第64話 姫王子と竜族の姫
ルシフィはほくほく顔で、フォークに刺したホタテをゆっくりと口に運んだ。
ホタテの濃厚な風味と、チーズの柔かな味が口の中にとろけて広がり、思わず悶えるような声をあげて
『ん〜、美味し!』
テーブル上には今口にしたホタテグラタンの他に明太子パスタにシーザーサラダや、ロールキャベツ、赤ワイン等が並べて置かれているテラスからは、まぶしく輝く青い海が一望できた。
王都ゼノキアを出発してから一週間。竜族を追って、これまで野宿生活を続けていたのだが、さすがに疲労が溜まるのを感じ、ルシフィは少し予定を変更して、トレノという港町で休むことにした。
お腹が空いたこともあって、町に入ると海辺近くの料亭に寄ったのだが、久しぶりに味わう店の料理は格別で、一口一口を味わう作業が楽しくて仕方がない。
『景色も良いし、最高だなあ……』
食事を済まし、ワイン片手に煌めく海をうっとり眺めていたルシフィだったが、突如、獣のように唸るような女の声が意識を現実に引き戻した。声のした方を見ると、金色の髪をした女の子が、酔っぱらって店員にクダをまいている。
「なんじゃあ、この店は酒もだせんつうのか。もっと酒をもってこんかい!」
「あの、お客様。周りのお客様にも迷惑になりますので、大声はちょっと……」
「私が迷惑だと言うんか!」
「いえ、そういう意味では」
「私は……、好きだったのに……。あんなに一緒にいたのに……。何も想いも届かんで……。なんで、なんでじゃ」
そこまで言うと、金髪の少女はリュウヤリュウヤと人の名らしきものを連呼し、嗚咽を漏らし始めた。
そしてテーブルに突っ伏し肩を震わせていたが、急にむくりと起き上がり、涙と鼻汁まみれの顔で酒じゃと怒鳴った。
「酒じゃ、酒をもってこんかい!」
「お客様、お静かに……」
――最低だな、あの人。
せっかく良い雰囲気の店と良い料理なのに、全てを台無しにしてしまっている。やけ酒なら、もっと似つかわしい場所でやればいいのに、とルシフィは騒ぐ金髪の少女を横目にしながら、忌々しげにワインを口に運んだ。
ふと傍に人の気配がして、そこの君と男の声がした。見ると向かいに紳士風の男が立っている。
「そこの席、空いてますかな」
言われて、周囲を注意して見ると店内は満席である。金髪の少女の席も空いているが、あんなとこ誰も寄らないだろう。
『いいですよ。どうぞ』
ルシフィが席を奨めると、紳士は帽子をあげて軽く会釈して席に座った。
金髪の少女はまだ騒いでいて、わけのわからぬ悪態(あくたい)をついて店員を困らせていた。
「ああいうのは最低ですな」
不快そうに眉をひそめる紳士に、ルシフィも同意するつもりでうなずいた。
「あの子もそれなりに良い顔立ちをしているのにもったいない。美術品に落書きをするようなものだ」
『そうですよね。せっかく美味しくて素敵な料理なのに、勿体(もったい)ないですよ。あんなにガブガブとワイン飲むのも、つくってくれた方々に失礼です』
ほう、と紳士の目がキラリと光った。
「おわかりですか。あなたはこの店のワインの良さが」
『生きてますよね。ワインが』
ルシフィは外にグラスをかざしながら、グラスに注がれた透き通る赤い液体を眺めた。
蒼弓の空と澄んだ海に、赤ワインはよく映えると思った。
『……なんちゃって。ごめんなさい。訳知り顔で語っちゃった』
肩をすくめて、いたずらぽい笑みを浮かべるルシフィに、紳士は素晴らしいと幾分声を震わせていた。
「あなたのような方に飲んでいただければ、ワインも喜ぶでしょう。……あんな女性と違ってね」
憤然として紳士は金髪の少女を眺めていたが、ルシフィに向き直ると、コホンと小さく咳をしてルシフィを見つめてきた。
「ところで、あなたの格好から、旅をしておられるようですが」
『ええ、そうです。人探しで』
「魔物がはびこるこの世界で旅だなんて……。あなたのような方がされることではないでしょう」
『まあ、よく人には言われますね』
血相を変えた魔王軍の幹部や、当初は反対していたネプラス将軍を思い出し、ルシフィはふふっと小さく笑った。
不意に店内が静かになったなと思い、金髪の少女の席を見ると、いつの間に帰ったのか、乱雑したテーブルを残して席は空となっている。そんなよそ見していたルシフィの細い指を、乾いた手が握りしめてきた。
見ると、目の前の紳士がルシフィの手を握っている。「お嬢さん」と紳士は言った。
「旅なんて無粋なことはやめて、私のところへ来ませんか。温かい食事や柔かなベッドがご用意できますよ」
『あ、あの……』
「どうですかな。これから私と一緒に、ランデヴーな日々を過ごすというのは。あなたは美しい。天使のようだ」
紳士は鼻息を荒くし、ルシフィを見つめる目も力を増した。対照的に丹念(たんねん)な手つきでルシフィの手を撫で回し始める。ナメクジに這われたみたいで、全身に悪寒が奔った。
反射的に、ルシフィは紳士の手を振り払っていた。
『ご、ごめんなさい。僕、男なんですよ』
「え……」
『こんなんだから、勘違いされやすいんですけど』
衝撃の告白に、紳士は愕然とルシフィを見つめていたが、再びルシフィの手を握ってきた。その手には先ほどより力が籠っている。
「か、かか、構わない。構うものか、男でも!き、君みたいな天使のような人なら、男でも何でも結構だ!」
『ええ……?』
「妻に浮気されて、妻は下僕の男と駆け落ちしてしまった。あんなに愛していたのに。寂しいのだ。悔しいのだ。辛いのだ。君だったら私を包み込んでくれると見込んだのだ。どうか、どうか傷ついた私を慰めておくれ」
そこまで言うと、紳士は顔をくしゃくしゃに歪ませて、両目に涙が溢れてきた。ルシフィの手を握ったまま、テーブルに突っ伏してオイオイと泣き始めた。
『あの、その、僕はそういう趣味ないので、ごめんなさい』
ルシフィは紳士の手を振り払い、慌てて荷物をまとめて席を立った。
「年に金貨十枚、いや二十枚!生活を保障してあげるから、私と一緒に暮らしておくれ!」
紳士の悲痛に叫ぶ声に、ルシフィは振り向きもしなかった。何事かとルシフィを見つめる視線が痛く、さっさと支払いを済ませると、お釣りもロクに確認しないで足早に店から出ていった。
『まいっちゃうなあ……』
ルシフィは深くため息をついた。女と間違われることはしばしばあるが、打ち明けて迫られた記憶はない。
せっかくの料理の味も、美しい海やワインの酔いもどこかに消えてしまっていた。
身体を休めるために寄ったのに、今はどっと疲れが出てしまっている。
今日は早く寝ようと思い、広場に向かって歩き出した。広場の近くに小さくて質素だが、小綺麗な宿があったはずである。広場までの狭い通りを歩いていると、突然通り一角から怒号が響いた。
見ると、あの店でへべれけだった金髪の女の子が、ルシフィに向かって逃げてくる。その後ろを、五人の厳つい男たちが追い掛けてくる。
金髪の少女は酔いのせいもあってか、足元が覚束ない。ルシフィを見つけると、盾にするかのように、ルシフィの背後に隠れた。
「助けてくれ!暴漢が私の金を狙って、追い掛けてきたんじゃあ!」
問いただす間もなく、男たちに目を向けると、既に間近に迫る、男たちの鬼のような形相が並んでいた。
「てめえも仲間かあ!」
一人が怒声を浴びせて殴りかかってくる。後ろには少女がいるから、かわせばこの子が危ないと思った。
――しょうがないな。
ルシフィは木の棒を持ち直し、男の拳を軽く弾き返すと、くるりと木の棒を回した勢いで男のこめかみをパンと叩いた。乾いた音が鳴ったかと思うと、男は白目をむいて地面に昏倒(こんとう)した。
「やろ……!」
仲間が倒されたのを目の当たりにし、男たちは色をなしてルシフィに襲いかかってきた。
だが、厳(いか)つい男たちとはいえ、ルシフィの敵ではない。叩き、突き、あっという間に男たちは倒され、地面に崩れ落ちて気絶していた。
『早くここから逃げよ』
騒ぎを聞きつけて、人が集まり始めたのを見ると、ルシフィは少女の腕を引っ張り、急いでその場から離れていった。
『……怪我はない?』
人通りが多いメインストリートに出たところで、ルシフィは少女に尋ねた。勢いよく走ったせいで酔いがまわったのか、千鳥足で手を掴んでいないと転んでしまいそうなほどとなっている。
「怪我はないぞ。すまんかったな」
『それにしてもあいつら、いきなり殴ってきて乱暴な連中だったなあ』
まったくじゃ、と言って少女はポケットから小さな布袋を取り出した。
「大した金も持っとらんくせに。銅貨二十枚くらい、ケチケチするな」
『え、どういうこと?』
ルシフィは思わず立ち止まって少女を見つめた。少女は酔眼でうなりながら、ふんと鼻を鳴らした。
「さっきの店で懐がちくと寂しくなっての。あいつらの懐から頂戴したわけよ。ばれてしまったがな」
『でも、さっき暴漢て言ったじゃない』
「そう言わんと、助けてくれんじゃろ」
『じゃあ、もしかしたらあいつらに』
「もしかしたらじゃなく、間違いなく仲間と思われただろうな」
悪びれた様子もなく、少女はカラカラと陽気に笑い始めた。反対に、ルシフィは身体から血の気が引いていき、目が眩みそうになっている。
――なんという日だろう。
先ほどは紳士風の男から交際を迫られ、今は自分とさほど歳の変わらぬ少女から、泥棒の片棒を担がされる。
――旅は、様々な経験を与えてくれるとかいうけど。
これはあんまりじゃないかと、ルシフィは天を仰いで嘆息した。
「まあ、なんだ。礼を言っといてやろう。ありがたく思えよ。お主、名はなんだ」
『……ルシフィ』
「そうか。私はクリューネ。クリューネ・バルハムントじゃ。世話になったな」
――……クリューネ?
急に周りのざわめきが遠くなった。
ルシフィは聞き間違いかと思って、クリューネと名乗った少女を見た。急に顔色を変えたルシフィに、怪訝な顔をして首を傾げている。
『ええと、クリューネ・バルハムントさん?』
「そうじゃぞ。クリューネでかまわん。フルネームで呼ぶなよ、恥ずかしい」
運命。
あの料理屋に立ち寄らなければ、クリューネや紳士にも会えなかった。クリューネが酔わなければ無事逃げ切っただろうし、紳士が来なければ、クリューネが逃げる時間ともずれていた。
奇異な出来事が続いたが、その重なりが結果として運命的なものをもたらすのかもしれない。
ルシフィはふらつくクリューネを見つめながら、ふとそんなことを考えていた。
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