第62話 聖鎧神塞グラディウス

「クリューネさん、あの人たちをご存じなんですか?」


 声に振り向くと、クリューネの傍らに、アイーシャを連れたナギがそっと立っている。いつもの穏やかな笑みを湛えたナギではなく、厳しく緊張した面持ちのナギがいた。


「デカブツは知らんが、もう一人の痩せた男は魔王軍の奴だ。ミスリードとかいう名前で、敵も味方も関係なく攻撃しよる」


 そうですかと呟き、ナギは口を固く結んだ。その手に力が籠り、手を握られているアイーシャが痛いと訴えた。


「ごめんなさい、アイーシャ。私、ちょっと用事があるから、ジランさんと一緒に礼拝堂にいてくれるかな?」

「う、うん……」


 詳細はわからないまでも、幼ごころに異様なことが起きると察したらしく、アイーシャは心配そうにナギを見上げていたが、やがて素直にうなずくとジランの傍に寄っていった。

 ナギはジランという老いた門番にアイーシャを託すと、「子どもたちを外に出さないようにお願いします」と低い声で言った。いつもと違い強い口調と剣幕に圧され、ジランは目を見張ったまま何度も頷くと、急ぎ足でアイーシャを礼拝堂に連れていった。


「クリューネさんも、礼拝堂に避難してください」

「ナギよ。相手は問答無用の連中だぞ。お前一人で何が出来るや」


 ひとりじゃありません、とナギはきっぱりと言った。


「この地は、多くの聖霊たちが休む場所。彼らが私たちを護ってくれます」

「何を悠長なことを……」


 クリューネは苛立ちながら、ナギを睨みつけた。平時ならともかく、この緊急の折に神頼みなど、単なる現実逃避ではないかと怒鳴りつけたい気持ちだった。 バハムートで一気にケリをつければ、奴等を始末できるはずだ。

 クリューネのそんな心境を見透かしたかのように、ナギはニコリと微笑んでみせた。


「大丈夫です。それに、この地を汚したくありません。彼らには去ってもらうだけですから」

「……わかった。だが、何かあったら、私が全力で奴等を倒しにいけるように、潜んでおるからな。その時は建物がちと壊れるかもしれんが、後で文句言うなよ」


 クリューネの厳しい口調にも、ナギは穏やかに笑って、柔らかく受け止めるだけだった。何の策があるのかわからなかったが、ナギの言葉や態度からは相当な自信が溢れている。

 その自信を信じるしかなさそうだと思い、クリューネは礼拝堂入り口にある柱の陰に身を潜めた。

 近くの礼拝堂の窓から、外を覗こうとする子どもたちを、セリナやジランが引っ込めさせているのが見えた。

 ナギは目の端でクリューネが隠れたのを確認してミスリードたちに向き直ると、男たちの姿がはっきりと映る距離まで迫っていた。

 隠そうとしても隠しきれない禍々しい殺気がのし掛かってくる。


「止まりなさい。そこの二人」


 ナギが鳥のさえずりのような澄んだ声が響かせると、ミスリードとアズライルは距離からして百メートルほどの位置で立ち止まった。


「この神殿は聖霊が行き交い、休まれる安息の場所。争いと憎しみを生み出すあなたたちが来る場所ではない。ここから立ち去りなさい!」

『あらま、随分としたお出迎えだわね』


 おどけるミスリードより一歩前にアズライルが出た。


『そこの女、我は魔王軍第三軍団長アズライル。貴様らの住処、我らが貰い受けけにきた。大人しく我らの生け贄となれ!』

「何を無法な……!」


 アズライルの身勝手な申し出に、ナギは色をなして声を押し殺した。確かに問答無用な連中だと、クリューネの言葉を反芻していた。


「礼も節度なく、ただ力ずくで人を支配しようなどと、それが軍を指揮する者のやり方ですか!恥を知りなさい!」

『何か、あの子言ってるわねえ』


 耳をほじりながら、ミスリードが独り言のように言った。


『人間の女風情が礼だの節度だの語る上に、将を何たるかまで語るか。貴様らは大人しく我らの腹の中で朽ち果てればよいのだ』


 傲然とうそぶくアズライルに、ナギは嘆息した。力だけを信じ、恐怖を与えれば屈服されられると思い込んでいる愚かな男たちに、怒りを通り越して哀れみさえ感じていた。


「……最後の警告です。このまま帰りなさい。王都ゼノキアはここより北西二万キロ。あなたたちなら帰ることも可能なはず」


 だがと言うべきか、やはりと言うべきか。ナギの憐憫の情も届かず、ミスリードとアズライルはせせら笑うだけだった。


『坊主の説教など、何の腹の足しにもならんな。まずは貴様から血祭りにあげてやるぞ!』


 言うなり、アズライルはどっと猛進した。餓えた野獣が牙を剥いて迫るようで、ナギはじっと佇立したままでいる。


 ――ナギ!


 クリューネが“雷鞭ザンボルガ”を放とうと柱の陰か飛び出した時、青白い閃光が瞬き、クリューネの目がくらんだ。


「な、なんじゃ?」


 視力が戻ると、その先にはアズライルが尻餅をついて地面に転がっていた。ナギはさっきと同じ姿勢のまま佇んでいる。

 ただ、先ほどと異なるのは、ナギとアズライルの間に青白く、半透明の人影が浮かんでいることだった。


『なんだ、貴様ら……』


 アズライルは立ち上がり、再び拳をあげてナギに襲いかかろうとしたが、人影から発せられる電流のようなものに遮られ、またしても弾き飛ばされてしまう。


『おい、ミスリード。何をしている!』

『わあってるわよ!』


 アズライルが呼び掛けると同時に、ミスリードの手元に火球が集まり始めた。手のひらサイズの大きさでも、膨大な熱量が奥にいるクリューネまで伝わってくる。


『これで、燃えちゃいなさい!』


 一瞬で灰と化してしまう強烈な火球を、ミスリードはナギに向けて放っていた。しかし、それも到達する直前に、青白い人影が阻んで掻き消してしまう。


「あなたたちの攻撃は通用しません。聖霊たちが私たちを護ってくれるのですから」


 ナギの足下に銀色に輝く魔法陣が現れ、光に呼応するかのように、大地から青白い人影が次々と現れ始める。その数は何百何千を超えて聖霊の神殿の周りを囲み、アズライルたちを包囲していった。

 空に大地を覆いつくさんばかりに、青白い人影が浮かんでいた。


「彼らは、聖霊の神殿に集う八百八万の聖霊。この地を護る守護霊。今の戦いで彼らの力はわかったはず。あなたたちは聖霊たちを相手に、まだ戦うつもりですか」

『……』

「この地を去り、二度と踏み入れないと誓うなら、手荒な真似はよしましょう。それでも戦うつもりならば、無理にでも去ってもらいます」 

『誰が人間ごときに……』

「仕方ありませんね」


 愚人、度しがたし。

 ナギが手を振ってアズライルを指し示すと、聖霊がミスリードとアズライルの腕や足や首に絡みついていく。アズライルを弾き返すだけに、一体一体に尋常でない力があり、万力のようにアズライルたちを締め上げていった。


『ぬ、ぬう……!ふ、ふざけるな……!』

「このまま、聖霊たちがあなたをゼノキアまでお送りいたします。しかし、二度と踏み入れぬよう、少々辛い思いをしていただきますよ」

『ふ、ふざけるなァ!!』


 怒号とともに粉塵が巻き起こり、アズライルを拘束していた聖霊が吹き飛ばされると、その煙の下から浅黒く変色したアズライルが姿を現した。


『いよっ、魔人アズライル!やっちゃってえ!』


 聖霊たちに拘束されながらも、陽気に声援を送るミスリードと対照的に、魔人化したアズライルは怒りに満ちた形相でナギを凝視している。だが、ナギには全く動じる様子もない。「哀れな」と寂しげに呟き、そっと右手を掲げた。


“古より集いし聖霊たちよ。汝らが詠う場所はどこか

 汝らの寝床はどこか

 汝らの集いし、聖なる力で

 風を起こし、地の果てまでに風を伝えよ……”


 静かに詠唱を始めると、ナギの足下に描かれた魔法陣が輝きを増し、やがて聖霊の神殿を取り囲むほど大きくなっていった。

 大地が揺れ、立っていられないほどの震動がアズライルやクリューネを襲った。


「おい、ナギ!何をするつもりじゃ!」


 柱にしがみつきながらクリューネが怒鳴ると、ナギはいつもの笑顔でにっこりと振り向いてみせた。


「あの人たちに、帰ってもらうための呪文です」

『舐めるな、人間が!』


 咆哮して迫るアズライルだったが、ナギの前に巨大な壁が立ちはだかった。


『……なんだ?』


 それは壁ではなかった。

 飛び下がって目を凝らすと、それは地面からのびた一本の巨大な腕だった。更にもう一本の腕が地上に出ると、揺れは激しさを増した。ときの声をあげるような甲高い雄叫びが轟くと、聖霊の神殿はどんどん上空にせりあがり、地面の下からは甲冑を身にまとったような巨人の上半身が姿を現した。

 巨人には二つの目があるばかりで、口や鼻といった装飾もなく仮面を連想させた。


「ナギ……。これがお主の力か」

「……これは聖霊たちの真の力。私たちを護る守護霊の結晶体。私は介する者でしかありません」


 建物は巨人の頭部に収まり、収容部の真下に光る黄色い両目が煌々と瞬いた。

「さて、これでお帰りいただきましょう」


 ナギの眼下には、愕然とするアズライルとミスリードの姿があった。


『ねえ、これってやばくない?』

『かなりまずい』


 頭では危険を察しても、アズライルとミスリードの身体は、石像のように硬くなって動かなくなっていた。二人の脳裏には、バハムートにホーリーブレスを放たれた時の光景が過っている。


「……“聖鎧神塞グラディウス”の力、身を以て知りなさい」


 それは一瞬の出来事だった。

 グラディウスの口にあたる部分に亀裂が奔り、上下に分かれて口を開いたかと思うと、口の奥からパウッと空気の抜けたような小さく乾いた音がした。


『なんだ、脅かしやがって……』


 拍子抜けしたアズライルが、ナギを睨んだ瞬間だった。

 突如、猛烈な突風が吹き荒れ、大地から風を巻き、巨大な竜巻となってアズライルたちを襲った。


『うあああああ!!』

『な、な、何これええぇぇぇ!!』


 絶叫も猛り狂う嵐に掻き消され、上も下もわからないほど身体を回転させられた。大地に吹き巻いた竜巻は、二人の身体は木の葉ようにあっという間に舞い上がらせ、高く高く空へと運ばれていってしまった。


「……とりあえず、あんなものでいかがでしょうか」

 アズライルたちが空の彼方に消えると、傍に寄ってきたクリューネに尋ねた。

 役目を終えたグラディウスは目から光が消え、地面の中に潜りこむようにして、ゆっくりと帰っていく。


「追い返すとは、随分優しい魔法だの」


 追い返したところで、また仕掛けてこればキリがないじゃないか。クリューネの言葉にはそんな皮肉が込められていたが、ナギは「それ以上は、聖霊が望んでいませんから」と肩をすくめただけだった。


「強大なパワー、相手を殲滅させるような力は、周りにも甚大な被害を及ぼします。相手を倒しても周りを巻き込んでは、それが新たな火種を生みかねません」


 クリューネは神殿の外を見渡した。

 アズライルが変身時に荒らした部分が地面を露出させているが、あれだけの狂風に関わらず、周りの地面は全く荒れていない。草が柔らかく風になびいている。

 バハムートのホーリーブレスを使っていたら、土地の半分以上はは抉られ焦土と化していただろう。


「しかし、奴等が飛ばされた先で、また争いの元が生まれるかもしれんのだぞ」

 それが私のできる限界なんです、とナギは顔をしかめ唇を噛み締めた。言葉には悔しさを滲ませている。


「私はこの土地を、島みたいに小さな土地を守るだけで精一杯なんです。“聖鎧神塞グラディウス”は聖霊たちの力がないとできない魔法ですし、聖霊たちが集まる場所は、世界でもここだけ。聖霊は自分たちの土地を守るための、力を貸してくれているだけですから」

「……守るだけか。それはそれで辛い役目だの」


 いつ今回のような襲撃があるかわからず、敵を打ち倒して災いの種が取り除かれたわけでもない。

 後は知らん顔できればいいが、ナギがそんな人間でないことくらいは、クリューネにだってわかる。


「ただ守るだけの役目じゃないんですよ。私には私自身、ちゃんとすべきことがありますから」

「なんじゃ?」


 ナギは礼拝堂に振り向いた。

 扉の向こうから、子どもたちが飛び出してきて、無法者を一蹴したナギに、瞳を輝かせながら駆け寄ってくるのが見えた。誰もが明るく、希望に満ちているように映った。


「あの子たちを守って、一人でも立派な大人に育てることです」


  ※  ※  ※


『ぷはっ!』


 ミスリードは海面に顔を出すと、目の前に広めの木の板を見つけると、残りの力を振り絞ってしがみついた。


『し、死ぬかと思ったわ……』


 激しく息を乱し、板にもたれかかったままでいたが、呼吸が落ち着きを見せるとようやく周りを見渡す余裕が生まれた。

 どこまでも広がる海原に、落ちる夕陽がミスリードを赤く染めていた。

 綺麗などと感傷に浸るゆとりなどなく、また海かとうんざりするだけだった。

 足に何か硬いものが触れた。

 見ると、気絶したアズライルがうつぶせになってぷかぷかと浮かんでいる。


『また気絶してる。ホント、いい加減にしなさいよね、アズにゃん!』


 アズライルはミスリードより上官なはずだが、苦労を共にした長旅とまたしても醜態を晒すアズライルに、“様”をつける気分も無くなっている。ミスリードはぶつぶつ言いながら、アズライルを仰向けにすると、アズライルの長い髪を板に引っ掛けて、パドリングの格好で泳ぎ始めた。

 水平線の彼方に、陸地らしきものがうっすらと浮かんでいる。


『もう嫌!今度こそ、絶対にゼノキアへ帰るんだからね!』

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