第46話 難敵
燃え上がる町の火の気に誘われたのか、町を覆っていた雲は厚みを増し、小さな滴がルナシウスの刃に落ちた。
やがて暗い雲から、冷たい雨の滴がパラパラと降り注ぎ、水門や人気のない草むら、点在する古びた倉庫といった建物や、剣を構えて対峙する二人の男を濡らしていく。
しかし、激しく燃え盛る炎を消し去るには、まだ弱々しい雨で湿らす程度の効果しかなった。
再び激しい爆発音が轟いた後、新たな火の手が吹き上がるのが、郊外にいるリュウヤからでも視界に捉えることができた。
――クリューネ……!
わずかに気を逸らしたリュウヤに、サイナスが猛然と襲いかかる。
上段から振りかぶってきた剣を、リュウヤは剣を立てて受け流した。しかし、リュウヤはそこから反撃できず、次に横殴りに撃ってきたサイナスの攻撃も防ぐだけしか出来なかった。
――まずいな。
どこか浮き足だっている。
地に足がついていない感覚があった。
クリューネと分断された焦りからだろうとリュウヤは思ったが、原因がわかっているとはいえ、すぐに取り除けるというわけにはいかなかった。
クリューネを信じればいいはずだった。
強力な呪文も覚え、以前より強くなっている。
いざというときのバハムートだってある。
一人でも遅れをとらないはずだ、と。
だが、リュウヤの脳裏に、ムルドゥバで恐怖におののき、泣き崩れたクリューネの表情が一瞬だけ過っていた。
クリューネの泣き顔が過った瞬間、リュウヤは馬鹿なとすぐに否定し雑念を振り払ったつもりでいたが、その一瞬だけ過った雑念が、水に落ちた墨滴のように広がり、リュウヤの心に焦りが生じさせ冷静さを欠くこととなった。
そんなリュウヤの心のざわめきを見透かしたように、サイナスがせせら笑った。
『どうした。クリューネが気になるか』
「……」
『早く私を倒さないと、お前の姫様が危ないぞ』
「うるせえ」
『そういえば貴様は竜にならんのだな。人間の身体で戦う必要ないだろうに』
「うるせえつってんだろ!」
リュウヤは怒鳴ると、滑るようにして間合いを詰め、八双に変化した構えから首を狙って撃ったが、サイナスは剣で受けた勢いを利用して、大きく跳躍して水門用の通路まで下がった。
言うなり、サイナスが右手を掲げ、氷系の呪文を放った。地面を凍結させ、槍のように鋭い尖端をした氷の柱がリュウヤに迫ってくる。
“
『……さすがだな』
魔法効果発現と同時に、しかも駆けながら剣で斬るなど並大抵の技量では不可能だが、それを事も無げにやってのけている。
内心、サイナスは舌を巻いていたが、動揺する素振りも見せず、逆胴に放った剣を飛び退くようにかわすと、執拗に何度も“
だが、それはリュウヤから逸れ、空を地面を向かっていく。
「何を狙っている……?」
訝しげに氷の魔法の行方を眺めていたが、絶対零度の氷の魔法は地面のみならず、雨の滴をも凍結させて糸のように繋がっていくのを見て、すぐに覚った顔つきになった。
そのうちに蜘蛛の巣状になってリュウヤの周囲に氷の結界を張り巡らせた。
そこから壁のようなものも形成され、やがてそれは一種の建造物のようになって、リュウヤを取り囲んでいった。
『ようこそ、我が宮殿へ』
どこからか、サイナスの声が響いてくる。リュウヤは辺りを窺った。
自分とサイナスの姿が氷の柱や壁に反射して映し出されているが、どこにいるのか判然としなかった。
「しゃらくせえな」
こんなもの、一息に溶解させてしまえば済む。それくらいの魔力を持っている。
リュウヤは印を結んだ。だが、いつもなら浮かんでくるはずの魔法陣が現れない。
やはり、焦りで冷静さを欠いていたせいなのだろう。その時になって、漸く暗い空間に薄い霧がかかっていることに気がついた。
「封印魔法か……」
『折角つくった宮殿をすぐに壊されても面白くないからな。魔法を封じさせてもらった。これだけの密閉状態だ。充分、効果がある』
「だが、“
『そう、ここからは互いと剣の技による勝負、ということだ』
瞬間、背後に衝撃迫ってくるのを感じると、リュウヤは咄嗟に身を翻し、剣を振るった。しかし剣は空を斬り、代わりに魔法のローブが切り裂かれていた。
――間合いがつかめない。
焦りが迷いを生み、迷いが新たな焦りを呼ぶ。
焦りと迷いは身体の動きを鈍らせ、いつもは軽々と扱うルナシウスが、今日に限ってはやけに重たく感じていた。
『危ない、危ない』
サイナスは嘲笑う声を朗々と響かせると、行くぞと吠えた。
今度は頭上から、巨大な氷の柱が降ってきた。リュウヤは向かってくる氷の柱を斬って弾き、或いは素早く身をこなしてかわしていたが、その隙を突いてサイナスが猛進してきた。
リュウヤは避けるのが精一杯で、転ぶようにしてかわしたが、頬に鋭い痛みが奔った。ぬらりと頬を伝うものがあり、袖で拭うと血がこびりついている。
『さあ、これからだ』
高らかに哄笑するサイナスに、焦燥に捕われままのリュウヤは、打開策が見いだせないまま虚空に向かって剣を構えた。
※ ※ ※
『そら、そら、そら!』
ミスリードはゴムボールでも投げつけるように、屋根と屋根を飛び交いながら、上空から手に生み出す火球を、次々とクリューネに向かって放っていた。
『ほらあ、ステップの踏み方が甘いわよ。ワンツー、ワンツー!』
「くっ……!」
足元で火球が炸裂し、クリューネはかわしながら“
制空権を獲られ、クリューネは劣勢となりつつあった。ミスリードも余裕が生まれたのか、先ほどの火の雨から火球による攻撃に変わり、弄ばれているとクリューネは感じていた。
端から見れば、ミスリードが言うようにステップを踏んでいるようにも見えなくもない。
場所は七番街区に移動している。広くは無い地区だがエリンギアに移った魔族が多く住むんでいる。ここに駆け込んだのは、ミスリードの攻撃を中断させるためだった。
しかし、ミスリードの攻撃には見境が無い。
七番街区に入っても、ミスリードは攻撃の手を休めず、涼しい顔をして猛攻を仕掛けてくる。
身体能力と魔法のローブのおかげで、ミスリードの攻撃は何とか回避してはいるものの、流れ弾が町の家屋や魔族の住民たちに被弾し、辺りは炎に焼かれた屍が無数に転がっていた。
「……敵も味方も容赦なしか」
クリューネに
クリューネはすぐに次の角を曲がって、避難した住民がそのままにしたらしい戸が開け放たれた家屋を見つけると、家の中へ飛び込んだ。
屋内に入ると、クリューネは崩れ落ちるように座り込んだ。
口が渇き、心臓がバクバクと鼓動が鳴りやまない。魔法のリュックをゴソゴソと漁り水筒を取り出し、浴びるように水を飲んだ。
冷たい水が身体を潤し、激しい鼓動が次第に治まっていった。
――さて、どうする。
呼吸が静まったところで、クリューネは思考をミスリードに向けた。
『今度は隠れんぼかしらあ?』
どこかの建物の屋根から、ミスリードの声が聞こえてくる。
見境の無いミスリード相手にこのまま逃げ回ってもラチが明かない。だが、
しかし、ミスリードに通用するだろう“臥神翔鍛(リーベイル)”は精神集中がうまくいかず、まだ一度しか使えない。
――バハムートで勝負するかの。
だが、魔王軍がまだ手の内を残しているかわからず、最後の切り札はギリギリまでとっておきたい。
そうなると、選択肢は狭まってくる。
「……奴に近づかんとな」
リュウヤはどうなったかという懸念がチラと過ったが、クリューネは頬をピシャリと叩いて立ち上がると、玄関に近づき、軒下からそっと見上げた。
向かいの二階建ての建物の屋根から、悠然と見下ろしているミスリードの後ろ姿があった。
クリューネに気がついてはいないようだった。
二階建て建物の前に樽が置かれ、隣は平屋。そこからなら、ミスリードがいる屋根まで上がれる。
あとはタイミングだとクリューネは思った。
『もう、へばっちゃたのかしら。出てこないなら、出て来なきゃいけないようにするまでよ』
「……街を焼き払うつもりか」
魔族の住む街自体はどうでもよかったが、目的のためなら同朋でも殺せるような、あの危険な男をこのまま放置しておけない。
『これで丸焼けになるといいわ』
ミスリードは空に向かって両手を掲げ詠唱を始めたた。ミスリードの手の中で、これまでにない巨大な火球が生じていた。
自分に活をいれるつもりで「行くぞ!」と鋭く呟くと、印を家屋から勢いよく飛び出した。
“母なる地よ、紅の竜を風に乗せ、空にその威を示せ……!”
詠唱しながらクリューネは疾走し、樽を踏み台にして、一気に屋根の上まで駆け上がった。両手には強大なエネルギー波が生じ、暴れ狂う力を必死に押さえつけるように、目の前の敵に精神を集中させた。
勝利を確信していたミスリードは、すっかり油断していた。
直近に迫るまでクリューネに気がつかず、振り向いた時には鬼の形相したクリューネが呪文を放とうとしていた姿が映っていた。
『なんで……!』
ミスリードは溜めた火球をクリューネに撃とうとしたが、もう間に合わなかった。
「喰らえ、“
『生意気ね!』
強大な魔力同士が衝突し、大地を抉るほどの凄まじい衝撃波が、砂塵を巻き上げ周囲の家屋や人をを吹き飛ばしていった。
「うあああ……!」
『グヌヌヌヌ……!』
互いの魔法がせめぎあっていたが、奇襲に成功したクリューネに分が勝っていた。次第に“臥神翔鍛(リーベイル)”が圧していき、ミスリードを吹き飛ばすまであと一歩なはずだった。
あと少し。
あとすこし。
アトスコシ……。
不意にクリューネの“
強大な魔法を使い続けたことで、クリューネの精神が疲弊して堪えきれず、意識を失ってしまっていた。
ミスリードも魔力を失ったが、ミスリードが肩で息をしながら立っているのに対し、クリューネはよろめき、ふらふらと後方に崩れたかと思うと、瓦礫と化した平屋の中へと落ちていった。
ドスンという鈍い音が下から聞こえ、ミスリードが慎重に覗き込むと、大の字になって瓦礫に埋もれているクリューネの姿があった。
『ア、アハ……』
喘いでいたミスリードから乾いた笑みが漏れた。やがて、それは腹の底から絞り出される哄笑へと変化していった。
『アハハハハ!ざまあ、ざまあないわね!私の勝ち、私の勝ちよ!ア、アハ、アハハハハ!』
雨脚が次第に強さを増す中、ミスリードは腹を抱えて笑い転げていた。
降りしきる冷たい雨が、横たわるクリューネの身体を濡らしていった。
※ ※ ※
アズライルの放った廻し蹴りを、リリシアは飛び退いてかわすと、邸宅の壁を利用して跳ね、アズライルの顔面を殴りつけた。
『ちょこまかと逃げやがって……!』
アズライルは奥歯を噛み締め、リリシアに猛攻を仕掛けてきた。一撃一撃にぞっとするほどの威力が秘められていたが、“神盾(ガウォール)”に護られた手足で巧みに捌き、容易に付け入る隙を与えなかった。
「なら、捕まえてみればいい」
『……この、ガキが!』
咆哮して向かってくるアズライルの攻撃をを潜り抜けるようにかわし、流れるようなコンビネーションで、アズライルの顎を腹を腿を跳ね上げ、抉り、打ち込んでいく。
『ぐぬ……!』
多彩な攻撃に翻弄され、アズライルはドウと尻餅をついた。
主人の危機を感じ、二頭のベヒーモスが色をなして身構えた。
『待て』
アズライルがベヒーモスたちを制すると、よっこらせと立ち上がった。
――捌いて捌いて、隙を見出だし、一撃をアズライルに与える。
『なかなかやるな。俺に尻餅つかせるなんざ、長官クラス以上じゃねえとなかなかいねえぜ』
「……」
『だが、良い技を持っていても効かなきゃ意味ねえんだな。お前もそれをわかってんだろ』
図星だった。
ヒットはさせているが、手応えがない。実際にアズライルは弱っているようには見えない。
しかし、パワーや体格で圧倒的に劣るリリシアには、その方法しか思い浮かばなかった。
「リュウヤ様……」
どうか力を。
一歩踏み外せば奈落の底に落ちてしまうような緊張感と、孤独な闘いからの心細さがリリシアにリュウヤの名を呼ばせていた。
『こんなときに男の名を呼ぶか!』
「……!」
わずかに集中が切れたところに、アズライルの剛拳が牙を剥いた。唸りをあげて迫る拳を辛くも避けたが、地面を抉った際に、無数の石の破片が跳弾となってリリシアに襲い掛かる。
幾つかは弾き返したものの、防御をすり抜けた石の破片が腹部を強打し、息が詰まり動きが止まった。
『やっと、大人しくなったな』
アズライルの声が真横から聞こえ、振り向き様にガードの腕が上がったのと、アズライルの拳がリリシアを吹き飛ばしたのと同時だった。
反射的に《ガウォール》を集中させたおかげで即死を免れたものの、リリシアは邸内の奥まで飛ばされ床に叩きつけられた。
「ガハッ……!」
リリシアは口から流し、床に倒れ込んでいた。身体に力が入らず、起き上がることができなかった。あばら骨が折れたのか、呼吸をする度に刺すような痛みが奔った。
アズライルの拳を正面から受けた左腕も衝撃に耐えきれず、使い物にならなくなって奇妙に曲がっている。
『人間にしてはよくやった方だが、もう終わりだ。苦しまないよう。楽に殺してやる』
リリシアの掠れた視界の中に、ベヒーモス二頭を従えて邸内に入ってくるアズライルの影が浮かんでいた。漆黒に染まる影の中に、アズライルたちの獰猛な目だけが、異様に光って見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます