身くまなくはっきりと見えた。
『……』
ルシフィは息を呑み込んで顔を戻して、湯船の中で身体をすくませた。頭の中と股間が沸騰するほど熱くなっていて、爆発してしまうんじゃないかと思うくらい膨大な熱量が生じている。
「なんじゃ、照れとるのか。可愛い奴だのう」
ルシフィの後ろで含み笑いが起きたかと思うと、首すじ辺りにしっとりとした肌の感触が伝わってくる。細い両腕がルシフィの首に絡みつき、「私をお姉さまと呼ぶが良いぞ」と耳元でささやいてくる。
腕がルシフィの胸にのび、小さく細い指がルシフィの乳首をツンツンと弄り始める。
――もう駄目、限界。
クリューネは同性としてからかっているつもりなのだろうが、裸で抱きついている相手は男なのだ。容姿仕草内面いずれも九割乙女なルシフィでも、クリューネの行為は単なる誘惑でしかない。
『あの、もう、出ます!』
ルシフィは自分のタオルをつかむと、クリューネからは見えないように、股間を押さえながら湯船から慌ててあがった。
「なんじゃ、もう出るのか」
『のぼせちゃいそうなので……』
「ちょっと待てい。ルシフィ」
バレたのかな?
低い声で呼び止めるクリューネに、恐る恐る振り返ると、腕組みしてじっと睨みつけるクリューネの姿があった。
「お主……、綺麗な足しとるし、可愛い尻だのう」
浴室から出ようとするルシフィの尻を眺めながら、クリューネは羨ましそうに呟いた。
『そ、そうですか。アハ、アハハハハハハハ!』
自分でもぎこちなく、乾いた笑い声だと思いながら、ルシフィは勢いよく浴室を飛び出していった。パンツだけは確実に履いて、あとは着替えだけをかき集めて抱えると、あとは逃げ出すように部屋へと走っていく。
途中、宿のおかみさんとばったりと出会し、パンツ一枚のルシフィを見て非難がましい目を向けた。
「年頃の女の子が、そんな格好して歩き回ったらダメよ」
『僕、男の子ですよ!』
両目に涙を溜めて瞳を潤ませるルシフィの姿は、傷ついた小鳥や小鹿のように儚く健気に映る。なんて頑張り屋さんなんだろうとおかみさんの胸がぽっと熱くなり、思わずルシフィをいたわるようにして、そっと優しく抱き締めるのだった。
「女の子が無理しなくても大丈夫。私もあなたみたいに意気がってた記憶もある。無理しないで。あなたはひとりじゃない」
『……』
何故慰められているのかわけがわからなかったが、またこれなのと自分が情けなくてしかたなく、いよいよルシフィの目から、大量の涙が頬を伝って流れ落ちるのであった。
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