第30話 消えたジクード

 勝ちましょうと言ったその翌朝、ジクードが消えていた。


 テトラが青ざめた顔で“りんご亭”にやってきたのは、選手集合とされている時間より一時間も早い午前九時頃で、リュウヤとテトラは出発の準備を始めたばかりだった。

 いつもなら窓ガラスに小石をコツン当てて知らせるのに、テトラは直接部屋まで上がって駆け込んできた。


「……リュウヤ君!早く、早く手伝って!」


 長剣片手に、血相を変えたテトラが部屋に駆け込むなり、リュウヤの腕を引っ張って、外へ連れ出そうとするので、リュウヤはテトラを後ろから抱き締めて、気持ちを落ち着かせようとした。


「どうした。何があった?」

「ジクード。……ジクードが!」


 テトラは震える声で何かを伝えようとするが、言葉が詰まって声にならないようだった。


「なんじゃ、少しは落ち着かんか」


 二人ともくっつきすぎだという気持ちが、クリューネの語気を荒くする。


「いつもは彼のが起きるのが早くて起こしてもらっているんだけど、朝食の時間になっても出てこないからおかしいなと思って、様子を見に行ったの。そしたら彼の部屋、荷物が何もかも無くなっていて、ベッドの上にこんな紙切れが……」


 テトラはそう言うと、ポケットから一枚の紙切れを取り出して、リュウヤたちに見せた。覗くと酷く歪んだ文字が記されていた。


“無事に返して欲しければ、

出場を辞退し、十時までに

六番埠頭の倉庫まで来い。

他に知らせればこいつを殺す”


「早く助けにいかないと……」


 テトラは、長剣を持つその手に力を込めていた。顔は青ざめ、眼には殺気が籠っている。

 まだ知り合って日も浅く、主従の関係ではあるが、テトラにとってジクードは大事な仲間だった。仲間を傷つけようとする者に対しての怒りが、その瞳には満ちていた。


「待て、場所はわかっているんだから、焦るなよ」

「それに大会をどうするんじゃ」

「焦るなとか大会とか何言ってるのよ。ジクードの命が掛かっているんだよ?大会なんてどうでも良いでしょ」


 テトラが血走った目でクリューネを睨んだ。

 傷ついた一匹の野獣が唸り声をあげているように見える。


 ――やはり、テトラも剣士であったか。


 普段は明朗で、クリューネの我が儘も聞き入れる等、見た目より押しに弱い部分が女の子らしく見える。

 しかし、今は全身から放たれる殺気によって一本の刀剣に似ていて、そんなテトラとのギャップに、クリューネは少し戸惑いを感じるほどだった。


「だから、待てと言っているんだよ」


 その隣でリュウヤが鋭い眼光で、テトラを押さえつけるように言った。クリューネでは無理でも、リュウヤなら可能な力がその眼にはあった。


「お前はこんなクソヤローが、きちんと約束守ると思ってんのか?こっちだって、守る必要なんかねえだろ」

「……」

「まず、首謀者は誰だと思う?得する奴、損しない奴から選択してみて」


 重い沈黙の間があった。

 各々の脳裏に人物の顔と名称が浮かび、テトラが絞り出すように言った。


「……やっぱりカルダだと思う」


「俺もそう思う」とリュウヤは後を引き取った。実力的に見て厄介なのはテトラだけで、リュウヤが見たところ、他は三下の剣術家でしかない。


「ジクードの助けには俺がいく」


 突然告げたリュウヤに、えっと何か言おうとするテトラを遮って、リュウヤが続けた。


「お前は時間ギリギリまで会場近くに隠れていろ。時間になったら、構わずエントリーしすればいい。それまでには何とかする」

「何とかって」

「簡単な質問をする。俺とテトラはどっちが強いんだ」

「……」

「これからお前が闘うはずのカルダと俺とどっちが強い?」


 テトラは逡巡したあと、悔しそうに歯を食いしばり耐え、振り絞るように言った。

 公園で身体を交わしたあの夜、リュウヤに身体を責められ、悦楽を感じている秘所を告げる時の言い方に似ているとリュウヤは思った。


「……リュウヤ君、です」

「だろ?だから、これは俺の役目なんだ」


 リュウヤはテトラから手を離すとルナシウスを腰に帯び、ローブをまとった。履き物も足袋のままにしている。この種の隠密的な活動にはちょうどいい。

 久しぶりに落ち着くべきところに落ち着いた感覚があった。


「待てい、リュウヤ!」


 出ていこうとするリュウヤをクリューネが怒鳴って呼び止めた。


「お主、一人で行くつもりか?」

「何だよ、お前もついていくのか?テトラの面倒、誰が見るんだよ」

「テトラは立派な剣士だ。自分の為すべきことは承知しとるわ。問題はお前だ」


 クリューネはずかずかとリュウヤに歩み寄り、首根っこをつかんで、頭突きをするように額を重ねた。圧し殺したように、リュウヤき刷り込ませるようにクリューネは低い声で言った。


「心配なのはお前だ。メキアの時を忘れてはおるまい。石投げられ、逃げもせず突き進みもしなかったリルジエナとの中途半端な闘い方」

「……」

「昨日もそうだが、自分の詰まらんこだわりや感情に流されてヘマをする。私がお前についてきた理由を忘れたか?お前を放って置けないからだっただろうが」

「……俺はテトラより弱いてことかよ」


 バカタレと、クリューネはリュウヤの額を自分の額で小突いた。


「そんな返しをするから、私はお前についていくんじゃ。弱いのかとかグチグチ言うより、ヒーローぽく頼もし気に、“俺に任せろ”と即答するくらい出来んのか。お前は誰かとおらんと駄目だ」


 精神的な弱さ。

 メキアで痛感したはずだった。中途半端な自分を律しコントロールしようと心掛けてはいたが、カルダとのやりとりで未熟だと再び痛感せざるをえなかった。もしかしたら、テトラとの情交もそうだとは言えなくもない。


「……わかったよ。クリューネ頼む」


 クリューネから身体を離し、テトラに言った。


「テトラ、一人だけど大丈夫か?」

「うん、絶対に勝つから」


 リュウヤの問いにテトラは直ぐに強く頷いた。その表情には迷いも恐れも無いように感じられた。

 俺がテトラと同じ立場でテトラと同じ実力だったなら迷っていただろう。

 それが自分の弱さになっていると、リュウヤは寂しく思えた。

 テトラは続けた。


「姫ちゃんやリュウヤ君を信じている。終わる頃には、私はカルダのヤローをぶっ飛ばして、ばっちり優勝してるから」

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