第48話 行け、小さき者よ

“……そして、騎士ナイト様は見事悪い神竜を倒し、助けた姫様といつまでも幸せに暮らしましたとさ”


 リリシアが騎士物語を読み終えると、母は優しく頭を撫でてくれた。近くでは穏やかに見守る父がいた。

 兄のジルは紙を筒にして、ナイト様の真似をしている。

 昔を、家族を思い出す時いつもそんな光景から始まる。

 リリシアは商人の子として生まれ、父は古物商を営んでいた。

 店や裏の倉庫には、父が冒険で手に入れたという道具が所狭しと並べられ、父から道具にまつわる話をよく聞かせた。


「この鏡はね。魔法の鏡といって、エルフの長から譲り受けたものなんだ。これは世界のどこにでも連れていってくれる魔法の鏡なんだよ」


 ある時は、古びた粗末な絨毯を指して空飛ぶ絨毯だと言い、またある時は鳥の羽を取り、これは不死鳥の羽でどんな万病にも効果がある、と話す。

 幼い頃のリリシアは、熱心に聞いていたものだが、少し長じてからは、商売が上手くいかない父の法螺話だと話半分に思うようになったが、それでも父の話は面白いので、「騎士物語」のように物語を聞くつもりで耳を傾けていた。

 だが、とリリシアは思うことがある。

 後々のことを考えれば、物語のように語っていただけで、ほとんどは事実だったと。

 その確信は、両親の死と町が滅ぼされたことによって生まれた。

 竜魔大戦が終局を迎えつつあった頃で、紛争に近い小さな町は魔族や竜の争いに怯えながら、ささやかに暮らしていた。

 この幸せが続けばいい。

 幼いながらも、死と隣り合わせにあることを実感していたリリシアは、毎日祈るようにして床に就き、目覚めた時には生きていたことに聖霊や神に感謝するような日々を過ごしていた。

 だが、そんなささやかな幸せも、荒れ狂う狂暴な力の前では砂上の楼閣に過ぎない。

 リリシアが八つになった歳に、竜魔大戦の戦場のひとつとなったことで、ささやかな暮らしはあっけなく打ち破られた。

 燃え盛る家屋。

 戦闘に巻き込まれ、無扈に殺されていく友達やその家族。

 嵐のように吹き荒れる悲鳴や絶叫。

 近づく敵の巨大な影。

 両親は迫る敵から、ジルやリリシアを逃すために倉庫に隠れさせると、自ら囮となり敵に向かった。


「見るな!」


 扉の隙間から外を覗こうとしたリリシアを、ジルが慌てて引き戻したが、時既に遅く、両親が巨大な影によって一瞬で粉砕される光景を目にしてしまっていた。

 リリシアは泣き叫び、声に気がついた魔王軍の兵士が倉庫に火を放った。

 煙が倉庫内に満ち、炎の熱がリリシアとジルに迫った。ぐらりと揺れ、天井から梁や板が崩れ落ちてくる。

 その時だった。

 魔法の鏡の鏡面が突如輝き、ジルとリリシアが光に包まれ、気がつけば二人は“聖霊の神殿”という小さな神殿の傍にいた。

 二人はそこで、ナギという若い神官の庇護を受けることになる。

 何故、鏡が反応したのか。

 神官のナギもその鏡かどうかわからないと断りをいれつつ、「滅びたエルフの国には命と引き換えに、願いを叶える鏡があったと聞きます」とだけ教えてくれた。

 父の“物語”は“事実”だった。

 両親は命と引き換えに自分たちを守ってくれた。

 守ってくれたこの命をどう使うのか。

 ささやかに暮らしていでも、災いが向こうからやってくるのは明らかだ。

 それならば……。

 リリシアは数年後、打倒魔王軍を誓った兄とともに、行動を共にすることになる。


「危険だ。子どものお前を連れていけないよ」

「でも、私は兄さんより強い。魔物も一人で戦える」

「……」


 当初は反対したジルだったが、リリシアの反論に言葉がなかった。

 リリシアの体術の基礎は、聖霊の神殿にいた時、逗留した旅の武芸者から学んだものだが、「天賦の才がある」と唸らせただけに、その頃には既に技量で兄を超えていた。

 まだ未熟だったジルの片腕として頼らざるを得ない存在となっていたからだった。

 リリシアは炎に照らされた巨大なシルエットを忘れることができないでいた。

 逆立つ銀色の髪。鎧のように強靭さを思わせる盛り上がった筋肉。飢えた獣のように禍々しい光を帯びる獰猛な瞳。

 あの男への復讐。

 両親が守ってくれた命を、リリシアはそのために使う決意でいた。


 ――この男だ。


 リリシアは二頭のベヒーモスを従えて近づいてくるアズライルと、両親を殺した巨大な影とが重なった。


「こいつが、お父さんたちを……」


 全身に奔る激痛を堪えながら、リリシアはよろめきながら立ち上がった。左手は力が入らず、布きれのように垂れ下がっている。痛みと出血で目が霞む。

 しかし、込み上げてくる怒りが闘志となって、リリシアを立ち上がらせていた。

 アズライルが足を止めた。

 暗くて表情はわからなかったが、その様子から驚いているように思えた。


『そんな身体でまだ立ち上がれるか』

「まだ……、まだ……」

『無駄なことを。最早、息をするだけでも辛いだろうに』

「黙れ!」


 リリシアの右手から、拳ほどの炎の弾丸が放たれた。

 しかし、アズライルは身動ぎもしない。正面から炎の弾丸を受けると、爆発とともに炎が拡散し、激しく煙を巻き上げて、邸内に充満した。


『……この期に及んで下位魔法か。手の内が何も残っとらんのだな』


 感情のない声がし、煙の中からアズライルの丸太のような足がぬっと現れた。 着ている軍服が多少煤けた程度で、アズライル自身は微塵もダメージを受けていない。


『無駄な足掻きを。何がお前をそうさせる』

「お前は大切な人を殺した」

『……?』

「お前は、私のお父さんやお母さんを、友達を殺した。だから、だから……」

『だから敵討ちか。残念だったな。貴様は返り討ちにあって死ぬだけだ』

「……」


 アズライルの言葉に反応して、リリシアの頬に涙が伝った。身体が小刻みに震えだした。


『今さらになって俺に恐怖を抱いたか。所詮は人間だな』

「お前なんか、怖がってなんかない」

『なに?』


 リリシアの中にあったのは恐怖ではない。悔しさや情けなさが胸をきたし、感情を抑えることができなかった。溢れる涙をそのままに、歯をくいしばりながら、リリシアはアズライルを睨みつけた。

 アズライルは刺すようなリリシアの視線を、悠然と受け止めた。頬に笑みを浮かべている。


『悔しいか。敵も討てず、悔しいか』

「……」

『だが、それは貴様の力の無さのせいだ。人間ごときが魔族に刃向かうなどおこがましい。結果、この通りだ』

「人間を……、舐めるな」


 絞り出すような掠れた声で、リリシアが言った。


「お前が与えたのは恐怖じゃない。復讐だ。怯えさせようとしたって、無駄。私のようにお前を立ち向かい、倒す奴が現れる」

『なら、駆逐するまでだ。くだらん。そろそろ死ね』


 アズライルがゆっくりと拳を振り上げる。その鉄槌が振り下ろされた瞬間、両親と同じように末路を辿るのだろうと、リリシアは既に覚悟を決めていた。


 ――兄さん、リュウヤ様、ごめんなさい。


 ピシリとどこかで亀裂のはしる音がアズライルの耳を捉えた。音だけではなく、衝撃が奔り邸宅が大きく揺れた。


『なんだ……?』


 攻撃魔法の流れたものが屋敷に当たったのかと、アズライルは音がした壁を見た。

 物がぶつかったらしく、放射状に亀裂が延びている。

 やはり流れ弾かと思った瞬間だった。

 壁が突然崩れ落ちた。

 その向こうから、甲冑をまとった二体の巨人たちが躍り込む。

 ぬっと巨木のような太い腕がのびた。

 その内の一体がアズライルの首を抑え込むと、そのまま反対側の壁まで猛進した。


『なに……、魔装兵ゴーレムだと!』

“お前らは他の魔物を!”


 聞き覚えのある、若い男の声が魔装兵のスピーカーから漏れた。残る一体の魔装兵は、ベヒーモスへと向かっていった。


「その声、まさか兄さん……!?」

“リリシア、離れていろ!”


 アズライルを壁に押しつけたジルが、機内から怒鳴った。もう一体の魔装兵はベヒーモスのカーマやタールと格闘し、刃のような牙や爪で攻撃されても怯まず、むしろ凶暴な魔物たちを圧倒していた。


“……戦える。俺たちでも魔物と正面から戦えるぞ!”


 カーマを投げ飛ばした操縦士の男が、歓喜と興奮に満ちた声で叫ぶ。

 タールは魔装兵の腕に装着されている、“雷嵐(ザンライド)”の魔法弾に被弾し、壁をぶち破り、邸宅の外まではね飛ばされていた。

 魔装兵はベヒーモスらを追って邸宅の外へ向かった。

 アズライルは、ジルが載った魔装兵に抑え込まれたままだった。


『おのれ……!』

“降参しろ。他の魔族の兵は俺たちレジスタンスが撃退した。お前らの負けだ”『降参だと?何をたわけたことを』

“闘いに夢中になって、何も聞こえんか”


 アズライルは耳を外に集中させてみた。今まで気がつかなかったが、多数の喚声が流れ込んでくる。

 悲鳴や怒号、絶叫。

 その声のなかに魔族独特の訛りが混ざっている。状況が不利にあるのをアズライルは認めざるを得なかった。


『……』

“お前は人間の小娘に勝ったかもしれんが、お前ら魔族は人間に負けたんだ”

『……俺が、魔王軍が人間に負けただと?』


 ふざけるな、とアズライルは魔装兵の手を掴むと、力を込めて押し返す。ギリギリと軋むような音が魔装兵から聞こえた。アズライルが二メートルを超える大男とはいえ、魔装兵の全長はその倍はあり、幅は数倍もある。

 体格でも圧倒しているはずだった。


“……それなのに、生身の身体で魔装兵を押し返すのか”

『このアズライル様を甘く見るな……。卑しい人間どもが!』


 邸宅の外から爆音と獣の咆哮が、アズライルの耳を捉えた。


『カーマ!タール!』


 アズライルは魔装兵の装甲を蹴り飛ばすと、よろめいて離れた隙に、軽やかな身のこなしで邸宅の外に躍り出た。

 焼け焦げた肉の臭いが、アズライルの鼻を刺激した。視界の先には数十発もの魔法弾に焼かれ、ほぼ炭化した二頭の獣が重なり合うようにして横たわっていた。

 魔装兵はアズライルの存在に気がつき、慌てて銃口を向けた。

 その魔装兵と屍の向こう側、邸宅前の通りを魔王軍の兵士たちが、庁舎に向かって逃げていく光景が目に映った。

 邸内に駆け込もうとする兵もいたが、魔装兵とベヒーモスの死骸を見て、一目散に逃げ出していった。代わりに三体目の魔装兵とともにレジスタンスが姿を現した。


『……おのれ』


 アズライルは魔装兵の銃口など無視したまま、呆然と二頭の骸を見つめていた。


“これで、お前の負けだとわかったろう。観念しろ”


 アズライルの背後に、銃口を向けたジルの魔装兵が近づいた。前後から魔装兵の銃口が突きつけられているアズライルの姿に、逃げ場はないとリリシアは息を詰めて行方を見守っていた。

 ふと、アズライルは無言のまま、静かに目を閉じうつむいた。

 観念したのか、とリリシアが思った時、アズライルがゆっくりと大きく息を吸いはじめた。どんな仕組みになっているのか、アズライルは息を吸い続け、胸部がどんどんと膨らんでいった。

 アズライルの胸が風船のように丸くなったところで、ピタリと動きが止まった。


『それでも貴様ら、魔王軍の兵士かあ!!』


 アズライルが息を吐きながら発した怒声は、猛狂う嵐となって草木を薙ぎ、大地を揺らし、大気を震わして半壊したクリキント邸を更に崩壊させた。

 あまりの大音量に近くのリリシアやジルはもちろん、交戦中だった兵士やレジスタンスも何事かと、戦いの手を止めるほどだった。


『我は魔王軍第五軍団長アズライル。我が一騎を以て薄汚い人間どもを駆逐する様、特と見よ!』

“まだ抵抗するつもりか!”


 ジルはもう一人に合図して、魔法弾をアズライルに向けて連射した。雷撃による灼熱のエネルギー弾がアズライルの肉体に襲いかかる。

 一体で二頭のダーク・ベヒーモスを葬ったほどの強力な熱エネルギーである。魔族のエリートであるアズライルでも、まともに喰らえば無事では済まないはずだった。

 だが、アズライルは逃げもせず佇立したままだった。腕を組んだままの姿勢で、着弾するのを待っているかのようだった。

 雷撃の熱波が周りの草木を焼き、衝撃波が砂塵を巻き起こす。吹き荒れた噴煙で辺りにはもうもうと煙が立ち込めて、視界が真っ暗となった。


 ――アズライルはどうなったのか。


 リリシアを始めとした周りの誰もが固唾を飲んで見守る中、雨は勢いを増し、煙を散らした。


「……嘘だ」


 愕然とするリリシアとともに、どよめきが沸き起こる。

 アズライルは生きていた。

 だが、煙から現れた姿はまるで変わっていた。

 肌が漆黒の色に代わり、銀色の髪は血のように紅く染まり、体格も一回りも二回りも大きくなって、魔装兵とも見劣りしない。

 まるで、二頭のベヒーモスがアズライルに融合し、生まれ変わったかのように思えた。

 姿形は変わっても、攻撃前と変わらぬ腕を組んだ姿勢のまま、アズライルは佇んでいる。 おもむろにアズライルが口を開いた。


『ひ弱な人間どもよ、これが魔人アズライルの真の姿だ。この力の前にひれ伏すがいい』

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