第47話 俺ツエーと言ったからには

『さあ、どうしたヴァルタスよ。何も出来ないまま私の剣に破れるつもりか』


 闇からの襲撃に対処できず、傷だらけとなってうずくまるリュウヤを、サイナスの嘲笑う声が響いた。

 リュウヤは肩で息をし、ぜいぜいと激しく喘いでいる。


『あの竜の国一の雄将と言われたヴァルタスも、人間の身体となってしまえばこんなものか』

「……」

『勝機は我に有り。貴様の首を土産に本国に帰参するとしようか』


 サイナスの高らかな笑い声が、氷の壁にこだました。リュウヤは声の位置を探ろうとしたが、壁や柱に反響し拡散した音からは位置が特定しにくく、わんわんと耳鳴りのような音がするだけだった。

 その耳障りな音が止んだ刹那、右手から重い風がリュウヤを圧した。


『とどめだ!』


 横に薙いできたサイナスの剣を、リュウヤは流れるように退きながら立ち上がり、刃を下に向けて弾き返した。

 リュウヤはそのまま上段に剣を振り上げて、真っ直ぐに振り下ろす。

 真伝流居合術、虎一足。

 斬った。

 手応えがリュウヤが握るルナシウスの刀身から、その手に伝わってくる。


 ――だが、浅いか。


 リュウヤは舌打ちして、氷の床に目を落とした。血の滴が点々とこぼれているが、傷が浅いせいで、数メートル先で血の跡は途切れていた。


『……誘いだったか。油断したな』


 サイナスらしき苦悶の声が闇の奥から聞こえた。

 死に体としてリュウヤは自らの身体を晒し、逆転を狙ったのだが、焦りでわずかに剣を振るうタイミングが早かったようだった。


『だが、もうその手は喰わんぞ』


 サイナスの声が終わるとともに激震が奔り、氷の塊がリュウヤの頭上に崩落してくる。跳び跳ね氷の塊をかわしつつ、サイナスが向かってくるのを待ったが、リュウヤの剣を警戒して消耗させることを選択したらしく、そこから襲い掛かってはこなかった。


「どうした。俺を満足に攻撃できるのは氷の塊くらいか。私の剣の前に、だとかほざいてたよな?」

『今はまだ、その方が正解のようだ』


 リュウヤの挑発にも、サイナスは乗ってこなかった。


 ――このままじゃ、ラチがあかねえな。


 リュウヤは気を鎮めようと、深呼吸し目を閉じる。

 集中し、敵の気配を探る。

 探る、そして探る……。

 だが、集中仕切れず苛立ちと焦りが鎮めようとしたリュウヤの心を掻き乱す。

 サイナスはそんなリュウヤをほくそ笑んで眺めていた。

 クリューネを護ることに焦りを覚え、集中しきれていない。さっきは危なかったか長期戦に持ち込めば必ず隙が生じるだろう。

 次の攻撃だ、とサイナスが新たな氷塊を落とすために剣を構えた時だった。


「ああ、もうっメンドクサイ!」


 リュウヤが突如叫び、剣を高々に構えて氷の壁に向き直っている姿が、氷の鏡越しにサイナスの目に映った。


『なにを……』


 するつもりだと言い掛けた時、リュウヤはやにわにルナシウスの刃を分厚い氷の壁に叩きつけた。

 リュウヤの斬撃は、氷の壁を奥深くまで切り裂き、衝撃波が亀裂をはしらせ“氷の宮殿”は激しく揺れた。


『貴様、何をしている!』

「このまま、じっとしていたって仕方ねえんだよ!」


 リュウヤは咆哮しながら、取りつかれたように駆け回って、壁を柱を叩き斬り破壊し、粉砕していった。

 揺れはいよいよ激しさを増し、柱に陰に隠れていたサイナスは、柱に掴まらないと立っていられないほどのものとなっている。


『き、貴様、正気か!』

「待っていたとこでよ。何にも進展せずに、イライラするだけなんだよ!」

『ば、ばかな。少しは貴様も考えないのか……!崩壊したら貴様とて無事では済まんぞ』

「覚悟の問題だ!」


 リュウヤが虚空に向かって叫んだ。


「勉強になったよ。おめえの戦術でやられた。どうにかして脱しなきゃならねえ」

『……』

「だが考えるより、迷ったら力押し。こうなったら正面突破だ!」


 リュウヤの脳裏に、「俺ツエーから」とクリューネにうそぶいていた自分の言葉を思い出していた。

 全然、ツエーことしてないじゃないか。

 ヒーローらしくないじゃないかという自身に対する忸怩たる思いや怒りの衝動が、リュウヤを狂乱或いはヤケクソとも呼べる行動に駆り立てていた。


「うらあっ!」


 そう怒鳴って、リュウヤは目の前の壁を粉砕した。

 氷の塊が天井のあちこちから崩れ落ち、“氷の宮殿”は明らかに崩落の兆しを見せていた。


「……残りはこの一本!」


 リュウヤは残る柱を前に、悠然と大きく剣を構える。


「早く逃げねえと、巻き込まれるぞおぉぉぉぉ!!!」

『待て、待て待て待て待て待て待て……!』


 慌てふためくサイナスだったが、リュウヤが無駄な制止を聞くはずもない。

 野球のバットを振るように、リュウヤはルナシウスを振り上げると、「せえのっ!」と威勢の良い掛け声残された一本の柱を根本から粉砕した。

 粉微塵となった氷の欠片が宙を漂い、キラキラとどこからか微かに漏れてくる外の光を反射させていた。

 震動とともに氷の塊がリュウヤとサイナスに向かって雪崩落ちてくる。全てを飲み込むように、氷の怪物が大口を開けて迫ってくるように映った。


『貴様、死ぬ気か!』

「こんなんで、このツエー俺様が死んでたまるかよ!」


 リュウヤは剣を八双に構えると獣ような咆哮をしながら、落下してくる氷塊群に向かって猛然と剣を振るった。あとは型も技も関係なく、ただひたすら剣を振り、氷塊を斬り砕く。

 やがて、“氷の宮殿”の全てが崩れ落ち、残されたのは氷塊による瓦礫の山だけとなった。


『うう……』


 サイナスが瓦礫となった氷塊を押し退けて、外へ這い出てきた。致命的なダメージはないものの、そこかしこ身体を打ち付け、過った死への可能性で、酷い疲れと恐怖がサイナスを襲っていた。


『生きている……。信じられん』


 安堵の息を漏らし、もうもうと立ち込める水蒸気を見渡しながら、自分の身体を確かめるように、サイナスはゆっくりとゆっくりと身体を起こした。

 突然、背後からある気配に気がつき、サイナスの身体が硬直した。

 尋常ではない殺気が、サイナスの背を突き刺してくる。冷たい汗が背を伝った。

 サイナスは唾を呑み込み、真っ直ぐに視線を向けたまま指で地面をたぐり、指先が剣の柄の感触を確かめると、ゆっくりと引き寄せた。


「……来いよ」


 果たして、聞こえてきた声は恐るべき強敵リュウヤ・ラングの声だった。

 しかし、ほんの少し呟いただけだが、その声からリュウヤの息がひどく乱れているのがサイナスにはわかった。

 サイナスがわずかに後ろを見ると、全身痣と切り傷だらけで佇立しているリュウヤの姿が映った。こじりをあげ、鯉口を緩めている。

 肩で息をし口も大きく開き、足元もふらついている。サイナスを睨むその目だけが爛々と光っていた。

 恐ろしい気迫がその瞳にみなぎっている


 ――だが、勝てる。


 サイナス自身もかなりのダメージを負っているが、リュウヤほどではないという確信がある。

 サイナスは柄を持つ手と膝に力を込めた。

 一瞬の静寂の後、鋭い気合いを入れたサイナスが振り向き様にリュウヤの脇腹を撃ってきた。だが、それよりも速く、リュウヤは踏み込んでサイナスの脇を駆け抜けていた。

 その剣は、サイナスの胴を存分に斬り裂いていた。


『ガッ……!』


 リュウヤは剣を構えて振り向くと、脇腹を抑えて噴出する血をかばうサイナスの後ろ姿が見えた。


『ま、魔王様……』


 サイナスは喉の奥から何か搾り出そうとしていたが、それ以上は言葉にならず、膝から崩れ落ちると身体を丸めたまま、地に重い音を立てて倒れた。


「やっと……」


 かすれた声がリュウヤの口から漏れた。


「やっと勝てた……やっと……」


 その場に倒れ込みたい気分を必死で抑えながら、慎重にサイナスの死体に近づき息がないのを確かめると、リュウヤはルナシウスを鞘に納めながらエリンギアの町に目を向けた。

 エリンギアの一角で、爆発とともに新たな火の手が起きるのが見えた。


「あれは……、クリキント卿のところか?」


 まだ戦闘は続いている。

 仲間がまだ戦っている。

 休んでいる場合じゃない。

 リュウヤは重いため息をつきながらふらふらと陽炎のように立ち上がると、足を前に踏み出した。ひどく頼りない足取りだったがそれもはじめのことで、やがていつものように力強く疾風のようなはやさで町に向かって駆け出していった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る